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その2:回想・昼休みにあったこと

ー/ー



「絢子さーん、どうしましょう……私、海堂さんが今度取引先を接待するときに一緒に行かなきゃいけない感じなんです……」

 まるで仔犬が親犬に助けを求めるかのような表情で、絢子の後輩であるマユちゃんが訴えて来た。
 営業一課の海堂は自他ともに認めるトップ営業マンであり、次期課長候補としても注目されている。

「なんでそんな話になったの?」
「えーっと、さっきコンビニに行ってレジに並んでたら海堂さんが後ろに並んでて……」

 オフィス街にあるコンビニの昼時となればレジに長蛇の列ができるのは珍しいことではない。
 長々と待つ間、知った顔が列の前後に居るとわかれば、雑談などで時間をつぶすのはよくあることだ。
 その雑談のなかで海堂はマユちゃんに先日、課長グループと部長の懇親会として先斗町(ぽんとちょう)にある店で食事をしたことを話したという。いうまでもなく先斗町と言えば京都の老舗が軒を連ねる、敷居の高い場所であり、必然的に価格設定は財布にやさしくない。そしてそこに出入りするというのはステイタスともいえよう。先斗町の店で食事をしたという海堂に対し、マユちゃんが憧れのまなざしを向けたであろうことは想像に難くない。

「それで私……そんな素敵なところに行くなら、私にも声かけて欲しかったですって言ったら海堂さんが……」
「……A社の担当と今度食事会の予定があるから、マユちゃんも一緒にくる? その店を使おうと思ってるんだ、……とか、言われたのね?」
「すっごーい! さすが絢子さん! なんでわかるんですか?」

 眩しいくらいに素直に感嘆しているようなマユちゃんの表情に苛つく感情を抑えつつ、絢子は冷静に会話を続ける努力をした。
 というか、課長以上の面々が集まる会合で、どうすればマユちゃんに声がかかる展開になるんだろうか。
 もちろん、純粋に先斗町に行けるということへの憧れから、何の気なしに言った言葉なのだろうが。
 結局はその言葉が誘い水になって、接待への同席という形で憧れの場所に行ける話が進んでいるはずなのに、マユちゃんはそのことに困惑している。欲しいものが手に入りそうなのに、要らない・困る、と言って絢子に助けを求めているのだ。

「適当に断る方法ならいくらでもあるでしょ? 別に絶対行かなきゃいけない義務とかじゃないし。だいたい取引先の接待に女性社員を同席させた方が印象が良くなるとかなんとか……そんな時代錯誤な非公認社内ルールがいまだに生きてるのも考え物なんだけどね」
「うー……私、絢子さんみたいにはっきり言えないですよ。まだまだ下っ端だし、やっぱり行けませんとか言ったら、海堂さんに追及されそうだし……」
「あのね、マユちゃん。仕事でもプライベートでも、言わなきゃいけないことはちゃんと伝えないと。今の話を聞いた感じだと、海堂さん、マユちゃんがノリノリで同席にOKしてるって解釈してると思うよ? それに、行けなくなった理由を追及されたとしても、答えなきゃいけない義務もないんだから。それこそ、セクハラ・パワハラですよって、軽い感じで返しておけばいいの」
「うーん……絢子さんは強いから……」

 そういう風に言えるんですよぅ……と、半ば消え入りそうな声でマユちゃんが続ける。
 これは強さ・弱さの問題なのか?
 自分の発言が原因で、自分が望まない方に話が進んでいるなら、その方向転換や修正は自分でしてほしいものだ。
 いや、大人ならそうするものではないのか?
 しかし入社以来、同じ部署でマユちゃんと接している絢子としては、マユちゃんが弱り切った雰囲気で訴えかけてくるとき、それは必ず自分の抱える問題ごとを誰かに、基本的には絢子に何とかしてもらうことを望んでいるのだと知っている。
 こうなったらどんなに諭しても、見方を変えるように勧めても、励ましても、マユちゃんが望む展開になるまで「うーん」「でも……」「大丈夫かなぁ……?」といった答えが続き、話が終わらなくなる。
 貴重な昼休みの休憩を、これ以上マユちゃんのお悩み相談で消費するのもうんざりだと感じ始めた絢子は、本人のタメにならないと思いつつもマユちゃんが望んでいるであろう提案を口にする。

「わかった、わかった。あとで海堂さんには私からそれとなく伝えとくし。マユちゃんは心配しなくて大丈夫よ」

 その言葉を聞いた途端、それまでの沈んでいたマユちゃんの表情が嘘のように明るく晴れ渡る。

「ホントですか! よかったぁ……やっぱり絢子さんは頼りになるっ! ありがとうございます!」

 訴えて来たときとはまるで別人のような、軽やかな足取りでマユちゃんは絢子のもとを去っていった。

(羨ましい子……)

 思ったままにポンポン言葉を口にして、うっかり望まない展開になっても助けてくれる人がいて。
 本人のお気には召さなかったようだが……接待への同席という形ではあるが、海堂から食事に誘われて……絢子が欲しいと願うものを意図せず手に入れられるのに、それを要らないという。
 もちろん、人それぞれ、望むものは違うのだから仕方がない。
 理屈はわかっている。
 理性では理解している。
 けれど絢子の感情はそれを穏やかに飲み込めるほど、寛容ではないらしい。

(マユちゃんは、素直で、正直ないい子。ただ、それだけ。それだけ……)

 まるで自分に言い聞かせるように絢子は心の中で繰り返した。



 昼休み後、業務の合間を見計らって絢子は海堂に声をかけた。

「海堂さん、マユちゃんから聞いたんですけど、マユちゃんを接待に同席させるんですか?」
「おっ、業務事務課のお姉さんは耳が早いねぇ~。接待って言っても、そんなに気を張らなくてもいい相手先だし、マユちゃんに美味しいもの食べさせたくてさ」

 以前から知っていたことではあるが、海堂も「マユちゃん」と呼ぶんだなと、絢子は複雑な気持ちで聞き流す。
 そして「食べさせる」も何もどうせ経費で処理するんだろうから、あんたが奢るのでもないだろうと心の中でツッコミを入れた。

「それって、いつです? マユちゃん、日取りは聞いてなかったみたいですけど?」
「あ~、先方と調整中だったんだけど……あ、A社からメールが来てた。えぇーっと……多分、来週の水曜かな?」
「なら、申し訳ありませんが今回は他の人を同席者にしてもらえませんか? 実はその日、以前からマユちゃんと飲みに行く約束をしてたので」

 もちろん、そんな約束などしていない。
 つじつまが合うようにあとでマユちゃんと打ち合わせておかないと、と今後の予定を試算しつつ、この際だからと絢子は自分の意見を海堂にぶつける。

「というか、気を張らなくてもいい相手先なら、別にわが社の伝統である『女性社員を同席させてコンパニオンにする作戦』を取り込まなくてもいいんじゃないですか? 今、何時代です? 平成だって終わったんですから、そんな伝統、いつまで続けるんですか?」
「おぅおぅ、言うねぇ、さすが一人飲み女傑のシゲさんだ!」
「何ですか、その通り名!」

 海道は少しふざけた話し方をするとき、絢子の苗字である「重森」にちなんで「シゲさん」と呼んでくることがある。
 しかも今回は「一人飲み女傑」というオマケ付きだ。

「だいたい、海堂さんクラスの人だったら、そんな作戦なんか使わなくたって、パパっと仕事取れるんじゃないですか?」
「まーねー……。でもさー、シゲさん。俺だって人間だし、疲れるときもあるし……たまには楽したいじゃない? だから有効な手は何でも使うよ? もちろんそれに頼るつもりもないけど。ま、時代錯誤なことしてるのは俺もわかってるよ。わかってるけどさー……だからって、いちいち目くじらたてて、そういう習慣? 価値観? に異議を唱えてたら仕事が進まないじゃない。そういうのは俺が頑張って変えていくんじゃなくて、社会のみんなで変えてくものでしょ?」
「それは……そう、ですけど」

 いつものことだ。結局、論点をすり替えられて、海堂の会話のペースになってしまう。
 絢子の言いたいこと・伝えたいことは果たしてどれくらい海堂に伝わっているんだろうか。

「まぁまぁ、心配しないで。そういうことなら今回の同席はユキちゃんかミサコちゃんあたりに頼んでみるわ。それに、シゲさんの主張は尊重するよ? シゲさんにはこれからも同席を頼んだりしないから、安心して」
「……お心遣いありがとうございます」

 不機嫌が表情に出ていないか不安を感じながら、これ以上、海堂と話したところで平行線だろうと絢子は判断する。形式だけではあるが礼の言葉を口にしてその場を離れた。
 もっともらしい意見を述べながらも、結局のところ海堂は会社の古い体質を変えるつもりはなく、そんな努力をするよりも使えるものはうまく使って自分の手柄を増やしたいのだ。
 だから同じ課にいるユキちゃんやミサコちゃんは彼にとって優秀な駒なのだろう。そして将来的にはマユちゃんも、駒として使いたいのだろう。
 そして絢子は駒として使えない。絢子が海堂の仕事に直接かかわる形で役に立つことはこれからもないのだ。


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 まるで仔犬が親犬に助けを求めるかのような表情で、絢子の後輩であるマユちゃんが訴えて来た。
 営業一課の海堂は自他ともに認めるトップ営業マンであり、次期課長候補としても注目されている。
「なんでそんな話になったの?」
「えーっと、さっきコンビニに行ってレジに並んでたら海堂さんが後ろに並んでて……」
 オフィス街にあるコンビニの昼時となればレジに長蛇の列ができるのは珍しいことではない。
 長々と待つ間、知った顔が列の前後に居るとわかれば、雑談などで時間をつぶすのはよくあることだ。
 その雑談のなかで海堂はマユちゃんに先日、課長グループと部長の懇親会として|先斗町《ぽんとちょう》にある店で食事をしたことを話したという。いうまでもなく先斗町と言えば京都の老舗が軒を連ねる、敷居の高い場所であり、必然的に価格設定は財布にやさしくない。そしてそこに出入りするというのはステイタスともいえよう。先斗町の店で食事をしたという海堂に対し、マユちゃんが憧れのまなざしを向けたであろうことは想像に難くない。
「それで私……そんな素敵なところに行くなら、私にも声かけて欲しかったですって言ったら海堂さんが……」
「……A社の担当と今度食事会の予定があるから、マユちゃんも一緒にくる? その店を使おうと思ってるんだ、……とか、言われたのね?」
「すっごーい! さすが絢子さん! なんでわかるんですか?」
 眩しいくらいに素直に感嘆しているようなマユちゃんの表情に苛つく感情を抑えつつ、絢子は冷静に会話を続ける努力をした。
 というか、課長以上の面々が集まる会合で、どうすればマユちゃんに声がかかる展開になるんだろうか。
 もちろん、純粋に先斗町に行けるということへの憧れから、何の気なしに言った言葉なのだろうが。
 結局はその言葉が誘い水になって、接待への同席という形で憧れの場所に行ける話が進んでいるはずなのに、マユちゃんはそのことに困惑している。欲しいものが手に入りそうなのに、要らない・困る、と言って絢子に助けを求めているのだ。
「適当に断る方法ならいくらでもあるでしょ? 別に絶対行かなきゃいけない義務とかじゃないし。だいたい取引先の接待に女性社員を同席させた方が印象が良くなるとかなんとか……そんな時代錯誤な非公認社内ルールがいまだに生きてるのも考え物なんだけどね」
「うー……私、絢子さんみたいにはっきり言えないですよ。まだまだ下っ端だし、やっぱり行けませんとか言ったら、海堂さんに追及されそうだし……」
「あのね、マユちゃん。仕事でもプライベートでも、言わなきゃいけないことはちゃんと伝えないと。今の話を聞いた感じだと、海堂さん、マユちゃんがノリノリで同席にOKしてるって解釈してると思うよ? それに、行けなくなった理由を追及されたとしても、答えなきゃいけない義務もないんだから。それこそ、セクハラ・パワハラですよって、軽い感じで返しておけばいいの」
「うーん……絢子さんは強いから……」
 そういう風に言えるんですよぅ……と、半ば消え入りそうな声でマユちゃんが続ける。
 これは強さ・弱さの問題なのか?
 自分の発言が原因で、自分が望まない方に話が進んでいるなら、その方向転換や修正は自分でしてほしいものだ。
 いや、大人ならそうするものではないのか?
 しかし入社以来、同じ部署でマユちゃんと接している絢子としては、マユちゃんが弱り切った雰囲気で訴えかけてくるとき、それは必ず自分の抱える問題ごとを誰かに、基本的には絢子に何とかしてもらうことを望んでいるのだと知っている。
 こうなったらどんなに諭しても、見方を変えるように勧めても、励ましても、マユちゃんが望む展開になるまで「うーん」「でも……」「大丈夫かなぁ……?」といった答えが続き、話が終わらなくなる。
 貴重な昼休みの休憩を、これ以上マユちゃんのお悩み相談で消費するのもうんざりだと感じ始めた絢子は、本人のタメにならないと思いつつもマユちゃんが望んでいるであろう提案を口にする。
「わかった、わかった。あとで海堂さんには私からそれとなく伝えとくし。マユちゃんは心配しなくて大丈夫よ」
 その言葉を聞いた途端、それまでの沈んでいたマユちゃんの表情が嘘のように明るく晴れ渡る。
「ホントですか! よかったぁ……やっぱり絢子さんは頼りになるっ! ありがとうございます!」
 訴えて来たときとはまるで別人のような、軽やかな足取りでマユちゃんは絢子のもとを去っていった。
(羨ましい子……)
 思ったままにポンポン言葉を口にして、うっかり望まない展開になっても助けてくれる人がいて。
 本人のお気には召さなかったようだが……接待への同席という形ではあるが、海堂から食事に誘われて……絢子が欲しいと願うものを意図せず手に入れられるのに、それを要らないという。
 もちろん、人それぞれ、望むものは違うのだから仕方がない。
 理屈はわかっている。
 理性では理解している。
 けれど絢子の感情はそれを穏やかに飲み込めるほど、寛容ではないらしい。
(マユちゃんは、素直で、正直ないい子。ただ、それだけ。それだけ……)
 まるで自分に言い聞かせるように絢子は心の中で繰り返した。
 昼休み後、業務の合間を見計らって絢子は海堂に声をかけた。
「海堂さん、マユちゃんから聞いたんですけど、マユちゃんを接待に同席させるんですか?」
「おっ、業務事務課のお姉さんは耳が早いねぇ~。接待って言っても、そんなに気を張らなくてもいい相手先だし、マユちゃんに美味しいもの食べさせたくてさ」
 以前から知っていたことではあるが、海堂も「マユちゃん」と呼ぶんだなと、絢子は複雑な気持ちで聞き流す。
 そして「食べさせる」も何もどうせ経費で処理するんだろうから、あんたが奢るのでもないだろうと心の中でツッコミを入れた。
「それって、いつです? マユちゃん、日取りは聞いてなかったみたいですけど?」
「あ~、先方と調整中だったんだけど……あ、A社からメールが来てた。えぇーっと……多分、来週の水曜かな?」
「なら、申し訳ありませんが今回は他の人を同席者にしてもらえませんか? 実はその日、以前からマユちゃんと飲みに行く約束をしてたので」
 もちろん、そんな約束などしていない。
 つじつまが合うようにあとでマユちゃんと打ち合わせておかないと、と今後の予定を試算しつつ、この際だからと絢子は自分の意見を海堂にぶつける。
「というか、気を張らなくてもいい相手先なら、別にわが社の伝統である『女性社員を同席させてコンパニオンにする作戦』を取り込まなくてもいいんじゃないですか? 今、何時代です? 平成だって終わったんですから、そんな伝統、いつまで続けるんですか?」
「おぅおぅ、言うねぇ、さすが一人飲み女傑のシゲさんだ!」
「何ですか、その通り名!」
 海道は少しふざけた話し方をするとき、絢子の苗字である「重森」にちなんで「シゲさん」と呼んでくることがある。
 しかも今回は「一人飲み女傑」というオマケ付きだ。
「だいたい、海堂さんクラスの人だったら、そんな作戦なんか使わなくたって、パパっと仕事取れるんじゃないですか?」
「まーねー……。でもさー、シゲさん。俺だって人間だし、疲れるときもあるし……たまには楽したいじゃない? だから有効な手は何でも使うよ? もちろんそれに頼るつもりもないけど。ま、時代錯誤なことしてるのは俺もわかってるよ。わかってるけどさー……だからって、いちいち目くじらたてて、そういう習慣? 価値観? に異議を唱えてたら仕事が進まないじゃない。そういうのは俺が頑張って変えていくんじゃなくて、社会のみんなで変えてくものでしょ?」
「それは……そう、ですけど」
 いつものことだ。結局、論点をすり替えられて、海堂の会話のペースになってしまう。
 絢子の言いたいこと・伝えたいことは果たしてどれくらい海堂に伝わっているんだろうか。
「まぁまぁ、心配しないで。そういうことなら今回の同席はユキちゃんかミサコちゃんあたりに頼んでみるわ。それに、シゲさんの主張は尊重するよ? シゲさんにはこれからも同席を頼んだりしないから、安心して」
「……お心遣いありがとうございます」
 不機嫌が表情に出ていないか不安を感じながら、これ以上、海堂と話したところで平行線だろうと絢子は判断する。形式だけではあるが礼の言葉を口にしてその場を離れた。
 もっともらしい意見を述べながらも、結局のところ海堂は会社の古い体質を変えるつもりはなく、そんな努力をするよりも使えるものはうまく使って自分の手柄を増やしたいのだ。
 だから同じ課にいるユキちゃんやミサコちゃんは彼にとって優秀な駒なのだろう。そして将来的にはマユちゃんも、駒として使いたいのだろう。
 そして絢子は駒として使えない。絢子が海堂の仕事に直接かかわる形で役に立つことはこれからもないのだ。