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第35話_証明

ー/ー



きさらぎの気配が、通路の奥へ溶けるように消えていく。
紅白の着物の残像が闇に紛れ、長い黒髪の影もゆらりと揺れながら遠ざかっていった。
やがて、あの独特の足音さえ聞こえなくなる。

張り詰めていた空気が、ようやくゆっくりと弛んでいく。
だが――完全に静かになったわけではない。

燈の荒い呼吸だけが、まだその場に残っていた。

「……っ、は……」

喉の奥が焼けるように痛い。
肺に空気が入るたび、ひりつくような感覚が広がる。

震える指で首元を押さえると、まだ指の跡が残っていた。
指先がそこに触れるたび、ついさっきの恐怖が鮮明に蘇る。

つきのみやはその様子を横目で確認しながら、しばらく黙って立っていた。
腕はだらりと下ろしているが、拳はまだわずかに強張っている。
怒りの余熱が、身体の奥に残っているのが見て取れた。

その時――

白い羽が、ふわりと揺れた。

「随分と……派手に吹っ飛ばしましたね」

ひつかが、静かに口を開いた。
その声は穏やかで、責める響きはない。
むしろどこか感心したような、淡い驚きを含んでいる。

つきのみやは鼻で息を吐く。

「手加減したつもりだ」

わずかに拳を開き、指を動かす。

「本気なら……あの程度じゃ済まん」
淡々とした口調だったが、その奥にはまだ消えきらない怒りが潜んでいた。

ひつかはその横顔をしばらく見つめる。
碧色の瞳が、つきのみやの表情の奥を静かに探る。

そして、ゆっくり問いかけた。

「……つきのみや様」

碧色の瞳が、まっすぐ向く。

「本気なのですか?」

わずかな沈黙が落ちる。
ひつかの白い羽が、静かに揺れた。

「この子に、駅を継がせると」

つきのみやは答える前に、ほんの一瞬だけ燈を見る。

「……ああ、本気だ」
短く答えた。

その声は低く、揺らぎがなかった。

燈の胸が、また小さく跳ねる。

ひつかは小さく瞬きをする。
そして、わずかに頬を緩めた。

「そうですか……」
柔らかな声で続ける。

「なんだか、あなたらしいですね」

それだけ言うと、今度はゆっくり燈の前へ歩み寄る。

白いキトンの裾が、さらりと床をなぞる。
羽がわずかに揺れるたび、空気が静かに動いた。

燈は思わず背筋を伸ばす。

自然と姿勢が正される。
目の前の存在が、どこか神聖なもののように感じられたからだ。

ひつかは燈の前で立ち止まり、視線を合わせる。
碧色の瞳は、一切の濁りなく、どこまでも澄んでいた。

その視線には威圧はない。
だが、不思議と目を逸らせない。

「初めまして」
静かな声。

「私はひつか……つきのみや様と同じく、駅の管理人です」

白い羽がわずかに揺れ、小さく会釈する。

「あなたのお名前は?」

突然の問いに、燈の肩がびくりと動く。

「あ、えと……」
慌てて姿勢を整えながら答える。

「燈……月宮燈です」
声はまだ少しかすれていた。

ひつかは柔らかく頷く。

「そう、燈」
わずかに微笑む。

「とても綺麗なお名前ですね」

その言葉に、燈の胸の奥が少しだけ温かくなる。

そしてひつかは、改めて燈を見る。

「それでは燈」
静かに続ける。

「先ほどの話、聞こえていましたね」

燈は小さく頷く。
「……は、はい」

ひつかはその様子をじっと観察する。

恐怖。
混乱。
迷い。

そのすべてが、まだ顔に残っている。

「驚いたでしょう」

燈は思わず視線を落とす。
「……はい」

正直な答えだった。

ひつかはわずかに微笑む。

「当然です」

そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「管理人とは……冥府の秩序を預かる存在」

「魂の行き先を定め、この世界の均衡を保つ者」

碧色の瞳が、まっすぐ燈を見つめる。

「その後継者という言葉が、どれほど重いものか」

燈の胸が、じんわりと重くなる。

ひつかは静かに続ける。

「まだ、あなたには実感がないでしょう」

燈は小さく息を呑む。
図星だった。

ひつかは少しだけ声を落とした。

「そして、これから会合であなたは試されることとなります」

白い羽が静かに揺れる。

「管理人の器として、相応しい存在であるか」

燈の指先が、無意識に震える。

ひつかは最後に、静かに言う。

「証明なさい」
その声は穏やかだが、重い。

「あなたが、ここに立つ資格を持つ者だということを」

そして一歩、後ろへ下がる。
その視線の奥には、ほんのわずかな期待が宿っていた。

通路には再び静寂が戻る。
遠くで、駅の風が微かに鳴っている。

だが燈の胸の中では――
何かが、確かに動き始めていた。


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きさらぎの気配が、通路の奥へ溶けるように消えていく。
紅白の着物の残像が闇に紛れ、長い黒髪の影もゆらりと揺れながら遠ざかっていった。
やがて、あの独特の足音さえ聞こえなくなる。
張り詰めていた空気が、ようやくゆっくりと弛んでいく。
だが――完全に静かになったわけではない。
燈の荒い呼吸だけが、まだその場に残っていた。
「……っ、は……」
喉の奥が焼けるように痛い。
肺に空気が入るたび、ひりつくような感覚が広がる。
震える指で首元を押さえると、まだ指の跡が残っていた。
指先がそこに触れるたび、ついさっきの恐怖が鮮明に蘇る。
つきのみやはその様子を横目で確認しながら、しばらく黙って立っていた。
腕はだらりと下ろしているが、拳はまだわずかに強張っている。
怒りの余熱が、身体の奥に残っているのが見て取れた。
その時――
白い羽が、ふわりと揺れた。
「随分と……派手に吹っ飛ばしましたね」
ひつかが、静かに口を開いた。
その声は穏やかで、責める響きはない。
むしろどこか感心したような、淡い驚きを含んでいる。
つきのみやは鼻で息を吐く。
「手加減したつもりだ」
わずかに拳を開き、指を動かす。
「本気なら……あの程度じゃ済まん」
淡々とした口調だったが、その奥にはまだ消えきらない怒りが潜んでいた。
ひつかはその横顔をしばらく見つめる。
碧色の瞳が、つきのみやの表情の奥を静かに探る。
そして、ゆっくり問いかけた。
「……つきのみや様」
碧色の瞳が、まっすぐ向く。
「本気なのですか?」
わずかな沈黙が落ちる。
ひつかの白い羽が、静かに揺れた。
「この子に、駅を継がせると」
つきのみやは答える前に、ほんの一瞬だけ燈を見る。
「……ああ、本気だ」
短く答えた。
その声は低く、揺らぎがなかった。
燈の胸が、また小さく跳ねる。
ひつかは小さく瞬きをする。
そして、わずかに頬を緩めた。
「そうですか……」
柔らかな声で続ける。
「なんだか、あなたらしいですね」
それだけ言うと、今度はゆっくり燈の前へ歩み寄る。
白いキトンの裾が、さらりと床をなぞる。
羽がわずかに揺れるたび、空気が静かに動いた。
燈は思わず背筋を伸ばす。
自然と姿勢が正される。
目の前の存在が、どこか神聖なもののように感じられたからだ。
ひつかは燈の前で立ち止まり、視線を合わせる。
碧色の瞳は、一切の濁りなく、どこまでも澄んでいた。
その視線には威圧はない。
だが、不思議と目を逸らせない。
「初めまして」
静かな声。
「私はひつか……つきのみや様と同じく、駅の管理人です」
白い羽がわずかに揺れ、小さく会釈する。
「あなたのお名前は?」
突然の問いに、燈の肩がびくりと動く。
「あ、えと……」
慌てて姿勢を整えながら答える。
「燈……月宮燈です」
声はまだ少しかすれていた。
ひつかは柔らかく頷く。
「そう、燈」
わずかに微笑む。
「とても綺麗なお名前ですね」
その言葉に、燈の胸の奥が少しだけ温かくなる。
そしてひつかは、改めて燈を見る。
「それでは燈」
静かに続ける。
「先ほどの話、聞こえていましたね」
燈は小さく頷く。
「……は、はい」
ひつかはその様子をじっと観察する。
恐怖。
混乱。
迷い。
そのすべてが、まだ顔に残っている。
「驚いたでしょう」
燈は思わず視線を落とす。
「……はい」
正直な答えだった。
ひつかはわずかに微笑む。
「当然です」
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「管理人とは……冥府の秩序を預かる存在」
「魂の行き先を定め、この世界の均衡を保つ者」
碧色の瞳が、まっすぐ燈を見つめる。
「その後継者という言葉が、どれほど重いものか」
燈の胸が、じんわりと重くなる。
ひつかは静かに続ける。
「まだ、あなたには実感がないでしょう」
燈は小さく息を呑む。
図星だった。
ひつかは少しだけ声を落とした。
「そして、これから会合であなたは試されることとなります」
白い羽が静かに揺れる。
「管理人の器として、相応しい存在であるか」
燈の指先が、無意識に震える。
ひつかは最後に、静かに言う。
「証明なさい」
その声は穏やかだが、重い。
「あなたが、ここに立つ資格を持つ者だということを」
そして一歩、後ろへ下がる。
その視線の奥には、ほんのわずかな期待が宿っていた。
通路には再び静寂が戻る。
遠くで、駅の風が微かに鳴っている。
だが燈の胸の中では――
何かが、確かに動き始めていた。