2話

ー/ー



 いつも通り、私は一人で家を出た。

 門の前で深呼吸して、足を出す。馬車は使わない。使うと目立つ。学園まで少し遠いけど、歩ける距離だし、何より誰にも絡まれない。

(今日も、普通に登校して、普通に授業受けて、普通に帰る。普通が一番)

 そう思ったところで、背後から馬の蹄の音が近づいた。

 嫌な予感に肩をすくめて振り返ると、控えめだけど品のいい馬車が止まった。扉が開き、そこから顔を出したのは——エミリアだった。

「リゼット様!」

 昨日までの遠慮が嘘みたいに、目が真っ直ぐで、声が明るい。

「……え、どうしたの?」

 エミリアは胸の前で手を組み、まるで舞台の挨拶みたいに背筋を伸ばした。

「これから毎朝、この私が——お姉様をエスコートさせていただきます」

 言い切って、にこっと笑う。

「えっ」

 咄嗟に言葉が出ない。お姉様って呼び方、やめてって言ったのに。
 ていうか、エスコート?しかも“毎朝”って言った?

「え、えっと……」

「遠慮はいりません。昨日までの私は、遠慮しすぎでした」

 エミリアが馬車から降りて、すたすたとこちらへ来る。そして、私の腕にしれっと手を添えた。添えたというより、腕を取った。

「行きましょう、お姉様」

「ま、待って。私、歩いて——」

「歩きます。だって、腕を組んで歩くのがエスコートです」

「いや、馬車あるじゃん」

「馬車は荷物用です」

「荷物用?」

 エミリアは真顔で頷いた。

「はい。お姉様の荷物を乗せる用です。お姉様は私が運びます」

「運ぶって……私は、荷物じゃないんだけど」

「ええ、荷物なんてとんでもない!人ですよ。大切な人です」

 即答だった。私は言い返すタイミングを失い、変な声が出た。

「う、うん……?」

 その瞬間、別の馬車が滑るように近づいてきた。

 さっきのより明らかに高級で、明らかに“王家の匂い”がするやつ。扉が開き、レオンが降りてきた。爽やかな顔で。さらっと。

「おはよう、リゼット」

(最悪のタイミング)

 レオンは私を見るなり、普通のことみたいに言った。

「良い馬車を用意したから、こっちにおいで。紅茶もあるよ」

「紅茶……」

 言葉としては平和なのに、出てくる人物が王子だと破壊力が変わる。

 エミリアが腕をぎゅっと掴んだ。

「殿下。お姉様は、私が先にお誘いしたんです!」

 レオンは首を傾げる。

「はて? 順番は関係ないと思うけど。決めるのはリゼットだよ」

「決めるのはお姉様です。でも、今日は私が——!」

「先に声をかけたら勝ち、ってルール?」

「ルールじゃなくて、礼儀です!」

「礼儀なら、無理強いしないのが礼儀だよ」

「無理強いしてません!」

「腕を離してあげたら?」

「離しません!」

 エミリアが言い切った。

 私はその間、二人の視線が自分に集まっているのを感じながら、心の中で頭を抱えていた。

(なんで朝から私の取り合いが始まってるの。平和に登校したいだけなのに)

 レオンが私に向けて、やけに柔らかい声を出す。

「リゼット、寒くない? 馬車の中なら温かいよ」

 エミリアも負けずに言う。

「お姉様、外の空気を吸って歩いたほうが気持ちいいです。私が風よけになります」

「風よけって、君が前に出るの?」

「はい。盾になります」

「盾……」

 私は思わず呟いた。推しが盾になる宣言をしている。

 レオンが少し笑って、でも引かない。

「じゃあ僕は、もっと良い盾を雇うよ」

「殿下本人が盾みたいなものじゃないですか!」

「それ、褒めてる?」

「褒めてません!」

 もう完全に言い合いになっている。

 私はそっと、腕を引こうとした。エミリアの手が強い。強いけど、今のエミリアは“吹っ切れモード”なので、こちらが下手にやると余計強くなる予感がする。

(なら……)

 私は二人が言い合いを続けている隙に、足先だけ進行方向へ向けた。ゆっくり、ゆっくり。目線は二人の間に置いたまま、体だけ横へずらす。

 いける。今なら、誰も見てない。

 もう一歩。

「……あら」

 横から声がした。

 心臓が跳ねた。

 立っていたのは、クラリスの取り巻きの令嬢の一人だった。昨日のお礼参りだろうか。
 でも、その令嬢は妙に疲れた顔をしていて、私を見るなり小さく笑った。

「……あなた、昨日のことだけど」

「……は、はい」

「ありがとう」

「え?」

 思いもよらない言葉に、反射的に口から間抜けな声が出てしまった。

「私もクラリス様の横暴には疲れていたの。だから、貴方がはっきり言ってくれて胸がスッとした」

 彼女は、咳払いでもするみたいに言葉を整えた。

「ありがとう」

 私は反射的に「どういたしまして」と言いそうになって、変な間ができた。

「……あ、えっと……」

「はい、これで終わり。私、こういうの向いてないの」

 令嬢はそれだけ言うと、スカートをつまんで軽く一礼し、さっさと背を向けた。逃げるみたいに早足で去っていく。

 取り残された私は、ぽかんとした。

(え、今のなに。敵ではない……ってこと?)

 その背中が角を曲がって見えなくなった瞬間、後ろから2つの声が重なって飛んできた。

「リゼット!」

「お姉様!」

 振り向くと、レオンとエミリアがこちらへ来るところだった。二人とも、さっきまで言い合いをしていたのに、私がいなくなった瞬間に共同戦線を張った顔をしている。

 エミリアが私の前まで来て、息を切らしながら言った。

「お姉様、こんなところで何をしてたんですか!?」

「いや、私は普通に登校を——」

 言い終わる前に、レオンが私の逃げ道側に回り込み、さらっと言った。

「僕から逃げられるとでも思ったの?」

「思ってないけど、思いたかったです」

「本音だね」

 エミリアが私の手を取って、ぐいっと自分の方へ引く。

「お姉様は、ちゃんと私と一緒に行きます」

 レオンも負けずに、反対側から言う。

「紅茶、冷めちゃうよ」

「冷めてもいい!」

「よくないよ。朝は温かいものを飲んだほうがいい」

「殿下、生活指導みたいになってます!」

 私は両側から圧を受けながら、さっきの令嬢の言葉を思い出していた。

 “胸がスッとした”。

 たった一言の勇気で、誰かの気持ちが動くこともある。

(……面倒も増えるけど、悪いことばっかりじゃない、のかも)

 そんなことを考える前に、エミリアが顔を近づけて囁いた。

「お姉様。今日は、馬車じゃなくて歩きます。腕を組みます」

 反対側から、レオンが同じくらいの距離で言う。

「じゃあ僕は横を歩く。紅茶は、帰りに飲ませる」

「どんだけ紅茶飲ませたいんですか」

「飲むよね?」

「……状況次第」

 エミリアがむっとする。

「私が淹れます!」

「僕が用意するんだが」

「張り合わないでください!」

 私は言いながらも、なぜか笑ってしまった。

 朝から最悪に騒がしい。静かな登校は消えた。モブ生活も遠のいた。

 でも、袖を引っ張られて、腕を取られて、追いかけられて。

 それでも、前の世界の“誰にも気づかれない孤独”とは違う。

「……はいはい。分かったから、行きますよ。二人とも」

 そう言うと、エミリアがぱっと嬉しそうに笑い、レオンも満足そうに頷いた。

 こうして今日も、私は“普通”とは程遠い登校をすることになった。


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 いつも通り、私は一人で家を出た。
 門の前で深呼吸して、足を出す。馬車は使わない。使うと目立つ。学園まで少し遠いけど、歩ける距離だし、何より誰にも絡まれない。
(今日も、普通に登校して、普通に授業受けて、普通に帰る。普通が一番)
 そう思ったところで、背後から馬の蹄の音が近づいた。
 嫌な予感に肩をすくめて振り返ると、控えめだけど品のいい馬車が止まった。扉が開き、そこから顔を出したのは——エミリアだった。
「リゼット様!」
 昨日までの遠慮が嘘みたいに、目が真っ直ぐで、声が明るい。
「……え、どうしたの?」
 エミリアは胸の前で手を組み、まるで舞台の挨拶みたいに背筋を伸ばした。
「これから毎朝、この私が——お姉様をエスコートさせていただきます」
 言い切って、にこっと笑う。
「えっ」
 咄嗟に言葉が出ない。お姉様って呼び方、やめてって言ったのに。
 ていうか、エスコート?しかも“毎朝”って言った?
「え、えっと……」
「遠慮はいりません。昨日までの私は、遠慮しすぎでした」
 エミリアが馬車から降りて、すたすたとこちらへ来る。そして、私の腕にしれっと手を添えた。添えたというより、腕を取った。
「行きましょう、お姉様」
「ま、待って。私、歩いて——」
「歩きます。だって、腕を組んで歩くのがエスコートです」
「いや、馬車あるじゃん」
「馬車は荷物用です」
「荷物用?」
 エミリアは真顔で頷いた。
「はい。お姉様の荷物を乗せる用です。お姉様は私が運びます」
「運ぶって……私は、荷物じゃないんだけど」
「ええ、荷物なんてとんでもない!人ですよ。大切な人です」
 即答だった。私は言い返すタイミングを失い、変な声が出た。
「う、うん……?」
 その瞬間、別の馬車が滑るように近づいてきた。
 さっきのより明らかに高級で、明らかに“王家の匂い”がするやつ。扉が開き、レオンが降りてきた。爽やかな顔で。さらっと。
「おはよう、リゼット」
(最悪のタイミング)
 レオンは私を見るなり、普通のことみたいに言った。
「良い馬車を用意したから、こっちにおいで。紅茶もあるよ」
「紅茶……」
 言葉としては平和なのに、出てくる人物が王子だと破壊力が変わる。
 エミリアが腕をぎゅっと掴んだ。
「殿下。お姉様は、私が先にお誘いしたんです!」
 レオンは首を傾げる。
「はて? 順番は関係ないと思うけど。決めるのはリゼットだよ」
「決めるのはお姉様です。でも、今日は私が——!」
「先に声をかけたら勝ち、ってルール?」
「ルールじゃなくて、礼儀です!」
「礼儀なら、無理強いしないのが礼儀だよ」
「無理強いしてません!」
「腕を離してあげたら?」
「離しません!」
 エミリアが言い切った。
 私はその間、二人の視線が自分に集まっているのを感じながら、心の中で頭を抱えていた。
(なんで朝から私の取り合いが始まってるの。平和に登校したいだけなのに)
 レオンが私に向けて、やけに柔らかい声を出す。
「リゼット、寒くない? 馬車の中なら温かいよ」
 エミリアも負けずに言う。
「お姉様、外の空気を吸って歩いたほうが気持ちいいです。私が風よけになります」
「風よけって、君が前に出るの?」
「はい。盾になります」
「盾……」
 私は思わず呟いた。推しが盾になる宣言をしている。
 レオンが少し笑って、でも引かない。
「じゃあ僕は、もっと良い盾を雇うよ」
「殿下本人が盾みたいなものじゃないですか!」
「それ、褒めてる?」
「褒めてません!」
 もう完全に言い合いになっている。
 私はそっと、腕を引こうとした。エミリアの手が強い。強いけど、今のエミリアは“吹っ切れモード”なので、こちらが下手にやると余計強くなる予感がする。
(なら……)
 私は二人が言い合いを続けている隙に、足先だけ進行方向へ向けた。ゆっくり、ゆっくり。目線は二人の間に置いたまま、体だけ横へずらす。
 いける。今なら、誰も見てない。
 もう一歩。
「……あら」
 横から声がした。
 心臓が跳ねた。
 立っていたのは、クラリスの取り巻きの令嬢の一人だった。昨日のお礼参りだろうか。
 でも、その令嬢は妙に疲れた顔をしていて、私を見るなり小さく笑った。
「……あなた、昨日のことだけど」
「……は、はい」
「ありがとう」
「え?」
 思いもよらない言葉に、反射的に口から間抜けな声が出てしまった。
「私もクラリス様の横暴には疲れていたの。だから、貴方がはっきり言ってくれて胸がスッとした」
 彼女は、咳払いでもするみたいに言葉を整えた。
「ありがとう」
 私は反射的に「どういたしまして」と言いそうになって、変な間ができた。
「……あ、えっと……」
「はい、これで終わり。私、こういうの向いてないの」
 令嬢はそれだけ言うと、スカートをつまんで軽く一礼し、さっさと背を向けた。逃げるみたいに早足で去っていく。
 取り残された私は、ぽかんとした。
(え、今のなに。敵ではない……ってこと?)
 その背中が角を曲がって見えなくなった瞬間、後ろから2つの声が重なって飛んできた。
「リゼット!」
「お姉様!」
 振り向くと、レオンとエミリアがこちらへ来るところだった。二人とも、さっきまで言い合いをしていたのに、私がいなくなった瞬間に共同戦線を張った顔をしている。
 エミリアが私の前まで来て、息を切らしながら言った。
「お姉様、こんなところで何をしてたんですか!?」
「いや、私は普通に登校を——」
 言い終わる前に、レオンが私の逃げ道側に回り込み、さらっと言った。
「僕から逃げられるとでも思ったの?」
「思ってないけど、思いたかったです」
「本音だね」
 エミリアが私の手を取って、ぐいっと自分の方へ引く。
「お姉様は、ちゃんと私と一緒に行きます」
 レオンも負けずに、反対側から言う。
「紅茶、冷めちゃうよ」
「冷めてもいい!」
「よくないよ。朝は温かいものを飲んだほうがいい」
「殿下、生活指導みたいになってます!」
 私は両側から圧を受けながら、さっきの令嬢の言葉を思い出していた。
 “胸がスッとした”。
 たった一言の勇気で、誰かの気持ちが動くこともある。
(……面倒も増えるけど、悪いことばっかりじゃない、のかも)
 そんなことを考える前に、エミリアが顔を近づけて囁いた。
「お姉様。今日は、馬車じゃなくて歩きます。腕を組みます」
 反対側から、レオンが同じくらいの距離で言う。
「じゃあ僕は横を歩く。紅茶は、帰りに飲ませる」
「どんだけ紅茶飲ませたいんですか」
「飲むよね?」
「……状況次第」
 エミリアがむっとする。
「私が淹れます!」
「僕が用意するんだが」
「張り合わないでください!」
 私は言いながらも、なぜか笑ってしまった。
 朝から最悪に騒がしい。静かな登校は消えた。モブ生活も遠のいた。
 でも、袖を引っ張られて、腕を取られて、追いかけられて。
 それでも、前の世界の“誰にも気づかれない孤独”とは違う。
「……はいはい。分かったから、行きますよ。二人とも」
 そう言うと、エミリアがぱっと嬉しそうに笑い、レオンも満足そうに頷いた。
 こうして今日も、私は“普通”とは程遠い登校をすることになった。