第199話 彼女の痕跡
ー/ー ミモザの店を閉店して間もなく、裏口に待たせていたオキザリスを上がらせ、他の従業員たちは次々に退勤していった。貴族のところに勤めている使用人に何の用があるのだろう、という疑問もあったが、なんとなくの空気を察してくれたらしい。
オキザリスは結構な量の羊皮紙の巻物を持ってきていた。一日二日程度のものではない。かなり長い期間、記録として書き留めていた様子だ。
「これ全部、手記なんれすか? どうしてこんなに……」
至極真っ当な疑問だ。念のために従業員にも、はたまた常連客にも訊いてみたが、誰もフィテウマ・サタナムーンの名前は知らなかった。にも関わらず、オキザリスの手元にはこれだけの情報がまとめられている。
「ワタクシめも曖昧でして。実のところ、レッドアイズ国から仰せつかった任務だったはずなのですが、記憶がないのでございます」
「記憶がないってどういうことでふか?」
メイドとしてはキビキビと真面目に取り組むオキザリスにしてはあまりにも的を射ない言葉だ。ここまで手記に書き留めておきながらその内容が分からないなんて。
「ある日突然抜け落ちたように忘れてしまったのです。確かにこの人物を調べるように然るお方から依頼されていたのですが、当の本人も誰のことなのか分からないと」
「ひょっとすると、何かの呪いかもしれましぇん。きょおく改じゃん系の……それもかなり強力な……」
おそらく記憶改竄と言いたかったのかもしれない。
「何にしても、読んでみないと分からないでふ。オキザリスしゃんの知ってる限りのフィーしゃんのことを教えてくれましぇんか?」
一先ず、何故自分がこのような内容をまとめていたのか分からない点と、その対象についての記憶がすっぽ抜けているということ。自分が書いたものであることは確かなのに、いつ書き記したのか覚えていないことだけはハッキリした。
加えて、手記の内容はほとんどがその場その場で起きたことの覚え書きのような箇条書きで、要領を得ないものが多く、それを読んで分かったことはフィテウマ・サタナムーンという何者かがパエデロスでミモザとともに過ごしていたということだけ。
記録だけを見ると、日常的に存在していたことは明白で、決して何処かに隠れていたとか、滅多に姿を現さない希少生物という線もなさそうだった。
「むぅ~……ん」
羊皮紙の巻物を読み漁りながらミモザが唸り声をあげる。かなり渋い顔だ。
「いかがなさいましたか、ミモザ様」
「いえ、あの、はじゅかしいんでふけど……私、あまり字が読めなくて。学校ではちゃんと勉強していたんれすけど、まだ慣れないものでふから……」
ミモザは元よりエルフだ。パエデロスで常用される言語にはそれほど縁はなかった。せいぜい会計や勘定で使える単語や数字くらいなら達者だが、さすがに他人の書いた文字をサッと読み解くほど理解しているとは言い難かった。
それで束になるほどの羊皮紙の巻物を読むのは酷というもの。
せめて要点がまとまっていればよかったのだが、単語の羅列といった文章のようで文章ではない内容はミモザにとって読みづらいことこの上なかった。
「気が利かず大変申し訳ございません。要点をまとめた手記もあったのですが、そちらは全て依頼者に献上してしまいました故」
「依頼者というとレッドアイズ国の人でふか?」
オキザリスは以前、軍事国家として名高いレッドアイズ国の城に勤めていた。それも誰に聞いたのか覚えていないが、従者としてかなり偉い人と関わりがあることをミモザは知っていた。
実際、パエデロスを象徴するネルムフィラ魔導士学院の教員の面々とも顔見知りのようで、たまに会話を交わしていた光景が目に浮かぶ。
そこでふと、ミモザの中に強烈な違和感が生まれる。
自分とオキザリスの接点についてだ。
ミモザはパエデロスで有名な魔具店の店長。その名を遠方の国々にも轟かせ、今の従業員たちが集まったといってもいい。
オキザリスはレッドアイズ国に勤めていた使用人。何か理由があってパエデロスにきたのだろうが、そこでどうやってミモザと関わるようになったのか。
魔具店の店主と客の関係だったか。
それにしては何故か距離感が妙に近いような気がしていた。
思い起こせば、ネルムフィラ魔導士学院にいた頃にはいつも傍にオキザリスがいたような気がしてならない。
しかし、オキザリスはミモザの従者ではない。パエデロスに移住してきた貴族の誰かの従者のはずだ。だが、その誰かの顔も名前も思い浮かばない。
「ミモザ様……?」
言葉を言い放ってからよほど変な顔をしていたのだろう。
オキザリスが心配そうにミモザの顔を覗き込む。
「な、なんでもないれしゅ……それより、そのレッドアイズ国の人に会うことはできまふか? 忘れているにしても、依頼主なのは確かれしゅし」
「そうですね。ワタクシめと致しましても不明瞭な情報は明らかにしたく存じます。もしこれがミモザ様の言うような記憶改竄によるものである場合、レッドアイズ国の情報漏洩に繋がる可能性も否めません。会うべきなのかもしれません」
その言い方だと、あたかもまだレッドアイズ国の誰かと深く関わりがあるような言い回しだ。あくまでオキザリスはパエデロスの貴族に仕える者であって、レッドアイズ国の誰かの従者ではないはずなのだが。
ただ、そんなところまで察せるほどミモザも勘が鋭いわけでもなかった。
今はフィテウマ・サタナムーンという人物について知りたくて仕方なかった。
「私はフィーしゃんのことが知りたいでふ。彼女が何者だったのか、私にとってどんな人だったのか。どうしていなくなってしまったのか……全部」
今、分かる範囲ではフィテウマ・サタナムーンはミモザとともにパエデロスで過ごした姉妹を名乗る者ということだけ。
そしてミモザは何となく察していた。ここしばらく感じていた強烈な違和感の正体は彼女の存在によるものなのだと。
確かに誰かこの店にもう一人いたはずなのだ。
それがどういうわけか忽然と消えていて、誰も覚えていない。
おそらく彼女は世界の何処にも存在しないことはミモザも理解できていた。
きっと全てを思い出したところで彼女が帰ってくるわけではないことも何となく分かっていた。それでも、彼女がここにいたという痕跡だけは手放したくなかった。
「オキザリスしゃん、そのレッドアイズ国の人に会わせてください」
「畏まりました。不肖ワタクシめがその方に話をつけてまいります」
そんなに簡単に出会えるものなのだろうか。
レッドアイズ国といえばパエデロスから遠く離れている。
わざわざオキザリスに命令できる立場ともなれば、呼んですぐにやってくるような身分とも到底思えない。無論、ミモザもそこまでは汲み取れないが。
「お願いしましゅ!」
ミモザとしては、ただただ強くお願いし、頭を下げるだけだ。
オキザリスとしても、どういうわけかミモザからのお願いを断ることはできなかった。店主と常連客なだけの関係のはずなのに、どうしてかミモザに対してはそうしろと、そうすべきだと誰かに命令されていたような気がしたから。
こうしてパエデロスの夜は更ける。
驚くほど静かな夜だったが、ミモザの胸中はざわめいて収まらない。
本当にこの真相を負うべきなのかという不安と、彼女がここで過ごしてきた痕跡を手繰り寄せたいという願望が奇妙に入り交じる。
しかし、一つの確信はあった。ここで全てを手放せば後悔する。そんな確信を。
オキザリスは結構な量の羊皮紙の巻物を持ってきていた。一日二日程度のものではない。かなり長い期間、記録として書き留めていた様子だ。
「これ全部、手記なんれすか? どうしてこんなに……」
至極真っ当な疑問だ。念のために従業員にも、はたまた常連客にも訊いてみたが、誰もフィテウマ・サタナムーンの名前は知らなかった。にも関わらず、オキザリスの手元にはこれだけの情報がまとめられている。
「ワタクシめも曖昧でして。実のところ、レッドアイズ国から仰せつかった任務だったはずなのですが、記憶がないのでございます」
「記憶がないってどういうことでふか?」
メイドとしてはキビキビと真面目に取り組むオキザリスにしてはあまりにも的を射ない言葉だ。ここまで手記に書き留めておきながらその内容が分からないなんて。
「ある日突然抜け落ちたように忘れてしまったのです。確かにこの人物を調べるように然るお方から依頼されていたのですが、当の本人も誰のことなのか分からないと」
「ひょっとすると、何かの呪いかもしれましぇん。きょおく改じゃん系の……それもかなり強力な……」
おそらく記憶改竄と言いたかったのかもしれない。
「何にしても、読んでみないと分からないでふ。オキザリスしゃんの知ってる限りのフィーしゃんのことを教えてくれましぇんか?」
一先ず、何故自分がこのような内容をまとめていたのか分からない点と、その対象についての記憶がすっぽ抜けているということ。自分が書いたものであることは確かなのに、いつ書き記したのか覚えていないことだけはハッキリした。
加えて、手記の内容はほとんどがその場その場で起きたことの覚え書きのような箇条書きで、要領を得ないものが多く、それを読んで分かったことはフィテウマ・サタナムーンという何者かがパエデロスでミモザとともに過ごしていたということだけ。
記録だけを見ると、日常的に存在していたことは明白で、決して何処かに隠れていたとか、滅多に姿を現さない希少生物という線もなさそうだった。
「むぅ~……ん」
羊皮紙の巻物を読み漁りながらミモザが唸り声をあげる。かなり渋い顔だ。
「いかがなさいましたか、ミモザ様」
「いえ、あの、はじゅかしいんでふけど……私、あまり字が読めなくて。学校ではちゃんと勉強していたんれすけど、まだ慣れないものでふから……」
ミモザは元よりエルフだ。パエデロスで常用される言語にはそれほど縁はなかった。せいぜい会計や勘定で使える単語や数字くらいなら達者だが、さすがに他人の書いた文字をサッと読み解くほど理解しているとは言い難かった。
それで束になるほどの羊皮紙の巻物を読むのは酷というもの。
せめて要点がまとまっていればよかったのだが、単語の羅列といった文章のようで文章ではない内容はミモザにとって読みづらいことこの上なかった。
「気が利かず大変申し訳ございません。要点をまとめた手記もあったのですが、そちらは全て依頼者に献上してしまいました故」
「依頼者というとレッドアイズ国の人でふか?」
オキザリスは以前、軍事国家として名高いレッドアイズ国の城に勤めていた。それも誰に聞いたのか覚えていないが、従者としてかなり偉い人と関わりがあることをミモザは知っていた。
実際、パエデロスを象徴するネルムフィラ魔導士学院の教員の面々とも顔見知りのようで、たまに会話を交わしていた光景が目に浮かぶ。
そこでふと、ミモザの中に強烈な違和感が生まれる。
自分とオキザリスの接点についてだ。
ミモザはパエデロスで有名な魔具店の店長。その名を遠方の国々にも轟かせ、今の従業員たちが集まったといってもいい。
オキザリスはレッドアイズ国に勤めていた使用人。何か理由があってパエデロスにきたのだろうが、そこでどうやってミモザと関わるようになったのか。
魔具店の店主と客の関係だったか。
それにしては何故か距離感が妙に近いような気がしていた。
思い起こせば、ネルムフィラ魔導士学院にいた頃にはいつも傍にオキザリスがいたような気がしてならない。
しかし、オキザリスはミモザの従者ではない。パエデロスに移住してきた貴族の誰かの従者のはずだ。だが、その誰かの顔も名前も思い浮かばない。
「ミモザ様……?」
言葉を言い放ってからよほど変な顔をしていたのだろう。
オキザリスが心配そうにミモザの顔を覗き込む。
「な、なんでもないれしゅ……それより、そのレッドアイズ国の人に会うことはできまふか? 忘れているにしても、依頼主なのは確かれしゅし」
「そうですね。ワタクシめと致しましても不明瞭な情報は明らかにしたく存じます。もしこれがミモザ様の言うような記憶改竄によるものである場合、レッドアイズ国の情報漏洩に繋がる可能性も否めません。会うべきなのかもしれません」
その言い方だと、あたかもまだレッドアイズ国の誰かと深く関わりがあるような言い回しだ。あくまでオキザリスはパエデロスの貴族に仕える者であって、レッドアイズ国の誰かの従者ではないはずなのだが。
ただ、そんなところまで察せるほどミモザも勘が鋭いわけでもなかった。
今はフィテウマ・サタナムーンという人物について知りたくて仕方なかった。
「私はフィーしゃんのことが知りたいでふ。彼女が何者だったのか、私にとってどんな人だったのか。どうしていなくなってしまったのか……全部」
今、分かる範囲ではフィテウマ・サタナムーンはミモザとともにパエデロスで過ごした姉妹を名乗る者ということだけ。
そしてミモザは何となく察していた。ここしばらく感じていた強烈な違和感の正体は彼女の存在によるものなのだと。
確かに誰かこの店にもう一人いたはずなのだ。
それがどういうわけか忽然と消えていて、誰も覚えていない。
おそらく彼女は世界の何処にも存在しないことはミモザも理解できていた。
きっと全てを思い出したところで彼女が帰ってくるわけではないことも何となく分かっていた。それでも、彼女がここにいたという痕跡だけは手放したくなかった。
「オキザリスしゃん、そのレッドアイズ国の人に会わせてください」
「畏まりました。不肖ワタクシめがその方に話をつけてまいります」
そんなに簡単に出会えるものなのだろうか。
レッドアイズ国といえばパエデロスから遠く離れている。
わざわざオキザリスに命令できる立場ともなれば、呼んですぐにやってくるような身分とも到底思えない。無論、ミモザもそこまでは汲み取れないが。
「お願いしましゅ!」
ミモザとしては、ただただ強くお願いし、頭を下げるだけだ。
オキザリスとしても、どういうわけかミモザからのお願いを断ることはできなかった。店主と常連客なだけの関係のはずなのに、どうしてかミモザに対してはそうしろと、そうすべきだと誰かに命令されていたような気がしたから。
こうしてパエデロスの夜は更ける。
驚くほど静かな夜だったが、ミモザの胸中はざわめいて収まらない。
本当にこの真相を負うべきなのかという不安と、彼女がここで過ごしてきた痕跡を手繰り寄せたいという願望が奇妙に入り交じる。
しかし、一つの確信はあった。ここで全てを手放せば後悔する。そんな確信を。
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