第221話 聖地

ー/ー



 潮風が肌に触れる。
 何処までも広がる青空には渡り鳥が舞い、見下ろせば大海原が見える。
 もっと遠くへと視線を飛ばせば、水平線の彼方に大きな大陸がうっすらと。

「あれがアニモーン大陸れすね」

 大型帆船のデッキで、麦わら帽子を深く被ったミモザが言う。
 延々と照り付けてくる日差しに焼かれないよう、肌の露出も避けている。

「本当に来ちまうとはな」

 その後ろで付き人のように立つのはパエニアだった。
 瞼の上に手を添えて、これから上陸する大陸を眺める。

「今更でふが、パエニアくんまで来る必要はなかったんれすよ?」
「お前なぁ。お前みたいな平和ボケした田舎エルフを一人にできるか。レッドアイズでも財布スラれてたしよ」
「えへ、えへへ……あれはちょっとうっかりしてただけでふよ」

 平和な国パエデロスからも大きく離れ、治安の悪かったレッドアイズからすらも、海を隔ててさらに遠い。アニモーン大陸はミモザにとっても未知の土地。
 神聖なる大陸とまで呼ばれ、上陸にも規制の掛かるほど厳かな場所だが、そういう土地にこそ金の匂いを嗅ぎつけるものは多く、実際のところは治安も悪い。

 アニモーン大陸ならただの棒切れ一本でさえ、世界樹(ユグドラシル)の枝だと偽ってしまえば、目が飛び出るような高額で売りさばける。
 世界樹(ユグドラシル)の新興宗教も星の数ほど存在し、下手に入信すると他の信者たちに袋叩きにされるという話も有名だ。

 これから二人が向かう場所は、世界樹(ユグドラシル)のある聖地コロナリア。
 世界の全てが誕生したとされる女神の領域である。

 ※ ※ ※

 大型帆船が港につき、いよいよミモザとパエニアの二人が上陸する。
 驚くほど賑やかな市場からの活気がさっそく出迎えてきた。

 異種族国家パエデロスの人口密度や軍事国家レッドアイズの都会っぷりと比べると見劣りしてしまうところはあったが、あれらは極端な例といえるだろう。

「さてと……コロナリアに向かう馬車を探しまふか」
「おい、あんま見知らぬ土地でフラフラするんじゃ――」

 アニモーン大陸に踏み出して数歩。突如として人込みの波がミモザに襲いくる。
 波が去った後には、忽然とミモザの姿はそこになかった。

「あぁ~~~~れぇ~~~~っ」

 不意に遠ざかっていく悲鳴の方を向くと大男の小脇に抱えられて連れ浚われていくミモザの姿があった。突然のことに驚きを隠せないパエニアだったが、咄嗟に魔法を唱えようとする。

「ぎゃあああぁっ!?」
 それよりも早く、大男が燃え上がっていた。

「はふぅ、びっくりしましら」

 そういって大男の腕から抜け出したミモザは手の中から水を放ち、消火する。
 危うく黒焦げになりかけた大男はさすがに身の危険を悟ったのか、脇目もふらず、その場から逃げ出していった。

「馬鹿野郎。自分ごと盗まれる奴があるか」
「面目ないでふ……まさかここまで治安が悪いとは思いませんれした」
「また何か盗られてないだろうな」

 そう言われて慌てて身の回りのものを確認するが、どうやら大丈夫だったらしい。
 レッドアイズでも財布をスられた前科があったからこそパエニアも不安を覚える。

「やっぱりこんな格好だと狙われやすいんでふかね……」
「ちんちくりんなガキが出歩けるような場所じゃないんだろうよ。つかこんな調子でいちいち誘拐されてたらキリがないぞ」

 そこで「む~ん」と唸り、少し考えるよう俯きながらミモザはその腕に嵌めていた腕輪に手を触れる。すると、ミモザの姿がすくすくと伸び始めていった。

「これなら大丈夫ですよね」
 瞬きする間もなく、大人並みの身長へと変身する。

「お、おう……だけどよ、そんなにホイホイ使っていいのかよ。魔力が空になったらいざというときに使えないんじゃ」
「元々これは変装用の魔具なので長時間使えるんですよ。まあ、この前は思いっきり魔法を使いすぎたからアレでしたが」

 そういって照れくさそうに笑う。
 普段が普段、純朴そうなエルフ小娘に対し、変身した今の姿では誰がどう見ようと大人の女性でしかなく、いつものミモザを知っているとギャップも大きい。

「でも、これだとパエニアくんの方が子供っぽく見られますかね」
「うるせえよ! オレ様はお前と違ってポケーっとしてないから大丈夫だっつの!」

 下手したら姉弟にも見られかねない程度の伸長差に、パエニアも不機嫌さを表情に出す。その胸中は、子供扱いされたことよりも、今のミモザの姿を見て、ふと何かを思い出したことを誤魔化そうとしているようでもあった。
 無論、ミモザがそんなことに気付くはずもなかったが。

「それじゃあ気を取り直して、聖地に向かう馬車を探しますか」

 ※ ※ ※

 ギシギシ、ガタガタと軋む馬車に揺られながら、ミモザとパエニアは肩がぴったりつくほど密着し、窮屈そうに山道を登っていた。
 貸し切りのできる馬車などなく、他の旅人や行商人たちに押し詰められながらも、積み荷のように身を縮こめるばかり。

 とはいえ、徒歩で向かうには遠すぎる距離。
 いっそのこと魔法で一気に飛んでいく方法も考えたが、無暗やたら魔力を消費して自衛ができなくなることも危惧し、地道に行くことにした。

 聖地ということもあり、顔ぶれの殆どはパエデロスでも見かけるような冒険者とは違い、聖職者のような恰好をした僧侶が多い。
 果たして本物がどれだけいるのか定かではないが、この場では商人でもない二人は少々場違いのようにも思えた。

「もうちょっとそっち詰めろよ」
「こっちもいっぱいいっぱいですよ」
 道中でも馬車は乗客を拾い上げていき、ますます狭くなっていく一方。

 そんな二人を眺めてか、向かいに座る男がせせら笑う。

「なんだい、あんたら姉弟で観光旅行かい? 仲がいいなぁ」
「べ、別に姉弟じゃねえよ」
「なんでもいいが、この馬車に乗ってるってことは目的地は聖地コロナリアにある世界樹(ユグドラシル)なんだろ? せいぜい気をつけるこった。馬車降りてからまた遠いからな。追い剥ぎや獰猛な獣もウヨウヨしてっからよ」

 聞くところによればアニモーン大陸を訪れる僧侶はコロナリアの山麓が目的地で、そこから見える世界樹(ユグドラシル)を拝んで帰るらしい。
 行商人に至っては、そこで荒稼ぎして帰っていくのだとか。

 そのどちらでもなければ世界樹(ユグドラシル)を目指す者に限られ、毎年何百人という冒険者が登っていくが、帰ってくる数は圧倒的に少ないらしい。
 それほどまでに険しい旅路なものだから、観光旅行気分で聖地コロナリアに向かう浮かれた人間には地元の者もよく声をかけて注意するのが日常とのこと。

 渡航の制限が多いのも、単に聖地だからというのは建前で、安易に立ち入って命を落とす者が後を絶たないからこその対処も含まれているそうだ。

「見た感じ、世界樹(ユグドラシル)の枝葉をへし折って金儲けしようってなりではなさそうだし、忠告だけはしておいてやるよ」
「はぁ、わざわざありがとうございます」

 想像していたよりも厄介な旅路になりそうで、さしものミモザもポカンとする。
 その隣ではパエニアも呆気にとられていた。

「大丈夫ですよ、パエニアくん。私なら森の中で迷うことはありませんし」
 ひそひそと元気づけるようにミモザが言う。

「ああそうそう。あんた、エルフだよな。自分が森の民だからってなめてかかる奴も結構多いんだ。聖地コロナリアは女神様の領域。ただの森や山だと思って侮るなよ」

 そう言って向かいに座る男は、また二人を眺めてせせら笑った。

「尊き魂に、世界樹(ユグドラシル)への導きを」

 冗談交じりに両手を組んで見せる。
 地元ジョークなのかどうかは定かではないが、随分とそれは様になっていた。


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 潮風が肌に触れる。
 何処までも広がる青空には渡り鳥が舞い、見下ろせば大海原が見える。
 もっと遠くへと視線を飛ばせば、水平線の彼方に大きな大陸がうっすらと。
「あれがアニモーン大陸れすね」
 大型帆船のデッキで、麦わら帽子を深く被ったミモザが言う。
 延々と照り付けてくる日差しに焼かれないよう、肌の露出も避けている。
「本当に来ちまうとはな」
 その後ろで付き人のように立つのはパエニアだった。
 瞼の上に手を添えて、これから上陸する大陸を眺める。
「今更でふが、パエニアくんまで来る必要はなかったんれすよ?」
「お前なぁ。お前みたいな平和ボケした田舎エルフを一人にできるか。レッドアイズでも財布スラれてたしよ」
「えへ、えへへ……あれはちょっとうっかりしてただけでふよ」
 平和な国パエデロスからも大きく離れ、治安の悪かったレッドアイズからすらも、海を隔ててさらに遠い。アニモーン大陸はミモザにとっても未知の土地。
 神聖なる大陸とまで呼ばれ、上陸にも規制の掛かるほど厳かな場所だが、そういう土地にこそ金の匂いを嗅ぎつけるものは多く、実際のところは治安も悪い。
 アニモーン大陸ならただの棒切れ一本でさえ、|世界樹《ユグドラシル》の枝だと偽ってしまえば、目が飛び出るような高額で売りさばける。
 |世界樹《ユグドラシル》の新興宗教も星の数ほど存在し、下手に入信すると他の信者たちに袋叩きにされるという話も有名だ。
 これから二人が向かう場所は、|世界樹《ユグドラシル》のある聖地コロナリア。
 世界の全てが誕生したとされる女神の領域である。
 ※ ※ ※
 大型帆船が港につき、いよいよミモザとパエニアの二人が上陸する。
 驚くほど賑やかな市場からの活気がさっそく出迎えてきた。
 異種族国家パエデロスの人口密度や軍事国家レッドアイズの都会っぷりと比べると見劣りしてしまうところはあったが、あれらは極端な例といえるだろう。
「さてと……コロナリアに向かう馬車を探しまふか」
「おい、あんま見知らぬ土地でフラフラするんじゃ――」
 アニモーン大陸に踏み出して数歩。突如として人込みの波がミモザに襲いくる。
 波が去った後には、忽然とミモザの姿はそこになかった。
「あぁ~~~~れぇ~~~~っ」
 不意に遠ざかっていく悲鳴の方を向くと大男の小脇に抱えられて連れ浚われていくミモザの姿があった。突然のことに驚きを隠せないパエニアだったが、咄嗟に魔法を唱えようとする。
「ぎゃあああぁっ!?」
 それよりも早く、大男が燃え上がっていた。
「はふぅ、びっくりしましら」
 そういって大男の腕から抜け出したミモザは手の中から水を放ち、消火する。
 危うく黒焦げになりかけた大男はさすがに身の危険を悟ったのか、脇目もふらず、その場から逃げ出していった。
「馬鹿野郎。自分ごと盗まれる奴があるか」
「面目ないでふ……まさかここまで治安が悪いとは思いませんれした」
「また何か盗られてないだろうな」
 そう言われて慌てて身の回りのものを確認するが、どうやら大丈夫だったらしい。
 レッドアイズでも財布をスられた前科があったからこそパエニアも不安を覚える。
「やっぱりこんな格好だと狙われやすいんでふかね……」
「ちんちくりんなガキが出歩けるような場所じゃないんだろうよ。つかこんな調子でいちいち誘拐されてたらキリがないぞ」
 そこで「む~ん」と唸り、少し考えるよう俯きながらミモザはその腕に嵌めていた腕輪に手を触れる。すると、ミモザの姿がすくすくと伸び始めていった。
「これなら大丈夫ですよね」
 瞬きする間もなく、大人並みの身長へと変身する。
「お、おう……だけどよ、そんなにホイホイ使っていいのかよ。魔力が空になったらいざというときに使えないんじゃ」
「元々これは変装用の魔具なので長時間使えるんですよ。まあ、この前は思いっきり魔法を使いすぎたからアレでしたが」
 そういって照れくさそうに笑う。
 普段が普段、純朴そうなエルフ小娘に対し、変身した今の姿では誰がどう見ようと大人の女性でしかなく、いつものミモザを知っているとギャップも大きい。
「でも、これだとパエニアくんの方が子供っぽく見られますかね」
「うるせえよ! オレ様はお前と違ってポケーっとしてないから大丈夫だっつの!」
 下手したら姉弟にも見られかねない程度の伸長差に、パエニアも不機嫌さを表情に出す。その胸中は、子供扱いされたことよりも、今のミモザの姿を見て、ふと何かを思い出したことを誤魔化そうとしているようでもあった。
 無論、ミモザがそんなことに気付くはずもなかったが。
「それじゃあ気を取り直して、聖地に向かう馬車を探しますか」
 ※ ※ ※
 ギシギシ、ガタガタと軋む馬車に揺られながら、ミモザとパエニアは肩がぴったりつくほど密着し、窮屈そうに山道を登っていた。
 貸し切りのできる馬車などなく、他の旅人や行商人たちに押し詰められながらも、積み荷のように身を縮こめるばかり。
 とはいえ、徒歩で向かうには遠すぎる距離。
 いっそのこと魔法で一気に飛んでいく方法も考えたが、無暗やたら魔力を消費して自衛ができなくなることも危惧し、地道に行くことにした。
 聖地ということもあり、顔ぶれの殆どはパエデロスでも見かけるような冒険者とは違い、聖職者のような恰好をした僧侶が多い。
 果たして本物がどれだけいるのか定かではないが、この場では商人でもない二人は少々場違いのようにも思えた。
「もうちょっとそっち詰めろよ」
「こっちもいっぱいいっぱいですよ」
 道中でも馬車は乗客を拾い上げていき、ますます狭くなっていく一方。
 そんな二人を眺めてか、向かいに座る男がせせら笑う。
「なんだい、あんたら姉弟で観光旅行かい? 仲がいいなぁ」
「べ、別に姉弟じゃねえよ」
「なんでもいいが、この馬車に乗ってるってことは目的地は聖地コロナリアにある|世界樹《ユグドラシル》なんだろ? せいぜい気をつけるこった。馬車降りてからまた遠いからな。追い剥ぎや獰猛な獣もウヨウヨしてっからよ」
 聞くところによればアニモーン大陸を訪れる僧侶はコロナリアの山麓が目的地で、そこから見える|世界樹《ユグドラシル》を拝んで帰るらしい。
 行商人に至っては、そこで荒稼ぎして帰っていくのだとか。
 そのどちらでもなければ|世界樹《ユグドラシル》を目指す者に限られ、毎年何百人という冒険者が登っていくが、帰ってくる数は圧倒的に少ないらしい。
 それほどまでに険しい旅路なものだから、観光旅行気分で聖地コロナリアに向かう浮かれた人間には地元の者もよく声をかけて注意するのが日常とのこと。
 渡航の制限が多いのも、単に聖地だからというのは建前で、安易に立ち入って命を落とす者が後を絶たないからこその対処も含まれているそうだ。
「見た感じ、|世界樹《ユグドラシル》の枝葉をへし折って金儲けしようってなりではなさそうだし、忠告だけはしておいてやるよ」
「はぁ、わざわざありがとうございます」
 想像していたよりも厄介な旅路になりそうで、さしものミモザもポカンとする。
 その隣ではパエニアも呆気にとられていた。
「大丈夫ですよ、パエニアくん。私なら森の中で迷うことはありませんし」
 ひそひそと元気づけるようにミモザが言う。
「ああそうそう。あんた、エルフだよな。自分が森の民だからってなめてかかる奴も結構多いんだ。聖地コロナリアは女神様の領域。ただの森や山だと思って侮るなよ」
 そう言って向かいに座る男は、また二人を眺めてせせら笑った。
「尊き魂に、|世界樹《ユグドラシル》への導きを」
 冗談交じりに両手を組んで見せる。
 地元ジョークなのかどうかは定かではないが、随分とそれは様になっていた。