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ー/ー







 ──それから二週間ほどが経ったある日のこと。
 いつものように畑仕事の休憩中に岩陰で休んでいると、そこへひょっこりと顔を出した武ちゃん。


「敏ちゃん、お疲れ様。今日も暑うてたまらんね」


 暑さのせいか少しばかり紅潮した頬でニッコリと微笑むと、そう告げた武ちゃんは俺のすぐ隣に腰を下ろした。


「ほんと暑うてたまらんよね……。武ちゃん、今日ん畑仕事は? もう終わったと?」


 言いながら首から下げた手拭いで額の汗を拭うと、冷たい水の入った竹筒を武ちゃんの目の前に差し出す。それを受け取った武ちゃんは、「ありがとう」と告げるとゴクゴクと勢いよく喉の奥へと水を流し込む。この暑さだ。よほど喉が乾いていたのだろう。
 数秒ほど黙ってその様子を眺めていると、ようやく満足したのか、武ちゃんは片手で拭った口元からプハッと息を吐き出した。
 

「うちは収穫は先週で終わっちょるけね。今日は枯葉や残った根の処理だけやったけ、午後は遊んできていいって」

「そっか。俺もあと少しで終わるけ、終わったら一緒に遊ぼうや」

「うん。……あ、そうや。さっき清ちゃんに会うたんやけど、今日は忙しゅうて遊べんって言いよったばい」

「あー……そういやあ、ヤギのお産ん近かって言いよったわ」

「そうなんや? じゃあ生まれるまでは無理そうやなぁ」

「うん、そうやな」

「じゃあ、暫くは二人やな……」

「……そうやなぁ」

「…………」

「…………。ねえ……、タッちゃんは?」


 最近めっきりと見かけなくなったタッちゃんの名を口にすると、一瞬ひりついた空気がその場に流れる。
 あの日あの山で祠を見つけた日から、徐々に様子がおかしくなっていったタッちゃん。いつもなら元気に外で遊んでいるはずなのに、最近では家に引きこもっているのか、滅多にその姿を見かけることもなくなってしまった。


(最後に会うたのはいつやったっけ……?)


 そんなことを考えながら、鬼の面をつけたタッちゃんの姿を思い浮かべる。

 特に何かがあったというわけではない。ただ、あの日あの山で見つけた鬼の面を持ち帰ったタッちゃんは、その面をとても気に入ったのか、下山してからもよく面を被っていることが多くなった。
 その様子は村の人々から薄気味悪がられ、俺の目から見ても少し異様だった。

 もしかして、あの祠で何かに祟られてしまったのでは──? そうは思ったものの、あの山に無断で入ったことを(とが)められるのを恐れ、周りの大人達には誰にも相談することができなかった。
 もしかしたら兄なら何か知っているかもと、三つ年の離れた兄にそれとなく聞いてみると、随分とあやふやな内容しか返ってこなかった。


『──やけな、あん山で鬼ば殺して村を守ったんや』

『あん山に鬼ば住んどったと?』

『そうや』

『一人で?』

『そうや』

『突然現れたと? そもそも、どっから来たと?』

『そがんこと知らん。鬼は突然現るっとばい、やけ怖いんやろ?』

『…………また鬼ば来るやろうか?』

『そりゃ分からんばい。もしかしたら来っかもしれんし、来んかもしれん。あん山に近付かんば大丈夫ばい、きっと』


 俺は兄に聞いたことを後悔した。ぼんやりとしたその内容では、逆に余計な不安を募らせるだけだったのだ。
 どうやら兄は祠の存在など全く知らないようで、そんな兄に鬼の面の事など聞けるはずもなかった。兄の話からわかったことといえば、かつて村に鬼が出た時、あの山で追い詰めた鬼を殺したことから、今では“鬼狩り山”と呼ばれていると。そんな山の名の由来くらいだった。


「タッちゃんは……っ、最近なんか変ばい」


 小さな声でポツリとそう告げた武ちゃんの声は、あまりに弱々しくて蝉の鳴き声にかき消されてしまいそうな程だった。


「確かにあんお面ば最初に見た時カッコイイて思うたけど……。だけんって、あげん毎日かぶちよるなんて不気味ばい」

「…………。やっぱり……祟りなんやろうか?」

「……そうかもしれんばい」


 蒸し暑さで大量の汗を吸収した着物はべっとりと張り付き、執拗に肌に(まと)わり付くその感触は随分と着心地が悪かった。
 俺は張り付いた着物の裾をギュッと上に引き上げると、あの日あの山に行ったことを後悔した。







「……あっ! ねえ見て、あれタッちゃんじゃなか?」


 不意に立ち止まった武ちゃんを振り返ると、すぐ横に戻って武ちゃんの指差す方角を覗いてみる。するとそこにいたのはやはりタッちゃんらしき人物で、他人(ひと)の家の敷地内で何やら漁っているようだった。


「タッちゃん……?」


 思わず漏れ出た俺の声に反応してピタリと動きを止めると、ゆっくりとこちらを振り返ったタッちゃん。その顔は鬼の面で覆われ、異質な雰囲気を放っている。


「……なん、しよーと?」


 恐る恐るそう声を掛けながら視線を下へと移してみると、その手には締め殺された鶏を抱えている。

 ──タッちゃんが殺したのだ。

 そう理解した次の瞬間、全身の毛穴から一気に大量の汗が吹き出すのを感じた。


(今目の前におるんは、ほんとにあのタッちゃんなんやろうか……?)


 生まれてから十二年間共に過ごしてきた友人として、どうにも目の前の光景が信じられなかった。
 例え家畜とはいえ、決して動物を傷つけることのなかったタッちゃん。普段はあんなに豪胆なくせに、人や動物を傷つけることを極端に嫌っていた。そんな心優しい少年なのだ。

 にじりと一歩前へと踏み出したタッちゃんを見て、あまりの恐怖からヒュッと乾いた空気が口から溢れ出る。


「こ……っ、こっちに来るな!」


 意外にも、そんな声を張り上げたのは武ちゃんの方だった。
 カタカタと全身を小さく振るわせながらも、必死に威嚇して見せる武ちゃん。その姿を前に一体何を思ったのか、その場で足を止めたタッちゃんはただ静かにこちらを見つめ返した。

 ほんの数秒の(のち)、その沈黙を破ったのは武ちゃんの声だった。


「敏ちゃん、早う逃げよ!」


 そう告げるなり、俺の手を取った武ちゃんは「祟りや……!」と叫びながら一目散に走ってゆく。当然ながらその手に掴まれている俺は、武ちゃんと一緒にその場を強制的に走り去ることになる。
 けれど、今はそれが有り難かった。恐怖で固まってしまった俺は、あの場から一歩も動くことができなかったのだ。


「武ちゃ……ありが、とう……っ」


 息も絶え絶えにそう告げれば、ようやく足を止めた武ちゃんがこちらを振り返った。


「やっぱり……、祟りなんや。おかしかったやろ? ……あげなん、タッちゃんじゃなか!」


 ついには涙声になって声を荒らげた武ちゃんは、鼻を(すす)ると両目をゴシゴシと雑に擦った。


「どうすりゃあいいんやろ……」

「タッちゃんには近付かんことばい」

「でも……タッちゃんはどげんするん!?」

「子供ん僕達にはどがんすっこともできんばい……大人に任せようや!」

「あん山に入ったこと言うと!? 怒られてまうやん!」

「そがんこと言いよー場合じゃないやろ!」

「……っ、……」

「…………っ」


 互いにぜぇぜぇと肩で息をすると、呼吸を整えてからもう一度お互いを見合う。


「……ごめん、武ちゃんの言う通りやわ」

「僕こそごめんね。言い過ぎたばい」


 今ここで二人で争っていても意味は無いのだ。とにかくこの事態を大人達に話さなければならない。そして、一刻も早く祟りに対処してもらうべきなのだ。
 そう考えた俺達は、お互いの両親にあの山での出来事と今日見たことを話すと約束した。けれど、その日の帰り道は酷く憂鬱で、まるで沼地に足を取られているかのように重い足取りだった。

 



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 ──それから二週間ほどが経ったある日のこと。
 いつものように畑仕事の休憩中に岩陰で休んでいると、そこへひょっこりと顔を出した武ちゃん。
「敏ちゃん、お疲れ様。今日も暑うてたまらんね」
 暑さのせいか少しばかり紅潮した頬でニッコリと微笑むと、そう告げた武ちゃんは俺のすぐ隣に腰を下ろした。
「ほんと暑うてたまらんよね……。武ちゃん、今日ん畑仕事は? もう終わったと?」
 言いながら首から下げた手拭いで額の汗を拭うと、冷たい水の入った竹筒を武ちゃんの目の前に差し出す。それを受け取った武ちゃんは、「ありがとう」と告げるとゴクゴクと勢いよく喉の奥へと水を流し込む。この暑さだ。よほど喉が乾いていたのだろう。
 数秒ほど黙ってその様子を眺めていると、ようやく満足したのか、武ちゃんは片手で拭った口元からプハッと息を吐き出した。
「うちは収穫は先週で終わっちょるけね。今日は枯葉や残った根の処理だけやったけ、午後は遊んできていいって」
「そっか。俺もあと少しで終わるけ、終わったら一緒に遊ぼうや」
「うん。……あ、そうや。さっき清ちゃんに会うたんやけど、今日は忙しゅうて遊べんって言いよったばい」
「あー……そういやあ、ヤギのお産ん近かって言いよったわ」
「そうなんや? じゃあ生まれるまでは無理そうやなぁ」
「うん、そうやな」
「じゃあ、暫くは二人やな……」
「……そうやなぁ」
「…………」
「…………。ねえ……、タッちゃんは?」
 最近めっきりと見かけなくなったタッちゃんの名を口にすると、一瞬ひりついた空気がその場に流れる。
 あの日あの山で祠を見つけた日から、徐々に様子がおかしくなっていったタッちゃん。いつもなら元気に外で遊んでいるはずなのに、最近では家に引きこもっているのか、滅多にその姿を見かけることもなくなってしまった。
(最後に会うたのはいつやったっけ……?)
 そんなことを考えながら、鬼の面をつけたタッちゃんの姿を思い浮かべる。
 特に何かがあったというわけではない。ただ、あの日あの山で見つけた鬼の面を持ち帰ったタッちゃんは、その面をとても気に入ったのか、下山してからもよく面を被っていることが多くなった。
 その様子は村の人々から薄気味悪がられ、俺の目から見ても少し異様だった。
 もしかして、あの祠で何かに祟られてしまったのでは──? そうは思ったものの、あの山に無断で入ったことを|咎《とが》められるのを恐れ、周りの大人達には誰にも相談することができなかった。
 もしかしたら兄なら何か知っているかもと、三つ年の離れた兄にそれとなく聞いてみると、随分とあやふやな内容しか返ってこなかった。
『──やけな、あん山で鬼ば殺して村を守ったんや』
『あん山に鬼ば住んどったと?』
『そうや』
『一人で?』
『そうや』
『突然現れたと? そもそも、どっから来たと?』
『そがんこと知らん。鬼は突然現るっとばい、やけ怖いんやろ?』
『…………また鬼ば来るやろうか?』
『そりゃ分からんばい。もしかしたら来っかもしれんし、来んかもしれん。あん山に近付かんば大丈夫ばい、きっと』
 俺は兄に聞いたことを後悔した。ぼんやりとしたその内容では、逆に余計な不安を募らせるだけだったのだ。
 どうやら兄は祠の存在など全く知らないようで、そんな兄に鬼の面の事など聞けるはずもなかった。兄の話からわかったことといえば、かつて村に鬼が出た時、あの山で追い詰めた鬼を殺したことから、今では“鬼狩り山”と呼ばれていると。そんな山の名の由来くらいだった。
「タッちゃんは……っ、最近なんか変ばい」
 小さな声でポツリとそう告げた武ちゃんの声は、あまりに弱々しくて蝉の鳴き声にかき消されてしまいそうな程だった。
「確かにあんお面ば最初に見た時カッコイイて思うたけど……。だけんって、あげん毎日かぶちよるなんて不気味ばい」
「…………。やっぱり……祟りなんやろうか?」
「……そうかもしれんばい」
 蒸し暑さで大量の汗を吸収した着物はべっとりと張り付き、執拗に肌に|纏《まと》わり付くその感触は随分と着心地が悪かった。
 俺は張り付いた着物の裾をギュッと上に引き上げると、あの日あの山に行ったことを後悔した。
「……あっ! ねえ見て、あれタッちゃんじゃなか?」
 不意に立ち止まった武ちゃんを振り返ると、すぐ横に戻って武ちゃんの指差す方角を覗いてみる。するとそこにいたのはやはりタッちゃんらしき人物で、|他人《ひと》の家の敷地内で何やら漁っているようだった。
「タッちゃん……?」
 思わず漏れ出た俺の声に反応してピタリと動きを止めると、ゆっくりとこちらを振り返ったタッちゃん。その顔は鬼の面で覆われ、異質な雰囲気を放っている。
「……なん、しよーと?」
 恐る恐るそう声を掛けながら視線を下へと移してみると、その手には締め殺された鶏を抱えている。
 ──タッちゃんが殺したのだ。
 そう理解した次の瞬間、全身の毛穴から一気に大量の汗が吹き出すのを感じた。
(今目の前におるんは、ほんとにあのタッちゃんなんやろうか……?)
 生まれてから十二年間共に過ごしてきた友人として、どうにも目の前の光景が信じられなかった。
 例え家畜とはいえ、決して動物を傷つけることのなかったタッちゃん。普段はあんなに豪胆なくせに、人や動物を傷つけることを極端に嫌っていた。そんな心優しい少年なのだ。
 にじりと一歩前へと踏み出したタッちゃんを見て、あまりの恐怖からヒュッと乾いた空気が口から溢れ出る。
「こ……っ、こっちに来るな!」
 意外にも、そんな声を張り上げたのは武ちゃんの方だった。
 カタカタと全身を小さく振るわせながらも、必死に威嚇して見せる武ちゃん。その姿を前に一体何を思ったのか、その場で足を止めたタッちゃんはただ静かにこちらを見つめ返した。
 ほんの数秒の|後《のち》、その沈黙を破ったのは武ちゃんの声だった。
「敏ちゃん、早う逃げよ!」
 そう告げるなり、俺の手を取った武ちゃんは「祟りや……!」と叫びながら一目散に走ってゆく。当然ながらその手に掴まれている俺は、武ちゃんと一緒にその場を強制的に走り去ることになる。
 けれど、今はそれが有り難かった。恐怖で固まってしまった俺は、あの場から一歩も動くことができなかったのだ。
「武ちゃ……ありが、とう……っ」
 息も絶え絶えにそう告げれば、ようやく足を止めた武ちゃんがこちらを振り返った。
「やっぱり……、祟りなんや。おかしかったやろ? ……あげなん、タッちゃんじゃなか!」
 ついには涙声になって声を荒らげた武ちゃんは、鼻を|啜《すす》ると両目をゴシゴシと雑に擦った。
「どうすりゃあいいんやろ……」
「タッちゃんには近付かんことばい」
「でも……タッちゃんはどげんするん!?」
「子供ん僕達にはどがんすっこともできんばい……大人に任せようや!」
「あん山に入ったこと言うと!? 怒られてまうやん!」
「そがんこと言いよー場合じゃないやろ!」
「……っ、……」
「…………っ」
 互いにぜぇぜぇと肩で息をすると、呼吸を整えてからもう一度お互いを見合う。
「……ごめん、武ちゃんの言う通りやわ」
「僕こそごめんね。言い過ぎたばい」
 今ここで二人で争っていても意味は無いのだ。とにかくこの事態を大人達に話さなければならない。そして、一刻も早く祟りに対処してもらうべきなのだ。
 そう考えた俺達は、お互いの両親にあの山での出来事と今日見たことを話すと約束した。けれど、その日の帰り道は酷く憂鬱で、まるで沼地に足を取られているかのように重い足取りだった。