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17.わかってるもん

ー/ー



「反省してるよ……」
「なにを?」

 困り果てたような翠の声に朱音がたずねるが、翠が口にするべき言葉に迷うように黙ってしまったので、朱音がふたたび口を開く。

「あのね、なんで先輩があたしたちのこと知ってるかはわかんないけど…… 見る人が見たらばればれだったのかもしれないけど……。でもね、先輩には、翠がそういうこと言いたくないなら言わなくてもいいよ。野球部内でほかの先輩たちになんか…… からかわれたりしたら、翠いやでしょ」
「………… うん。でも」

 翠は朱音と同じようにコンクリート部分に腰を下ろし、膝をかかえながら言った。

「先輩には、そういうことわかってほしいし、言いたい…… んだよね。先輩は友達たくさんいるだろうし、みんなに優しいのはわかってるけど、べつに、私のことなんか友達とも思ってないかもしれないけど」

 これからもっと時間が経って、夕方になるとここはすっかり日陰になる。少し前、白川の件で朱音にここへ呼び出されたときにはもう薄暗く肌寒いくらいだった。

「そんなことないよって言ってあげたいけど、そればっかりは先輩にしかわかんないよね。先輩本人に聞いてみたとしても本心が返ってくるとは限らないし」

 朱音が言うと、翠はふっと噴き出した。

「朱音って意外とドライっていうか、けっこう現実的なとこあるよね」
「なに、意外とって。悪口?」
「違うよ。なんでそうなるの」

 冗談っぽく言われて翠が頭をかく。

「私は…… 理屈ではわかっててもそんなふうに割り切れないから、朱音のそういうところはすごいと思うし、うらやましいよ。尊敬してるし、私は好き」

 言ってから、翠はあわてて「あ、いや」と手を振った。

「好きってそういう意味のあれじゃなくて…… 人としてとか、人間として、人間を構成する要素のひとつとしてっていう……」
「なんでいちいち否定すんの。普通にあたしのこと好きでいいじゃん」
「いや、違うんだけど」

 翠が否定したのを最後に朱音はかかえた膝に顔をうめて黙りこんでしまった。きっぱり否定しすぎたかと思い彼女の方を向けば、鼻水をすするような音が聞こえてくる。 

「え、ちょっ……」

 思いのほか本格的に泣いているのがわかるとわかった瞬間、翠はどっと冷や汗が噴き出してきた。泣かせるつもりなんてまったく、少しもなかったのだが、泣かせてしまった以上言い訳も言い逃れもできない。しばらく翠がどうすればいいのかわからずおろおろしていると、朱音の口からぼそぼそとなにか声がもれる。

「…… なに?」

 顔が膝に埋まっていることと、鼻声であることで不明瞭になってしまっている声に首をかしげると、ようやく朱音の顔が上がる。

「だ―― だって翠は、男子とばっかいるし、翠のことかっこいいって言う子いっぱいいるし」
「は? いやちょっと……」
「黒田先輩のことすごい好きだし、小学校のときは蒼汰と付き合ってたし――」
「あか……」
「蒼汰とはっ、今でも仲良いし、白川くんともすぐ仲良くなっちゃうし」

 日ごろから聞かされている文句とは違って心の内を吐露するように朱音が言ってくるので、翠はつい大きな声を上げた。

「朱音のことしか好きじゃないってば!」

 ふいに大声を出されたことで、朱音があぜんとした様子で動きを止めてこちらを見ている。ふたりの頭上にある小窓から、女子が騒ぐような声が聞こえてはっとする。もしかして、今の話が聞こえてしまっただろうか。今思い返してみれば、白川が自分と朱音とのことについて知っていたのもそういうことなのではと思うし、もしかすると黒田が知っていたのも……?

「…… ってるもん……」

 またしても朱音が鼻水をすすりながら何事か口にする。

「それくらいわかってるもん……」

 じゃあどうしろというのか。

「ちょ、ちょっと待って鼻水ズルズルのままこっち来ないで」

 ティッシュを探している暇もなさそうだったので翠はポケットに入っていたハンカチを引き抜いて朱音の顔面に押しつけた。

「…… 好きなんじゃないの」
「好きでも鼻水ズルズルはちょっとやだよ。―― あ、ティッシュあった。ほら」

 かばんのなかにあった使いさしのポケットティッシュを数枚出して渡してやると、朱音はありがと、と一応礼を言って受け取り鼻をかんだ。
 チャイムが聞こえてくる。下校時間を知らせる本鈴だ。

「…… あのね」

 どうにか落ち着いた様子の朱音の横で翠はコンクリートの上に座り直した。

「私はべつに、朱音とのことはだれにも言いふらす必要はないと思っているし、関係ない人たちに知られるのも嫌だけど。…… 朱音が言いたいなら好きなように言えばいいよ。朱音は私と違って友達が多いし、言いたい人には…… 言えばいいと……」
「思ってないでしょ」
「うん……」

 徐々に歯切れ悪くなっていく様子に朱音が言うと、翠はあっさりうなずいた。

「…… ひどいこと言ったのはあたしのほうなのに、どうして翠がそんなこと言うの」
「…… まあ、そこまで追い詰められたのはなんでかって考えたら、私にも責任があるし……」

 それに、あのまま一切口をきかなくなってしまったらと思うと不安だった。実際、あれ以来ひとことも言葉を交わさなかったし。

「あたしが勝手にやきもち焼いて余裕なくして怒ったんだよ」
「私がちゃんと、黒田先輩の気持ちがわかったときに自分の気持ちを言えばよかったんだよ」
「………… 翠は、付き合った男をだめにすると思う……」

 短い沈黙の末にうなるように朱音が口にした言葉に、翠は首をかしげる。

「朱音は女の子じゃん」
「そうだけどそうじゃないの。―― あたし、もう帰る。明日のテストやばいから」
「鼻水止まったの?」
「涙のこと鼻水って言うのやめてよ!」

 先ほどから連呼されているのが恥ずかしくてとうとう朱音が叫ぶと、翠はいやと真面目な顔で否定してくる。

「涙よりも鼻水のほうがいっぱい出てたよ。絶対、確実に」

 立ち上がりながら言った翠の尻に、朱音はほとんど中身の入っていない通学かばんを叩き込んだ。






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次のエピソードへ進む 18.がんばれ(終)


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「反省してるよ……」
「なにを?」
 困り果てたような翠の声に朱音がたずねるが、翠が口にするべき言葉に迷うように黙ってしまったので、朱音がふたたび口を開く。
「あのね、なんで先輩があたしたちのこと知ってるかはわかんないけど…… 見る人が見たらばればれだったのかもしれないけど……。でもね、先輩には、翠がそういうこと言いたくないなら言わなくてもいいよ。野球部内でほかの先輩たちになんか…… からかわれたりしたら、翠いやでしょ」
「………… うん。でも」
 翠は朱音と同じようにコンクリート部分に腰を下ろし、膝をかかえながら言った。
「先輩には、そういうことわかってほしいし、言いたい…… んだよね。先輩は友達たくさんいるだろうし、みんなに優しいのはわかってるけど、べつに、私のことなんか友達とも思ってないかもしれないけど」
 これからもっと時間が経って、夕方になるとここはすっかり日陰になる。少し前、白川の件で朱音にここへ呼び出されたときにはもう薄暗く肌寒いくらいだった。
「そんなことないよって言ってあげたいけど、そればっかりは先輩にしかわかんないよね。先輩本人に聞いてみたとしても本心が返ってくるとは限らないし」
 朱音が言うと、翠はふっと噴き出した。
「朱音って意外とドライっていうか、けっこう現実的なとこあるよね」
「なに、意外とって。悪口?」
「違うよ。なんでそうなるの」
 冗談っぽく言われて翠が頭をかく。
「私は…… 理屈ではわかっててもそんなふうに割り切れないから、朱音のそういうところはすごいと思うし、うらやましいよ。尊敬してるし、私は好き」
 言ってから、翠はあわてて「あ、いや」と手を振った。
「好きってそういう意味のあれじゃなくて…… 人としてとか、人間として、人間を構成する要素のひとつとしてっていう……」
「なんでいちいち否定すんの。普通にあたしのこと好きでいいじゃん」
「いや、違うんだけど」
 翠が否定したのを最後に朱音はかかえた膝に顔をうめて黙りこんでしまった。きっぱり否定しすぎたかと思い彼女の方を向けば、鼻水をすするような音が聞こえてくる。 
「え、ちょっ……」
 思いのほか本格的に泣いているのがわかるとわかった瞬間、翠はどっと冷や汗が噴き出してきた。泣かせるつもりなんてまったく、少しもなかったのだが、泣かせてしまった以上言い訳も言い逃れもできない。しばらく翠がどうすればいいのかわからずおろおろしていると、朱音の口からぼそぼそとなにか声がもれる。
「…… なに?」
 顔が膝に埋まっていることと、鼻声であることで不明瞭になってしまっている声に首をかしげると、ようやく朱音の顔が上がる。
「だ―― だって翠は、男子とばっかいるし、翠のことかっこいいって言う子いっぱいいるし」
「は? いやちょっと……」
「黒田先輩のことすごい好きだし、小学校のときは蒼汰と付き合ってたし――」
「あか……」
「蒼汰とはっ、今でも仲良いし、白川くんともすぐ仲良くなっちゃうし」
 日ごろから聞かされている文句とは違って心の内を吐露するように朱音が言ってくるので、翠はつい大きな声を上げた。
「朱音のことしか好きじゃないってば!」
 ふいに大声を出されたことで、朱音があぜんとした様子で動きを止めてこちらを見ている。ふたりの頭上にある小窓から、女子が騒ぐような声が聞こえてはっとする。もしかして、今の話が聞こえてしまっただろうか。今思い返してみれば、白川が自分と朱音とのことについて知っていたのもそういうことなのではと思うし、もしかすると黒田が知っていたのも……?
「…… ってるもん……」
 またしても朱音が鼻水をすすりながら何事か口にする。
「それくらいわかってるもん……」
 じゃあどうしろというのか。
「ちょ、ちょっと待って鼻水ズルズルのままこっち来ないで」
 ティッシュを探している暇もなさそうだったので翠はポケットに入っていたハンカチを引き抜いて朱音の顔面に押しつけた。
「…… 好きなんじゃないの」
「好きでも鼻水ズルズルはちょっとやだよ。―― あ、ティッシュあった。ほら」
 かばんのなかにあった使いさしのポケットティッシュを数枚出して渡してやると、朱音はありがと、と一応礼を言って受け取り鼻をかんだ。
 チャイムが聞こえてくる。下校時間を知らせる本鈴だ。
「…… あのね」
 どうにか落ち着いた様子の朱音の横で翠はコンクリートの上に座り直した。
「私はべつに、朱音とのことはだれにも言いふらす必要はないと思っているし、関係ない人たちに知られるのも嫌だけど。…… 朱音が言いたいなら好きなように言えばいいよ。朱音は私と違って友達が多いし、言いたい人には…… 言えばいいと……」
「思ってないでしょ」
「うん……」
 徐々に歯切れ悪くなっていく様子に朱音が言うと、翠はあっさりうなずいた。
「…… ひどいこと言ったのはあたしのほうなのに、どうして翠がそんなこと言うの」
「…… まあ、そこまで追い詰められたのはなんでかって考えたら、私にも責任があるし……」
 それに、あのまま一切口をきかなくなってしまったらと思うと不安だった。実際、あれ以来ひとことも言葉を交わさなかったし。
「あたしが勝手にやきもち焼いて余裕なくして怒ったんだよ」
「私がちゃんと、黒田先輩の気持ちがわかったときに自分の気持ちを言えばよかったんだよ」
「………… 翠は、付き合った男をだめにすると思う……」
 短い沈黙の末にうなるように朱音が口にした言葉に、翠は首をかしげる。
「朱音は女の子じゃん」
「そうだけどそうじゃないの。―― あたし、もう帰る。明日のテストやばいから」
「鼻水止まったの?」
「涙のこと鼻水って言うのやめてよ!」
 先ほどから連呼されているのが恥ずかしくてとうとう朱音が叫ぶと、翠はいやと真面目な顔で否定してくる。
「涙よりも鼻水のほうがいっぱい出てたよ。絶対、確実に」
 立ち上がりながら言った翠の尻に、朱音はほとんど中身の入っていない通学かばんを叩き込んだ。