第198話 「 」の残滓
ー/ー 異種族国家パエデロスにて、魔具店を営む店長ミモザ・アレフヘイムは、どうにも腑に落ちないといった様子で首を傾げていた。
あたかも何かが抜けているような違和感を覚えるが、それが何か分からない。
ただの記憶違いだけで済むのならそれでもよかったのだが、何のことはない日常を過ごしているだけでもその違和感は膨れあがっていくばかり。
例えば、店内の設けられたカウンターの奇妙なスペース。
普段は店長や従業員がそこで接客するテーブルだ。
混雑する時間帯のことも考慮して、二人か三人は入れるようになっている。
しかし、店長であるミモザが入るとき、何故か一人分の余計なスペースが空く。
もう一人入るようにはなっているのだが、何故か誰かもそこに入ろうとはしない。
意図的と言ってしまえばその通りだが、自然とそこを空けてしまう。
他にも、店舗の二階には店長が寝泊まりするための私室も用意されているのだが、これもどういうわけかベッドやタンスが二人分存在していた。
片方には勿論、ミモザの服や私物が入っているが、もう片方は空っぽ。
それにも関わらずそちらの方はあまり埃も被っていない状態で、明らかに最近まで誰かに使われていた形跡も残っていた。
従業員の誰かが使っているのかとも思ったが、その部屋は店長以外は立ち入らず、勝手に私物を置くこともなかったのだという。
おかしいことはまだまだある。
店の入り口に置かれている彫像についてもだ。
元々この店は改築されたもので、以前の店が遠方の国々からも評判を浴びて客足も増えたため、大きくした経緯がある。
その際に新しく募った従業員が改築祝いとばかりに掘ってくれたのがその彫像だ。
前評判では、天使の店とも噂されていたこともあって、天使を模した姉妹のような二体の彫像が今も店の入り口で客寄せに貢献している。
不思議なのは、天使の片方は店長のミモザに似せてあるのだが、もう片方の彫像はどう見てもミモザには似ておらず、何故かと訊ねても要領を得ない答えばかり。
改築前にも看板には姉妹天使の彫刻を飾っていたからそれに合わせただけだと。
それもまた妙な話だ。だったらどうして、店長であるミモザは自分の店の看板に、姉妹の天使を飾っていたのだろう。考えても答えは出てこなかった。
思い返そうとすればするほど、記憶の中に軋轢が生じてくる。
そういえば、そもそも自分はどうして店を建てたのだろう。
前はお金もなくて市場で露店を開いていたはず。
それなのにどうやって大きなお店を建てるに至ったのだろう。
何かがおかしい。何かが抜け落ちているような気がする。
ミモザの中の違和感は、そこへと集約されていく。
確か、以前のパエデロスは治安が悪くて、お客に暴力を振られたこともあった。
だから、露店を止めて少し格式の高い店を建てたんだ。
そうしたらガラの悪い客も少しずつ減って、評判も良くなっていって――。
記憶の辻褄は合う。不気味なくらいに。
でも違和感は残る。
お店を建てるという発想が当時の自分にあったのだろうか。
それに、お店を建てる費用は何処から出てきたのだろうか。
おかしい。おかしい。おかしい。何か、何かが足りていない。
客に暴力を振られたときに、魔女に助けられたのは覚えている。
その人がミモザの手作りの魔具を褒めてくれたことも覚えている。
それから魔法の使い方や制限についても沢山教えてもらったことも覚えてる。
記憶が囁く。気のいい行商人が、お金を援助してくれた。だから店を建てられた。
本当にそうだっただろうか。ミモザは、その人の顔も名前も曖昧だった。
もう一人、誰かがいたはず。ほんの微かな記憶の断片に、その誰かがいる。
でも、どうしても思い出すことができない。
別の誰かに書き換えられているみたいに、違う人を思い浮かべてしまう。
記憶違いなんかでは、けしてない。
何故なら、その誰かがいたという事実はこの店に沢山残っているから。
従業員の誰でもない。助けてくれた魔女でもない。
ましてや顔の思い出せない商人ですらない。
出てきそうにもない違和感の正体に悶々としながらも、店長たるミモザは、今日もカウンターの向こうで接客に勤しむ。
「いらっしゃいましぇ~」
けなげに、いつも通りに、常連客たちと応対し、客は捌けていく。
心の何処かに取っ掛かりはあったものの、普段と同じように振る舞う。
こうして今日も一日が過ぎていくのだろう。そう思っていた矢先のことだ。正面の入り口から魔具店に新しい客が訪れる。
それは見るからにみすぼらしく、何度か洗ってはいるようだったが、高潔という印象からは程遠いメイド服を身にまとった少女だった。
あの目付きの悪さは一目みたら忘れられないだろう。パエデロスでも随一の資産家のお屋敷に勤めるメイドのオキザリスだ。
この店のお得意様でもある。
それがどういう経緯だったのかは覚えてはいなかったが。
「オキザリスしゃん、いらっしゃいましぇ」
相変わらずの舌ったらずメガネエルフがぺこりと会釈する。オキザリスは品定めするわけでもなく、真っ直ぐミモザのいるカウンターにスタスタと向かう。
別段、殺意がこもっているわけではないが、その迅速かつ無駄のない歩きは何処か威圧感をまとっているようにも思えた。
「今日は何のご用でふか?
新しい食器のご注文れすか?」
初見なら面を食らっていたところだが、ミモザも慣れたように接客する。
「いえ、本日はミモザ様にお訊ねしたいことがありまいりました次第でございます」
何やら神妙な面持ちで――とはいってもオキザリスはいつもそのような鋭い目付きだが――言葉を続ける。
「……フィテウマ・サタナムーンという名に心当たりはございませんか?」
ミモザは心臓が跳ねるような錯覚を覚えた。
知らないはずなのに、知っているはずだという強烈な認識があったのだ。
人の名前なのか、素材の名前なのか、食べ物の名前か、あるいは地名か。選択肢は色々とあったが、迷うことなくそれが誰かの名前である確信を抱いた。
ただ、誰なのか分からない。
会ったこともないし、見たこともないという認識。
なのにも関わらず、自分にとっては身近にいた存在のように思えた。
だから、自然と、その口はその名をなぞった。
「フィー、しゃん……」
「ご存じなのですか?」
ミモザは、その名を口にしただけで感情が滾った。それと同時に途方もない喪失感も覚えた。思い出そうとしているのに、あまりにも遠い記憶の彼方に揺らいでいるように感じられたからだ。
「オキザリスしゃんはどうしてその名前を?」
望む答えを得られなかったオキザリスだったが、ミモザの表情を汲み取り、慎重に言葉を切り出す。
「実は、ワタクシめの手元に手記がございまして。そこに何度もこの名前が出てくるのです。どういうわけかかなりの頻度でミモザ様、あなたの名前も添えられて」
「なんれっ!?」
正体不明の名前の横に並ぶのもまた奇妙すぎる話だ。
そうなると必然とミモザと深い関わり合いがあることは間違いない。
「ええと、その手記にはフィーしゃんと私のことをなんて書いてあるんでしゅか?」
「姉妹、のようなものだと」
ここでまたミモザは驚く。自分には姉も妹もいない。
となると一体フィテウマ・サタナムーンとは何者なのか。
「オキザリスしゃん、もう少し詳しい話をしましょう。そのフィーしゃんのことについて。私、よく分からないけろ、思い出さなきゃいけない気がするんでふ」
そういって、ミモザはオキザリスの両手をとった。
あたかも何かが抜けているような違和感を覚えるが、それが何か分からない。
ただの記憶違いだけで済むのならそれでもよかったのだが、何のことはない日常を過ごしているだけでもその違和感は膨れあがっていくばかり。
例えば、店内の設けられたカウンターの奇妙なスペース。
普段は店長や従業員がそこで接客するテーブルだ。
混雑する時間帯のことも考慮して、二人か三人は入れるようになっている。
しかし、店長であるミモザが入るとき、何故か一人分の余計なスペースが空く。
もう一人入るようにはなっているのだが、何故か誰かもそこに入ろうとはしない。
意図的と言ってしまえばその通りだが、自然とそこを空けてしまう。
他にも、店舗の二階には店長が寝泊まりするための私室も用意されているのだが、これもどういうわけかベッドやタンスが二人分存在していた。
片方には勿論、ミモザの服や私物が入っているが、もう片方は空っぽ。
それにも関わらずそちらの方はあまり埃も被っていない状態で、明らかに最近まで誰かに使われていた形跡も残っていた。
従業員の誰かが使っているのかとも思ったが、その部屋は店長以外は立ち入らず、勝手に私物を置くこともなかったのだという。
おかしいことはまだまだある。
店の入り口に置かれている彫像についてもだ。
元々この店は改築されたもので、以前の店が遠方の国々からも評判を浴びて客足も増えたため、大きくした経緯がある。
その際に新しく募った従業員が改築祝いとばかりに掘ってくれたのがその彫像だ。
前評判では、天使の店とも噂されていたこともあって、天使を模した姉妹のような二体の彫像が今も店の入り口で客寄せに貢献している。
不思議なのは、天使の片方は店長のミモザに似せてあるのだが、もう片方の彫像はどう見てもミモザには似ておらず、何故かと訊ねても要領を得ない答えばかり。
改築前にも看板には姉妹天使の彫刻を飾っていたからそれに合わせただけだと。
それもまた妙な話だ。だったらどうして、店長であるミモザは自分の店の看板に、姉妹の天使を飾っていたのだろう。考えても答えは出てこなかった。
思い返そうとすればするほど、記憶の中に軋轢が生じてくる。
そういえば、そもそも自分はどうして店を建てたのだろう。
前はお金もなくて市場で露店を開いていたはず。
それなのにどうやって大きなお店を建てるに至ったのだろう。
何かがおかしい。何かが抜け落ちているような気がする。
ミモザの中の違和感は、そこへと集約されていく。
確か、以前のパエデロスは治安が悪くて、お客に暴力を振られたこともあった。
だから、露店を止めて少し格式の高い店を建てたんだ。
そうしたらガラの悪い客も少しずつ減って、評判も良くなっていって――。
記憶の辻褄は合う。不気味なくらいに。
でも違和感は残る。
お店を建てるという発想が当時の自分にあったのだろうか。
それに、お店を建てる費用は何処から出てきたのだろうか。
おかしい。おかしい。おかしい。何か、何かが足りていない。
客に暴力を振られたときに、魔女に助けられたのは覚えている。
その人がミモザの手作りの魔具を褒めてくれたことも覚えている。
それから魔法の使い方や制限についても沢山教えてもらったことも覚えてる。
記憶が囁く。気のいい行商人が、お金を援助してくれた。だから店を建てられた。
本当にそうだっただろうか。ミモザは、その人の顔も名前も曖昧だった。
もう一人、誰かがいたはず。ほんの微かな記憶の断片に、その誰かがいる。
でも、どうしても思い出すことができない。
別の誰かに書き換えられているみたいに、違う人を思い浮かべてしまう。
記憶違いなんかでは、けしてない。
何故なら、その誰かがいたという事実はこの店に沢山残っているから。
従業員の誰でもない。助けてくれた魔女でもない。
ましてや顔の思い出せない商人ですらない。
出てきそうにもない違和感の正体に悶々としながらも、店長たるミモザは、今日もカウンターの向こうで接客に勤しむ。
「いらっしゃいましぇ~」
けなげに、いつも通りに、常連客たちと応対し、客は捌けていく。
心の何処かに取っ掛かりはあったものの、普段と同じように振る舞う。
こうして今日も一日が過ぎていくのだろう。そう思っていた矢先のことだ。正面の入り口から魔具店に新しい客が訪れる。
それは見るからにみすぼらしく、何度か洗ってはいるようだったが、高潔という印象からは程遠いメイド服を身にまとった少女だった。
あの目付きの悪さは一目みたら忘れられないだろう。パエデロスでも随一の資産家のお屋敷に勤めるメイドのオキザリスだ。
この店のお得意様でもある。
それがどういう経緯だったのかは覚えてはいなかったが。
「オキザリスしゃん、いらっしゃいましぇ」
相変わらずの舌ったらずメガネエルフがぺこりと会釈する。オキザリスは品定めするわけでもなく、真っ直ぐミモザのいるカウンターにスタスタと向かう。
別段、殺意がこもっているわけではないが、その迅速かつ無駄のない歩きは何処か威圧感をまとっているようにも思えた。
「今日は何のご用でふか?
新しい食器のご注文れすか?」
初見なら面を食らっていたところだが、ミモザも慣れたように接客する。
「いえ、本日はミモザ様にお訊ねしたいことがありまいりました次第でございます」
何やら神妙な面持ちで――とはいってもオキザリスはいつもそのような鋭い目付きだが――言葉を続ける。
「……フィテウマ・サタナムーンという名に心当たりはございませんか?」
ミモザは心臓が跳ねるような錯覚を覚えた。
知らないはずなのに、知っているはずだという強烈な認識があったのだ。
人の名前なのか、素材の名前なのか、食べ物の名前か、あるいは地名か。選択肢は色々とあったが、迷うことなくそれが誰かの名前である確信を抱いた。
ただ、誰なのか分からない。
会ったこともないし、見たこともないという認識。
なのにも関わらず、自分にとっては身近にいた存在のように思えた。
だから、自然と、その口はその名をなぞった。
「フィー、しゃん……」
「ご存じなのですか?」
ミモザは、その名を口にしただけで感情が滾った。それと同時に途方もない喪失感も覚えた。思い出そうとしているのに、あまりにも遠い記憶の彼方に揺らいでいるように感じられたからだ。
「オキザリスしゃんはどうしてその名前を?」
望む答えを得られなかったオキザリスだったが、ミモザの表情を汲み取り、慎重に言葉を切り出す。
「実は、ワタクシめの手元に手記がございまして。そこに何度もこの名前が出てくるのです。どういうわけかかなりの頻度でミモザ様、あなたの名前も添えられて」
「なんれっ!?」
正体不明の名前の横に並ぶのもまた奇妙すぎる話だ。
そうなると必然とミモザと深い関わり合いがあることは間違いない。
「ええと、その手記にはフィーしゃんと私のことをなんて書いてあるんでしゅか?」
「姉妹、のようなものだと」
ここでまたミモザは驚く。自分には姉も妹もいない。
となると一体フィテウマ・サタナムーンとは何者なのか。
「オキザリスしゃん、もう少し詳しい話をしましょう。そのフィーしゃんのことについて。私、よく分からないけろ、思い出さなきゃいけない気がするんでふ」
そういって、ミモザはオキザリスの両手をとった。
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