ep127 エレサ②

ー/ー



  【4】


 翌日。
 俺は朝早くから街をブラついていた。いつ何が起こった時でも適切な対応ができるよう街を把握しておくためだ。

「クオリーメンにいた頃は想像もしていなかったよなぁ。こういう場所は……」

 点々と佇立する廃屋のような建物。黒ずんだネズミを睨むみすぼらしい猫に汚らしい野良犬。不必要に広い街路をさびしく吹き抜ける冷たい風。
 この肌寒さは朝だから? それとも?

「ねえクロー。待って」

 物憂げに街を見渡しながら歩く俺に向かって誰かの声が届いた。振り向くと、声の主はエレサだった。

「クロー。わたしも一緒にいい?」

 エレサは上目でもじもじと訊いてきた。完全に女の子の仕草だ。

「いいけど」

 断る理由もなく、すんなり承諾してから再び歩き始めた。歩きながら、昨日からのエレサのことを思い起こした。何かそれまでとは様子の違う彼女。俺に何か、伝えたいことでもあるのだろうか。

「ねえクロー」

 エレサは小走りで俺の隣に並んだ。俺は歩く速度を緩める。

「なんだ?」

「クローは、その……」

「?」

「ど、どんな異性が好きなのかなぁ、と思って……」

「えっ?」

 つい立ち止まってしまった。

「クロー?」

 エレサも立ち止まった。
 沈黙するふたり。朝の風の音がひんやりと耳をかすめる。

「あの、エレサ」

 俺は再び歩き出した。エレサもついてくる。

「なに?」

「俺はサンダースでの戦いで、結果的にエレサを救ったけど、一歩間違えば命を奪いかねなかった」

「うん」

「それについて、なにか思うことはないのか?」

「思うこと? 感謝は伝えたよ?」

「じゃなくて……もっと別の、悪い感情というか」

「ない。そんなのない。だってクローは確信していた。その上でやった。違う?」

「それは俺を買い被りすぎだよ」

「そんなことない。クローは最初からわたしを傷つけようとはしなかった。それはわたしが本当は戦いを望んでいなかったことを見抜いていたからでしょ? それにクローの行動には一切の迷いがない。昨日だってそう。たくさん嫌な経験をしてきたわたしにはわかるの。だからわたしはクローを信用している」

「そうか……。まだ知り合って日も浅いのにな」

「それはシヒロたちだってそんなに変わらないでしょ?」

「まあそうだけど」

「ねえクロー。さっきの質問の答えは?」

「さっきの質問って?」

「好きな異性のこと。ねえ答えて」

 エレサはませた少女のようにねだるような視線を浴びせてくる。
(これはどう答えるべきだろうか……)
 剣を持って戦い始めて以降は、異性や恋愛について微塵も考えたことがなかった。今はもうそれどころじゃないからだ。
 
「ねえクロー」

 俺が答えあぐねていると、ふいにエレサは俺の正面に回ってきた。それから俺の右手をスッと取り、それを自らの胸に持っていき、ペタっと当てた。

「エレサ?」

 掌から彼女の胸の感触が伝わった。女性らしい、甘いふくらみの感触。

「クローが突き刺したわたしの胸」

 エレサは静かに沸きたつような瞳でじっと俺を見据えた。おそろしい目だ。

「あ、ああ。そうだな」

「治したのはシヒロの魔法。でも、わたしを呼び戻したのはクローの声」

「聞こえていたのか?」

「うん。最初はかすかに。その後は確かに」

「そうか」

「正直に言うとね? わたしはあの時、やっと死ねるって思ったの」

「……」

「もう、生きたくなかったから」

「……」

「でも、クローの声が届いた。クローの言葉が届いた。途端にわたしは、まだ死ねないって思ったの。たとえ生きていても、苦しいことばかりでも、それでもまだ、わたしは諦めきれなかったの。人も世界も、このわたし自身も」

「ああ」

「わたしはクローのことをまったく知らないし、クローもわたしのことをまったく知らない。けれど、クローがわたしを呼び戻したの。生に呼び戻したの」

「ああ」

「自分でもよくわからない。でも、クローの声は確かにわたしに届いた」

「……」

「わたしはクローのことをもっと知りたい。わたしのことももっと知ってほしい。これが恋なのかはわからないけど……とにかくわたしはクローのことを知りたいの。だから教えてほしいの」

 早朝の光を反映したエレサの紫色の瞳は、朝露に濡れたラベンダーのように美しく輝いていた。 
 彼女をしかと見つめているうちに、俺の中にあったエレサ像が変貌し始める。どこかさびしく暗い印象だったはずのダークエルフは、気がつけば健やかで瑞々しい小麦色の乙女となっていた。

「エレサ……」

 なんの言葉も返せない。返すべき言葉が見つからない。なぜなら俺には、もうわずかな人生しか残っていないから。
 だからシヒロとも必要以上には親交を深めようとしなかった。幸いシヒロは俺に対して過大なイメージを抱いているのか、様々に遠慮してくれている。それは俺にとって都合が良かった。今の俺が相手と関係を深めても、相手を騙しているような気がするから。……。


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  【4】
 翌日。
 俺は朝早くから街をブラついていた。いつ何が起こった時でも適切な対応ができるよう街を把握しておくためだ。
「クオリーメンにいた頃は想像もしていなかったよなぁ。こういう場所は……」
 点々と佇立する廃屋のような建物。黒ずんだネズミを睨むみすぼらしい猫に汚らしい野良犬。不必要に広い街路をさびしく吹き抜ける冷たい風。
 この肌寒さは朝だから? それとも?
「ねえクロー。待って」
 物憂げに街を見渡しながら歩く俺に向かって誰かの声が届いた。振り向くと、声の主はエレサだった。
「クロー。わたしも一緒にいい?」
 エレサは上目でもじもじと訊いてきた。完全に女の子の仕草だ。
「いいけど」
 断る理由もなく、すんなり承諾してから再び歩き始めた。歩きながら、昨日からのエレサのことを思い起こした。何かそれまでとは様子の違う彼女。俺に何か、伝えたいことでもあるのだろうか。
「ねえクロー」
 エレサは小走りで俺の隣に並んだ。俺は歩く速度を緩める。
「なんだ?」
「クローは、その……」
「?」
「ど、どんな異性が好きなのかなぁ、と思って……」
「えっ?」
 つい立ち止まってしまった。
「クロー?」
 エレサも立ち止まった。
 沈黙するふたり。朝の風の音がひんやりと耳をかすめる。
「あの、エレサ」
 俺は再び歩き出した。エレサもついてくる。
「なに?」
「俺はサンダースでの戦いで、結果的にエレサを救ったけど、一歩間違えば命を奪いかねなかった」
「うん」
「それについて、なにか思うことはないのか?」
「思うこと? 感謝は伝えたよ?」
「じゃなくて……もっと別の、悪い感情というか」
「ない。そんなのない。だってクローは確信していた。その上でやった。違う?」
「それは俺を買い被りすぎだよ」
「そんなことない。クローは最初からわたしを傷つけようとはしなかった。それはわたしが本当は戦いを望んでいなかったことを見抜いていたからでしょ? それにクローの行動には一切の迷いがない。昨日だってそう。たくさん嫌な経験をしてきたわたしにはわかるの。だからわたしはクローを信用している」
「そうか……。まだ知り合って日も浅いのにな」
「それはシヒロたちだってそんなに変わらないでしょ?」
「まあそうだけど」
「ねえクロー。さっきの質問の答えは?」
「さっきの質問って?」
「好きな異性のこと。ねえ答えて」
 エレサはませた少女のようにねだるような視線を浴びせてくる。
(これはどう答えるべきだろうか……)
 剣を持って戦い始めて以降は、異性や恋愛について微塵も考えたことがなかった。今はもうそれどころじゃないからだ。
「ねえクロー」
 俺が答えあぐねていると、ふいにエレサは俺の正面に回ってきた。それから俺の右手をスッと取り、それを自らの胸に持っていき、ペタっと当てた。
「エレサ?」
 掌から彼女の胸の感触が伝わった。女性らしい、甘いふくらみの感触。
「クローが突き刺したわたしの胸」
 エレサは静かに沸きたつような瞳でじっと俺を見据えた。おそろしい目だ。
「あ、ああ。そうだな」
「治したのはシヒロの魔法。でも、わたしを呼び戻したのはクローの声」
「聞こえていたのか?」
「うん。最初はかすかに。その後は確かに」
「そうか」
「正直に言うとね? わたしはあの時、やっと死ねるって思ったの」
「……」
「もう、生きたくなかったから」
「……」
「でも、クローの声が届いた。クローの言葉が届いた。途端にわたしは、まだ死ねないって思ったの。たとえ生きていても、苦しいことばかりでも、それでもまだ、わたしは諦めきれなかったの。人も世界も、このわたし自身も」
「ああ」
「わたしはクローのことをまったく知らないし、クローもわたしのことをまったく知らない。けれど、クローがわたしを呼び戻したの。生に呼び戻したの」
「ああ」
「自分でもよくわからない。でも、クローの声は確かにわたしに届いた」
「……」
「わたしはクローのことをもっと知りたい。わたしのことももっと知ってほしい。これが恋なのかはわからないけど……とにかくわたしはクローのことを知りたいの。だから教えてほしいの」
 早朝の光を反映したエレサの紫色の瞳は、朝露に濡れたラベンダーのように美しく輝いていた。 
 彼女をしかと見つめているうちに、俺の中にあったエレサ像が変貌し始める。どこかさびしく暗い印象だったはずのダークエルフは、気がつけば健やかで瑞々しい小麦色の乙女となっていた。
「エレサ……」
 なんの言葉も返せない。返すべき言葉が見つからない。なぜなら俺には、もうわずかな人生しか残っていないから。
 だからシヒロとも必要以上には親交を深めようとしなかった。幸いシヒロは俺に対して過大なイメージを抱いているのか、様々に遠慮してくれている。それは俺にとって都合が良かった。今の俺が相手と関係を深めても、相手を騙しているような気がするから。……。