13.迷惑です
ー/ー「み……」
しかしもう時は遅い。さっきまで翠が座っていた場所は、ぽっかりと穴が空いているかのように見えた。朱音はゆっくりとベッドまで歩いて、そこへどさりと倒れこんだ。翠とけんかするのは、さしてめずらしいことではない。
『朱音はさ、恥ずかしいと思ってるんでしょ、私のこと』
恥ずかしい? なにが? と、そう知らぬ顔で堂々と聞けたならよかった。
彼氏、などという単語が初めに出たのは、朱音が翠と一緒にいるようになってすぐだった。
彼氏、などという単語が初めに出たのは、朱音が翠と一緒にいるようになってすぐだった。
『最近、ずっと一緒にいるよね』
『なんか付き合ってるみたいだよね』
『なんか付き合ってるみたいだよね』
発端は、だれかがなにげなく言ったひとことだ。
『蒼汰と別れて朱音と付き合ってるの?』
『シュミ急に変わりすぎ』
『シュミ急に変わりすぎ』
あきらかにその場だけの暇つぶしの冗談で、朱音も笑って流そうとした、そのときだった。
『だったらなに』
冗談が通じていないのか、翠は教室の椅子に座ったままの状態で、絡んできた彼女たちをにらみあげていた。いかにも不機嫌そうだ。彼女はそんな翠にやや怯みつつも「いや」と続ける。
『どっちが彼氏なのかなあと思ってさ』
『そりゃ翠でしょ』
『そりゃ翠でしょ』
彼女らが笑い出すと、翠は荒々しく音を立てて席を立った。
『ばからしい……。朱音、帰ろう』
コートとランドセルをひっつかんで教室を飛び出す翠を、朱音は慌てて追う。
『翠っ』
早足で生徒玄関の方に向かう背中に呼びかけるも彼女はかまわず進んでいく。翠の足が止まったのは、ふたりが玄関にたどり着いてからだった。
『あ……』
玄関でようやく足を止めた翠は、外の景色を見ながらぼう然と立ちつくしていた。
『傘、教室に忘れてきた……』
翠が見つめる先では、雪がしんしんと降り続け、地面に白を積み重ねている。勢いよく飛び出してきてさすがに今から取りに戻るわけにもいかないと思ったのか途方に暮れたように言う彼女がおかしくて、朱音が思わず噴き出すと、翠はじろりとこちらをにらんだ。なにか毒づいてくるかと思ったが、彼女はそのまま無言でランドセルを床に下ろして腕に抱えたままだったコートを羽織った。
『取りに戻んないの?』
朱音も同じようにランドセルを下ろしてコートを羽織りながら聞けば、いい、と短い答えが返ってくる。
『雪だし…… 明日もどうせ雪でしょ』
ランドセルを背負いながら翠は言うと、ちらと朱音に視線をよこした。待っていてくれるつもりらしい。初めは素っ気なかった彼女がそんなそぶりを見せてくれたのが嬉しくて小走りで駆け寄ると同時に翠の口が開く。
『わかんないんだよ、ああいうひとたちには。ああいうひとたちは自分の周りが世界のすべてだと思っているし、実際そうなんだろうし、自分と違うひとがいるとはまさか思ってないんだよ。だからああいう、人が傷つくことが平気で言える』
玄関前の階段が、雪に埋め尽くされてほとんど坂になっていた。一部は雪かきがされて、かろうじて階段の形を保ってはいるが、水分を含んでいる雪のせいで滑りやすくなっている。翠はショートブーツの底で探るように足をつけ、慎重に歩を進めた。
『わかってもらえないなら、やっぱり説明してわかってもらうしか、ないと思うけど。…… 翠だって、傷ついたなら傷ついたって言わないとわかってもらえるものもわかってもらえないんじゃないの』
翠は返事をしない。彼女のショートブーツの底が、雪のなかに沈んでは跡をつけていく。
『…… 朱音はすごいね』
そう言って先を行く翠の背中が、やけにちいさく見えたのを覚えている。
そう言って先を行く翠の背中が、やけにちいさく見えたのを覚えている。
朱音は枕に顔を埋めたまま、枕をぎゅうとにぎりしめた。いつから出ているのか、熱を持った液体が顔の皮膚を伝っていくのがわかる。朱音は外に出そうになった鼻水をすすりながら、なにかをこらえるように枕のなかでうー、とうめいた。
数日後に迫った定期試験に向けて休み時間を費やしている紫の前の席に、だれかが座った。前の席の主かと思ったが、こちらへ半身を向けた彼の姿にすぐさまそうでないとわかる。
「筒井さん、空からなにか連絡あった?」
黒田はいかにも彼が心配であるという顔で、そう切り出した。
「…… どうして私に聞くの」
「だって筒井さん、空と仲良いみたいだから」
「べつに仲良くはない」
「だって筒井さん、空と仲良いみたいだから」
「べつに仲良くはない」
紫はあんたとは絶対に会話したくない、とでも言うように、というか、それが伝わりますようにと願いつつ、教科書から顔を上げずに言った。黒田は紫の返答に首をかしげ、それから「ああ」となにか察したような声を上げた。
「けんかしたって聞いたよ」
紫は手にした鉛筆をへし折りたい気分だった。
「ほかの人には関係ないけどね」
さっさとどこかへ消えてくれ、という気持ちを込めて言うとようやく伝わったのか、黒田はごめんと謝罪した。
「でも、あの……」
黒田は数度、なにか言いかけてやめるのを繰り返してから、意を決したように口を開く。
「筒井さんの妹、翠ってさ、…… 好きな人とかいんのかな」
「…… 話す相手を間違ってる」
「…… 話す相手を間違ってる」
恋愛の話をしたいなら紫は興味がないうえにもっとほかに適任者がいるし、妹のそんな話など詳しくはないのでそれもまた間違っている。紫は時計を一瞥すると、教科書類を持って席を立った。次の時間は数学で、数学は少人数での授業がされている。成績の良し悪しではなく、単に名簿順に分けられているだけなので、当然のように黒田もついてくる。黒田とは同じ教室だ。
「ごめん、でもどうしても聞きたくて」
「だから、私じゃ――」
「翠、俺と同じ人が好きなんじゃないかって……」
「だから、私じゃ――」
「翠、俺と同じ人が好きなんじゃないかって……」
内に押し込めるような小声で、突然放たれた言葉はしかし、紫の足を止めるには十分の効力を持っていた。
つまり、どういうことだ?
黒田とうちの妹―― 翠の好きな人が同じ、ということはつまり、どちらかが同性を好きだということにならないか。
つまり、どういうことだ?
黒田とうちの妹―― 翠の好きな人が同じ、ということはつまり、どちらかが同性を好きだということにならないか。
「…… どういうこと?」
軽い混乱状態に陥って問いかけると、返ってきた答えは思いがけないものだった。
翠とけんかをして、今日で二日になる。定期試験も迫っているせいか、部活動も停止中で、翠だけじゃなくほとんどの生徒たちが授業を終えるとすぐに下校する。教室でしばらくクラスメイトたちと話していた朱音は、放課から数十分後に門を出た。
「あっ……」
中学校の敷地を覆う石垣にもたれていた姿が、朱音が門から出てくるのを見つけると石垣が背を離した。
「―― た…… 田島さん、あの……」
「翠ならもうとっくに帰ったと思いますけど」
「翠ならもうとっくに帰ったと思いますけど」
朱音は自分に声をかけてきた人間が今度のけんかの原因だとわかると、素っ気なく言って通り過ぎようとした。
「君に用なんだ」
来た。朱音は思わず足を止める。
「このまえ、玄関ではじめて見たときからその、いいなと思って――」
「迷惑です」
「迷惑です」
彼に最後まで言わせることなく、朱音は言い切った。
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