ep135 来たる

ー/ー



  【7】


 その日はやって来た。
 まだ夜明け前だった。
 おそらく、かの男がこの地に降り立った瞬間だろう。謎の声が言った。

『〔スピリトゥス〕の畝りを感知しました』

 うねり……コイツがそんな表現の仕方をしたのは初めてだった。だが違和感はない。

「来たか……」

 すでにすっかりと目覚めていた俺は、自分の中の〔魔導剣士〕の力が、マグマのようにうずくのを感じる。
 俺はすっくと立ち上がると、ゆっくりと部屋を出た。どうしてだろう。波ひとつない夜の湖のように落ち着いている。

「……」

 まるで導かれるように歩み、やがて街路の一角に立った。暁闇に包まれた街は、風もなく静寂に沈みきっている。そうして静けさの向こうから、一歩一歩、ザッ、ザッ、と跫音が近づいてくる。
 音の間隔が大きい。かの男の大きさがうかがえる。

「〔グラディウス〕」

 魔導剣を顕現させた。ほぼ無意識だった。直覚と言えばいいのか、本能と言えばいいのか。こんな感覚は初めてだ。

『クロー様』

『ああ』

 足音が止まった。ふたたび無音の静けさが訪れる。

「……この距離じゃあ、暗くて顔がよく拝めねえなぁ」

 かの男はそう溢すと、また地面を踏みならしはじめた。
 俺は進むことも退がることもせず、ただ待つ。

「こんな時間にわざわざ出迎えったぁ、ご苦労なこったな。そういうのがめんどくせえから一番誰も出てこねえ時間に戻ってきたってのによ」

 喋りながら、かの男はほんの数歩の距離まで近づいてきて、やっと止まった。黒く伸びる長髪が厚く締まった上半身にかかり、はだけた胸からタトゥーが覗いている。

「オレが誰かは、わかってんだよなぁ?」

 男は静かに荒々しい眼をギラつかせた。その自信に漲る顔は危険に雄々しく整っている。

「あんたこそ、俺が誰かはわかっているんだろ?」

 同じ言葉を返して、上背のあるその逞しい男を見上げた。黒髪に黒い服…普通ならば辺りの暗さに埋もれるはず。が、むしろ逆だ。今この場を包む天地そのものが彼であるかのような存在感。巨大で分厚い鋼鉄の壁に押し潰されるような圧倒的な圧。

『クロー様』

『……』

『クロー様』

『……』

『クロー様!』

 やるしか、ないのか。
 勝てるのか。コイツに。
 カレンも強かった。間違いなくこれまでで最強の相手だった。しかしあれは決闘だ。もちろん命を落とす危険はあったし、彼女も全力だったはずだ。それでもどこか暗黙のルールがあったように思う。
 だが今はどうだ?
 今、俺の目の前にいる男は、戦争の行方すら左右しかねない〔狂戦士〕。
 
『クロー様!!』

『なんだよ? いきなり大声出すなって』

『先ほどから何度も呼びかけていますよ? 聞こえておりませんでしたか?』

『そうだったか?』

 謎の声の様子がいつもと違う? それともいつもと違うのは俺か?

「で、やんのか?」

 男が言った。たったそれだけの言葉で、俺の体中の血という血が一気に全身を駆けめぐって暴れるように騒いだ。

(初撃から、全身全霊の一撃を……!)

 俺は剣を構えた。
 男は右の拳を胸あたりに上げた。
 始まる。かつてない死闘が!

「こんな時間に帰ってきて何をしようとしている」

 突然、背後から何者かの声が届いた。
 俺はビクッとして我に返った。

「魔剣使いクロー、お前までなにをしているんだ」

 それはアイの声だった。彼女は俺のすぐ傍まで出てくると、目配せをしてきた。

「剣をしまえ」

 俺は一瞬だけ逡巡するも、素直に従い剣をおさめた。

「よお、アイ。ずいぶん早起きだな」

 男がアイに向かって言った。
 アイはいぶかしく答える。

「この時間を選んだのもわざとだろ?」

「そんなことねえさ。一秒でも早く戻ってきてやったんだよ」

「それが本当ならばもっと早くなっていたはずだ。どうせどこかで飲んできたんだろ」

「相変わらずつれねえなぁ、アイは」

 男は薄くニヤけて頭をかいた。


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  【7】
 その日はやって来た。
 まだ夜明け前だった。
 おそらく、かの男がこの地に降り立った瞬間だろう。謎の声が言った。
『〔スピリトゥス〕の畝りを感知しました』
 うねり……コイツがそんな表現の仕方をしたのは初めてだった。だが違和感はない。
「来たか……」
 すでにすっかりと目覚めていた俺は、自分の中の〔魔導剣士〕の力が、マグマのようにうずくのを感じる。
 俺はすっくと立ち上がると、ゆっくりと部屋を出た。どうしてだろう。波ひとつない夜の湖のように落ち着いている。
「……」
 まるで導かれるように歩み、やがて街路の一角に立った。暁闇に包まれた街は、風もなく静寂に沈みきっている。そうして静けさの向こうから、一歩一歩、ザッ、ザッ、と跫音が近づいてくる。
 音の間隔が大きい。かの男の大きさがうかがえる。
「〔グラディウス〕」
 魔導剣を顕現させた。ほぼ無意識だった。直覚と言えばいいのか、本能と言えばいいのか。こんな感覚は初めてだ。
『クロー様』
『ああ』
 足音が止まった。ふたたび無音の静けさが訪れる。
「……この距離じゃあ、暗くて顔がよく拝めねえなぁ」
 かの男はそう溢すと、また地面を踏みならしはじめた。
 俺は進むことも退がることもせず、ただ待つ。
「こんな時間にわざわざ出迎えったぁ、ご苦労なこったな。そういうのがめんどくせえから一番誰も出てこねえ時間に戻ってきたってのによ」
 喋りながら、かの男はほんの数歩の距離まで近づいてきて、やっと止まった。黒く伸びる長髪が厚く締まった上半身にかかり、はだけた胸からタトゥーが覗いている。
「オレが誰かは、わかってんだよなぁ?」
 男は静かに荒々しい眼をギラつかせた。その自信に漲る顔は危険に雄々しく整っている。
「あんたこそ、俺が誰かはわかっているんだろ?」
 同じ言葉を返して、上背のあるその逞しい男を見上げた。黒髪に黒い服…普通ならば辺りの暗さに埋もれるはず。が、むしろ逆だ。今この場を包む天地そのものが彼であるかのような存在感。巨大で分厚い鋼鉄の壁に押し潰されるような圧倒的な圧。
『クロー様』
『……』
『クロー様』
『……』
『クロー様!』
 やるしか、ないのか。
 勝てるのか。コイツに。
 カレンも強かった。間違いなくこれまでで最強の相手だった。しかしあれは決闘だ。もちろん命を落とす危険はあったし、彼女も全力だったはずだ。それでもどこか暗黙のルールがあったように思う。
 だが今はどうだ?
 今、俺の目の前にいる男は、戦争の行方すら左右しかねない〔狂戦士〕。
『クロー様!!』
『なんだよ? いきなり大声出すなって』
『先ほどから何度も呼びかけていますよ? 聞こえておりませんでしたか?』
『そうだったか?』
 謎の声の様子がいつもと違う? それともいつもと違うのは俺か?
「で、やんのか?」
 男が言った。たったそれだけの言葉で、俺の体中の血という血が一気に全身を駆けめぐって暴れるように騒いだ。
(初撃から、全身全霊の一撃を……!)
 俺は剣を構えた。
 男は右の拳を胸あたりに上げた。
 始まる。かつてない死闘が!
「こんな時間に帰ってきて何をしようとしている」
 突然、背後から何者かの声が届いた。
 俺はビクッとして我に返った。
「魔剣使いクロー、お前までなにをしているんだ」
 それはアイの声だった。彼女は俺のすぐ傍まで出てくると、目配せをしてきた。
「剣をしまえ」
 俺は一瞬だけ逡巡するも、素直に従い剣をおさめた。
「よお、アイ。ずいぶん早起きだな」
 男がアイに向かって言った。
 アイはいぶかしく答える。
「この時間を選んだのもわざとだろ?」
「そんなことねえさ。一秒でも早く戻ってきてやったんだよ」
「それが本当ならばもっと早くなっていたはずだ。どうせどこかで飲んできたんだろ」
「相変わらずつれねえなぁ、アイは」
 男は薄くニヤけて頭をかいた。