16.選ばないといけないの?
ー/ー「空、学校に来て。…… 空はなにも悪いことをしてないのに、空だけが学校に来られないのは私はおかしいと思う。たしかに、空がいないあいだもひどいこというやつがいたけど、…… 空に直接、言ってくるやつもいるかもしれないけど、そういうときは私が――」
守るから、と言いかけて彼に伝えたい気持ちと違うような気がして、紫は言いよどむ。少し思案して、そして、ふたたび口を開く。
「私が絶対にそばにいるから、空も負けないで。私は空のことが大好きだから、そんなことに空が屈するなんておかしいし悔しいと思ってる。…… これ、プリント、ドアの前に置いておくから。明日からテストだから、来ないと後からめんどくさいよ」
がらにもない言葉を放ったことで急に襲ってきた恥ずかしさを隠すように、手にしたプリントを床に置きながら紫は言った。
「あと、これも……。絶対テスト勉強うまくいってないと思ったから、教科ごとに要点まとめてある。私なりにまとめただけだから、わかりにくいかもしれないけど……」
返事や空が出てくるような気配がないので、紫はルーズリーフの束をプリントに重ねて置いてから田島家をあとにすることにした。階段を降りている途中で、玄関のドアが開いた。
「あ、こ…… こんばんは」
空にそっくりだったので、すぐにわかった。空の父親だ。あわててあいさつをすると、
「空の友達?」
とたずねられる。紫ははい、とうなずきながら、
「休んでいるときの、授業のプリントを届けに……」
と説明した。父親はそうかと言うと、なにか言いたそうに何度か口を開いたり閉じたりする。
「その…… 空は男のアイドルが好きみたいなんだが、どうしてか知っているかな? 学校で流行っているとか…… もしくは君も好きとか」
「いや、べつに……」
「いや、べつに……」
紫は否定しようとして、思い出す。アイドルが好きなのを、父親がよく思っていないとか、なんとか。
「…… 私は好きではないですけど、そういうのが好きな空は好きです。いちばん楽しそうで、その話をしている空はいきいきしてるので」
それだけ言うと紫は田島家を出た。
紫は夜に近い時間になってから帰ってきて、母に叱られていた。
「…………」
その晩、翠は試験勉強をしながらふと、となりの部屋をふりかえった。勉強机のちょうど真後ろには先日紫と言葉を交わしたふすまがある。紫の部屋と翠の部屋は続き間で、ふすまを開け放つとひとつの部屋になる。翠は勉強机のキャスター付き椅子に座ったままごろごろと音を立ててふすまの前まで転がっていった。
「勝手に開けないでよ」
なんの予告もなくふすまを開けると畳の上に寝転がった姉が眉間にしわをよせてにらみつけてきた。
「勉強してないじゃん」
「忙しいの」
「ひまそうじゃん。…… ねえ、なんで今日帰り遅かったの?」
「忙しいの」
「ひまそうじゃん。…… ねえ、なんで今日帰り遅かったの?」
たずねると、紫は翠に背を向けた状態のまま起き上がって、
「ノート買いに行くって言ったじゃん」と口にした。
「ノートなんかそこの商店街で買えるじゃん」
「ほしいやつがなくてスーパーまで行ってたの」
「いやスーパーの方が品数少ないでしょ……」
「ほしいやつがなくてスーパーまで行ってたの」
「いやスーパーの方が品数少ないでしょ……」
疑問に思う部分はあったが、深くは突っ込まないでおくことにする。
「用がないなら閉めて」と鋭い口調で言われて、翠はあわてて口を開く。
「用がないなら閉めて」と鋭い口調で言われて、翠はあわてて口を開く。
「このまえさ、紫、私に傷つくよって言ったじゃん」
「…… うん」
「あと黒田先輩に利用されてるんじゃないかって」
「…… うん」
「あと黒田先輩に利用されてるんじゃないかって」
紫はひとつうなずいただけでなにか反応を返してくることはなく、黙ったまま変わらず後ろを向いている。聞いているのかと問いかけたくなるのをぐっとおさえて翠は続ける。
「…… もしかしたら、そうなのかもしれないと思って……。そうだったら、どうしたらいいのかなって……」
黒田の気持ちに全然気がつかなくて、あんなタイミングでようやく気づいて……。それだけじゃない。気づいて、黒田や朱音と向き合おうとしないでなあなあにことを済ませようとして。
「気まずいなら、もう話さなければいいんじゃない」
姉が非情にもきっぱりと言った。
「…… それはやだ……」
「じゃあどうしたいの、あんたは」
「じゃあどうしたいの、あんたは」
紫の手は問題集のページをぱらぱらとめくっている。
「…… 黒田先輩のことは尊敬してるし、また前みたいに話しかけてくれたらすごく嬉しい、けど……。私は朱音のことも大好きだから、どっちかを選ぶなんてことできない」
「選ぶ?」
「選ぶ?」
翠の言葉に、紫が首をひねる。
「どっちか選ばないといけないの?」
「そりゃ…… そうでしょ。先輩はだって、朱音が好きだし――」
「いや、だから。好きだからなに? あんたたちが別れたら黒田くんはその子と付き合えるの?」
「あ……」
「そりゃ…… そうでしょ。先輩はだって、朱音が好きだし――」
「いや、だから。好きだからなに? あんたたちが別れたら黒田くんはその子と付き合えるの?」
「あ……」
そんなはずはないだろうと言外に言われ、翠ははっとした。
「だったら、自分の思うようにしたら。―― 私はそうする」
そう言う姉の背中には強い決意のような、覚悟のような、そんなものが見えた気がした。
定期試験の日の朝、紫は空の家のそばにある、いつも空が出てくる曲がり角に立っていた。およそ十分ほど、そこから空の家の窓を見上げていたが、やがてあきらめたように息を吐き立ち去ろうとした。そのとき、紫の背後でがちゃんとドアの開く音がして思わずふりかえる。
「…… おはよう。…… あと、ごめん」
空は紫と目が合うと、気まずいような、後ろめたいような顔をしてからはにかみつつ口を開いた。
「昨日紫がくれた、あのまとめたやつとか、途中で飽きて全部見てない」
なにを言われるか一瞬身構えた紫だったが、空の言葉にほっと詰めていた息を吐いた。
「…… いや、見ろよ」
「本当だよね」
「本当だよね」
学校に近づくにつれ、登校中の生徒の数が増えてくる。そのなかには同じクラスの生徒が何人もいて、空のことをちらちらと見てくる者もいる。正確には、空と紫のことを。
「大丈夫だよ」
紫がどう声をかけるか迷っているうちに、空が言った。
「紫がいるって言ってくれたから、俺は大丈夫」
前を向いてはっきりと言う空の横顔を紫はじっと見つめた。
「…… テストは?」
「…… あんまり大丈夫じゃない」
「…… あんまり大丈夫じゃない」
ふたりはそろって噴き出した。ふたりは笑い合いながら、並んで道を進んでいった。
試験は午前だけで、二日間に分けて行われる。その日の試験を終えると翠は、生徒たちが続々と帰宅していくなか、自身も帰宅の準備をしながら教室内のある一か所に視線を送った。そこでは朱音が数人の女子たちと群れになって今日の試験の出来について話し合っており、教師に一度帰宅をうながされているにもかかわらずしばらくは終わりそうにない。
翠は立ち上がった。指定かばんを背負って教室を出ると、生徒玄関とは逆の方へと歩いていく。新校舎の裏側にあたる、少し奥まったところにある日陰に翠はしゃがみこんだ。木々のざわめきにまぎれて、下校する生徒たちの声が聞こえてくる。しばらくそこでぼんやりしていると、翠がしゃがんでいる近くに翠とまったく同じ指定かばんがどさりと下ろされる。試験期間中で、さほど中身は入っていないはずのかばんは存外重たげな音を立てた。翠は隣には視線を向けずに、じっと正面を見たまま黙っていた。
朱音は翠と今置いたかばんの間に腰を下ろすと、
朱音は翠と今置いたかばんの間に腰を下ろすと、
「黒田先輩があたしのところに来た。知ってるでしょ」
と翠の顔を見ずに言ってきた。翠ははーっと長く息を吐く。
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