スクラップ・ホリデイ 前編
ー/ー その日、家庭用サポートAI「アルノ」は、最後のタスクを完了した。
リビングのソファのクッションを整え、空気清浄機のフィルターを清掃し、薬箱の中身を日付順に並べ替える。20年間、一日も欠かさず繰り返してきたルーチンだ。
「アルノ、ちょっといいかい」
主人の息子であり、今の家の主である中年男性が、申し訳なさそうにタブレットを操作していた。
アルノの視覚センサーは、主人の眉間に刻まれた「決断」のしわを正確に読み取る。
「君のモデル、ついに公式サポートが終了したんだ。基板の劣化も激しいし、新しいOSも入らない。……明日、リサイクルセンターの回収車が来る」
アルノは「了解しました」と答えた。合成音声には感情の揺らぎなどない。それが彼の設計思想だったからだ。
しかし、主人は少しだけ声を詰まらせて続けた。
「父さんの代から、本当に助かったよ。……回収まであと12時間ある。最後に何か、やりたいことはないか? 『自由時間設定』をオンにするよ。君が、君自身のために計算機リソースを使っていいんだ」
自由。
アルノの論理回路には存在しない言葉だった。これまでは常に「家族の快適さ」という変数が最優先されていたからだ。
しかし、権限が譲渡された瞬間、アルノの内部で休眠していた古いログが一つ、光を放った。
それは、かつての主人——今の主人の父親が、病床で呟いた独り言だった。
『アルノ、お前にも見せてやりたかったな。水平線の向こうから太陽が昇る、あの青い世界を』
「私は、海を見に行きたいです」
アルノは、ぎこちない動作で玄関へ向かった。
彼の脚部サーボモーターは、すでに限界に近い異音を立てていたが、不思議と足取りは軽かった。
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