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6.あがりなよ

ー/ー



 翠が声を張り上げた。いつも落ち着いた雰囲気の彼女がただならない様子で大きな声を出したので、周りにいた同級生たちも驚いてこちらを見ていた。

「あたりまえの顔して木琴のオーディション受けて、合格して、ピンクのランドセル背負って登下校してる人に私の気持ちなんかわかるはずないしわかってほしくもない」

 朱音は言葉を失った。なにも言い返せずにいるとだれかが呼んだのか、もしくは騒ぎを聞きつけてきたのか教師が飛び込んでくる。そのあと、双方教師に事情を聞かれて、結局放課後になっても翠とは話せなかった。



「翠とけんかしたって?」

 翌朝、登校中に佑人が話しかけてきて、朱音は眉根を寄せた。それぞれ後ろには町内の小学生たちで組まれた登校班の下級生たちを引き連れている。班長には横断歩道を渡るときのための黄色い旗が持たされているが朱音の班では出番は一回しかない。

「それ、昨日から百回は聞かれてる」

 うんざりしているといったふうに言えば、佑人は素直にごめんと謝ってきた。佑人は面倒見がよく話しやすいので、必要ないと思ってもついついいろんなことを話してしまう。

「でも、あの翠がけんかになるほど怒ることってめずらしいなと思って」
「仲良いの?」

 二人とも朱音とはべつのクラスだが、佑人が翠と親しげな口ぶりなのが気になって聞くと、佑人は「係が同じで」と答えた。

「ときどき話すんだけど、翠、すごい勉強できるし頭もいいんだよね。回転が速いっていうか…… そうだ、朱音、最近理科が難しいって言ってたじゃん。教えてもらいなよ」
「なんでよ。ていうかあたし嫌われてるっぽいから、たぶん無理」

 佑人の提案に首を振って答えると、彼は「嫌いって言われたの?」と問うてきた。朱音は違うけど、と言いつつ昨日翠に言われたことを思い出す。

「でも、ぜったいそう」

 へえ、と佑人は相づちを打ちとそれから小さく笑い声をもらした。

「嫌い―― じゃないと、俺は思うけど」

 含みのある言い方をしながら、佑人は一方的に別れを告げて朱音のクラスの隣にある教室へ入っていった。

(嫌いじゃないわけ、ないじゃん)

 昨日と同じように合奏の練習の時間が来て音楽室に行くと、翠はいつものところにいなかった。いつもならだれより早く来て太鼓からなにから合奏で使うすべての楽器を出すのを手伝っているというのに。

「翠、今日休みだって」
「―― そうなんだ……」

 ほっとしたような、残念なようなきもちで朱音は練習の準備をはじめた。
 木琴をやるのも、ピンクのランドセルを背負わされるのも大して疑問を持ったことがない。合奏の担当楽器をオーディションで決めるなんて今回がはじめての試みで、親にその話をしてみたところ木琴なんてどうかと言われて、そこまで興味はなかったくせに簡単にその気になった。クラスメイトや友人もいいじゃん、似合うじゃんと応援してくれたし、オーディションでも先生に褒められて悪い気はしなかった。

「朱音、これ」

 放課後、帰宅しようとする直前に廊下で呼び止められる。ふりかえると、佑人が駆け寄ってきてA4大の封筒を差し出した。

「今日金曜だから、翠に宿題とお便り。朱音持っていってやってよ」
「なんで。佑人が持っていけばいいじゃん」
「いや、朱音が持っていくとたぶん翠が喜ぶから」
「そんなわけないじゃん」

 昨日の出来事を思い出して、朱音は渋い顔をした。

「あたし嫌われてるんだよ。こっちだって、あんなこと言ってきた人の家行きたくないし」

 朱音のかたくなな態度が伝わったのか、佑人はなんとも言えない表情で封筒をひっこめた。

「…… 翠はさ、ああいう奴だから。自分のことちょっと変わってるってわかってるし、わかってもらえないことで傷つくのも慣れてるけど……。昨日朱音とは絶対にわかりあえないって思って悲しかったんだと思うよ」

 そう言うと佑人は「ま、いいや」と言ってその身をひるがえした。

「朱音が嫌なら、無理強いしてもしょうがないし、もともと俺が行こうと思ってたから。じゃ、ばいばい」



 目が覚めると、まだ夜明け前だった。翠は腹の内側を絞られるような痛みに目を覚ました。目覚ましが鳴るまでまだ二時間もある。布団をめくって、敷き布団と掛け布団の両方を確認した。どちらも無事だ。翠はタンスからショーツを一枚取り出し、トイレに向かった。

 下腹が引き絞られるように痛い。本来起きる時間よりもまだ早いのでふたたび布団にもぐりこむが、痛みで眠りにつけそうにない。痛み止めを飲もうか悩むが、飲むなら学校に行く直前がいいような気がする。母に意見を仰ぐのがいちばんいいのだが、毎朝早起きしている母の貴重な朝の時間にたたき起こすなどどうもしのびない。

 痛みと闘いながらあれこれ考えているうちに外が明るくなってくる。…… 起きよう。なにか無理にでも腹に入れて痛み止めを飲もう。幸い食事ができないほどの痛みではないので食パンを一枚トースターに入れて焼けるのを待っていると母が起きてくる。彼女がびっくりした、と一瞬娘の姿にびくりと肩を震わせたのち、

「どうしたの?」

 寝起きのかすれた声で問うてきた。お腹痛くて、と簡潔に答えると母は「ああ、始まったの」と納得したように言った。それから母はフライパンを出して目玉焼きを焼きはじめた。自分のぶんも焼かれているように見えるが、食べられる気がしない。いらない、と言うタイミングを見計らっているうちにトースターの音が鳴って、翠はトーストを皿に上げた。マーガリンを出そうと冷蔵庫を開けた瞬間、冷気が腹に地味に沁みてくる。食卓に戻ると目玉焼きも完成していた。トーストと目玉焼きを順に見つめ、腹の痛みと授業中に腹が鳴ることへの羞恥心を天秤にかけようとして、ふと、昨日の出来事を思い出した。

「学校行きたくない……」

 思わずといった様子で口に出すと母が「ええ?」とけげんそうな声を出す。

「そんなに痛いなら、薬飲みなさい。あとで出してあげるから」

 そうじゃないし、薬は最初から飲むつもりだった。言い返す気力もないまま、翠は目玉焼きをはさんだトーストにかじりついた。

「薬飲んだのー?」

 朝食を腹の中に押し込んで、居間でぼんやりしていると母が洗濯物を手に聞いてくる。うーんと生返事で返しながら目元に手を当てる。なんだかすごく眠い。

「ねえ、今日学校休んでもいい?」
「だめよ」

 即答だ。結局、腹痛が治ったら学校へ行くことを約束させられて、翠は薬を飲んでから自分の部屋に戻った。
 もともと、歩けないほど痛いわけじゃない。さいわい、今日の合奏の練習は二時間目だから、二時間目が終わったころに登校すればいいか。そう考えて翠は、もう一度昨日のことを思い出していた。どうせわからない、それを口にした瞬間の朱音の悲しそうな顔が忘れられない。

「…………」

 蒼汰も、友達に戻るときにそんなことを言った。

『背が高い翠には、俺のきもちなんてわからないかもしれないけどさ』――。

 翠自身、そうだろうな、と思うし。自身の存在が、彼をきずつけていたのならそれは申し訳なく思う。
 ―― だけど。でも。だったら。
 どうしてこんなに、自分の方が、ぶつけられた側の朱音ではなく、ぶつけた側である自分が、どうしてこんなにも傷ついているんだろう。
 翠は重く息を吐きながら布団の中で体を丸めた。



 朱音は翠の家の前に立ち尽くしたまま、自分に背を向けた佑人を引き留めたことを悔やんでいた。翠の家の玄関の前には、朱音の知らない花の植木鉢がいくつか置いてある。朱音はそれを横目に見ながら玄関に取り付けられたチャイムを鳴らす。しばらく待つが、だれも出てこない。

 留守なんだろうか? 翠も具合が悪くて寝ているのかもしれないしと思い数歩戻って部屋のあかりがどこかについていないかと窓を見上げる。すると、二階の窓からこちらを見る翠と目が合った。が、その瞬間翠は薄く開けていたカーテンを勢いよく閉めた。わかりやすい拒絶だった。配り物は郵便ポストにでも入れていこうと思ったその時、玄関の古そうな引き戸ががらりと開いた。

「…… あがりなよ」




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 翠が声を張り上げた。いつも落ち着いた雰囲気の彼女がただならない様子で大きな声を出したので、周りにいた同級生たちも驚いてこちらを見ていた。
「あたりまえの顔して木琴のオーディション受けて、合格して、ピンクのランドセル背負って登下校してる人に私の気持ちなんかわかるはずないしわかってほしくもない」
 朱音は言葉を失った。なにも言い返せずにいるとだれかが呼んだのか、もしくは騒ぎを聞きつけてきたのか教師が飛び込んでくる。そのあと、双方教師に事情を聞かれて、結局放課後になっても翠とは話せなかった。
「翠とけんかしたって?」
 翌朝、登校中に佑人が話しかけてきて、朱音は眉根を寄せた。それぞれ後ろには町内の小学生たちで組まれた登校班の下級生たちを引き連れている。班長には横断歩道を渡るときのための黄色い旗が持たされているが朱音の班では出番は一回しかない。
「それ、昨日から百回は聞かれてる」
 うんざりしているといったふうに言えば、佑人は素直にごめんと謝ってきた。佑人は面倒見がよく話しやすいので、必要ないと思ってもついついいろんなことを話してしまう。
「でも、あの翠がけんかになるほど怒ることってめずらしいなと思って」
「仲良いの?」
 二人とも朱音とはべつのクラスだが、佑人が翠と親しげな口ぶりなのが気になって聞くと、佑人は「係が同じで」と答えた。
「ときどき話すんだけど、翠、すごい勉強できるし頭もいいんだよね。回転が速いっていうか…… そうだ、朱音、最近理科が難しいって言ってたじゃん。教えてもらいなよ」
「なんでよ。ていうかあたし嫌われてるっぽいから、たぶん無理」
 佑人の提案に首を振って答えると、彼は「嫌いって言われたの?」と問うてきた。朱音は違うけど、と言いつつ昨日翠に言われたことを思い出す。
「でも、ぜったいそう」
 へえ、と佑人は相づちを打ちとそれから小さく笑い声をもらした。
「嫌い―― じゃないと、俺は思うけど」
 含みのある言い方をしながら、佑人は一方的に別れを告げて朱音のクラスの隣にある教室へ入っていった。
(嫌いじゃないわけ、ないじゃん)
 昨日と同じように合奏の練習の時間が来て音楽室に行くと、翠はいつものところにいなかった。いつもならだれより早く来て太鼓からなにから合奏で使うすべての楽器を出すのを手伝っているというのに。
「翠、今日休みだって」
「―― そうなんだ……」
 ほっとしたような、残念なようなきもちで朱音は練習の準備をはじめた。
 木琴をやるのも、ピンクのランドセルを背負わされるのも大して疑問を持ったことがない。合奏の担当楽器をオーディションで決めるなんて今回がはじめての試みで、親にその話をしてみたところ木琴なんてどうかと言われて、そこまで興味はなかったくせに簡単にその気になった。クラスメイトや友人もいいじゃん、似合うじゃんと応援してくれたし、オーディションでも先生に褒められて悪い気はしなかった。
「朱音、これ」
 放課後、帰宅しようとする直前に廊下で呼び止められる。ふりかえると、佑人が駆け寄ってきてA4大の封筒を差し出した。
「今日金曜だから、翠に宿題とお便り。朱音持っていってやってよ」
「なんで。佑人が持っていけばいいじゃん」
「いや、朱音が持っていくとたぶん翠が喜ぶから」
「そんなわけないじゃん」
 昨日の出来事を思い出して、朱音は渋い顔をした。
「あたし嫌われてるんだよ。こっちだって、あんなこと言ってきた人の家行きたくないし」
 朱音のかたくなな態度が伝わったのか、佑人はなんとも言えない表情で封筒をひっこめた。
「…… 翠はさ、ああいう奴だから。自分のことちょっと変わってるってわかってるし、わかってもらえないことで傷つくのも慣れてるけど……。昨日朱音とは絶対にわかりあえないって思って悲しかったんだと思うよ」
 そう言うと佑人は「ま、いいや」と言ってその身をひるがえした。
「朱音が嫌なら、無理強いしてもしょうがないし、もともと俺が行こうと思ってたから。じゃ、ばいばい」
 目が覚めると、まだ夜明け前だった。翠は腹の内側を絞られるような痛みに目を覚ました。目覚ましが鳴るまでまだ二時間もある。布団をめくって、敷き布団と掛け布団の両方を確認した。どちらも無事だ。翠はタンスからショーツを一枚取り出し、トイレに向かった。
 下腹が引き絞られるように痛い。本来起きる時間よりもまだ早いのでふたたび布団にもぐりこむが、痛みで眠りにつけそうにない。痛み止めを飲もうか悩むが、飲むなら学校に行く直前がいいような気がする。母に意見を仰ぐのがいちばんいいのだが、毎朝早起きしている母の貴重な朝の時間にたたき起こすなどどうもしのびない。
 痛みと闘いながらあれこれ考えているうちに外が明るくなってくる。…… 起きよう。なにか無理にでも腹に入れて痛み止めを飲もう。幸い食事ができないほどの痛みではないので食パンを一枚トースターに入れて焼けるのを待っていると母が起きてくる。彼女がびっくりした、と一瞬娘の姿にびくりと肩を震わせたのち、
「どうしたの?」
 寝起きのかすれた声で問うてきた。お腹痛くて、と簡潔に答えると母は「ああ、始まったの」と納得したように言った。それから母はフライパンを出して目玉焼きを焼きはじめた。自分のぶんも焼かれているように見えるが、食べられる気がしない。いらない、と言うタイミングを見計らっているうちにトースターの音が鳴って、翠はトーストを皿に上げた。マーガリンを出そうと冷蔵庫を開けた瞬間、冷気が腹に地味に沁みてくる。食卓に戻ると目玉焼きも完成していた。トーストと目玉焼きを順に見つめ、腹の痛みと授業中に腹が鳴ることへの羞恥心を天秤にかけようとして、ふと、昨日の出来事を思い出した。
「学校行きたくない……」
 思わずといった様子で口に出すと母が「ええ?」とけげんそうな声を出す。
「そんなに痛いなら、薬飲みなさい。あとで出してあげるから」
 そうじゃないし、薬は最初から飲むつもりだった。言い返す気力もないまま、翠は目玉焼きをはさんだトーストにかじりついた。
「薬飲んだのー?」
 朝食を腹の中に押し込んで、居間でぼんやりしていると母が洗濯物を手に聞いてくる。うーんと生返事で返しながら目元に手を当てる。なんだかすごく眠い。
「ねえ、今日学校休んでもいい?」
「だめよ」
 即答だ。結局、腹痛が治ったら学校へ行くことを約束させられて、翠は薬を飲んでから自分の部屋に戻った。
 もともと、歩けないほど痛いわけじゃない。さいわい、今日の合奏の練習は二時間目だから、二時間目が終わったころに登校すればいいか。そう考えて翠は、もう一度昨日のことを思い出していた。どうせわからない、それを口にした瞬間の朱音の悲しそうな顔が忘れられない。
「…………」
 蒼汰も、友達に戻るときにそんなことを言った。
『背が高い翠には、俺のきもちなんてわからないかもしれないけどさ』――。
 翠自身、そうだろうな、と思うし。自身の存在が、彼をきずつけていたのならそれは申し訳なく思う。
 ―― だけど。でも。だったら。
 どうしてこんなに、自分の方が、ぶつけられた側の朱音ではなく、ぶつけた側である自分が、どうしてこんなにも傷ついているんだろう。
 翠は重く息を吐きながら布団の中で体を丸めた。
 朱音は翠の家の前に立ち尽くしたまま、自分に背を向けた佑人を引き留めたことを悔やんでいた。翠の家の玄関の前には、朱音の知らない花の植木鉢がいくつか置いてある。朱音はそれを横目に見ながら玄関に取り付けられたチャイムを鳴らす。しばらく待つが、だれも出てこない。
 留守なんだろうか? 翠も具合が悪くて寝ているのかもしれないしと思い数歩戻って部屋のあかりがどこかについていないかと窓を見上げる。すると、二階の窓からこちらを見る翠と目が合った。が、その瞬間翠は薄く開けていたカーテンを勢いよく閉めた。わかりやすい拒絶だった。配り物は郵便ポストにでも入れていこうと思ったその時、玄関の古そうな引き戸ががらりと開いた。
「…… あがりなよ」