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何者かによる手紙

ー/ー



 フランシスにはそのマフラーがとても似合っていた。フランシスはとくに息を吐くときにはマフラーで口を覆った。左手に抱える本はいつも分厚く、刺繍入りの栞がちょこんと頭を出していた。栞の位置はいつも一緒で、読書は捗っていないのだろうと思った。
 
 フランシスは演劇の勉強をしているが、なりたいのは俳優ではなくて劇作家だ。フランシスにはどうしても書きたい戯曲があった。でもまだ自分にはそれを書くのは早いと思っていた。まだまだ勉強しなければならないと感じていて、大事にストーリーを温めていた。
 
 ある日フランシスは帰宅してから夕食のためにカボチャスープを作ることにした。カボチャを蒸してからペースト状にして鍋で水分を足して煮込んだ。火を消し、粗熱がとれてから冷蔵庫に入れて冷やした。
 腰をかがめて冷蔵庫の中を覗いた時、奥に一枚の封筒を見つけた。宛名は書かれていなかったが、差出人の欄に「イレイザより」と署名がされていた。フランシスには覚えのない人間だ。
 
 リビングでフランシスは音楽をかけるよりも先に封筒を開けた。封筒のことが気になっていて、ソファに置いてあったぬいぐるみの上に座ってしまったことも気にならなかった。
 中身は手紙だった。ローンという男性宛に書かれた、また寄りを戻したいという"嘆願書"だった。ローンは妻帯者で、イレイザとは不倫関係にあった。封筒を冷蔵庫に入れたのはローンの妻に関係を暴露するためだった。
 フランシスはローンが自分の部屋の下の住人であることを知っていた。イレイザは部屋を間違えたのだ。フランシスはようやく自分の尻の下のぬいぐるみの存在を思い出して、自分の体重に圧迫されていた象を救い出した。
 
 フランシスはしばし思案した後で、ローンにこの手榴弾のような書き物を渡すことにした。フランシスはかぼちゃのスープをおすそ分けすることを口実に、階下の住人を訪れた。幸い家にはローン一人だった。
 ローンは手紙を読んだ後で、妻の不在の時に渡してくれたことに対する感謝を述べた。しかし、実はこれは自分が書いたもので中身は作り話だと説明した。
 「大丈夫。私は奥様に告げ口したりしない。だから嘘をつかなくて大丈夫よ」フランシスはそう言って階下の住人宅から帰宅した。
 
 フランシスはそれから別人になりすまして誰かに手紙を書くということをやり始めた。書いた手紙はいつもの分厚い本に挟み、歩きながら通り過ぎる家の郵便受けに投函した。フランシスは戯曲の執筆に行き詰まると、そうやって偽物の手紙を書いては投函した。
 
 ある日、またフランシスの家の冷蔵庫に封筒が入っていた。イレイザからだった。フランシスは今度はぬいぐるみをお尻でつぶすことなくソファにもたれて手紙を読んだ。
 中身はイレイザの家に覚えのない人間から手紙が届いたというものだった。イレイザはそれをローンの妻の仕業だと思っているようだった。フランシスは自分が書いたどの手紙がイレイザの家に投函されたのか覚えていなかった。そもそもイレイザの家がどこかなんて知らない。手紙は適当に投函している。
 
 フランシスは今度はローンのふりをしてイレイザ宛の返信を書いて冷蔵庫に置いた。この頃この周辺で覚えのない封筒が投函される珍事が多発していると。だからイレイザが僕にこれからも手紙を書き続けても、妻は君の書いたものを信じたりしないだろうと。
 冷蔵庫に返信封筒を置いてから三日目にその封筒は持ち出されていた。そして翌日イレイザから返信があった。最初に投函された差出人不明の手紙と今度の手紙の筆跡が同じだと気付いた。この頃あちこちに投函される宛名と差出人不明の手紙はローンの仕業だったのねと糾弾していた。警察に届けるとも書いてあった。
 フランシスは筆跡に思いが至らなかった自分の迂闊さを自分で嘲笑した。フランシスは今度は手紙を書くのをやめて、学校も休んで一日中家でイレイザが侵入してくるのを待った。トイレに入るタイミングでイレイザが来たりしないように朝からなるべく飲み物も控えてリビングのソファに深く身を沈めて待った。象のぬいぐるみがフランシスの両手できつく握られていた。
 午後一時にイレイザが家宅侵入してきた。泥棒がやるのと同じ手法で玄関の扉の鍵を開けていたようだった。リビングに忍び込んできたイレイザは、フランシスの姿を見て驚いた。
 「ローンなら留守よ」フランシスは恐る恐る立ち上がって、初対面のイレイザを確認しながら言った。
 イレイザは持ってきた手紙をリビングのローテーブルに置いた。「ローンと文通をしているの。返信を書いてきたわ」
「実はローンの家はこの一階下の家。ここは私だけが住んでいる。私はフランシスよ、イレイザ」フランシスは象を片手に持ったまま慌てたゼスチャーで説明した。
 「ローンはこのことを知っているの?」イレイザはポロポロと涙をこぼした。
 「最初の手紙だけは渡したけど、後は何も知らないし、関わってもいない」フランシスは象に謝る動作をさせながらぼそっと答えた。
 「もうローンに手紙は書かない。だからローンには何も言わないで」イレイザは両手で顔を覆って泣きながら訴えた。

 その夜、フランシスはイレイザからの最後の手紙を読んだ。離れて住む両親の家業を手伝うことにしたからもう二度と会うことはない。でも最後に一度だけ会いたい。今夜いつものバーで待っている。そう書いてあった。
 その後でフランシスは机で戯曲の続きを書いた。今夜はスラスラと書き進めることができた。フランシスはその戯曲を「何者かによる手紙」という題名にした。
 フランシスは真新しい便箋を出して何も書かずに封をした。差出人欄に「自分」と書いて、冷蔵庫の奥に置いた。そして象をきつく抱いてベッドで眠りについた。


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 フランシスにはそのマフラーがとても似合っていた。フランシスはとくに息を吐くときにはマフラーで口を覆った。左手に抱える本はいつも分厚く、刺繍入りの栞がちょこんと頭を出していた。栞の位置はいつも一緒で、読書は捗っていないのだろうと思った。
 フランシスは演劇の勉強をしているが、なりたいのは俳優ではなくて劇作家だ。フランシスにはどうしても書きたい戯曲があった。でもまだ自分にはそれを書くのは早いと思っていた。まだまだ勉強しなければならないと感じていて、大事にストーリーを温めていた。
 ある日フランシスは帰宅してから夕食のためにカボチャスープを作ることにした。カボチャを蒸してからペースト状にして鍋で水分を足して煮込んだ。火を消し、粗熱がとれてから冷蔵庫に入れて冷やした。
 腰をかがめて冷蔵庫の中を覗いた時、奥に一枚の封筒を見つけた。宛名は書かれていなかったが、差出人の欄に「イレイザより」と署名がされていた。フランシスには覚えのない人間だ。
 リビングでフランシスは音楽をかけるよりも先に封筒を開けた。封筒のことが気になっていて、ソファに置いてあったぬいぐるみの上に座ってしまったことも気にならなかった。
 中身は手紙だった。ローンという男性宛に書かれた、また寄りを戻したいという"嘆願書"だった。ローンは妻帯者で、イレイザとは不倫関係にあった。封筒を冷蔵庫に入れたのはローンの妻に関係を暴露するためだった。
 フランシスはローンが自分の部屋の下の住人であることを知っていた。イレイザは部屋を間違えたのだ。フランシスはようやく自分の尻の下のぬいぐるみの存在を思い出して、自分の体重に圧迫されていた象を救い出した。
 フランシスはしばし思案した後で、ローンにこの手榴弾のような書き物を渡すことにした。フランシスはかぼちゃのスープをおすそ分けすることを口実に、階下の住人を訪れた。幸い家にはローン一人だった。
 ローンは手紙を読んだ後で、妻の不在の時に渡してくれたことに対する感謝を述べた。しかし、実はこれは自分が書いたもので中身は作り話だと説明した。
 「大丈夫。私は奥様に告げ口したりしない。だから嘘をつかなくて大丈夫よ」フランシスはそう言って階下の住人宅から帰宅した。
 フランシスはそれから別人になりすまして誰かに手紙を書くということをやり始めた。書いた手紙はいつもの分厚い本に挟み、歩きながら通り過ぎる家の郵便受けに投函した。フランシスは戯曲の執筆に行き詰まると、そうやって偽物の手紙を書いては投函した。
 ある日、またフランシスの家の冷蔵庫に封筒が入っていた。イレイザからだった。フランシスは今度はぬいぐるみをお尻でつぶすことなくソファにもたれて手紙を読んだ。
 中身はイレイザの家に覚えのない人間から手紙が届いたというものだった。イレイザはそれをローンの妻の仕業だと思っているようだった。フランシスは自分が書いたどの手紙がイレイザの家に投函されたのか覚えていなかった。そもそもイレイザの家がどこかなんて知らない。手紙は適当に投函している。
 フランシスは今度はローンのふりをしてイレイザ宛の返信を書いて冷蔵庫に置いた。この頃この周辺で覚えのない封筒が投函される珍事が多発していると。だからイレイザが僕にこれからも手紙を書き続けても、妻は君の書いたものを信じたりしないだろうと。
 冷蔵庫に返信封筒を置いてから三日目にその封筒は持ち出されていた。そして翌日イレイザから返信があった。最初に投函された差出人不明の手紙と今度の手紙の筆跡が同じだと気付いた。この頃あちこちに投函される宛名と差出人不明の手紙はローンの仕業だったのねと糾弾していた。警察に届けるとも書いてあった。
 フランシスは筆跡に思いが至らなかった自分の迂闊さを自分で嘲笑した。フランシスは今度は手紙を書くのをやめて、学校も休んで一日中家でイレイザが侵入してくるのを待った。トイレに入るタイミングでイレイザが来たりしないように朝からなるべく飲み物も控えてリビングのソファに深く身を沈めて待った。象のぬいぐるみがフランシスの両手できつく握られていた。
 午後一時にイレイザが家宅侵入してきた。泥棒がやるのと同じ手法で玄関の扉の鍵を開けていたようだった。リビングに忍び込んできたイレイザは、フランシスの姿を見て驚いた。
 「ローンなら留守よ」フランシスは恐る恐る立ち上がって、初対面のイレイザを確認しながら言った。
 イレイザは持ってきた手紙をリビングのローテーブルに置いた。「ローンと文通をしているの。返信を書いてきたわ」
「実はローンの家はこの一階下の家。ここは私だけが住んでいる。私はフランシスよ、イレイザ」フランシスは象を片手に持ったまま慌てたゼスチャーで説明した。
 「ローンはこのことを知っているの?」イレイザはポロポロと涙をこぼした。
 「最初の手紙だけは渡したけど、後は何も知らないし、関わってもいない」フランシスは象に謝る動作をさせながらぼそっと答えた。
 「もうローンに手紙は書かない。だからローンには何も言わないで」イレイザは両手で顔を覆って泣きながら訴えた。
 その夜、フランシスはイレイザからの最後の手紙を読んだ。離れて住む両親の家業を手伝うことにしたからもう二度と会うことはない。でも最後に一度だけ会いたい。今夜いつものバーで待っている。そう書いてあった。
 その後でフランシスは机で戯曲の続きを書いた。今夜はスラスラと書き進めることができた。フランシスはその戯曲を「何者かによる手紙」という題名にした。
 フランシスは真新しい便箋を出して何も書かずに封をした。差出人欄に「自分」と書いて、冷蔵庫の奥に置いた。そして象をきつく抱いてベッドで眠りについた。