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ボーナスのチャンス!

ー/ー



 エリシアのお屋敷では、従業員たちに護身術や格闘技も教えている。


「いいですの?こんな時代ですから、『やられる方が負け』ですの!」



「はい!」



「従業員たるもの、常に周囲の警戒を怠らぬこと!」



「はい!」



 エリシアはコホンと咳払いをし、再び続けた。

「というわけで——」





「この一ヶ月間、私を倒した者は給料12ヶ月分のボーナスを差し上げますわ。」





 ——ザワ……ザワ……!



「マジかよ……。」
「すげえ……!」
「一年分の給料……!?」



 従業員たちの間に緊張と興奮が走る。



「私は生まれてこの方、背中を地面につけたことありませんの!」



「……」



「もしそんなことがありましたら、免許皆伝ですわ!」



 屋敷の庭が静まり返る。



 ——ゴクリ……。



 従業員たちは互いに視線を交わしながら、ゆっくりとエリシアの方を見た。



「……。」
「……。」



(いけるのか……?)
(12ヶ月分……12ヶ月分……!)



 エリシアは腕を組みながら、ニヤリと笑う。



「さあ、どこからでもかかってきなさい。」



 こうして、『一ヶ月間のボーナス争奪・対エリシア戦』が幕を開けた——。



 ——翌日。



 エリシアが廊下を歩いていると——



 ——ドキドキ……ドキドキ……



 ——カツ、コツ……カツ、コツ……



 静寂の中、足音と心臓の鼓動が響く。



 その瞬間——



「オラッ!」



 ——バンッ!



 いきなり扉が開き、箒を持った使用人が勢いよく飛び出してきた!



 ——ブンッ!



 思い切り振り下ろされる箒!



 ——バコン!!



「よっしゃ!!」



 使用人が拳を握りしめる。



「……。」



 エリシアは微動だにせず、冷たい目で眼前の光景を見下ろした。



「よく見ておくんなまし!」

「は?」



 そこには——



 メイド長が大きなたんこぶを作って倒れていた。



「……。」

「……。」



「ちょっと、なにやってますの?」

「あ、あれ……?」



 使用人がキョロキョロと周囲を見渡す。



「エリシア様が歩いてくると思ったら、メイド長でした……。」



「なにやってんの!!!」



 屋敷内に響き渡る怒声。



 こうして、『対エリシア戦』は早くも"巻き添え被害"を出し始めた——。



 またまたある時——



 エリシアが外出を終え、屋敷に戻ってきた。

 玄関先で、使用人たちが一列に並び、深々と頭を下げる。



「ごきげんよう、エリシア様!」
「ごきげんよう!」



 エリシアは優雅に頷き、ゆっくりと絨毯の上を歩き出す。



 ——スッ



 その瞬間。

 使用人の一人が、わざとらしく足を前に出した。



(よし!引っかかれ!)



 しかし——



 ——スッ!



 エリシアは一瞬で足を入れ替え、逆に使用人の足を払った。



 ——バタン!!



「うおっ!?」



 使用人は見事に転倒。



「甘い!!」



 エリシアはピシッと指を突きつけ、完璧なバランスを保ったまま勝ち誇る。



「この程度で私を転ばせられると思いましたの?」

「……くっ。」



 床に転がる使用人が悔しそうに拳を握る。



 ——ある日。



 ヴァイは近くを通ったついでに、エリシアの屋敷に立ち寄った。

 門をくぐると、すぐに使用人たちの視線が一斉に集まる。



「やばそうな男が来た!!」

 動揺し、慌てかける使用人たち。



 だが、すぐに別の者が小声で説明する。

「大丈夫……たまに来る怖い男だ……。」



「……あっ……。」



 それを聞いて、皆が怯えながらも一応の挨拶をする。

「お、お、おはようございます……。」



 ヴァイはニヤリと笑う。

「エリシアちゃんいるか〜?」



「はい……ご、ご案内——」

「いや、いいわ。」



 そう言って、ヴァイは勝手知ったる様子で屋敷の奥へと歩いていく。



 ——だが、その途中。



 エリシア専用トイレの前で、バットを振りかぶって待機している使用人を見つけた。



「……。」



 ヴァイは立ち止まり、その様子をじっと観察する。



 ——ガシ。



 ヴァイがバットを握り、ゆっくりと力を込める。



「おいおい……自分の主人に弓引くやつがいるかよ……殺されるゼェ?」



「ひっ……!」



 使用人は冷や汗をかきながら顔をこわばらせる。



「なんかあったか?」

 ヴァイは興味深げに聞く。



「ついにお屋敷でも『お尋ね者』か? ゲヒャヒャヒャ!」

「い、いや……」



 明らかに何かを隠している雰囲気の使用人。



(こりゃ面白そうだな……。)



 訳を聞くヴァイ。



「——そういう訳なんです。」



 使用人が説明を終えると、ヴァイはニヤリと笑った。



「おぉ〜! そいつぁビッグチャンスじゃねえか!」



 ヴァイは使用人に顔を近づけ、小声で言う。



「だがよ……正攻法じゃあ無理だぜ。」

「ですかねぇ……。」



「俺がいうのもなんだが、あの女、マジ強えからな。」



 ヴァイは腕を組みながら、エリシアの戦闘力を思い返す。



「——で、あいつはなんて言ってたんだ?」



 使用人は少し思い出すようにしてから答えた。





「えっと……『生まれてこの方、背中を地面につけたことありませんの! もし私の背中が地面につくようなことがあれば免許皆伝ですわ』って。」





 ヴァイは少し考えて——



 ——ニヤッ。



「……なるほどな。」



 何かを閃いたヴァイは、使用人を指差す。



「教えてやってもいいがヨォ……半分よこせよ……。」

「え、えええぇ……!?」



 使用人は思わず声を上げる。



「じゃ、ボーナスは無理だな。」



 ヴァイはあっさりと踵を返し、帰ろうとする。



「あ、待っ——わ、わかりました!!」

「そうこなくっちゃなぁ!」



 ——ヒソヒソ……ヒソヒソ……。



 ヴァイと使用人が密かに話し込む。

 そして、"エリシア撃破計画"が密かに動き出した——。



 ——そんなある日。



 ——コンコン。



「どうぞ。」



 現れたのは執事だった。

 エリシアはデスクで忙しそうに何かをタイピングしていた。



「なんですの?」

「非常に急で申し訳ないのですが——」



 執事は一度咳払いをし、静かに話し始める。



「うちが贔屓にしております畳の業者がですね……」



 ——執事の話はこうだ。



 近年、フローリングの洋間が主流となり、畳の和室は減少傾向にある。

 しかし、その業者は新たな戦略として、「よりモダンで、よりエレガントな和の空間」を提唱し、畳の新しい売り方を展開しようとしている。



 ——パサ。



 執事は一冊のパンフレットをエリシアの前に置いた。

 パンフレットには、縁取りのデザインが施された美しい畳や、和洋折衷のエレガントなレイアウト例が数多く載せられていた。

 エリシアは軽くそれに目を通し、無表情で言った。



「……これが私と何の関係が?」



「ええ、その……どうも業者さんの間で会議を行った結果——」



「『一番エレガントなエリシア殿』に、そのイメージキャラクターを務めていただきたいと。」



「ほう。」



 エリシアはパンフレットをゆっくりと閉じ、ニヤリと微笑んだ。



(エレガントな私に相応しい仕事……ですわね……。)



 ちなみに、この執事はお屋敷の取りまとめ役であり、同時にエリシア商事の社員でもある。



「で、今……各所からモデルに協力を要請して、イメージキャラクターの模索を行なっているようでした。」



 エリシアの動きが止まる。



「え!? 他にもモデルが!?」

「その……ようですな。」



「あのねぇ!!」



 エリシアはデスクをバンッ!と叩いて立ち上がった。



「『一番エレガントなエリシア』と言っておきながら……おま……他のモデルに声をかけるなんて……!!」



「そ、そうですな……。」



「だったらこっちから願いさげ——」



「ですので私の方から、『他のモデルに声をかけるなら、うちは一切協力しない』と伝えました。」



「……。」



「で、先方は平謝りでして……。」

「それで?」



「改めて『お願いできないでしょうか……』という話です。」



 エリシアは腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。



「……まあ、当然ですわね。」



 イメージキャラクター選びをめぐる"権力闘争"に、エリシアは確実に勝利を収めたのであった——。



 で、いろいろ話があった結果——



「早速でございますが……先方に写真をと思いまして……。」



「そうですわね! 話は早い方がいいですわ! 叩き台がないとどうしようもありませんからね!」



 ——コツコツ



 執事がエリシアを案内する。

 たどり着いたのは屋敷の一室。



 この部屋は、屋敷の建設計画の際にエリシアが——



「まあとりあえず和室も一つくらいあってもいいか」



 ——みたいなノリで作られた部屋である。



 だが、普段この部屋を使う者はほとんどおらず——

 実質、「使用人の休憩(サボリ)室」と化していた。



 ——ガチャ。



 エリシアがドアを開けると、すでに使用人たちが完全スタンバイしていた。



 どうやら、壁に立てかけた畳の前でポーズをとり、エリシアの「エレガントさ」を最大限にアピールする算段のようだ。



 三脚、一眼レフ、シャッターリモコン——撮影機材は完璧。



「エリシア様……何枚かお写真を……。」



「あ、セバス! バラのついた帽子! あれ持ってきて!」

「はい。」



 ——パシャ、パシャ、パシャパシャ!



 撮影開始。



「うーん、もうちょっとこうですわね……。足広げすぎか……目線が……なんか微妙な感じ……。」



 ——パシャ、パシャ。





「あ、エリシア様、ちょっと『もたれ掛かって』みてください。アンニュイな感じで。」





 ——パシャ、パシャパシャ!



「この流し目な感じがいいですわね〜。」



 満足そうに撮影を終え、写真をチェックするエリシア。



「撮影は以上でございます。」



 執事がきっちりと切り上げると、エリシアは満足げにその場を去っていった。



 ——後日。



 夕食の場。

 使用人たちが整然と並び、エリシアは優雅にカレーを食べていた。



 ——だが、突然。



「エリシア様!」

「なんですの!?」



 ——ガタッ!



 使用人の一人が勢いよく立ち上がる。



「この間の! 倒したらボーナスあげるっていう話、忘れてませんよね!?」



「もちろんですわ! でもあなた方もまだまだですわね〜! 私に触れることすらできないなんて!」



 エリシアは余裕たっぷりに微笑む。



 だが——



「私はあなたを倒しました!」

「は?」



 場が青ざめる。

 エリシアはスプーンで掬ったカレーのじゃがいもをポロッと落とした。



「あのねぇ〜、ギャグセンス皆無ですわね〜! もうちょっとましな——」



「いえ! 確かに私はあなたを張り倒しましたよ!」

「あのさぁ……」



 ——ピラッ。



 使用人が一枚の写真を掲げる。



 そこに写っていたのは——





 エリシアが「畳に転がっている」ように見える写真。





「は……?」



 ——ザワ……ザワ……



 周囲の使用人たちが息を呑む。

「……。」



 エリシアは写真をまじまじと見つめる。



「ちょっと待ちなさいよ……これ……。どう見ても……あなた……」



「背中、地面についてますよね?」



「……。」

「……。」



 ——ドンッ!



 エリシアがテーブルを叩いて立ち上がる!!



「ちょおおおおおっと待ったあああぁ!!」



「これは違いますわ! これは! これはポージングですの!!」



「ポージングであって負けたわけじゃありませんわ!!」



「違いますわよね!? みんな!?」



「……。」

「……。」



 使用人たちは互いに顔を見合わせる。

 ——そして。



「エリシア様……。」

「これはどう見ても「転がってる」かと……。」



「お屋敷始まって以来の敗北ですね……。」



「ボーナスですね。」

「おめでとうございます。」

「おい、シャンパン開けるか?」

「ケーキも用意しましょうか?」



 エリシアは言い返した。



「いやいや、これは畳のイメージキャラクターのための撮影ですわよ! しかもこれ立って撮影してるし——」



 しかし、使用人たちは納得しない。



「え、でもこの写真じゃあどう見たって転がってるようにしか見えませんよ!」



「あのねぇ——」



(……確かに……畳に転がってるようにしか……見えないですわねぇ……。)



「無効に決まってるでしょ! あのねぇ! こんなトンチじゃなくて 実力で私を倒しなさいよ!」



 ——沈黙。



 しかし——



「あ〜あ〜。」

「なんですの!?」





「やめようかな、使用人。」





「勝手にすれば?」



「あ、じゃあ私もやめまーす。」

「僕も。」

「この仕事、きついんすよねぇ〜。」



 ——ガタガタ、ガタ

 ——ゾロゾロ……ゾロゾロ……



 エリシアは鼻で笑う。



「やれやれ、根性がないですわねぇ……そんなんじゃあどこ行っても——」



「エリシア様、私も今日限りで。」



 ——ガタッ!



 立ち上がったのは……執事。



「ええぇ!?」

「ですのでエリシア様。」



「明日から家の掃除も、家事も、町内会のゴミステーションの掃除も、ベンツの洗車も、隣のババアのクレーム対応も…… 全部ご自身でやってくださいね〜。」



 ここぞとばかりにメイド長がトドメの一言。



「……。」



 ——プルプル……



「ぐぬぬ……。」



 ——ゾロゾロ。



 使用人たちが一斉に退場し始める。



「あーだりぃなー。 ラーメン二郎でも食いに行こうぜぇ〜。」

「そうだなぁー。」





「ちょっと待っておくんなまし!!」





 ——その瞬間、エリシアのプライドと現実がぶつかり合った。



 「た、確かに……この写真では『客観的に見て』倒れてるようにしか見えませんわね。」



 エリシアは腕を組み、しばし考え込む。



「この状態で『エリシアを倒した』と触れ回っても、信憑性がなきにしもあらず……。」



 ——コホン!



 咳払いを一つ。



「……いいでしょう。」



 使用人たちが固唾を呑む。



「特例でボーナスを進呈しますわ。」



 ——うおおおおおおおぉ!!!



 歓喜の渦に包まれる使用人たち!



「マジか!」
「でっけぇ……これはでっけぇぞ!!」

「今日焼肉いくぞ!」
「ラーメン二郎はどうする!?」

「両方だろ!!」



 そんな彼らの様子を見ながら、執事は静かに微笑み、使用人と密かにアイコンタクトを交わした——。



 エリシア、まさかの敗北。

 しかし、彼女は誇り高き貴族。



 "負けを認める美学" もまた、彼女のエレガンスの一部なのかもしれない——。



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 エリシアのお屋敷では、従業員たちに護身術や格闘技も教えている。
「いいですの?こんな時代ですから、『やられる方が負け』ですの!」
「はい!」
「従業員たるもの、常に周囲の警戒を怠らぬこと!」
「はい!」
 エリシアはコホンと咳払いをし、再び続けた。
「というわけで——」
「この一ヶ月間、私を倒した者は給料12ヶ月分のボーナスを差し上げますわ。」
 ——ザワ……ザワ……!
「マジかよ……。」
「すげえ……!」
「一年分の給料……!?」
 従業員たちの間に緊張と興奮が走る。
「私は生まれてこの方、背中を地面につけたことありませんの!」
「……」
「もしそんなことがありましたら、免許皆伝ですわ!」
 屋敷の庭が静まり返る。
 ——ゴクリ……。
 従業員たちは互いに視線を交わしながら、ゆっくりとエリシアの方を見た。
「……。」
「……。」
(いけるのか……?)
(12ヶ月分……12ヶ月分……!)
 エリシアは腕を組みながら、ニヤリと笑う。
「さあ、どこからでもかかってきなさい。」
 こうして、『一ヶ月間のボーナス争奪・対エリシア戦』が幕を開けた——。
 ——翌日。
 エリシアが廊下を歩いていると——
 ——ドキドキ……ドキドキ……
 ——カツ、コツ……カツ、コツ……
 静寂の中、足音と心臓の鼓動が響く。
 その瞬間——
「オラッ!」
 ——バンッ!
 いきなり扉が開き、箒を持った使用人が勢いよく飛び出してきた!
 ——ブンッ!
 思い切り振り下ろされる箒!
 ——バコン!!
「よっしゃ!!」
 使用人が拳を握りしめる。
「……。」
 エリシアは微動だにせず、冷たい目で眼前の光景を見下ろした。
「よく見ておくんなまし!」
「は?」
 そこには——
 メイド長が大きなたんこぶを作って倒れていた。
「……。」
「……。」
「ちょっと、なにやってますの?」
「あ、あれ……?」
 使用人がキョロキョロと周囲を見渡す。
「エリシア様が歩いてくると思ったら、メイド長でした……。」
「なにやってんの!!!」
 屋敷内に響き渡る怒声。
 こうして、『対エリシア戦』は早くも"巻き添え被害"を出し始めた——。
 またまたある時——
 エリシアが外出を終え、屋敷に戻ってきた。
 玄関先で、使用人たちが一列に並び、深々と頭を下げる。
「ごきげんよう、エリシア様!」
「ごきげんよう!」
 エリシアは優雅に頷き、ゆっくりと絨毯の上を歩き出す。
 ——スッ
 その瞬間。
 使用人の一人が、わざとらしく足を前に出した。
(よし!引っかかれ!)
 しかし——
 ——スッ!
 エリシアは一瞬で足を入れ替え、逆に使用人の足を払った。
 ——バタン!!
「うおっ!?」
 使用人は見事に転倒。
「甘い!!」
 エリシアはピシッと指を突きつけ、完璧なバランスを保ったまま勝ち誇る。
「この程度で私を転ばせられると思いましたの?」
「……くっ。」
 床に転がる使用人が悔しそうに拳を握る。
 ——ある日。
 ヴァイは近くを通ったついでに、エリシアの屋敷に立ち寄った。
 門をくぐると、すぐに使用人たちの視線が一斉に集まる。
「やばそうな男が来た!!」
 動揺し、慌てかける使用人たち。
 だが、すぐに別の者が小声で説明する。
「大丈夫……たまに来る怖い男だ……。」
「……あっ……。」
 それを聞いて、皆が怯えながらも一応の挨拶をする。
「お、お、おはようございます……。」
 ヴァイはニヤリと笑う。
「エリシアちゃんいるか〜?」
「はい……ご、ご案内——」
「いや、いいわ。」
 そう言って、ヴァイは勝手知ったる様子で屋敷の奥へと歩いていく。
 ——だが、その途中。
 エリシア専用トイレの前で、バットを振りかぶって待機している使用人を見つけた。
「……。」
 ヴァイは立ち止まり、その様子をじっと観察する。
 ——ガシ。
 ヴァイがバットを握り、ゆっくりと力を込める。
「おいおい……自分の主人に弓引くやつがいるかよ……殺されるゼェ?」
「ひっ……!」
 使用人は冷や汗をかきながら顔をこわばらせる。
「なんかあったか?」
 ヴァイは興味深げに聞く。
「ついにお屋敷でも『お尋ね者』か? ゲヒャヒャヒャ!」
「い、いや……」
 明らかに何かを隠している雰囲気の使用人。
(こりゃ面白そうだな……。)
 訳を聞くヴァイ。
「——そういう訳なんです。」
 使用人が説明を終えると、ヴァイはニヤリと笑った。
「おぉ〜! そいつぁビッグチャンスじゃねえか!」
 ヴァイは使用人に顔を近づけ、小声で言う。
「だがよ……正攻法じゃあ無理だぜ。」
「ですかねぇ……。」
「俺がいうのもなんだが、あの女、マジ強えからな。」
 ヴァイは腕を組みながら、エリシアの戦闘力を思い返す。
「——で、あいつはなんて言ってたんだ?」
 使用人は少し思い出すようにしてから答えた。
「えっと……『生まれてこの方、背中を地面につけたことありませんの! もし私の背中が地面につくようなことがあれば免許皆伝ですわ』って。」
 ヴァイは少し考えて——
 ——ニヤッ。
「……なるほどな。」
 何かを閃いたヴァイは、使用人を指差す。
「教えてやってもいいがヨォ……半分よこせよ……。」
「え、えええぇ……!?」
 使用人は思わず声を上げる。
「じゃ、ボーナスは無理だな。」
 ヴァイはあっさりと踵を返し、帰ろうとする。
「あ、待っ——わ、わかりました!!」
「そうこなくっちゃなぁ!」
 ——ヒソヒソ……ヒソヒソ……。
 ヴァイと使用人が密かに話し込む。
 そして、"エリシア撃破計画"が密かに動き出した——。
 ——そんなある日。
 ——コンコン。
「どうぞ。」
 現れたのは執事だった。
 エリシアはデスクで忙しそうに何かをタイピングしていた。
「なんですの?」
「非常に急で申し訳ないのですが——」
 執事は一度咳払いをし、静かに話し始める。
「うちが贔屓にしております畳の業者がですね……」
 ——執事の話はこうだ。
 近年、フローリングの洋間が主流となり、畳の和室は減少傾向にある。
 しかし、その業者は新たな戦略として、「よりモダンで、よりエレガントな和の空間」を提唱し、畳の新しい売り方を展開しようとしている。
 ——パサ。
 執事は一冊のパンフレットをエリシアの前に置いた。
 パンフレットには、縁取りのデザインが施された美しい畳や、和洋折衷のエレガントなレイアウト例が数多く載せられていた。
 エリシアは軽くそれに目を通し、無表情で言った。
「……これが私と何の関係が?」
「ええ、その……どうも業者さんの間で会議を行った結果——」
「『一番エレガントなエリシア殿』に、そのイメージキャラクターを務めていただきたいと。」
「ほう。」
 エリシアはパンフレットをゆっくりと閉じ、ニヤリと微笑んだ。
(エレガントな私に相応しい仕事……ですわね……。)
 ちなみに、この執事はお屋敷の取りまとめ役であり、同時にエリシア商事の社員でもある。
「で、今……各所からモデルに協力を要請して、イメージキャラクターの模索を行なっているようでした。」
 エリシアの動きが止まる。
「え!? 他にもモデルが!?」
「その……ようですな。」
「あのねぇ!!」
 エリシアはデスクをバンッ!と叩いて立ち上がった。
「『一番エレガントなエリシア』と言っておきながら……おま……他のモデルに声をかけるなんて……!!」
「そ、そうですな……。」
「だったらこっちから願いさげ——」
「ですので私の方から、『他のモデルに声をかけるなら、うちは一切協力しない』と伝えました。」
「……。」
「で、先方は平謝りでして……。」
「それで?」
「改めて『お願いできないでしょうか……』という話です。」
 エリシアは腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。
「……まあ、当然ですわね。」
 イメージキャラクター選びをめぐる"権力闘争"に、エリシアは確実に勝利を収めたのであった——。
 で、いろいろ話があった結果——
「早速でございますが……先方に写真をと思いまして……。」
「そうですわね! 話は早い方がいいですわ! 叩き台がないとどうしようもありませんからね!」
 ——コツコツ
 執事がエリシアを案内する。
 たどり着いたのは屋敷の一室。
 この部屋は、屋敷の建設計画の際にエリシアが——
「まあとりあえず和室も一つくらいあってもいいか」
 ——みたいなノリで作られた部屋である。
 だが、普段この部屋を使う者はほとんどおらず——
 実質、「使用人の休憩(サボリ)室」と化していた。
 ——ガチャ。
 エリシアがドアを開けると、すでに使用人たちが完全スタンバイしていた。
 どうやら、壁に立てかけた畳の前でポーズをとり、エリシアの「エレガントさ」を最大限にアピールする算段のようだ。
 三脚、一眼レフ、シャッターリモコン——撮影機材は完璧。
「エリシア様……何枚かお写真を……。」
「あ、セバス! バラのついた帽子! あれ持ってきて!」
「はい。」
 ——パシャ、パシャ、パシャパシャ!
 撮影開始。
「うーん、もうちょっとこうですわね……。足広げすぎか……目線が……なんか微妙な感じ……。」
 ——パシャ、パシャ。
「あ、エリシア様、ちょっと『もたれ掛かって』みてください。アンニュイな感じで。」
 ——パシャ、パシャパシャ!
「この流し目な感じがいいですわね〜。」
 満足そうに撮影を終え、写真をチェックするエリシア。
「撮影は以上でございます。」
 執事がきっちりと切り上げると、エリシアは満足げにその場を去っていった。
 ——後日。
 夕食の場。
 使用人たちが整然と並び、エリシアは優雅にカレーを食べていた。
 ——だが、突然。
「エリシア様!」
「なんですの!?」
 ——ガタッ!
 使用人の一人が勢いよく立ち上がる。
「この間の! 倒したらボーナスあげるっていう話、忘れてませんよね!?」
「もちろんですわ! でもあなた方もまだまだですわね〜! 私に触れることすらできないなんて!」
 エリシアは余裕たっぷりに微笑む。
 だが——
「私はあなたを倒しました!」
「は?」
 場が青ざめる。
 エリシアはスプーンで掬ったカレーのじゃがいもをポロッと落とした。
「あのねぇ〜、ギャグセンス皆無ですわね〜! もうちょっとましな——」
「いえ! 確かに私はあなたを張り倒しましたよ!」
「あのさぁ……」
 ——ピラッ。
 使用人が一枚の写真を掲げる。
 そこに写っていたのは——
 エリシアが「畳に転がっている」ように見える写真。
「は……?」
 ——ザワ……ザワ……
 周囲の使用人たちが息を呑む。
「……。」
 エリシアは写真をまじまじと見つめる。
「ちょっと待ちなさいよ……これ……。どう見ても……あなた……」
「背中、地面についてますよね?」
「……。」
「……。」
 ——ドンッ!
 エリシアがテーブルを叩いて立ち上がる!!
「ちょおおおおおっと待ったあああぁ!!」
「これは違いますわ! これは! これはポージングですの!!」
「ポージングであって負けたわけじゃありませんわ!!」
「違いますわよね!? みんな!?」
「……。」
「……。」
 使用人たちは互いに顔を見合わせる。
 ——そして。
「エリシア様……。」
「これはどう見ても「転がってる」かと……。」
「お屋敷始まって以来の敗北ですね……。」
「ボーナスですね。」
「おめでとうございます。」
「おい、シャンパン開けるか?」
「ケーキも用意しましょうか?」
 エリシアは言い返した。
「いやいや、これは畳のイメージキャラクターのための撮影ですわよ! しかもこれ立って撮影してるし——」
 しかし、使用人たちは納得しない。
「え、でもこの写真じゃあどう見たって転がってるようにしか見えませんよ!」
「あのねぇ——」
(……確かに……畳に転がってるようにしか……見えないですわねぇ……。)
「無効に決まってるでしょ! あのねぇ! こんなトンチじゃなくて 実力で私を倒しなさいよ!」
 ——沈黙。
 しかし——
「あ〜あ〜。」
「なんですの!?」
「やめようかな、使用人。」
「勝手にすれば?」
「あ、じゃあ私もやめまーす。」
「僕も。」
「この仕事、きついんすよねぇ〜。」
 ——ガタガタ、ガタ
 ——ゾロゾロ……ゾロゾロ……
 エリシアは鼻で笑う。
「やれやれ、根性がないですわねぇ……そんなんじゃあどこ行っても——」
「エリシア様、私も今日限りで。」
 ——ガタッ!
 立ち上がったのは……執事。
「ええぇ!?」
「ですのでエリシア様。」
「明日から家の掃除も、家事も、町内会のゴミステーションの掃除も、ベンツの洗車も、隣のババアのクレーム対応も…… 全部ご自身でやってくださいね〜。」
 ここぞとばかりにメイド長がトドメの一言。
「……。」
 ——プルプル……
「ぐぬぬ……。」
 ——ゾロゾロ。
 使用人たちが一斉に退場し始める。
「あーだりぃなー。 ラーメン二郎でも食いに行こうぜぇ〜。」
「そうだなぁー。」
「ちょっと待っておくんなまし!!」
 ——その瞬間、エリシアのプライドと現実がぶつかり合った。
 「た、確かに……この写真では『客観的に見て』倒れてるようにしか見えませんわね。」
 エリシアは腕を組み、しばし考え込む。
「この状態で『エリシアを倒した』と触れ回っても、信憑性がなきにしもあらず……。」
 ——コホン!
 咳払いを一つ。
「……いいでしょう。」
 使用人たちが固唾を呑む。
「特例でボーナスを進呈しますわ。」
 ——うおおおおおおおぉ!!!
 歓喜の渦に包まれる使用人たち!
「マジか!」
「でっけぇ……これはでっけぇぞ!!」
「今日焼肉いくぞ!」
「ラーメン二郎はどうする!?」
「両方だろ!!」
 そんな彼らの様子を見ながら、執事は静かに微笑み、使用人と密かにアイコンタクトを交わした——。
 エリシア、まさかの敗北。
 しかし、彼女は誇り高き貴族。
 "負けを認める美学" もまた、彼女のエレガンスの一部なのかもしれない——。