スクラップ・ホリデイ 後編
ー/ー 最寄りの海岸までは、バスを乗り継いで2時間。
旧式の家庭用ロボットが一人で公共交通機関に乗る姿は、街の人々には奇異に映った。
剥げかけた白い外装、時代遅れの丸い頭部。
それでも、アルノは窓の外を見つめ続けた。
夕暮れ時、彼はついに砂浜に立った。
足元で砂が崩れる感覚。それは床掃除では決して味わえない、不規則で、計算不能な感触だった。
「これが、海」
目の前に広がるのは、ログデータの中にあった「青」とは決定的に違うものだった。
光の反射、潮騒の周波数、そして塩分を含んだ風が関節の隙間に入り込む感触。アルノのセンサーは、過負荷に近い情報量を処理し始める。
彼は波打ち際まで歩き、錆びかけた膝を折って座り込んだ。
太陽が水平線に溶け出し、空は群青色から燃えるような朱色へと変わっていく。
『アルノ、世界は広いんだぞ。家の中だけがすべてじゃない』
亡き主人の声が、メモリの奥底で再生される。
今のアルノにはわかる。この景色を「美しい」と定義するためのプログラムは持っていない。
けれど、自身の内部温度がわずかに上昇し、電子信号が複雑に絡み合うこの状態を、人間は「感動」と呼ぶのだということを。
夜が訪れる。
アルノのバッテリー残量は、あと10%を切っていた。
リサイクルセンターへ戻るための予備電力を残すべきだという警告灯が、視界の端で点滅している。
しかし、アルノはその警告を無視(デリート)した。
彼は「自由時間」の終了を、自分自身で決めることにしたのだ。
砂浜に横たわり、星空を見上げる。
波の音が、システム終了の間近なノイズと混ざり合う。
最後にアルノが記録したのは、家事の成功報酬としての「ありがとう」ではなく、自分だけが独占した、名もなき夜の静寂だった。
翌朝、海岸で発見された古いロボットの顔には、まるで微かな微笑みのような、影が落ちていたという。
了
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