7.そんなことないよ
ー/ー 短い言葉で促され、朱音は無言で家の中に入った。
「ごめん、今麦茶くらいしかなくて」
「や、あの、あたし、宿題とかプリント持ってきただけだから」
「え、なんで?」
「や、あの、あたし、宿題とかプリント持ってきただけだから」
「え、なんで?」
首を傾げつつ封筒を受け取った翠に「佑人に押しつけられた」と答えると彼女はあからさまに動揺した様子で封筒を手から落とした。運悪くさかさまに落ちたので、中に入っていたプリント類が次々と床に散らばった。
「そ……」
落ちたプリントを拾うために朱音がしゃがみこむと、頭上から絞り出すような声が聞こえてくる。
「え、そ…… なんか言ってた? あいつ――」
「いや、べつになにも言われてないけど…… なにこのプリント」
「いや、べつになにも言われてないけど…… なにこのプリント」
朱音が拾い上げたプリントを片手に首をかしげたので、翠は彼女の方へ身を乗り出した。
「ああ、算数のやつだ」
「え? こんなパズルみたいなのやるの? あたしこんなの配られてないんだけど」
「そうなの? グループの違いかな。私、今Aグループだから」
「え? こんなパズルみたいなのやるの? あたしこんなの配られてないんだけど」
「そうなの? グループの違いかな。私、今Aグループだから」
現在算数は習熟度ごとにグループで分かれていて、Aグループが一番算数の得意な者、Cグループは苦手な者が集っている。翠の台詞に、朱音は「うわ、嫌味」と口にした。翠にすかさずなにがと問われて、朱音はだってと口を開く。
「あたしなんか一番下のCグループのなかでも全然できないし、算数だけじゃなくて理科も社会もできないし、体育も嫌いだし、中学入ったら絶対勉強についていけなくてべつに興味ない農業高校とか偏差値低い高校受けて適当な民間企業に就職すんだから」
「べつにそんな将来の展望まで聞いてはいないんだけど……。あと農業高校生だって将来のために真面目に勉強してると思うよ。偏差値だって県内のとこは普通科と大して変わんないし」
「えっ、そうなの」
「そうだよ。それに就職したって勉強しなきゃいけないこといっぱいあるだろうし、勉強からは逃げられないと思うけど」
「…… べつにサボりたいわけじゃないもん……」
「べつにそんな将来の展望まで聞いてはいないんだけど……。あと農業高校生だって将来のために真面目に勉強してると思うよ。偏差値だって県内のとこは普通科と大して変わんないし」
「えっ、そうなの」
「そうだよ。それに就職したって勉強しなきゃいけないこといっぱいあるだろうし、勉強からは逃げられないと思うけど」
「…… べつにサボりたいわけじゃないもん……」
むくれながら言う朱音の前で、翠はプリントをそろえた。
「まあ、みんなだれかにそういうものを押しつけると安心するのかもね。自分もふくめて」
「そういうもの……」
「レッテルっていうのかな。打楽器は男子、とか。木琴はクラスのかわいい系の女子、とか。あとピンクのランドセルはかわいい子しか持ってちゃだめみたいな……」
「そういうもの……」
「レッテルっていうのかな。打楽器は男子、とか。木琴はクラスのかわいい系の女子、とか。あとピンクのランドセルはかわいい子しか持ってちゃだめみたいな……」
朱音の視線に気づいて、翠は言葉を止めた。
「…… いや、たとえね、たとえ」
「…… ふーん」
「…… ふーん」
朱音が翠の顔をのぞきこむようなしぐさを見せたので、翠は顔をそむけた。
「あたしさ、本当は最初、黒いランドセルが欲しかった。…… 欲しかったっていうか、ずっとかっこいいなって思ってたんだけど、だれにも一言も言わなかった」
独白めいた口調で話し出した朱音に、翠はわずかに視線を戻した。
「べつに自分のこと男の子だと思ってるわけじゃないんだけどさ。…… 中学の制服もさ、好きな方選んでいいよって言われたら学生服の方がいいな、私……。セーラー服もそりゃかわいいけど、私服でかわいい服買ってもらうのもそれ着るのも好きだけど、やっぱ全身黒ってかっこいいし……」
「めちゃくちゃ自分のことしゃべるね」
「めちゃくちゃ自分のことしゃべるね」
苦笑交じりに言われて、今度は朱音の方が顔をそむけた。笑顔を見たのは初めてかもしれない。
「じゃあなんでピンクのランドセルなんて持ってるわけ?」
朱音は少し迷ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「ママがね、私が悩んでるの見てこれがいいんじゃないって言ってくれて。あたしはまあ、黒は男の子のものだからどうせ買ってもらえないし、あたしもなんだかんだ女の子は赤とかピンクのランドセル買うものって思い込んでたし、黒じゃないならなんでもいいやと思って」
今では気に入ってるしねと朱音が言って、しばらくの間翠は黙っていたが、
「私、スカート持ってないんだよね」
と口にした。
「保育園のときとか、小さいときは着てたけど。だからセーラー服が何年かぶりに買うスカートになると思う」
「え、本当に? ひとつも?」
「え、本当に? ひとつも?」
朱音が驚いたように言うので、翠はうなずく。朱音はへえーと未知のものを見るような顔をしてからふと、思いついたように言った。
「あ、じゃあさ、制服買ったら見せ合いっこしようよ」
「は? なんで」
「は? なんで」
あまりに唐突な提案をされて翠は疑問というよりは抗議の意味で声を上げる。朱音は「いいじゃん」と言いながら翠の方に体を寄せた。
「あたしは着たくもないセーラー服姿を翠に一番最初に見せるから、翠も初めてのスカート姿あたしにだけ見せてよ」
ぐっと自分の方に身を乗り出した朱音に、翠は思わずのけぞった。
「い…… 意味がわからない。ていうか小さいときは着てたから初めてじゃないし」
「初めてと似たようなものじゃん」
「初めてと似たようなものじゃん」
詰め寄ってくる朱音の横で翠があきらめたように肩を落とすと、朱音は翠の腕を両腕でつかまえた。
「翠、背が高いから絶対に似合うよ」
「セーラー服はだれにでも似合うようにできてる」
「セーラー服はだれにでも似合うようにできてる」
翠が言うと、朱音は「そういうことじゃない」と肩をいからせて、翠は困惑した。
「最近よく一緒にいるよね」
緋奈子の言葉に、藍がたしかに、とうなずいた。
「このまえけんかしてたんでしょ? なのになんで?」
仲直りしたの? とたずねられ、朱音は「うん、まあ」と肯定する。緋奈子はへえーとどこかつまらなそうに口を開く。
「あたし保育園から一、二年のときまで同じクラスだったけど、あいつちょっと変わってるよね」
「でも、話すとけっこうおもしろいよ」
「でも、話すとけっこうおもしろいよ」
彼女の口調がからかいの意図をおびているような気がしたので、朱音は思わず翠をかばうように言った。すると緋奈子はまたしてもへえ、と言って笑った。
「ま、朱音も変わってるもんね。お似合いか」
「えっ……」
「黒のランドセルはいまだにほしいの?」
「えっ……」
「黒のランドセルはいまだにほしいの?」
(―― いや、べつにいらないとは思ってないけど)
黒のランドセルや学生服に対するあこがれは、分類としてはファッションに近いもので、女子はセーラー服と校則などで決まっているのであればそれに対して反抗しようだとか、そんなことは思わない。
「朱音」
放課後、階段を下りている途中で振り返ると、ついさっきまで友人たちと話していた人間の姿が朱音は思わず「翠」とその名を呼んだ。向こうから声をかけてくれたのが嬉しくて翠の手を取ると、彼女は少し恥ずかしそうに顔をそむけた。
「ねえ、翠さ、学習発表会にお母さんとか来る?」
朱音が思い出したように聞けば、翠はいやと首を振った。
「仕事あるから、たぶん来ないんじゃないかな。どうして?」
「うちのママがね、翠と翠のお母さんに会いたがってて――」
「うちのママがね、翠と翠のお母さんに会いたがってて――」
話している途中でふと、朱音が足を止めた。下の階の踊り場から声が聞こえてくる。
「本当さあ、むかつくんだよね、朱音。みんなと違うこと言って注目されようっていうのがさあ」
続けてほかのだれかが「あー、わかる」と賛同するのが聞こえる。だれのことを話しているのか分かった瞬間、翠の体が動きそうになったが、朱音がすぐに気づき翠の肩をつかんで止めた。
「あたしはみんなと違うの、みたいなさ……。男子にモテたいのが見え見えっていうか」
朱音は最後まで聞かずに体を向きを変えながら「あっちの階段から帰ろ」と言って翠の手を引いた。ちょっと、と翠が声を上げるのも聞かずに朱音はどんどん歩いていく。翠が何度名前を呼んでも止まらない。
「朱音っ!」
もう一度、強めに呼んで手を引くとようやく止まった。朱音は肩で大きく息を吐くと、大丈夫、と口にした。
「大丈夫じゃないでしょ。…… 私、先生に――」
「やめて」
「やめて」
翠が言い終わる前に、朱音はその申し出を拒んだ。
「女子の間じゃ、よくあることだもん……。いつも男子とばっかりいる翠にはわからないことかもしれないけど」
朱音の声からは余裕のなさがにじみ出ていた。
「あたしだって、その場にいない子の悪口をみんなと一緒になって言ったことあるし」
「私には理解できない」
「しなくてもいい」
「私には理解できない」
「しなくてもいい」
このまえ翠が同じようなことを言ったときには説明しろと詰め寄ったくせに、とは思いつつ翠はそっとため息を吐いた。それに気づいているのかいないのか、朱音はふたたび歩き出す。翠はあわてて追いかけて彼女の手をとった。
「…… 変だとだめかな」
「そんなことないよ」
「そんなことないよ」
朱音がらしくない声で言ったささやくようなつぶやきに翠がそう返すと、彼女は少しだけ安心したように笑った。
朱音はリビングのソファに投げてある兄・空(そら)のものである学生服に手を伸ばした。黒一色のそれを少しながめたあとなにげなく肩にかけて、窓を鏡にして学生服を羽織った自分の姿を見る。
(なんで男子と女子でこんなに制服が違うんだろ)
男子の制服にはひらひらした襟はおろか、スカーフさえついていない。プリーツの乱れを気にする必要もなさそうで、なんだか楽そうにも見える。兄に合わせたサイズだから当然だがあきらかに大きい。そのせいなのかべつの要因なのか、好きな服を着ることができたことに対する喜びはあれど、同時にどこかちぐはぐで、似合っていないという話以前の奇妙な違和感があって、なんとなく残念な気持ちになる。
「あっ、おい、俺の制服」
返せよ、と制服の襟を引っ張ってくる兄・空に「似合う?」と聞けば彼は襟を持ったまま答える。
「なんか応援団の女子みたい。ほら、はやく返せよ」
「応援団の女子はこういうの着るけど、男子はセーラー服着ないよね? なんで?」
「応援団の女子はこういうの着るけど、男子はセーラー服着ないよね? なんで?」
純粋に疑問に思ったのでたずねると、空は
「お前は俺みたいなののセーラー服姿が見たいか?」
と問うてきた。朱音は兄がセーラー服を着ているところを想像してみる。さきほど学生服を羽織った自分の姿を窓越しに見たときと同じような違和感がある。妹の沈黙を、「そんなもの見たくない」という意味ととったのか、空は
「ほら、そういうことだよ」
と言って朱音の手中から学生服を取り返した。そのまま床に放置してあった通学鞄を手に取って自室に引っ込もうとする兄に、朱音は「あっ」と思い出したように声を上げた。
「お兄ちゃん今日、テレビにジャニーズが出るって言ってたよね? テレビ始まるまえにお風呂入っちゃうでしょ?」
ていうかママが入れって言ってたよと告げると空は動きを止め、苦々しげな顔で振り返ってくる。
「なあ、今日帰ってくるの何時くらいになるかな?」
「なにが? パパ?」
「なにが? パパ?」
主語をぼかして言ったことに対して首をかしげつつ朱音は「いつも通りじゃない?」と返し、それからあっと気づく。
「パパがいたらまた横からごちゃごちゃ言われちゃいそうだもんね」
「帰ってくるまでに出番終わってくれればいいけど……」
「人気なグループは最後の方じゃない?」
「帰ってくるまでに出番終わってくれればいいけど……」
「人気なグループは最後の方じゃない?」
そう言うと、空はため息を吐きながら自室へ入っていった。父が男性アイドル好きの空に対して苦言を呈するのはもういつものことだ。かくいう朱音も、女性アイドルが好きだと話したら変わったものを見るような目をされたのを忘れていない。
母に関してもそうだ。朱音自身言わないから当然だが、朱音が真っ黒な学生服に憧れているとは夢にも思わないでいる。父のことも、当然母のことも大好きだが、ときどき、本当にときどき、苦しい。
母に関してもそうだ。朱音自身言わないから当然だが、朱音が真っ黒な学生服に憧れているとは夢にも思わないでいる。父のことも、当然母のことも大好きだが、ときどき、本当にときどき、苦しい。
「なんで言わないの?」
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