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死にゆく世界

ー/ー



 勇斗は、見張りの塔の頂上に戻ってきた。

 辺りを見渡す。紫色だった空はさらに濁り、生き物のように脈打っている。

 真弘とシグネリアが、走ってきた。その後ろを、ロンが杖をつきながら歩いてくる。

「あれから、どれくらい時間が経った?」

 勇斗の声は、低く鋭かった。真弘たちは一瞬目を見開き、すぐに表情を引き締めた。

「一週間、じゃよ」

 返答に迷う二人の代わりに、ロンが答える。

「そうか」

 皆の顔を見るのが、すでに何年も前の出来事のようだった。

「世界は、どうなっている?」

 勇斗は、ロンに視線を向けた。その目には、以前にはない冷たさがあった。

「……お主が消えたあと、知り合いと伝書鳥で何度かやり取りをした。世界は、死んだも同然じゃ」

 ロンは一度、言葉を切った。

「地面のいたるところから鋭い根や花が生え、命を喰らっておる。魔族は姿形を変え、暴れ回っておる」

 声が、わずかに震える。

「セク砂漠では異常な砂嵐が巻き起こり、ウルパは雪崩に飲み込まれてしまった。唯一被害を免れているのが、トトイ周辺の高原。そこに、避難所が設けられておる」

 勇斗は無言でうなずいたあと、天を仰いだ。濁った空は、修行の空間で見たどんな景色よりも生々しかった。

「僕は今から、ランパを助けに行く」

「助けに行くって、場所はわかるの?」

 真弘が首を傾げた。

「マナの聖域だ。ランパとヴェンは、そこにいる。精霊樹の枝が、そこだと示している」

 勇斗は、ランパが残していった精霊樹の枝を眺めた。

「真弘くんは、どうする?」

「お、おれも行く! おれにも責任があるから」

 真弘は両手を握りしめた。

「わかった。シグネリアは?」

「私は、避難所に行きます。民を、安心させなければいけません」

 シグネリアは、凜とした声で言った。

「ロンさんは、どうしますか?」

「ホッホ。わしは、ここから世界の行く末を見届けさせてもらおうかの」

「わかりました」

 勇斗は一礼し、塔の欄干へと歩いた。

「真弘くん、飛竜を」

「あ、うん」

 真弘の横にいた赤い子竜が、ちょこちょこと歩き出し、小さな羽を羽ばたかせる。

 瞬間、子竜の姿が変化した。体が膨れ、翼が広がり、低い咆哮が空を震わせる。

「行くぞ」

 勇斗たちは飛竜の背に乗り、淀んだ空へと飛び立った。
 

 飛竜に乗って進んでいると、眼下に赤い光が揺らめいた。

「あそこは、確かキーナの村だ。すまない、一度下ろしてくれ」

 飛竜は旋回しながら高度を下げ、大地へと降り立った。

 キーナの村は、燃えていた。赤い炎が家々を包み、黒煙が空へと立ち上っている。

 勇斗の頭に、孤児院の院長と、子供たちの顔が浮かんだ。

 まだ、生きていてくれ。

 ここは、アルトの故郷だ。これ以上、奪わせたくなかった。

 勇斗は、ドラシガーの先端に青白い炎を灯した。緑の煙が口内を満たす。胸の奥で、ラマシルが静かに脈打った。

 煙をまとい、駆け出す。

 村の中には、多くの怪物がうろついていた。全身が歪んだ骨でできた巨大な四足獣だった。骨の隙間から、黒い瘴気が滲み出ている。

 怪物は家屋に体当たりし、粉砕する。瓦礫の中から何かを引きずり出した。人だった。

 やめろ、と胸の奥で叫ぶ。

 次の瞬間、怪物の足が振り下ろされる。赤い飛沫が、炎の光を反射して散った。

 勇斗は、煙を足に集中させた。

 次の瞬間には、怪物の眼前に立っていた。

 剣は止まらない。骨の束が、音もなく断ち切られる。怪物は、崩れ落ちる前に絶命していた。

「きゃああっ!」

 振り返る。巨大な虫が、シグネリアに襲いかかっていた。黒光りする顎が開き、牙が彼女の頭部へと迫る。

「うわあああああっ!」

 真弘の斧が振り下ろされる。地面に叩きつけるように、巨大虫を潰した。黒い液体が飛び散り、歪な臭気が広がる。

 真弘は涙を流しながら、荒い息を吐いていた。

「マヒロくん、まだ来る!」

 シグネリアが叫んだ。

 地面が盛り上がる。土を割って、巨大虫が次々と姿を現す。

 たちまち、真弘とシグネリアは囲まれた。

 勇斗は地を蹴った。だが、背後から重い振動が伝わる。

 素早く体を反転させる。

 巨大な四足獣が群れをなして突進してくる。骨が軋み、瘴気が尾を引いている。

 持ちこたえろ、真弘くん。

 勇斗は、群れを正面から見据えた。

 緑の煙が、細く揺れた。

 村が静まり返るまで、長くはかからなかった。

 消えゆく化け物の骸を見下ろしながら、勇斗は煙を吐いた。

「勇斗にいちゃん」

 目に涙を浮かべた真弘が駆け寄ってくる。漆黒の鎧は、返り血でさらに黒く染まっていた。

「よくやった」

 勇斗はそれ以上何も言わず、村の奥へ歩いていった。

 瓦礫を越え、生存者を探す。だが、転がっているのは死体ばかりだった。悲壮な表情のまま息絶えた者、首のない者、原型をとどめていない者。異臭が、ドラシガーの香りを塗り潰す。

 やがて、勇斗は孤児院の前で足を止めた。

 かつて笑い声に満ちていた場所には、瓦礫と、小さな手足が散らばっていた。

「ユート、この子、まだ息があるわ」

 シグネリアが、青髪の少年の肩を揺らしていた。

「どいてくれ」

 勇斗はかがみ込み、少年の顔を覗き込む。

「トンキ――」

 青い髪は煤と血にまみれ、本来の色を失っていた。額にかかった前髪の隙間から、半ば開いた目が覗く。だが、焦点は合っていない。

「アルト……アルトか?」

 わずかに間を置いて、勇斗は「ああ」と答えた。

「来てくれたん……だな」

「すまない、遅かった」

「俺、子供たちを……守れなかった……情けないよな」

「そんなことは、ない」

 トンキの手に握られた長剣は刃こぼれし、先端が欠けている。それでも、柄は離されていなかった。

「最後に、お前の声を聞けて、よかったよ」

 その直後、トンキの喉から、かすかな息が抜けた。

 勇斗はゆっくりと立ち上がった。

 目を閉じることも、手を握ることもなかった。ただ、煙を深く吸い込み、静かに吐く。

 勇斗たちは、墓を作った。場所は、崩れた塀の陰を選んだ。

 石を積む。名は刻まなかった。それでも、ここに人がいたことだけは、残る。

 勇斗は、手を合わせなかった。

 一歩、後ろへ下がる。

 立ち止まっている暇は、もうなかった。

 村を出たところで、勇斗は足を止めた。

 マントの内側に手を入れる。指先に触れるはずの感触がなかった。

 ドラシガーが、尽きたか。

 最後の一本は、キーナの村で灰になっている。

 ランパはいない。新しいドラシガーが生まれるはずはなかった。

 勇斗は、精霊樹の枝を取り出した。

 掌の上で、枝がかすかに震え、淡い光を帯びた。

 勇斗は、息を呑んだ。

 ランパ、そこにいるのか。

 精霊樹の枝と、三つの指輪が宙に浮かぶ。光が絡み合い、煙のように渦を巻く。

 やがて、三本のドラシガーが静かに形を結んだ。

 勇斗は、それを見つめたまま、ゆっくりと息を吐く。

「……あと、三本しかない」

 勇斗の手にあるものは、もう無限ではなかった。

「勇斗にいちゃん、何してるの? はやく行こうよ!」

 翼を広げた飛竜の上で、真弘が手を振っている。

 勇斗は、三本のドラシガーをマントの内側に収めた。

「すまない、すぐ行く」

 勇斗は飛竜のもとへ駆け寄った。
 

 高原地帯の上空を、飛竜は滑るように進んでいた。

 勇斗は目を凝らす。眼下の一点に、不自然な光の集まりがあった。松明だ。不揃いな揺れ方が、そこに人がいることを示していた。

「あれが、避難所か」

 勇斗が合図すると、飛竜はゆっくりと降下を始めた。

 着地と同時に、周囲の空気が硬くなった。

 武装した人々が一斉に取り囲んだ。人間に加え、モッケ族とオル族もいる。

 怯え、怒り、疑い。むき出しの感情が、勇斗たちへ向けられる。

 数人が弓を引いた。弦が軋む音が、はっきりと聞こえた。

「待て!」

 ミュールが群衆を押しのけ、飛竜の前に立つ。

「こいつらはオレたちの仲間だ。武器を下ろせ!」

 一瞬のためらい。やがて、弓はゆっくりと下げられた。

「ユート、生きていたんだな」

「ああ」

 飛竜の背から降り立った勇斗は、わずかに頷いた。

「えっと、そっちの女の人は……」

 ミュールの視線がシグネリアに向く。

「シグネリア王女だ」

「こ、これは失礼しました!」

 ミュールは慌てて頭を下げた。尻尾が、落ち着きなく揺れた。

「かしこまらなくていいわ。今は立場より、命の方が大事でしょう?」

 シグネリアの声は穏やかだが、芯は強い。

「ミュール、避難所を案内して。私にしかできないことがあるわ」

「わ、わかった。……ユートも来るか?」

「ああ。状況を把握したい」

 その言葉に、ミュールは一瞬だけ黙った。

「お前、本当にユートか?」

 勇斗は静かに頷く。

「……なんか、急に雰囲気変わったな。ま、いい。ついてこい」

 勇斗とシグネリアが歩き出す。群衆も一斉に背を向けた。

「えっと、お、おれは……」

 取り残された真弘に、ミュールの視線が向く。

「真弘、だったな。悪いが、中には入れられねぇ」

 声は低いが、責めるような響きはなかった。

「ここには、魔族に家族を殺された奴が大勢いる。お前を信用してねえわけじゃない。だが、今は刺激を増やせない。避難所を守るためだ。わかってくれ」

 真弘は一瞬唇を噛み、それから頷いた。

「わかった。おれ、ここで待ってる」

 しゅんと肩を落とす真弘の頬を、飛竜の舌がぺろりと舐めた。

 防壁を越え、避難所の中に入る。倒木を並べた柵。縄で縛っただけの支柱。傾いた櫓。全てが急ごしらえだった。

 炊き出しの鍋の前に列がある。肩が触れ合うほど密だが、誰も割り込まない。割り込む余力すらないのかもしれない。

 少し進むと、怪我人の一角があった。毛布の上に横たわる者。腕を吊られた者。脚を板で固定された者。看護師が無言で走り回っている。トトイの診療所にいた、アリシアの姿も見えた。

 怪我人の中に、見覚えのある顔があった。勇斗は思わず立ち止まってしまった。

 スラム街で出会った、シリとイメルだった。

 シリは、眠っているように見える。イメルは勇斗を見ると、眉をつり上げた。その後、すぐに目線を逸らした。

 勇斗は、短く息を吐いたあと、再び歩いた。

 防壁の上では、見張りが交代している。目の下に濃い影を落とし、湿地の向こうを睨み続けている。

「お前は……確か、勇者ユートか」

 低い声。モッケ族の族長、ウォルゼが立っていた。勇斗は頭を下げた。

「勇者よ。きみは、どこに行く」

「大切な仲間を、助けに行きます」

 ウォルゼはしばらく勇斗を見つめ、それから言った。

「ならば、ここを見るな。振り返るな」

 勇斗は、ウォルゼと目を合わせたあと、静かに頷いた。

「ユート!」

 人波をかき分け、チカップが駆け寄ってきた。左耳の耳飾りが忙しなく揺れている。

「チカップ、無事だったか」

「あれくらいでくたばるほど、やわじゃねーっス」

 ニッと、チカップは笑った。

「それにしてもユート……なんか変わったっスね。前とは別人みたいだ。何があったんスか?」

 三つの目が、まっすぐ勇斗を射抜く。

「そうなんだよ。ほんと、別人みたいだろ?」

 ミュールが歩み寄る。浮かない顔のまま、腕を組んだ。

「一週間でここまで変わるものかしらね。まるでアルトみたいになってしまったわ」

 シグネリアがため息をつき、静かに目を伏せる。

 その瞬間だった。

「敵襲! す、すごい大群だ!」

 地鳴りが足元を震わせた。悲鳴が上がる。避難所の空気が一瞬で崩れた。

 勇斗は反射的にマントへ手を伸ばす。

「ダメだ」

 ミュールが叫んだ。

「お前はチビスケを助けに行け。ここはオレたちが止める」

 ミュールは不敵に笑い、両腕のガントレットを打ち鳴らした。

「寄り道しちゃダメっスよ」

 チカップは、じっと勇斗の目を見据えたあと、羽ペンを取り出した。

「ユート、健闘を祈ります」

 シグネリアの両手が、勇斗の右手を包み込んだ。

 勇斗は仲間たちを見渡す。

 ここに残る者たちは、死ぬかもしれない。それでも、自分を送り出してくれている。胸の奥が熱くなるのを、ぐっと押し殺した。

「……任せる」

 それだけ告げ、仲間たちに背を向けた。

 大地を蹴る。

 勇斗は、振り返らなかった。


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 勇斗は、見張りの塔の頂上に戻ってきた。
 辺りを見渡す。紫色だった空はさらに濁り、生き物のように脈打っている。
 真弘とシグネリアが、走ってきた。その後ろを、ロンが杖をつきながら歩いてくる。
「あれから、どれくらい時間が経った?」
 勇斗の声は、低く鋭かった。真弘たちは一瞬目を見開き、すぐに表情を引き締めた。
「一週間、じゃよ」
 返答に迷う二人の代わりに、ロンが答える。
「そうか」
 皆の顔を見るのが、すでに何年も前の出来事のようだった。
「世界は、どうなっている?」
 勇斗は、ロンに視線を向けた。その目には、以前にはない冷たさがあった。
「……お主が消えたあと、知り合いと伝書鳥で何度かやり取りをした。世界は、死んだも同然じゃ」
 ロンは一度、言葉を切った。
「地面のいたるところから鋭い根や花が生え、命を喰らっておる。魔族は姿形を変え、暴れ回っておる」
 声が、わずかに震える。
「セク砂漠では異常な砂嵐が巻き起こり、ウルパは雪崩に飲み込まれてしまった。唯一被害を免れているのが、トトイ周辺の高原。そこに、避難所が設けられておる」
 勇斗は無言でうなずいたあと、天を仰いだ。濁った空は、修行の空間で見たどんな景色よりも生々しかった。
「僕は今から、ランパを助けに行く」
「助けに行くって、場所はわかるの?」
 真弘が首を傾げた。
「マナの聖域だ。ランパとヴェンは、そこにいる。精霊樹の枝が、そこだと示している」
 勇斗は、ランパが残していった精霊樹の枝を眺めた。
「真弘くんは、どうする?」
「お、おれも行く! おれにも責任があるから」
 真弘は両手を握りしめた。
「わかった。シグネリアは?」
「私は、避難所に行きます。民を、安心させなければいけません」
 シグネリアは、凜とした声で言った。
「ロンさんは、どうしますか?」
「ホッホ。わしは、ここから世界の行く末を見届けさせてもらおうかの」
「わかりました」
 勇斗は一礼し、塔の欄干へと歩いた。
「真弘くん、飛竜を」
「あ、うん」
 真弘の横にいた赤い子竜が、ちょこちょこと歩き出し、小さな羽を羽ばたかせる。
 瞬間、子竜の姿が変化した。体が膨れ、翼が広がり、低い咆哮が空を震わせる。
「行くぞ」
 勇斗たちは飛竜の背に乗り、淀んだ空へと飛び立った。
 飛竜に乗って進んでいると、眼下に赤い光が揺らめいた。
「あそこは、確かキーナの村だ。すまない、一度下ろしてくれ」
 飛竜は旋回しながら高度を下げ、大地へと降り立った。
 キーナの村は、燃えていた。赤い炎が家々を包み、黒煙が空へと立ち上っている。
 勇斗の頭に、孤児院の院長と、子供たちの顔が浮かんだ。
 まだ、生きていてくれ。
 ここは、アルトの故郷だ。これ以上、奪わせたくなかった。
 勇斗は、ドラシガーの先端に青白い炎を灯した。緑の煙が口内を満たす。胸の奥で、ラマシルが静かに脈打った。
 煙をまとい、駆け出す。
 村の中には、多くの怪物がうろついていた。全身が歪んだ骨でできた巨大な四足獣だった。骨の隙間から、黒い瘴気が滲み出ている。
 怪物は家屋に体当たりし、粉砕する。瓦礫の中から何かを引きずり出した。人だった。
 やめろ、と胸の奥で叫ぶ。
 次の瞬間、怪物の足が振り下ろされる。赤い飛沫が、炎の光を反射して散った。
 勇斗は、煙を足に集中させた。
 次の瞬間には、怪物の眼前に立っていた。
 剣は止まらない。骨の束が、音もなく断ち切られる。怪物は、崩れ落ちる前に絶命していた。
「きゃああっ!」
 振り返る。巨大な虫が、シグネリアに襲いかかっていた。黒光りする顎が開き、牙が彼女の頭部へと迫る。
「うわあああああっ!」
 真弘の斧が振り下ろされる。地面に叩きつけるように、巨大虫を潰した。黒い液体が飛び散り、歪な臭気が広がる。
 真弘は涙を流しながら、荒い息を吐いていた。
「マヒロくん、まだ来る!」
 シグネリアが叫んだ。
 地面が盛り上がる。土を割って、巨大虫が次々と姿を現す。
 たちまち、真弘とシグネリアは囲まれた。
 勇斗は地を蹴った。だが、背後から重い振動が伝わる。
 素早く体を反転させる。
 巨大な四足獣が群れをなして突進してくる。骨が軋み、瘴気が尾を引いている。
 持ちこたえろ、真弘くん。
 勇斗は、群れを正面から見据えた。
 緑の煙が、細く揺れた。
 村が静まり返るまで、長くはかからなかった。
 消えゆく化け物の骸を見下ろしながら、勇斗は煙を吐いた。
「勇斗にいちゃん」
 目に涙を浮かべた真弘が駆け寄ってくる。漆黒の鎧は、返り血でさらに黒く染まっていた。
「よくやった」
 勇斗はそれ以上何も言わず、村の奥へ歩いていった。
 瓦礫を越え、生存者を探す。だが、転がっているのは死体ばかりだった。悲壮な表情のまま息絶えた者、首のない者、原型をとどめていない者。異臭が、ドラシガーの香りを塗り潰す。
 やがて、勇斗は孤児院の前で足を止めた。
 かつて笑い声に満ちていた場所には、瓦礫と、小さな手足が散らばっていた。
「ユート、この子、まだ息があるわ」
 シグネリアが、青髪の少年の肩を揺らしていた。
「どいてくれ」
 勇斗はかがみ込み、少年の顔を覗き込む。
「トンキ――」
 青い髪は煤と血にまみれ、本来の色を失っていた。額にかかった前髪の隙間から、半ば開いた目が覗く。だが、焦点は合っていない。
「アルト……アルトか?」
 わずかに間を置いて、勇斗は「ああ」と答えた。
「来てくれたん……だな」
「すまない、遅かった」
「俺、子供たちを……守れなかった……情けないよな」
「そんなことは、ない」
 トンキの手に握られた長剣は刃こぼれし、先端が欠けている。それでも、柄は離されていなかった。
「最後に、お前の声を聞けて、よかったよ」
 その直後、トンキの喉から、かすかな息が抜けた。
 勇斗はゆっくりと立ち上がった。
 目を閉じることも、手を握ることもなかった。ただ、煙を深く吸い込み、静かに吐く。
 勇斗たちは、墓を作った。場所は、崩れた塀の陰を選んだ。
 石を積む。名は刻まなかった。それでも、ここに人がいたことだけは、残る。
 勇斗は、手を合わせなかった。
 一歩、後ろへ下がる。
 立ち止まっている暇は、もうなかった。
 村を出たところで、勇斗は足を止めた。
 マントの内側に手を入れる。指先に触れるはずの感触がなかった。
 ドラシガーが、尽きたか。
 最後の一本は、キーナの村で灰になっている。
 ランパはいない。新しいドラシガーが生まれるはずはなかった。
 勇斗は、精霊樹の枝を取り出した。
 掌の上で、枝がかすかに震え、淡い光を帯びた。
 勇斗は、息を呑んだ。
 ランパ、そこにいるのか。
 精霊樹の枝と、三つの指輪が宙に浮かぶ。光が絡み合い、煙のように渦を巻く。
 やがて、三本のドラシガーが静かに形を結んだ。
 勇斗は、それを見つめたまま、ゆっくりと息を吐く。
「……あと、三本しかない」
 勇斗の手にあるものは、もう無限ではなかった。
「勇斗にいちゃん、何してるの? はやく行こうよ!」
 翼を広げた飛竜の上で、真弘が手を振っている。
 勇斗は、三本のドラシガーをマントの内側に収めた。
「すまない、すぐ行く」
 勇斗は飛竜のもとへ駆け寄った。
 高原地帯の上空を、飛竜は滑るように進んでいた。
 勇斗は目を凝らす。眼下の一点に、不自然な光の集まりがあった。松明だ。不揃いな揺れ方が、そこに人がいることを示していた。
「あれが、避難所か」
 勇斗が合図すると、飛竜はゆっくりと降下を始めた。
 着地と同時に、周囲の空気が硬くなった。
 武装した人々が一斉に取り囲んだ。人間に加え、モッケ族とオル族もいる。
 怯え、怒り、疑い。むき出しの感情が、勇斗たちへ向けられる。
 数人が弓を引いた。弦が軋む音が、はっきりと聞こえた。
「待て!」
 ミュールが群衆を押しのけ、飛竜の前に立つ。
「こいつらはオレたちの仲間だ。武器を下ろせ!」
 一瞬のためらい。やがて、弓はゆっくりと下げられた。
「ユート、生きていたんだな」
「ああ」
 飛竜の背から降り立った勇斗は、わずかに頷いた。
「えっと、そっちの女の人は……」
 ミュールの視線がシグネリアに向く。
「シグネリア王女だ」
「こ、これは失礼しました!」
 ミュールは慌てて頭を下げた。尻尾が、落ち着きなく揺れた。
「かしこまらなくていいわ。今は立場より、命の方が大事でしょう?」
 シグネリアの声は穏やかだが、芯は強い。
「ミュール、避難所を案内して。私にしかできないことがあるわ」
「わ、わかった。……ユートも来るか?」
「ああ。状況を把握したい」
 その言葉に、ミュールは一瞬だけ黙った。
「お前、本当にユートか?」
 勇斗は静かに頷く。
「……なんか、急に雰囲気変わったな。ま、いい。ついてこい」
 勇斗とシグネリアが歩き出す。群衆も一斉に背を向けた。
「えっと、お、おれは……」
 取り残された真弘に、ミュールの視線が向く。
「真弘、だったな。悪いが、中には入れられねぇ」
 声は低いが、責めるような響きはなかった。
「ここには、魔族に家族を殺された奴が大勢いる。お前を信用してねえわけじゃない。だが、今は刺激を増やせない。避難所を守るためだ。わかってくれ」
 真弘は一瞬唇を噛み、それから頷いた。
「わかった。おれ、ここで待ってる」
 しゅんと肩を落とす真弘の頬を、飛竜の舌がぺろりと舐めた。
 防壁を越え、避難所の中に入る。倒木を並べた柵。縄で縛っただけの支柱。傾いた櫓。全てが急ごしらえだった。
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 少し進むと、怪我人の一角があった。毛布の上に横たわる者。腕を吊られた者。脚を板で固定された者。看護師が無言で走り回っている。トトイの診療所にいた、アリシアの姿も見えた。
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 シリは、眠っているように見える。イメルは勇斗を見ると、眉をつり上げた。その後、すぐに目線を逸らした。
 勇斗は、短く息を吐いたあと、再び歩いた。
 防壁の上では、見張りが交代している。目の下に濃い影を落とし、湿地の向こうを睨み続けている。
「お前は……確か、勇者ユートか」
 低い声。モッケ族の族長、ウォルゼが立っていた。勇斗は頭を下げた。
「勇者よ。きみは、どこに行く」
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 ウォルゼはしばらく勇斗を見つめ、それから言った。
「ならば、ここを見るな。振り返るな」
 勇斗は、ウォルゼと目を合わせたあと、静かに頷いた。
「ユート!」
 人波をかき分け、チカップが駆け寄ってきた。左耳の耳飾りが忙しなく揺れている。
「チカップ、無事だったか」
「あれくらいでくたばるほど、やわじゃねーっス」
 ニッと、チカップは笑った。
「それにしてもユート……なんか変わったっスね。前とは別人みたいだ。何があったんスか?」
 三つの目が、まっすぐ勇斗を射抜く。
「そうなんだよ。ほんと、別人みたいだろ?」
 ミュールが歩み寄る。浮かない顔のまま、腕を組んだ。
「一週間でここまで変わるものかしらね。まるでアルトみたいになってしまったわ」
 シグネリアがため息をつき、静かに目を伏せる。
 その瞬間だった。
「敵襲! す、すごい大群だ!」
 地鳴りが足元を震わせた。悲鳴が上がる。避難所の空気が一瞬で崩れた。
 勇斗は反射的にマントへ手を伸ばす。
「ダメだ」
 ミュールが叫んだ。
「お前はチビスケを助けに行け。ここはオレたちが止める」
 ミュールは不敵に笑い、両腕のガントレットを打ち鳴らした。
「寄り道しちゃダメっスよ」
 チカップは、じっと勇斗の目を見据えたあと、羽ペンを取り出した。
「ユート、健闘を祈ります」
 シグネリアの両手が、勇斗の右手を包み込んだ。
 勇斗は仲間たちを見渡す。
 ここに残る者たちは、死ぬかもしれない。それでも、自分を送り出してくれている。胸の奥が熱くなるのを、ぐっと押し殺した。
「……任せる」
 それだけ告げ、仲間たちに背を向けた。
 大地を蹴る。
 勇斗は、振り返らなかった。