第七十話 桜花爛漫
ー/ー
分かる……、拓磨が雷龍と戦っている。
私は何をしているのだ、早く彼を助けにいかなければ。
『華葉……、華葉』
私を呼ぶその声に、そっと目を開いた。この姿になってから何度も聞く声だ。
体を起こすと自分が不思議な空間に浮かんでいることに気がついた。ここは何処だ、そういえば私は確か雷龍に食われて……。
死んだのか、拓磨を置いて。
そう思うと全身に悪寒が走った。拓磨を守ると誓ったのに私が先に死んでしまった。彼はまだ雷龍と戦っているのに、どうしたら良いのだ。それにまだ拓磨には言いたいことが山ほどあるのに。
「くそっ! 拓磨、雫……すまない」
何もすることができない自分に腹が立ち、止めどなく涙だけが溢れる。
悔しい。お前もこんな気持ちだったろうな、暁。
『華葉、まだ終わっていませんよ』
再び聞こえた声に顔を上げると、視線の先にどこか見覚えのある女の人が立っていた。とても気品のある雰囲気で、淡い緑色の衣を羽織っており、何よりその優しい眼差しは〝彼〟のものによく似ていた。
あぁ、思い出した。その目は間違いなくそうだ。
「お前は……拓磨の母、吉乃か。お前だったのか、私にずっと声をかけていたのは」
私がそう言うと彼女はゆっくり頷いた。
『えぇ、ここはあなたの意識の中です。あなたは雷龍に取り込まれましたが、まだ〝あなたとしての気魂〟は残っています』
私としての気魂は残っている……?
難しいことはよく分からないが、どうやら死んだわけではないらしい。いや、肉体がなければ死んだも同然か。そもそも肉体があることが不思議なわけだしな。
「私は一体、何なのだ吉乃。お前の形見の桜ではないのか」
『そうです。あなたが雷龍の妖術を受けた時、その妖気で妖怪として転生するように私の力で送りました。私には命を落としたら魂が桜に移る呪を掛けていたのです。だから私は、あなたとあの桜で共存していました』
吉乃が命を落としたのは、雅章が妖怪を使って彼女を暗殺した、あの日だ。吉乃は安曇の陥落を目論む雅章の不穏な動きに気づいていたらしく、自分の命が狙われていることを悟った。
だが拓磨のことを案じた彼女は、自分の命が尽きた時、魂は天ではなく桜に移るよう呪を尊に掛けさせたのだと言う。
そして桜には〝私〟と吉乃の意識の二つが混在した。
私の記憶があの日から曖昧なのは、吉乃の意識が入り込んだためらしい。
そして雷龍が現れ偶然にも桜に大量の妖気が流れた。その力と、吉乃が拓磨を案じる強い思念が私を妖怪として具現化させた。
だとしたらやはり私は、〝私〟ではなく吉乃の意識なのではないのか。
拓磨を思う気持ちも母としてのものではないのか。
『でも、あなたはあなたです。華葉』
私の気持ちを悟ったように、彼女は柔らかい微笑みを浮かべてそう言った。
『華葉は華葉としての気魂を持っています。あなたは桜であった時から拓磨を好いていたでしょう? 華葉が妖怪化したのは、あなたの強い想いも作用しているのです』
――あぁ、そうだ。
私は桜であった時から、拓磨の優しい目が、声が、大好きだった。
一度でいいからお前に会いにいきたかった。
私もお前をずっと見守っていると、伝えたかったのだ。
「なら吉乃。もう一度、拓磨の元に行くにはどうしたら良い!? 拓磨はまだ戦っているのだ、このままでは拓磨は――」
『えぇ、拓磨はこのままでは雷龍に食われずとも、五行気の怒りで死んでしまいます。残された私の力で、あなたをもう一度地上へ送りましょう。ですが……』
吉乃は私の両手を掴んで悲しそうに目を伏せた。
『私の力はもう長く持ちません。華葉が地上にいられるのも、ごく僅かな時間です』
つまりそれは……、拓磨とずっと一緒にはいられないということか。
突きつけられた結論に胸が締め付けられたが、私は込み上げるものを飲み込んだ。
いや、十分だ。もう十分すぎるぐらい拓磨に、そして暁や雫にも沢山のものをもらった。最後にその恩を返せるなら私はどうなっても構わない。
「分かった。だがどうやって戦う? 雷龍は倒せても、五行気の怒りまでは――」
『それは我々に任せなさい、華葉』
私の問いに答えたのは吉乃ではなく、突然聞こえた男の声だった。
振り返るとそこには拓磨の父・尊と、彼の顔によく似た別の男二人が立っていた。
『未熟な息子なりにアレはよく頑張ったが、まだまだ苦労してもらわねばな』
『そんなこと言って、本当は心配なのであろう尊。私も孫の活躍が嬉しいぞ』
『お前たち、流暢なことを言っている暇はないぞ。五行気の怒りは始まっている』
えーっと。誰だ、このオッサンたちは。
深く考える間もなく、私の体が淡い紅色に光り出し、視界がぼやける。
『華葉! 拓磨のこと、よろしく頼みましたよ……――――!』
◇
胸が、苦しい。
まだ雷龍との決着もついていないのに、意識が朦朧とする。
風向きが変わり、嵐の臭いがする……これは雷龍の力ではない。やはり五行気の怒りは、消滅したわけではなかったのか。
「どうした、拓磨。随分と苦しそうではないか」
事情は分かっていないであろうが、雅章殿は形勢逆転といわんばかりに余裕の笑みを浮かべて、私の元へ近づいてきた。そして四つん這いになっている私を、卑下する目で見下し力の限りに蹴り上げた。
「ごふっ……!」
「無様だのう、拓磨よ。やはりお前には魁の資格は見合わぬのではないか? もう良いだろう、お前はよく貢献した。さっさと雷龍に食われて楽になれ」
雅章は雷龍を呼び、奴の巨体が私へと近づく。
これまでか……。諦めたくはないものの動くこともままならず、ただ激しい胸の痛みに胸ぐらを掴んだ。するとその時、私は懐に入れていたある感触に気がついた。
それは、華葉の文。彼女が私のために書いてくれた、切ない歌。
……お前と共に帰ることも、もう叶わないのか?
雷龍の橙の瞳が光り、その口を開いて今にも私を呑み込まんとしていた。だが舌先が腕に触れても体は動こうとしない。
――華葉。
『――――ッ!? ぐっ、あがぁああ! ふぬぅうんん……ッ』
「な、何事か雷龍!? 一体どうした!」
雷龍が口に含む正に寸前、奴は巨体を振り乱して突然暴れ始めた。それを見て雅章が慌てふためく声を聞きながら、悲鳴を上げる体を何とか起こして状況を確認しようとした。
すると次の瞬間、力強く凜とした声が雷龍の中からこだまし、奴を薄紅色の光で包み込んだ。
「――桜妖術・一の技、桜蕾妖受ッ!」
雷龍の全身を花の蕾が寄生し、奴の背から何かが打ち破って飛び出してきた。
桜色の衣を翻し、栗色の長い髪を靡かせて降臨する彼女の姿が、神々しく光る。
雷龍に無数に付加した蕾は奴の妖気を吸収して、今にもはち切れんばかりに膨らんでいた。妖怪にとって妖気は正に〝生気〟。それを体の内側からも外側からも吸収されて藻掻き苦しむ雷龍に、華葉は次の段階の術を展開した。
「桜妖術・二の技、桜開波動……!」
蕾は一斉に花開き、吸収した妖気と同等の力の波動を放出。雷龍の神経を刺激して奴は巨体をくねらせた。清涼殿や紫宸殿が粉々になって破壊されていき、白砂と混じって灰色の煙が舞うが、五行気の怒りが呼んだ嵐によって降り始めた雨でかき消されていく。
風もかなり強くなってきた。雷龍の稲妻なのか、もはやどちらか見分けがつかぬ。
華葉が最後の術を展開しようとしたが、そこで雅章殿が嘉納家系術の寄種蓮を発動し、蔦で彼女の体を空中に拘束した。
「おのれ、華葉! ウジ虫の如くしぶとい妖怪の出来損ないめ……!」
「させるかッ、雅章!!」
私は雅章殿に掴みかかったが軽々と投げ捨てられた。私の顔も服もボロボロな上に己の血と泥に塗れている。体中が悲鳴を上げ、息をするのさえ激痛が走った。
それでも私は立ち上がる。華葉が戦っているのだ、私もまだ諦めない。
だが雅章殿をどうやって止めたら良い。魁の術は全て頭に入っているが、まともに食らわせてはあの男を殺してしまう。私はあの男を連れ帰ると蒼士と約束した。そんな都合の良い術など……ましてやこれ以上術を展開しては、私の命さえ。
否、自分の身を案じていては魁は務まらない。
考えろ、歴代の陰陽師たちはどうやって術を考案した。
曾祖父上・環喜は土壇場で陰陽師たちの五気術の記憶を奪った。私にもそれができるはずだ。私は術をどう使っている。術を放つ時、何を思って……。
――想像。五行の気が作り出す万物と、それを具現化する想像力。
「それだ!」
雅章は嵐の中、へばりつく髪をたくし上げて護符を華葉へと掲げる。
口角を上げて勝ち誇った顔をする男に、私は高らかに叫んだ。
「急々如律令、天風吹花――――!!」
◇
拓磨が術を放った瞬間、私を拘束していた蔦が消失した。眼下では雅章は勿論、拓磨までもが膝から崩れ落ちてその場に倒れ込んだ。そのまま二人ともピクリともせず、生きているか死んでいるかも分からない。
「拓磨……くっ!」
今すぐにでも傍に行きたいが、この機会を逃すわけにはいかない。私に残されたありったけの妖気を込めて、この雷龍を殲滅する。
『や、やめろぉおお! 雅章、何とかしろぉおおお!!』
雷龍は呆れるほどに赤子の如く喚いている。なるほど、巨体の割りには大した奴ではなかったのだ。力を求めるあまり妖気ばかりが大きくなり、己の精神はそうでもなかったようだ。
外側だけを立派に飾ったところで、内側が変わらなければその強さも無意味。お前はただの図体がデカい妖気の塊だ。
――桜よ、雷龍を無に帰して散れ。
「桜妖術・三の技、桜花散舞……ッ!!」
刹那。
雷龍の全身に咲き誇っていた花弁が飛散し始め、一枚、また一枚と空へ舞い上がる。嵐の中、雷龍の体は端から土が崩れるように綻び、桜と共に消えていく。
『おぉ……うぬぅうっ。折角、ここまで……ぎゃあぁぁぁ――――ッ……」
闇夜に吸い込まれるように響く雷龍の雄叫びを残し、奴は消滅した。
「……拓磨。拓磨ッ!」
その余韻も束の間に、私は急いで地上に足を降ろして拓磨の元へ駆け寄った。彼を抱き寄せると、細々とした呼吸をしているが意識はない。拓磨の血が降り注ぐ雨を真っ赤に染めて、すっかり剥げた白砂の上に小さな池を作っている。
雷龍は消えたが嵐は強まるばかりだ。祈るように空を見上げていると、今度は不気味に地響きが起こり始める。
天変地異――、その表現が正に相応しい。
「もうやめてくれ、拓磨が何をした!? 五行気か何だか知らぬが、これ以上拓磨を苦しめるというなら私が――」
『そんな御託を並べても怒りは収まらぬよ。言ったであろう、我らに任せよと』
男の声と共に私と拓磨の周りに三本の光柱が降りて、先ほど私の意識の中で出会った尊たちが姿を現した。彼らの体は透けていて実体はないらしい。
尊は息子の力なく気を失った顔を見ると、小さく溜め息を吐いて微笑んだ。
『まったく、世話のかかる息子だ。……だが、よくぞここまでやった』
『尊よ、時間がない。助規、早急に取りかかるぞ』
『はっ、環喜様』
一番年配の男の言葉に二人は頷いて三角状に整列した。すると更に彼らの間に二本の光柱が降り、二人の女性が姿を現す。全員が念じるように両手を合わせると、地面に彼らを頂点にした金色の五芒星が浮かび上がった。
光を発したそれは次第に強くなり、空へと突き刺さるように昇った。後から降り立った女性の二人、吉乃と彼女は最後に優しく微笑んだ。
「ッ……、あかつ――――」
『五行気よ、我々の魂をお授け申す。どうかその怒りを静め賜え……!』
その強い光に私は目が眩んだ――。
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『華葉……、華葉』
私を呼ぶその声に、そっと目を開いた。この姿になってから何度も聞く声だ。
体を起こすと自分が不思議な空間に浮かんでいることに気がついた。ここは何処だ、そういえば私は確か雷龍に食われて……。
死んだのか、拓磨を置いて。
そう思うと全身に悪寒が走った。拓磨を守ると誓ったのに私が先に死んでしまった。彼はまだ雷龍と戦っているのに、どうしたら良いのだ。それにまだ拓磨には言いたいことが山ほどあるのに。
「くそっ! 拓磨、雫……すまない」
何もすることができない自分に腹が立ち、止めどなく涙だけが溢れる。
悔しい。お前もこんな気持ちだったろうな、暁。
『華葉、まだ終わっていませんよ』
再び聞こえた声に顔を上げると、視線の先にどこか見覚えのある女の人が立っていた。とても気品のある雰囲気で、淡い緑色の衣を羽織っており、何よりその優しい眼差しは〝彼〟のものによく似ていた。
あぁ、思い出した。その目は間違いなくそうだ。
「お前は……拓磨の母、吉乃か。お前だったのか、私にずっと声をかけていたのは」
私がそう言うと彼女はゆっくり頷いた。
『えぇ、ここはあなたの意識の中です。あなたは雷龍に取り込まれましたが、まだ〝あなたとしての気魂〟は残っています』
私としての気魂は残っている……?
難しいことはよく分からないが、どうやら死んだわけではないらしい。いや、肉体がなければ死んだも同然か。そもそも肉体があることが不思議なわけだしな。
「私は一体、何なのだ吉乃。お前の形見の桜ではないのか」
『そうです。あなたが雷龍の妖術を受けた時、その妖気で妖怪として転生するように私の力で送りました。私には命を落としたら魂が桜に移る|呪《しゅ》を掛けていたのです。だから私は、あなたとあの桜で共存していました』
吉乃が命を落としたのは、雅章が妖怪を使って彼女を暗殺した、あの日だ。吉乃は安曇の陥落を目論む雅章の不穏な動きに気づいていたらしく、自分の命が狙われていることを悟った。
だが拓磨のことを案じた彼女は、自分の命が尽きた時、魂は天ではなく桜に移るよう呪を|尊《たける》に掛けさせたのだと言う。
そして桜には〝私〟と吉乃の意識の二つが混在した。
私の記憶があの日から曖昧なのは、吉乃の意識が入り込んだためらしい。
そして雷龍が現れ偶然にも桜に大量の妖気が流れた。その力と、吉乃が拓磨を案じる強い思念が私を妖怪として具現化させた。
だとしたらやはり私は、〝私〟ではなく吉乃の意識なのではないのか。
拓磨を思う気持ちも母としてのものではないのか。
『でも、あなたはあなたです。華葉』
私の気持ちを悟ったように、彼女は柔らかい微笑みを浮かべてそう言った。
『華葉は華葉としての気魂を持っています。あなたは桜であった時から拓磨を好いていたでしょう? 華葉が妖怪化したのは、あなたの強い想いも作用しているのです』
――あぁ、そうだ。
私は桜であった時から、拓磨の優しい目が、声が、大好きだった。
一度でいいからお前に会いにいきたかった。
私もお前をずっと見守っていると、伝えたかったのだ。
「なら吉乃。もう一度、拓磨の元に行くにはどうしたら良い!? 拓磨はまだ戦っているのだ、このままでは拓磨は――」
『えぇ、拓磨はこのままでは雷龍に食われずとも、五行気の怒りで死んでしまいます。残された私の力で、あなたをもう一度地上へ送りましょう。ですが……』
吉乃は私の両手を掴んで悲しそうに目を伏せた。
『私の力はもう長く持ちません。華葉が地上にいられるのも、ごく僅かな時間です』
つまりそれは……、拓磨とずっと一緒にはいられないということか。
突きつけられた結論に胸が締め付けられたが、私は込み上げるものを飲み込んだ。
いや、十分だ。もう十分すぎるぐらい拓磨に、そして暁や雫にも沢山のものをもらった。最後にその恩を返せるなら私はどうなっても構わない。
「分かった。だがどうやって戦う? 雷龍は倒せても、五行気の怒りまでは――」
『それは我々に任せなさい、華葉』
私の問いに答えたのは吉乃ではなく、突然聞こえた男の声だった。
振り返るとそこには拓磨の父・尊と、彼の顔によく似た別の男二人が立っていた。
『未熟な息子なりにアレはよく頑張ったが、まだまだ苦労してもらわねばな』
『そんなこと言って、本当は心配なのであろう尊。私も孫の活躍が嬉しいぞ』
『お前たち、流暢なことを言っている暇はないぞ。五行気の怒りは始まっている』
えーっと。誰だ、このオッサンたちは。
深く考える間もなく、私の体が淡い紅色に光り出し、視界がぼやける。
『華葉! 拓磨のこと、よろしく頼みましたよ……――――!』
◇
胸が、苦しい。
まだ雷龍との決着もついていないのに、意識が朦朧とする。
風向きが変わり、嵐の臭いがする……これは雷龍の力ではない。やはり五行気の怒りは、消滅したわけではなかったのか。
「どうした、拓磨。随分と苦しそうではないか」
事情は分かっていないであろうが、雅章殿は形勢逆転といわんばかりに余裕の笑みを浮かべて、私の元へ近づいてきた。そして四つん這いになっている私を、卑下する目で見下し力の限りに蹴り上げた。
「ごふっ……!」
「無様だのう、拓磨よ。やはりお前には魁の資格は見合わぬのではないか? もう良いだろう、お前はよく貢献した。さっさと雷龍に食われて楽になれ」
雅章は雷龍を呼び、奴の巨体が私へと近づく。
これまでか……。諦めたくはないものの動くこともままならず、ただ激しい胸の痛みに胸ぐらを掴んだ。するとその時、私は懐に入れていたある感触に気がついた。
それは、華葉の文。彼女が私のために書いてくれた、切ない歌。
……お前と共に帰ることも、もう叶わないのか?
雷龍の橙の瞳が光り、その口を開いて今にも私を呑み込まんとしていた。だが舌先が腕に触れても体は動こうとしない。
――華葉。
『――――ッ!? ぐっ、あがぁああ! ふぬぅうんん……ッ』
「な、何事か雷龍!? 一体どうした!」
雷龍が口に含む正に寸前、奴は巨体を振り乱して突然暴れ始めた。それを見て雅章が慌てふためく声を聞きながら、悲鳴を上げる体を何とか起こして状況を確認しようとした。
すると次の瞬間、力強く凜とした声が雷龍の中からこだまし、奴を薄紅色の光で包み込んだ。
「――桜妖術・一の|技《ぎ》、|桜蕾妖受《おうらいようじゅ》ッ!」
雷龍の全身を花の蕾が寄生し、奴の背から何かが打ち破って飛び出してきた。
桜色の衣を翻し、栗色の長い髪を靡かせて降臨する彼女の姿が、神々しく光る。
雷龍に無数に付加した蕾は奴の妖気を吸収して、今にもはち切れんばかりに膨らんでいた。妖怪にとって妖気は正に〝生気〟。それを体の内側からも外側からも吸収されて藻掻き苦しむ雷龍に、華葉は次の段階の術を展開した。
「桜妖術・二の技、|桜開波動《おうかいはどう》……!」
蕾は一斉に花開き、吸収した妖気と同等の力の波動を放出。雷龍の神経を刺激して奴は巨体をくねらせた。清涼殿や紫宸殿が粉々になって破壊されていき、白砂と混じって灰色の煙が舞うが、五行気の怒りが呼んだ嵐によって降り始めた雨でかき消されていく。
風もかなり強くなってきた。雷龍の稲妻なのか、もはやどちらか見分けがつかぬ。
華葉が最後の術を展開しようとしたが、そこで雅章殿が嘉納家系術の|寄種蓮《きしょうれん》を発動し、|蔦《つた》で彼女の体を空中に拘束した。
「おのれ、華葉! ウジ虫の如くしぶとい妖怪の出来損ないめ……!」
「させるかッ、雅章!!」
私は雅章殿に掴みかかったが軽々と投げ捨てられた。私の顔も服もボロボロな上に己の血と泥に塗れている。体中が悲鳴を上げ、息をするのさえ激痛が走った。
それでも私は立ち上がる。華葉が戦っているのだ、私もまだ諦めない。
だが雅章殿をどうやって止めたら良い。魁の術は全て頭に入っているが、まともに食らわせてはあの男を殺してしまう。私はあの男を《《連れ帰る》》と蒼士と約束した。そんな都合の良い術など……ましてやこれ以上術を展開しては、私の命さえ。
否、自分の身を案じていては魁は務まらない。
考えろ、歴代の陰陽師たちはどうやって術を考案した。
曾祖父上・|環喜《たまき》は土壇場で陰陽師たちの五気術の記憶を奪った。私にもそれができるはずだ。私は術をどう使っている。術を放つ時、何を思って……。
――想像。五行の気が作り出す万物と、それを具現化する想像力。
「それだ!」
雅章は嵐の中、へばりつく髪をたくし上げて護符を華葉へと掲げる。
口角を上げて勝ち誇った顔をする男に、私は高らかに叫んだ。
「|急々如律令《きゅうきゅうにょりつりょう》、|天風吹花《てんぷうすいか》――――!!」
◇
拓磨が術を放った瞬間、私を拘束していた蔦が消失した。眼下では雅章は勿論、拓磨までもが膝から崩れ落ちてその場に倒れ込んだ。そのまま二人ともピクリともせず、生きているか死んでいるかも分からない。
「拓磨……くっ!」
今すぐにでも傍に行きたいが、この機会を逃すわけにはいかない。私に残されたありったけの妖気を込めて、この雷龍を殲滅する。
『や、やめろぉおお! 雅章、何とかしろぉおおお!!』
雷龍は呆れるほどに赤子の如く喚いている。なるほど、巨体の割りには大した奴ではなかったのだ。力を求めるあまり妖気ばかりが大きくなり、己の精神はそうでもなかったようだ。
外側だけを立派に飾ったところで、内側が変わらなければその強さも無意味。お前はただの図体がデカい妖気の塊だ。
――桜よ、雷龍を無に帰して散れ。
「桜妖術・三の技、|桜花散舞《おうかさんぶ》……ッ!!」
刹那。
雷龍の全身に咲き誇っていた花弁が飛散し始め、一枚、また一枚と空へ舞い上がる。嵐の中、雷龍の体は端から土が崩れるように綻び、桜と共に消えていく。
『おぉ……うぬぅうっ。折角、ここまで……ぎゃあぁぁぁ――――ッ……」
闇夜に吸い込まれるように響く雷龍の雄叫びを残し、奴は消滅した。
「……拓磨。拓磨ッ!」
その余韻も束の間に、私は急いで地上に足を降ろして拓磨の元へ駆け寄った。彼を抱き寄せると、細々とした呼吸をしているが意識はない。拓磨の血が降り注ぐ雨を真っ赤に染めて、すっかり剥げた白砂の上に小さな池を作っている。
雷龍は消えたが嵐は強まるばかりだ。祈るように空を見上げていると、今度は不気味に地響きが起こり始める。
天変地異――、その表現が正に相応しい。
「もうやめてくれ、拓磨が何をした!? 五行気か何だか知らぬが、これ以上拓磨を苦しめるというなら私が――」
『そんな御託を並べても怒りは収まらぬよ。言ったであろう、我らに任せよと』
男の声と共に私と拓磨の周りに三本の光柱が降りて、先ほど私の意識の中で出会った尊たちが姿を現した。彼らの体は透けていて実体はないらしい。
尊は息子の力なく気を失った顔を見ると、小さく溜め息を吐いて微笑んだ。
『まったく、世話のかかる息子だ。……だが、よくぞここまでやった』
『尊よ、時間がない。|助規《たすき》、早急に取りかかるぞ』
『はっ、|環喜《(祖)父上》様』
一番年配の男の言葉に二人は頷いて三角状に整列した。すると更に彼らの間に二本の光柱が降り、二人の女性が姿を現す。全員が念じるように両手を合わせると、地面に彼らを頂点にした金色の五芒星が浮かび上がった。
光を発したそれは次第に強くなり、空へと突き刺さるように昇った。後から降り立った女性の二人、吉乃と《《彼女》》は最後に優しく微笑んだ。
「ッ……、あかつ――――」
『五行気よ、我々の魂をお授け申す。どうかその怒りを静め賜え……!』
その強い光に私は目が眩んだ――。