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11.いやな予感

ー/ー



 もしそうだとすれば、自分はどうすればいいのだろうか。
 空と同じクラスになったのは、小学校三年生のときだった。その時はまだ同じ班になったことも、隣の席になったことだってなくて、ほとんど関わりと呼ぶほどのものはなかった。初めてまともに会話をしたのは四年生になってからで、クラブ活動のときだった。たまたま隣同士の席に座って、それぞれ持ち寄った漫画や本から模写したい場面を選んでいるとき、空が声をかけてきた。

『それ、俺も知ってる』

 会話のきっかけはそんなふうだった。ひどくありふれたものにも思えたし、ほかにはない、唯一無二のもののようにも思えた。ともかくそんなふうにして空と話すようになった紫だったが、共通点といえば最初のあの漫画くらいのものだった。好きな食べ物も、趣味も、得意科目も、なにもかもが違っていて、それがかえってお互いを引き寄せているようだと、紫は感じていた。

『…… ジャニーズ?』

 なにげなく口に出された言葉を、紫は繰り返した。
 当時、クラスの半数くらいの女子が夢中になって騒いでいたグループがある。紫はというと、自分の陰口をたたいたりしていた女子たちがそのグループを好きだと言っていたことが大きくはたらいて、あまり好きにはなれなかった。

『が、好きなの?』

 たずねると、空はうん、とうなずき「変だよね」と続けた。

『妹が、俺とは逆にAKBとか女のアイドルが好きみたいなんだよね。それで親父におまえら普通逆だろとか言われてさ』
『…… ジャニーズの逆ってAKBなの?』
『え、そこ?』

 ぽつりと紫がこぼした疑問に空が思わず突っ込む。

『私どっちも好きじゃないし詳しくないから、よくわかんないな……。自分が好きで楽しいなら、べつになんでも良いんじゃない。だれにも迷惑かけなければ』

 紫が言うと、空はなんとも言えないような表情に、わずかに笑みをのせた。

『紫、実を言うとこの話題にあんまり興味ないでしょ』
『うん』

 たちまち、空は笑い出した。

『俺、紫のそういうところがすごく好きだなあ!』

 突然声を上げて笑い出したうえに意味のわからないことを言われて、紫はつい「はあ?」と言って眉を寄せた。そんな彼女の反応をよそに、空は紫に対して微笑みを浮かべたまま

『紫とずっと友達でいられたらなあ……』

とつぶやいた。

(私はあのとき、本当はひどく傷ついていたのかもしれない)



「これ、おまえ?」

 体育の授業を終えて教室に戻ると、ひとりの男子が空に向けてスマートフォンをかかげていた。スマートフォンや携帯電話、音楽プレイヤーなどは校内に持ち込みを禁止されているはずだが、こっそり持ってきている生徒は何人かいる。特にこの彼は、買ってもらったばかりのスマートフォンを教師に隠れて持ち込んでいるのを、紫は何度も目撃していた。紫だけでなく、クラスのほとんどの人間はこのことを知っているだろう。

 彼がかかげているスマートフォンの画面上には、あるSNSのアカウントが表示されている。あのアカウントだ。紫は体の内側がさあっと冷えていくのを感じた。
 空は呆然とそこを見つめたあと、紫の方をぱっと振り向いた。紫が口を開くより先に、空は紫をにらみつけてくる。

「待って、ちが――」

 弁明する暇はなかった。紫の声を聞かないまま、空は教室を飛び出していた。

「空!」

 紫が柄にもない大声を出すが、空は止まってくれない。

「空っ!」

 廊下を突き進んでいく背中にもう一度大きな声で強く呼びかけると、彼は勢いよくふりむいた。

「紫だから、紫だから言ったのに!」

 その鬼気迫る形相に、紫は言葉をつまらせた。なにも言い返せない。
 結局あのあと、空は具合が悪いと言って早退したと、後の授業で担任に知らされた。
 どうしよう、のひとことが頭のなかでぐるぐると渦巻いて、紫はそのあとの授業には集中できなかった。午後の授業もたぶん集中できないだろう。試験前なのに、と思いつつ女子トイレのドアに手をかけると、中から声が聞こえてきた。

「あたし思うんだけどー、空さあ、さっきのが本当だとしたら、紫のことカモフラージュに使ってたんじゃない?」

 自分の名が聞こえて、紫はドアを開ける手を止めた。わずかに空いたドアに気づかず、彼女たちのだれかが「どういうこと?」と問うた。

「だからさ、紫と一緒にいたら付き合ってると思われて『ソレ』のカモフラージュになるじゃん」
「あーなるほど。ていうかこれ、紫知ってたのかな」
「どうだろ? 知ってても言う相手いなさそー」

 笑い声が起こったタイミングで、紫はドアを開けた。女子たちが一斉に笑うのをやめ、気まずい沈黙がおとずれるなかを、紫は無言で突き進むと奥の個室に入った。直後、女子たちが慌てて立ち去るような音がする。
 個室の鍵を閉め、紫は便座にも座らずに立ちつくしていた。
 カモフラージュ? だれが? 空が? だれに? 私に?
 わからない。だってそれってつまり……。

(利用してたって、こと……)

 ―― 私はたぶん、傷ついたのだ。




「―― で、この差をこっちの数で割って出てきた数字が、時差」

 黒田の日焼けした指が翠のノートの上をすべる。

「日本を基準にする場合、日本からこっち側なら時間が進んでることになって、反対側なら時間が遅れてるってことになる。―― どう、できそう?」

 説明を受けながら一緒に問題を解き、翠は自身のノートと答えとを照らし合わせた。正解だった。ぱっと顔を上げると嬉しそうな顔の黒田と目が合う。二人は微笑みあった。

「翠は理解が早いから、教えがいがあるよ」

 昼休みの図書室は人がまばらだが、来たる定期試験に向けての勉強をしているらしき人の姿もある。

「先輩の教え方が、すごく丁寧で上手だからですよ。…… 正直に言うと紫―― あ、姉の教え方だと、いまいち理解できなくて」
「まあ、そういうのは相性もあるからね」

 翠のやや愚痴っぽい言葉に黒田は笑って言った。

「でも、勉強教えてもらうんだ。仲良いんだね」

 黒田に言われて、翠はまあ、と複雑そうな顔をする。

「悪くはないと思うんですけど、でも、なんだか昨日は帰ってきてからずっと機嫌が悪くて」
「あー……」

 黒田がなにか知っているような顔をしたので、翠は問いかけた。

「なにかあったんですか?」
「いや、たいしたことじゃないよ」

 大丈夫、と黒田が言って、翠も姉の事情に深く介入する気もなかったので引き下がる。

「ていうか翠、わからないところがあるなら遠慮しないで聞いてくれたらよかったのに。俺、いつでも教えるよ」

 話を変えた黒田の言葉に、翠は苦笑いした。

「すみません。姉が先輩に余計な話をしたせいで、先輩の時間を取らせることになってしまって……」
「いやいや、俺、自分の勉強時間はちゃんと確保してるから、大丈夫だよ。それに翠は理解が早いから教えてて俺も楽しかったし」
「それは…… ありがとうございます。教えていただいて助かりました」

 頭を下げる翠に笑みを返して、黒田は図書室の時計に目をやった。昼休みが終わるまでまだ少しだけ時間がある。彼は視線をさまよわせつつ、ためらいがちに口を開いた。

「…… 空と筒井さん―― 翠のお姉さんも、仲良いよね。このまえクラスのやつに聞いてみたら小学校から仲良いんだって聞いて…… その、翠もさ、あの、空の妹と、小学校のときから仲良いの?」
「え?」

 突然変わった話題の意図が見えず、教科書類をまとめていた翠は思わず聞き返す。すると黒田はあわてた様子で言葉を重ねた。

「ほら、このまえ、生徒玄関で会ったときに一緒にいた子。クラスのやつらに聞いたら空の妹だってみんなが言うからさ、翠と話してたし、ふたり仲良いのかなーと思って」
「…… わ、わるくはないですが」

 翠はどういうわけか声がのどにはりつくのを感じながらおそるおそる口を開く。

「仲良くなったのもわりと最近で…… 朱音は、その、クラスでも社交的というか、だれとでも仲が良くて、人気者なので私にばかり構っていられるわけでは……」
「あ、じゃああんまりふたりで話したりとかはしないんだ?」
「…… そ、う…… ですね……。えっと、話すのはけっこう、学校よりは朱音の家だったりとか――」
「家行くんだ?」

 しまった。仲良いね、と畳みかけるように言われて翠は身をすくませた。なんだかすごくいやな予感がする。




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次のエピソードへ進む 12.恥ずかしいと思ってるんでしょ


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 もしそうだとすれば、自分はどうすればいいのだろうか。
 空と同じクラスになったのは、小学校三年生のときだった。その時はまだ同じ班になったことも、隣の席になったことだってなくて、ほとんど関わりと呼ぶほどのものはなかった。初めてまともに会話をしたのは四年生になってからで、クラブ活動のときだった。たまたま隣同士の席に座って、それぞれ持ち寄った漫画や本から模写したい場面を選んでいるとき、空が声をかけてきた。
『それ、俺も知ってる』
 会話のきっかけはそんなふうだった。ひどくありふれたものにも思えたし、ほかにはない、唯一無二のもののようにも思えた。ともかくそんなふうにして空と話すようになった紫だったが、共通点といえば最初のあの漫画くらいのものだった。好きな食べ物も、趣味も、得意科目も、なにもかもが違っていて、それがかえってお互いを引き寄せているようだと、紫は感じていた。
『…… ジャニーズ?』
 なにげなく口に出された言葉を、紫は繰り返した。
 当時、クラスの半数くらいの女子が夢中になって騒いでいたグループがある。紫はというと、自分の陰口をたたいたりしていた女子たちがそのグループを好きだと言っていたことが大きくはたらいて、あまり好きにはなれなかった。
『が、好きなの?』
 たずねると、空はうん、とうなずき「変だよね」と続けた。
『妹が、俺とは逆にAKBとか女のアイドルが好きみたいなんだよね。それで親父におまえら普通逆だろとか言われてさ』
『…… ジャニーズの逆ってAKBなの?』
『え、そこ?』
 ぽつりと紫がこぼした疑問に空が思わず突っ込む。
『私どっちも好きじゃないし詳しくないから、よくわかんないな……。自分が好きで楽しいなら、べつになんでも良いんじゃない。だれにも迷惑かけなければ』
 紫が言うと、空はなんとも言えないような表情に、わずかに笑みをのせた。
『紫、実を言うとこの話題にあんまり興味ないでしょ』
『うん』
 たちまち、空は笑い出した。
『俺、紫のそういうところがすごく好きだなあ!』
 突然声を上げて笑い出したうえに意味のわからないことを言われて、紫はつい「はあ?」と言って眉を寄せた。そんな彼女の反応をよそに、空は紫に対して微笑みを浮かべたまま
『紫とずっと友達でいられたらなあ……』
とつぶやいた。
(私はあのとき、本当はひどく傷ついていたのかもしれない)
「これ、おまえ?」
 体育の授業を終えて教室に戻ると、ひとりの男子が空に向けてスマートフォンをかかげていた。スマートフォンや携帯電話、音楽プレイヤーなどは校内に持ち込みを禁止されているはずだが、こっそり持ってきている生徒は何人かいる。特にこの彼は、買ってもらったばかりのスマートフォンを教師に隠れて持ち込んでいるのを、紫は何度も目撃していた。紫だけでなく、クラスのほとんどの人間はこのことを知っているだろう。
 彼がかかげているスマートフォンの画面上には、あるSNSのアカウントが表示されている。あのアカウントだ。紫は体の内側がさあっと冷えていくのを感じた。
 空は呆然とそこを見つめたあと、紫の方をぱっと振り向いた。紫が口を開くより先に、空は紫をにらみつけてくる。
「待って、ちが――」
 弁明する暇はなかった。紫の声を聞かないまま、空は教室を飛び出していた。
「空!」
 紫が柄にもない大声を出すが、空は止まってくれない。
「空っ!」
 廊下を突き進んでいく背中にもう一度大きな声で強く呼びかけると、彼は勢いよくふりむいた。
「紫だから、紫だから言ったのに!」
 その鬼気迫る形相に、紫は言葉をつまらせた。なにも言い返せない。
 結局あのあと、空は具合が悪いと言って早退したと、後の授業で担任に知らされた。
 どうしよう、のひとことが頭のなかでぐるぐると渦巻いて、紫はそのあとの授業には集中できなかった。午後の授業もたぶん集中できないだろう。試験前なのに、と思いつつ女子トイレのドアに手をかけると、中から声が聞こえてきた。
「あたし思うんだけどー、空さあ、さっきのが本当だとしたら、紫のことカモフラージュに使ってたんじゃない?」
 自分の名が聞こえて、紫はドアを開ける手を止めた。わずかに空いたドアに気づかず、彼女たちのだれかが「どういうこと?」と問うた。
「だからさ、紫と一緒にいたら付き合ってると思われて『ソレ』のカモフラージュになるじゃん」
「あーなるほど。ていうかこれ、紫知ってたのかな」
「どうだろ? 知ってても言う相手いなさそー」
 笑い声が起こったタイミングで、紫はドアを開けた。女子たちが一斉に笑うのをやめ、気まずい沈黙がおとずれるなかを、紫は無言で突き進むと奥の個室に入った。直後、女子たちが慌てて立ち去るような音がする。
 個室の鍵を閉め、紫は便座にも座らずに立ちつくしていた。
 カモフラージュ? だれが? 空が? だれに? 私に?
 わからない。だってそれってつまり……。
(利用してたって、こと……)
 ―― 私はたぶん、傷ついたのだ。
「―― で、この差をこっちの数で割って出てきた数字が、時差」
 黒田の日焼けした指が翠のノートの上をすべる。
「日本を基準にする場合、日本からこっち側なら時間が進んでることになって、反対側なら時間が遅れてるってことになる。―― どう、できそう?」
 説明を受けながら一緒に問題を解き、翠は自身のノートと答えとを照らし合わせた。正解だった。ぱっと顔を上げると嬉しそうな顔の黒田と目が合う。二人は微笑みあった。
「翠は理解が早いから、教えがいがあるよ」
 昼休みの図書室は人がまばらだが、来たる定期試験に向けての勉強をしているらしき人の姿もある。
「先輩の教え方が、すごく丁寧で上手だからですよ。…… 正直に言うと紫―― あ、姉の教え方だと、いまいち理解できなくて」
「まあ、そういうのは相性もあるからね」
 翠のやや愚痴っぽい言葉に黒田は笑って言った。
「でも、勉強教えてもらうんだ。仲良いんだね」
 黒田に言われて、翠はまあ、と複雑そうな顔をする。
「悪くはないと思うんですけど、でも、なんだか昨日は帰ってきてからずっと機嫌が悪くて」
「あー……」
 黒田がなにか知っているような顔をしたので、翠は問いかけた。
「なにかあったんですか?」
「いや、たいしたことじゃないよ」
 大丈夫、と黒田が言って、翠も姉の事情に深く介入する気もなかったので引き下がる。
「ていうか翠、わからないところがあるなら遠慮しないで聞いてくれたらよかったのに。俺、いつでも教えるよ」
 話を変えた黒田の言葉に、翠は苦笑いした。
「すみません。姉が先輩に余計な話をしたせいで、先輩の時間を取らせることになってしまって……」
「いやいや、俺、自分の勉強時間はちゃんと確保してるから、大丈夫だよ。それに翠は理解が早いから教えてて俺も楽しかったし」
「それは…… ありがとうございます。教えていただいて助かりました」
 頭を下げる翠に笑みを返して、黒田は図書室の時計に目をやった。昼休みが終わるまでまだ少しだけ時間がある。彼は視線をさまよわせつつ、ためらいがちに口を開いた。
「…… 空と筒井さん―― 翠のお姉さんも、仲良いよね。このまえクラスのやつに聞いてみたら小学校から仲良いんだって聞いて…… その、翠もさ、あの、空の妹と、小学校のときから仲良いの?」
「え?」
 突然変わった話題の意図が見えず、教科書類をまとめていた翠は思わず聞き返す。すると黒田はあわてた様子で言葉を重ねた。
「ほら、このまえ、生徒玄関で会ったときに一緒にいた子。クラスのやつらに聞いたら空の妹だってみんなが言うからさ、翠と話してたし、ふたり仲良いのかなーと思って」
「…… わ、わるくはないですが」
 翠はどういうわけか声がのどにはりつくのを感じながらおそるおそる口を開く。
「仲良くなったのもわりと最近で…… 朱音は、その、クラスでも社交的というか、だれとでも仲が良くて、人気者なので私にばかり構っていられるわけでは……」
「あ、じゃああんまりふたりで話したりとかはしないんだ?」
「…… そ、う…… ですね……。えっと、話すのはけっこう、学校よりは朱音の家だったりとか――」
「家行くんだ?」
 しまった。仲良いね、と畳みかけるように言われて翠は身をすくませた。なんだかすごくいやな予感がする。