第202話 旅立ちの朝に
ー/ー 翌日のこと。ミモザの経営するお店は少々ごたごたとしていた。
しばらくの間、店長が不在になるため、在庫の確認や調整で時間をとっていた。
「それじゃあ、みなしゃん、行ってきまふね!」
店長の明るい一声を従業員一同心強い返事で見送り、玄関の扉がパタリと閉まる。
しばしの沈黙の後、小さなため息が一つ漏れた。
「つか、王子のぼっちゃんと金持ちぼっちゃん連れて旅か。師匠、大丈夫なのかよ」
黒光りするムキムキの筋肉娘のノイデスが後ろ頭をボリボリ搔く。
「ほっほっほ、お嬢なら大丈夫ですとも。あれでいていざというときには自分の身を守る術だって持っているのですから」
優しい紳士的な口調の小さな少女サンシが微笑む。
「いや、だって男二人だぜ? 例え師匠は大丈夫でも……」
そこまで言って、ノイデスは自分が何を言おうとしたのか戸惑った。
まるで、ミモザに男が言い寄るのを良しとしない人物がいたかのような口ぶりだったからだ。もちろん、ノイデスにそのような人物の記憶はない。
「どうしましたぁ? 店長に何かがあったら誰かが黙ってない、みたいな言い回しでしたけどぉ?」
ノイデスが黙りこくっていると、おっとりとした雰囲気をまとう白髪褐色肌のエルフ、デニアが言う。その実、デニアの方も、なんとなくそのような誰かに心当たりがあったような気がしていた。
「ミモザ殿にそのようなお相手はいなかったと思いますが……はて。拙者も何故か、悪い虫がつくのを嫌う誰かがいた……そんな記憶があります」
やや奇妙な髪形の女、ヤスミも首を傾げて言う。記憶にない、というのは正しくなく、実際には記憶の奥の奥、片隅の何処かにそれがおぼろげにあった。
しかしどうにも思い出せない。すぐ近くにいたはずなのに。そんなもやもやを取っ払うこともできず、今日もまた営業時間が訪れるのだった。
※ ※ ※
パエデロスの教会広場前。噴水のきれいなその場所に、大きな馬車が一台。
ご丁寧にも赤じゅうたんが敷かれ、鎮座していた。
何人かの兵士らしきものも並んでおり、厳重な様子。
こんな屋外で何かの展覧会でも開かれるのかと思わされる。
「コリウスくん、お待たせしました」
「ああ、ミモザさん、おはようございます」
とことことミモザが現れ、馬車の扉からコリウスも姿を現す。
「あれ? 先生?」
ふと見てみると、馬車のすぐ横に見覚えのある人物が立っているのに気付く。
「おう、卒業おめでとさん。朝も早くからご苦労さんだ」
兵士に紛れて立っていたのはネルムフィラ魔導士学院でもお世話になったリンドー・ジェンティアンだ。筋肉隆々の逞しくもいかつい男だった。
「先生も来るんれふか?」
「ハッハッハ、今は先生じゃないぜ。何せレッドアイズの王子様の護衛を任されているんでね。ま、俺は卒業したわけじゃないから送り届けたらまた先生に戻るけどな」
元より、リンドーはレッドアイズ国に身を置いている。ネルムフィラ魔導士学院で教鞭を振るっていたのも、その実績を見込まれていたからに過ぎない。有事の際にはこのようにして任務にあてられることも珍しくはなかった。
「さあて、あともう一人来るって聞いてるが……」
リンドーが日の高さを見つつ、周囲を見回す。
王子を送り届ける都合上、あまり時間に余裕はなさそうだ。
「あ、来ましたよ。お~い、パエニアく~ん」
コリウスが馬車から飛び降りて大きく手を振る。そんなものを見てしまったからか、駆け寄ろうとしていたパエニアの足がやや鈍る。
「よ、よお……」
気恥ずかしそうにパエニアがやってくる。
その傍らには、大柄の男が一人付き添っていた。
身なりの良さからして貴族であることが伺える。
すると、その男を目にしたリンドーが率先して前に出て敬礼した。
「サー・クヤック殿、お久しぶりです!」
「ああリンドー君。そんな改まらなくてもいいよ。今は金持ってるだけの引退兵さ」
「こちらの方は?」
ミモザがきょとんとした表情を浮かべる。
「ああ、こちらの方は元レッドアイズ国で騎士団長をやっていたクヤック・ラクトフロニア殿だ。俺なんかよりもずっと強くて偉かったんだぞ」
「パエニアくんのおとうしゃん?」
よくよく見なくても、顔つきは何処かパエニアによく似ていた。
少し老けた目元は成熟した威厳を蓄えているよう。
「わざわざ見送りなんてしなくてもいいのにさ」
「何を言ってる、パエニア。息子の門出くらい見届けさせてくれ」
パエニアが目を伏せる。気恥ずかしそうにしていたのも、実の父親が付き添っていたせいもあったのかもしれない。
「どうも初めまして、コリウス王子。そしてミモザ嬢。学校では愚息が世話になったと聞いている。どれだけの旅路になるかは分からないが、今後ともよろしく頼むよ」
そういってクヤックは姿勢を正し、手を額に当て、敬礼する。
剣も携えていなければ、鎧すら着ていない、身なりの良いだけの貴族なのだが、その様はさながら戦地に赴く息子を見送る騎士のよう。
「サー・クヤック殿、よろしいのですか? 大事な息子さんの命を預かっても。危険な旅路になるかもしれませんけど」
「尚のこと上等。私ほどにならなくてもいいが、危険を潜り抜けてこそ男というのは磨きが掛かるというものさ」
クヤックのその優しげな瞳の奥には、何処か獅子のような力強い光が灯っているように見えた。貫禄ある言葉を受けたからにはリンドーも黙るしかない。
「さて、それでは私はここいらでお暇させていただこう。この後も色々と商談が立て込んでいてね。怒られる前に帰るとするよ」
小さく敬礼し、踵を返すと、クヤックはそのまま勇ましい速足で去っていく。
リンドーもその背中に向かい、しばらくの間、敬礼していた。
「よし、じゃあ全員揃ったことだし、出発しようか」
気持ちを切り替えてリンドーが言う。
その一声を合図に、コリウスとミモザ、そしてパエニアは馬車へと乗り込んだ。
※ ※ ※
馬車が走り出し、パエデロスの外に出てからも久しい頃合い。やや広めの馬車の中、コリウスとミモザが隣合い、パエニアが正面に座る形でガタゴトと揺れていた。
ちなみにリンドーは馬車の後ろにつき、自前の馬に騎乗して周囲を警戒している。
あまり和気あいあいとした空気ではなかったが、パエニアとしてはこれからの予定についてを聞かないわけにもいかなかった。
「で、ミモザの姉とやらについてはどの程度の情報があるんだ? レッドアイズに行って分かる情報なんてあんのか?」
返事するように、ミモザは手紙のようなものをパエニアに差し出す。
「実は、オキザリスしゃんからこんなものを預かってましら。誰かに宛てた恋文みたいなんれふけど」
そこでパエニアの表情筋がピクリと微動する。
「こんなもんを大量に送ってたのか。王子も物好きなこった」
「え?」
今度はミモザの方が目を丸くしてハッとする。
「どうしてこれがコリウスくんが送ったものって知ってるんでふか? それに、私まだこれ一通しか見せてないのに、なんで沢山送ったことまで……」
ミモザは誰かに宛てた恋文としか言っていない。話の流れからしたら、行方不明の姉から誰かに宛てた手紙だと推察するはずだ。
何せ、まだ中身も読んでいないのだから。
「パエニアくんは、何処まで知っているんでふか? 私の、お姉しゃんのこと」
対するパエニアの表情は、やや引きつっていた。
夢の中の出来事を口にしたら、さも現実にあったかのように振舞われたみたいに。
ふとそのとき、誰かの高らかな笑い声が聞こえたような気がした。
しばらくの間、店長が不在になるため、在庫の確認や調整で時間をとっていた。
「それじゃあ、みなしゃん、行ってきまふね!」
店長の明るい一声を従業員一同心強い返事で見送り、玄関の扉がパタリと閉まる。
しばしの沈黙の後、小さなため息が一つ漏れた。
「つか、王子のぼっちゃんと金持ちぼっちゃん連れて旅か。師匠、大丈夫なのかよ」
黒光りするムキムキの筋肉娘のノイデスが後ろ頭をボリボリ搔く。
「ほっほっほ、お嬢なら大丈夫ですとも。あれでいていざというときには自分の身を守る術だって持っているのですから」
優しい紳士的な口調の小さな少女サンシが微笑む。
「いや、だって男二人だぜ? 例え師匠は大丈夫でも……」
そこまで言って、ノイデスは自分が何を言おうとしたのか戸惑った。
まるで、ミモザに男が言い寄るのを良しとしない人物がいたかのような口ぶりだったからだ。もちろん、ノイデスにそのような人物の記憶はない。
「どうしましたぁ? 店長に何かがあったら誰かが黙ってない、みたいな言い回しでしたけどぉ?」
ノイデスが黙りこくっていると、おっとりとした雰囲気をまとう白髪褐色肌のエルフ、デニアが言う。その実、デニアの方も、なんとなくそのような誰かに心当たりがあったような気がしていた。
「ミモザ殿にそのようなお相手はいなかったと思いますが……はて。拙者も何故か、悪い虫がつくのを嫌う誰かがいた……そんな記憶があります」
やや奇妙な髪形の女、ヤスミも首を傾げて言う。記憶にない、というのは正しくなく、実際には記憶の奥の奥、片隅の何処かにそれがおぼろげにあった。
しかしどうにも思い出せない。すぐ近くにいたはずなのに。そんなもやもやを取っ払うこともできず、今日もまた営業時間が訪れるのだった。
※ ※ ※
パエデロスの教会広場前。噴水のきれいなその場所に、大きな馬車が一台。
ご丁寧にも赤じゅうたんが敷かれ、鎮座していた。
何人かの兵士らしきものも並んでおり、厳重な様子。
こんな屋外で何かの展覧会でも開かれるのかと思わされる。
「コリウスくん、お待たせしました」
「ああ、ミモザさん、おはようございます」
とことことミモザが現れ、馬車の扉からコリウスも姿を現す。
「あれ? 先生?」
ふと見てみると、馬車のすぐ横に見覚えのある人物が立っているのに気付く。
「おう、卒業おめでとさん。朝も早くからご苦労さんだ」
兵士に紛れて立っていたのはネルムフィラ魔導士学院でもお世話になったリンドー・ジェンティアンだ。筋肉隆々の逞しくもいかつい男だった。
「先生も来るんれふか?」
「ハッハッハ、今は先生じゃないぜ。何せレッドアイズの王子様の護衛を任されているんでね。ま、俺は卒業したわけじゃないから送り届けたらまた先生に戻るけどな」
元より、リンドーはレッドアイズ国に身を置いている。ネルムフィラ魔導士学院で教鞭を振るっていたのも、その実績を見込まれていたからに過ぎない。有事の際にはこのようにして任務にあてられることも珍しくはなかった。
「さあて、あともう一人来るって聞いてるが……」
リンドーが日の高さを見つつ、周囲を見回す。
王子を送り届ける都合上、あまり時間に余裕はなさそうだ。
「あ、来ましたよ。お~い、パエニアく~ん」
コリウスが馬車から飛び降りて大きく手を振る。そんなものを見てしまったからか、駆け寄ろうとしていたパエニアの足がやや鈍る。
「よ、よお……」
気恥ずかしそうにパエニアがやってくる。
その傍らには、大柄の男が一人付き添っていた。
身なりの良さからして貴族であることが伺える。
すると、その男を目にしたリンドーが率先して前に出て敬礼した。
「サー・クヤック殿、お久しぶりです!」
「ああリンドー君。そんな改まらなくてもいいよ。今は金持ってるだけの引退兵さ」
「こちらの方は?」
ミモザがきょとんとした表情を浮かべる。
「ああ、こちらの方は元レッドアイズ国で騎士団長をやっていたクヤック・ラクトフロニア殿だ。俺なんかよりもずっと強くて偉かったんだぞ」
「パエニアくんのおとうしゃん?」
よくよく見なくても、顔つきは何処かパエニアによく似ていた。
少し老けた目元は成熟した威厳を蓄えているよう。
「わざわざ見送りなんてしなくてもいいのにさ」
「何を言ってる、パエニア。息子の門出くらい見届けさせてくれ」
パエニアが目を伏せる。気恥ずかしそうにしていたのも、実の父親が付き添っていたせいもあったのかもしれない。
「どうも初めまして、コリウス王子。そしてミモザ嬢。学校では愚息が世話になったと聞いている。どれだけの旅路になるかは分からないが、今後ともよろしく頼むよ」
そういってクヤックは姿勢を正し、手を額に当て、敬礼する。
剣も携えていなければ、鎧すら着ていない、身なりの良いだけの貴族なのだが、その様はさながら戦地に赴く息子を見送る騎士のよう。
「サー・クヤック殿、よろしいのですか? 大事な息子さんの命を預かっても。危険な旅路になるかもしれませんけど」
「尚のこと上等。私ほどにならなくてもいいが、危険を潜り抜けてこそ男というのは磨きが掛かるというものさ」
クヤックのその優しげな瞳の奥には、何処か獅子のような力強い光が灯っているように見えた。貫禄ある言葉を受けたからにはリンドーも黙るしかない。
「さて、それでは私はここいらでお暇させていただこう。この後も色々と商談が立て込んでいてね。怒られる前に帰るとするよ」
小さく敬礼し、踵を返すと、クヤックはそのまま勇ましい速足で去っていく。
リンドーもその背中に向かい、しばらくの間、敬礼していた。
「よし、じゃあ全員揃ったことだし、出発しようか」
気持ちを切り替えてリンドーが言う。
その一声を合図に、コリウスとミモザ、そしてパエニアは馬車へと乗り込んだ。
※ ※ ※
馬車が走り出し、パエデロスの外に出てからも久しい頃合い。やや広めの馬車の中、コリウスとミモザが隣合い、パエニアが正面に座る形でガタゴトと揺れていた。
ちなみにリンドーは馬車の後ろにつき、自前の馬に騎乗して周囲を警戒している。
あまり和気あいあいとした空気ではなかったが、パエニアとしてはこれからの予定についてを聞かないわけにもいかなかった。
「で、ミモザの姉とやらについてはどの程度の情報があるんだ? レッドアイズに行って分かる情報なんてあんのか?」
返事するように、ミモザは手紙のようなものをパエニアに差し出す。
「実は、オキザリスしゃんからこんなものを預かってましら。誰かに宛てた恋文みたいなんれふけど」
そこでパエニアの表情筋がピクリと微動する。
「こんなもんを大量に送ってたのか。王子も物好きなこった」
「え?」
今度はミモザの方が目を丸くしてハッとする。
「どうしてこれがコリウスくんが送ったものって知ってるんでふか? それに、私まだこれ一通しか見せてないのに、なんで沢山送ったことまで……」
ミモザは誰かに宛てた恋文としか言っていない。話の流れからしたら、行方不明の姉から誰かに宛てた手紙だと推察するはずだ。
何せ、まだ中身も読んでいないのだから。
「パエニアくんは、何処まで知っているんでふか? 私の、お姉しゃんのこと」
対するパエニアの表情は、やや引きつっていた。
夢の中の出来事を口にしたら、さも現実にあったかのように振舞われたみたいに。
ふとそのとき、誰かの高らかな笑い声が聞こえたような気がした。
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