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第27回

ー/ー



●狂  宴

 サキス防砂壁外北の方角の白砂は今、茜の天を地に落としたかのごとく朱に濡れていた。

 足跡ひとつない、無垢とさえ思えた空間。風が渡り、さざ波めいた波紋がはるか彼方の地平まで連なって輝いていた――息つめて目を瞠るばかりに美しいあの光景は、時を追うにつれて思い起こすことも困難な過去へとなり果ててゆく。

 あるのは穴、ちぎれた死体、そして鮮血。

 決して少ないとはいえない命が、ほんのわずかな時間で失われていた。

「くそったれ!
 姿を現せ! 薄汚い化け物め!」

 生き残った数名によって組まれた円陣から虚空へ向け、声高に罵る。

「それとも光のもとでは到底他者には見せられぬ、世にもまれな醜怪な容貌をしているか! おまえの放つ、この姑息でいやらしい力と同じで!
 そうか、だからこうして虚をつき奇策に出る、それくらいの能しかないのだな!」

 背陣を敷いた身であることを顧みれば、なんとも無謀な、暴言にすぎる発言である。とても経験と分別をあふれんばかりに持つ魔断であるとは思えない、まるで自ら殺されたがっているように危ういそれは、ままならない現状に切羽つまった瀬戸際の、挑発だった。

 気配も嗅ぎとらせず力を放ち、にべもなく殺戮を行うこと。それが決して程度の低い輩にできることではないことを知らない愚者であれば、とうに血の海へと沈んでいる。全身を裂かれ、ああして悪態をつくこともできずに凌辱されるがままとなっていただろう。
 だがあえてそれにのってやろうと言いたげに、それは彼らの手が届く距離に突然姿を現した。

「だあれが醜いって?」

 黒い影が視界に生まれたと思った瞬間にはもう、幼い子どもめいた口調でくすくす笑いながら立っている。
 己に対する絶対の自信の(みなぎ)った立ち姿で、さあもう一度言ってみろと迫る。だがその姿をいざ目前にして、一体誰がそんな虚偽を口にできるだろう?

 あれからさらにどれほどの生気を喰らったのか。半月前に現れたときよりも強まった内力により、一切の光を受けつけないほど純度を高めた底知れぬ闇の瞳に宿るものは、剣呑たる光。彼が浮かべる微笑は、それが向けられた者にとって毒にしかならないものであると承知の上で身も心もからめとられる、あやしさに満ちた美しさだった。
 すらりと伸びた四肢もまたしなやかで、どこからも欠点は見つけられない。それどころか気品にすら満ちている。
 彼らが魔断でなければ、その凄絶な美貌に骨抜きになっていたに違いない。

 だれもが彼の周囲で噴き上がる、風のような闇の凄まじさに飲まれ、剣をふるうことも思い浮かばずしばしの間その姿を凝視した。ただ1人――翠珂だけを除いて。

「ほーらみろ。姿を見ただけでそうなる犬なんかの分際で、生意気な口きいてこの俺に指図してきたりすんじゃねぇよ」

 昼の青が消え、夕闇を強めだした空を背景に、真白の月が彼の肩口の上から覗く。
 彼は、あくまで茶化す物言いでそう言うと、鼻を鳴らして腕組みをした。

「時間をやるからちょっと考えてみろよ。そのおつむの足りねえ部分は俺が補ってやるからさ。
 俺の3回のお遊びについてこられたのは、おまえらだけだ。それは、まあ褒めてやる。よくついてきたな、そんな非力さで。
 だけど、おまえらはしょせん飼い慣らされた犬だ。相手の顔色ばかりうかがって、自分より弱い人間なんかに頭下げてつくすような、自尊心もない、餌をもらえりゃ満足の、底脳のばかだ。主に指図されなきゃ牙のふるい方も分からないような、そんなあほうが批判を口にできると思うこと自体、思い上がりってもんだぞ」

「黙れ! その姿を解け! 魅魎! それはおまえのものじゃない!」

 彩煉の顔、声を用いての傲慢なもの言いに触発され、叫んだのは奥の翠珂だった。
 そむけていた顔を上げて睨みつける。強まった残光に半面を照らされたその姿に、声のしたほうへと目を向けた魅魎が、おやと眉を上げた。

「おまえは……そういやその目。いつかの。そうだ、思い出した。
 へえ、怒るとそんな色になるのか。碧の虹彩が、ますますあざやかになるな」

 欲しかった物を見つけた子どもさながらに、ぱっと破顔する。楽しげに弾む声を上げた隙をついて、ほぼ真横から剣が空を薙いだ。その切っ先からほとばしる真空の力。魅魎の検分の目は翠珂へと向いたままだ。だれもが捉えたと思った一刹那、彼は残像のみを残して空を転移していた。

「おーやおしいおしい。今までで一番いいセンいってたけどね。残念でしたっ。
 でも、ひとが話してるのを途中で邪魔するのは、かなり礼儀に欠けるぞ?」

 冷やかにつきる酷薄な冷笑が、したり顔で小さな子供をたしなめるように降ってくる。

「きさまなど!」

 カッときて、掲げた掌より浴びせかけたのは、真紅の炎である。

「消えろ!」

 その力に合わせて、続くように雷撃が、光破が、凍気が、それぞれに軌道を描いて宙空の魅魎に向けて放たれる。けれどもそのことごとくが敵を討つことなく無残にも彼の足下に盾となって出現した闇の空間へと吸いこまれた。
 たいした力をふるうことなく攻撃を退けた魅魎の、軽く上げた手元の空間に、そこだけはがれ落ちたようにぽっかりと穴が開く。

「まったく。うわさにたがわずもの分かりだけは悪いやつらだな。おまえらに俺を傷つけられるだけの力があると、本気で思ってるわけ? マジ? まーかわいいこと。
 その様子だと、どうせあの女にも伝えてないんだろ。満足に使いっ走りもできないばかは不要だと、せっかく身を持って教えてやったってーのに。……どうやらまだまだ時間がかかりそうだな。退屈だから、もう少しくらい遊んでやるよ。
 おいおまえ! もったいないから目だけは傷つけないよう気を配れよっ」

 忠告とも嘲りともつかない言葉で、彼は手元の虚穴より野獣めいた闇の力を導く。
 猛り狂った牙のごとき風刃、大気を引き裂かんばかりのうなり音。

 それが真闇の奥底に存在するといわれている無明の虚無のとばぐちであることを察して、急ぎ対抗して張った防御の力壁など軽く突き破って、それは彼らに膝をつかせた。
 ずぶずぶずぶと音をたて、徐々に砂中へめりこんでゆく。

「……くっ」

 重圧に耐えかね、体中の骨が悲鳴を上げてぎしぎしきしむのを、だれもが感じた。先までの攻撃で受けた傷口からもぐりこんだ負の気が闇の力と共鳴し、助力を得たように内側で活性化を強める。
 このままでは待つのはもろともの死だ。

「依り代だ、せめてそのありかさえ分かれば……」

 『生まれて日が浅い』と以前あの魅魎は言った。とすれば、まず魘魅(えんみ)だろう。中級以上の魅魎が己の力を移送して生み出した、人工の魅魎。
 ああして放つ力を蓄えた依り代を砕きさえすれば、あの魅魎はこの世界にとどまることすらできず散るのだ。

 それ以外の方法、たとえば内に蓄えた力を使い果たさせるか、ひとかけらも残さずあの体ごと粉砕するかをとるには、あまりに相手は強すぎる。
 しかし。
 だれともなくつぶやかれたその言葉は、それが到底かなわぬものであることのあかしでもあった。

 どこにも、それらしい陰が見出せないのだ。

 ああして負の力を漲らせるために賦活した依り代は、より濃い陰となってそのありかを示すはずであるのに。
 この闘いに挑んだ者の中で、もっとも力の流れを視る力に長けた樺烙(からく)でさえ、見抜くことができずに2度目の攻撃に斃れた。

 だがだからといってこのまま受け身に回っていては、なぶり殺しにあうだけだ。

 同じ思いを胸に視線を合わせた3人が、仕掛けることを決意した。

「いく!」

 ただ一言、死をも覚悟した短い別離の言葉を残し、対照的な位置から円陣を抜けた2人に宙の魅魎の視線がゆく。魅魎の視線がそちらに流れる。2人は自分たちに向けて放たれた一撃を、己の気を刀身に込めた剣ではじくか、あるいは身をかがめてくぐり抜ける。直後、2人から遅れて円陣を抜けていた凍気系の魔断が、魅魎の気を引くべく力を放出した。

「くらえっ!」

 氷片まじりのそれは、魅魎がとっさに間に挟んだ腕ごと胸を打ち、瞬時に氷結させる。
 魅魎がそれに気をとられた一瞬をついて、先の2人がその両脇に跳躍していた。

 鞘に納められたままの剣に添えられた手。彼らは彩煉と同じ、居合の使い手である。

 上にかわしても下にかわしても確実に捉えられるよう、高さに変化を加えたそれぞれの剣が、阿吽の呼吸で同時に抜き放たれる。

「何を食べればいいのかなあ?」

 きさまらの生気なんか、食指も動かないね。

 あくまで人を食った物言いをして、魅魎は、それすらもせせら笑うように避ける動きひとつ見せず、剣を砕くことで難なくしのいだ。

「ぐあっ」

 剣ごと脇をえぐられた二人は弧を描いて地表に激突する。振動が起き、砂塵が舞ったが、風にあおられすぐに地に沈んだ。

鳴野(めいや)!」

 名を呼んだ、先の凍気系の魔断が身をのけぞらせたのは、その瞬間のこと。

 彼の喉をやすやすと貫いた、一点に凝縮された真空波は、背後にいた魔断の腕をもかすめて遠くの岩を砕く。
 まさしく柊が用いた力と同一のものである。

 そのあまりの威力に全員の顔から表情が消えた。

「まだまだっ」

 彼らの反応に喜々として、心底から楽しげに言い放つ。彼らをなぶりものにすることを存分に楽しもうとする色が、その面にはありありと浮かんでいた。
 おまえらを相手に感じるほかの感情など、何ひとつありはしないと言いたげに。

 背筋がぞくぞくするような快楽に爪先まで満たされながら、さらなる先を求めようと向かい合わせた手のひらの間の空間に、黒球を練り上げる。

「そらいくぞ! ちゃんと受け止めろよ!」

 輝く笑顔で、期待もあらわな声で彼の手を放れたそれは、彼らに向かう途中でさながら凝縮された太陽の光線めいた光をばらまき、下にいた彼らの目を焼く。
 続く一刹那。
 力でも分別でもなく、まさに運のみが彼らの命運を掌握した。

 許容をはるかに越えた真空波の洪水に圧倒された一瞬に、無数の光矢がふりそそがれたのだ。

「がっ」
「ああっ!」

 防御の力壁を張るのが間に合った者も中にはいたが、壁は無数の光矢を完全には防ぎきれず。
 貫通して全身を貫かれた衝撃と激痛にばたばたと倒れた。

 人よりは負の気に抵抗力がある魔断といえども眉間や心臓といった急所をやられれば即死は免れない。

 先達した光矢にえぐられた地表が起こした地鳴りも静まらない、ほんのまたたきほどの間に半数近い仲間が即死した中、腕や腹をやられた翠珂が立っていられたのは、運が良かったのだという一点に尽きた。

「散開しろ! かたまっていてはやられるだけだ!」

 満身創痍の侑氷(ゆうひ)からの指示に、残った者たちがそれぞれ四方に向けて走り出す。その行為すら子どもだましだと言いたげに、余裕緯々、魅魎は右腕で空を薙いだ。
 優雅な仕草で振り切られた指先より生み出された風の刃は、きっと本物の風すら超えたに違いない。

「!」

 直撃せずともそこから生まれた衝撃波を受けただけで、声を発する間もなく一堂に地へたたきつけられた。
 直撃した幾人かは背を割られるか、あるいは首をはねられて即座に散る。

「はははっおもしれーのっ。たっかがこれっぽっちで、あんな、地に這いつくばって!」

 勝ち誇った、愉悦を含んだ笑いがしばらくの間宙を満たす。

「くそっ」

 仲間の無惨な姿に目を瞠り、反撃にうつろうとした侑氷に、落雷のごとく真上から数倍に高められた力が荷重した。

「……っ、あああぁぁあっ」

 満足に防御を張る間もなく直撃を受けた、その身に一体どれほどの力が落とされたかを物語るように、驚異的な速度ですり鉢状にえぐれていく穴の中央で、侑氷は悲鳴を上げた。耳の中や目といった、皮膚薄い箇所から血管が破れて血を噴き出し、鼓膜が破れる。激しく振動した空気が散る火花のような音をたて、不容易に近付こうとする者を威嚇した。

「どうした? ほら、抜けてみろよ。俺を倒すんだろ? 反撃してきたらどうだ。きさま程度にできるものならな!」


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 あるのは穴、ちぎれた死体、そして鮮血。
 決して少ないとはいえない命が、ほんのわずかな時間で失われていた。
「くそったれ!
 姿を現せ! 薄汚い化け物め!」
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 そうか、だからこうして虚をつき奇策に出る、それくらいの能しかないのだな!」
 背陣を敷いた身であることを顧みれば、なんとも無謀な、暴言にすぎる発言である。とても経験と分別をあふれんばかりに持つ魔断であるとは思えない、まるで自ら殺されたがっているように危ういそれは、ままならない現状に切羽つまった瀬戸際の、挑発だった。
 気配も嗅ぎとらせず力を放ち、にべもなく殺戮を行うこと。それが決して程度の低い輩にできることではないことを知らない愚者であれば、とうに血の海へと沈んでいる。全身を裂かれ、ああして悪態をつくこともできずに凌辱されるがままとなっていただろう。
 だがあえてそれにのってやろうと言いたげに、それは彼らの手が届く距離に突然姿を現した。
「だあれが醜いって?」
 黒い影が視界に生まれたと思った瞬間にはもう、幼い子どもめいた口調でくすくす笑いながら立っている。
 己に対する絶対の自信の|漲《みなぎ》った立ち姿で、さあもう一度言ってみろと迫る。だがその姿をいざ目前にして、一体誰がそんな虚偽を口にできるだろう?
 あれからさらにどれほどの生気を喰らったのか。半月前に現れたときよりも強まった内力により、一切の光を受けつけないほど純度を高めた底知れぬ闇の瞳に宿るものは、剣呑たる光。彼が浮かべる微笑は、それが向けられた者にとって毒にしかならないものであると承知の上で身も心もからめとられる、あやしさに満ちた美しさだった。
 すらりと伸びた四肢もまたしなやかで、どこからも欠点は見つけられない。それどころか気品にすら満ちている。
 彼らが魔断でなければ、その凄絶な美貌に骨抜きになっていたに違いない。
 だれもが彼の周囲で噴き上がる、風のような闇の凄まじさに飲まれ、剣をふるうことも思い浮かばずしばしの間その姿を凝視した。ただ1人――翠珂だけを除いて。
「ほーらみろ。姿を見ただけでそうなる犬なんかの分際で、生意気な口きいてこの俺に指図してきたりすんじゃねぇよ」
 昼の青が消え、夕闇を強めだした空を背景に、真白の月が彼の肩口の上から覗く。
 彼は、あくまで茶化す物言いでそう言うと、鼻を鳴らして腕組みをした。
「時間をやるからちょっと考えてみろよ。そのおつむの足りねえ部分は俺が補ってやるからさ。
 俺の3回のお遊びについてこられたのは、おまえらだけだ。それは、まあ褒めてやる。よくついてきたな、そんな非力さで。
 だけど、おまえらはしょせん飼い慣らされた犬だ。相手の顔色ばかりうかがって、自分より弱い人間なんかに頭下げてつくすような、自尊心もない、餌をもらえりゃ満足の、底脳のばかだ。主に指図されなきゃ牙のふるい方も分からないような、そんなあほうが批判を口にできると思うこと自体、思い上がりってもんだぞ」
「黙れ! その姿を解け! 魅魎! それはおまえのものじゃない!」
 彩煉の顔、声を用いての傲慢なもの言いに触発され、叫んだのは奥の翠珂だった。
 そむけていた顔を上げて睨みつける。強まった残光に半面を照らされたその姿に、声のしたほうへと目を向けた魅魎が、おやと眉を上げた。
「おまえは……そういやその目。いつかの。そうだ、思い出した。
 へえ、怒るとそんな色になるのか。碧の虹彩が、ますますあざやかになるな」
 欲しかった物を見つけた子どもさながらに、ぱっと破顔する。楽しげに弾む声を上げた隙をついて、ほぼ真横から剣が空を薙いだ。その切っ先からほとばしる真空の力。魅魎の検分の目は翠珂へと向いたままだ。だれもが捉えたと思った一刹那、彼は残像のみを残して空を転移していた。
「おーやおしいおしい。今までで一番いいセンいってたけどね。残念でしたっ。
 でも、ひとが話してるのを途中で邪魔するのは、かなり礼儀に欠けるぞ?」
 冷やかにつきる酷薄な冷笑が、したり顔で小さな子供をたしなめるように降ってくる。
「きさまなど!」
 カッときて、掲げた掌より浴びせかけたのは、真紅の炎である。
「消えろ!」
 その力に合わせて、続くように雷撃が、光破が、凍気が、それぞれに軌道を描いて宙空の魅魎に向けて放たれる。けれどもそのことごとくが敵を討つことなく無残にも彼の足下に盾となって出現した闇の空間へと吸いこまれた。
 たいした力をふるうことなく攻撃を退けた魅魎の、軽く上げた手元の空間に、そこだけはがれ落ちたようにぽっかりと穴が開く。
「まったく。うわさにたがわずもの分かりだけは悪いやつらだな。おまえらに俺を傷つけられるだけの力があると、本気で思ってるわけ? マジ? まーかわいいこと。
 その様子だと、どうせあの女にも伝えてないんだろ。満足に使いっ走りもできないばかは不要だと、せっかく身を持って教えてやったってーのに。……どうやらまだまだ時間がかかりそうだな。退屈だから、もう少しくらい遊んでやるよ。
 おいおまえ! もったいないから目だけは傷つけないよう気を配れよっ」
 忠告とも嘲りともつかない言葉で、彼は手元の虚穴より野獣めいた闇の力を導く。
 猛り狂った牙のごとき風刃、大気を引き裂かんばかりのうなり音。
 それが真闇の奥底に存在するといわれている無明の虚無のとばぐちであることを察して、急ぎ対抗して張った防御の力壁など軽く突き破って、それは彼らに膝をつかせた。
 ずぶずぶずぶと音をたて、徐々に砂中へめりこんでゆく。
「……くっ」
 重圧に耐えかね、体中の骨が悲鳴を上げてぎしぎしきしむのを、だれもが感じた。先までの攻撃で受けた傷口からもぐりこんだ負の気が闇の力と共鳴し、助力を得たように内側で活性化を強める。
 このままでは待つのはもろともの死だ。
「依り代だ、せめてそのありかさえ分かれば……」
 『生まれて日が浅い』と以前あの魅魎は言った。とすれば、まず|魘魅《えんみ》だろう。中級以上の魅魎が己の力を移送して生み出した、人工の魅魎。
 ああして放つ力を蓄えた依り代を砕きさえすれば、あの魅魎はこの世界にとどまることすらできず散るのだ。
 それ以外の方法、たとえば内に蓄えた力を使い果たさせるか、ひとかけらも残さずあの体ごと粉砕するかをとるには、あまりに相手は強すぎる。
 しかし。
 だれともなくつぶやかれたその言葉は、それが到底かなわぬものであることのあかしでもあった。
 どこにも、それらしい陰が見出せないのだ。
 ああして負の力を漲らせるために賦活した依り代は、より濃い陰となってそのありかを示すはずであるのに。
 この闘いに挑んだ者の中で、もっとも力の流れを視る力に長けた|樺烙《からく》でさえ、見抜くことができずに2度目の攻撃に斃れた。
 だがだからといってこのまま受け身に回っていては、なぶり殺しにあうだけだ。
 同じ思いを胸に視線を合わせた3人が、仕掛けることを決意した。
「いく!」
 ただ一言、死をも覚悟した短い別離の言葉を残し、対照的な位置から円陣を抜けた2人に宙の魅魎の視線がゆく。魅魎の視線がそちらに流れる。2人は自分たちに向けて放たれた一撃を、己の気を刀身に込めた剣ではじくか、あるいは身をかがめてくぐり抜ける。直後、2人から遅れて円陣を抜けていた凍気系の魔断が、魅魎の気を引くべく力を放出した。
「くらえっ!」
 氷片まじりのそれは、魅魎がとっさに間に挟んだ腕ごと胸を打ち、瞬時に氷結させる。
 魅魎がそれに気をとられた一瞬をついて、先の2人がその両脇に跳躍していた。
 鞘に納められたままの剣に添えられた手。彼らは彩煉と同じ、居合の使い手である。
 上にかわしても下にかわしても確実に捉えられるよう、高さに変化を加えたそれぞれの剣が、阿吽の呼吸で同時に抜き放たれる。
「何を食べればいいのかなあ?」
 きさまらの生気なんか、食指も動かないね。
 あくまで人を食った物言いをして、魅魎は、それすらもせせら笑うように避ける動きひとつ見せず、剣を砕くことで難なくしのいだ。
「ぐあっ」
 剣ごと脇をえぐられた二人は弧を描いて地表に激突する。振動が起き、砂塵が舞ったが、風にあおられすぐに地に沈んだ。
「|鳴野《めいや》!」
 名を呼んだ、先の凍気系の魔断が身をのけぞらせたのは、その瞬間のこと。
 彼の喉をやすやすと貫いた、一点に凝縮された真空波は、背後にいた魔断の腕をもかすめて遠くの岩を砕く。
 まさしく柊が用いた力と同一のものである。
 そのあまりの威力に全員の顔から表情が消えた。
「まだまだっ」
 彼らの反応に喜々として、心底から楽しげに言い放つ。彼らをなぶりものにすることを存分に楽しもうとする色が、その面にはありありと浮かんでいた。
 おまえらを相手に感じるほかの感情など、何ひとつありはしないと言いたげに。
 背筋がぞくぞくするような快楽に爪先まで満たされながら、さらなる先を求めようと向かい合わせた手のひらの間の空間に、黒球を練り上げる。
「そらいくぞ! ちゃんと受け止めろよ!」
 輝く笑顔で、期待もあらわな声で彼の手を放れたそれは、彼らに向かう途中でさながら凝縮された太陽の光線めいた光をばらまき、下にいた彼らの目を焼く。
 続く一刹那。
 力でも分別でもなく、まさに運のみが彼らの命運を掌握した。
 許容をはるかに越えた真空波の洪水に圧倒された一瞬に、無数の光矢がふりそそがれたのだ。
「がっ」
「ああっ!」
 防御の力壁を張るのが間に合った者も中にはいたが、壁は無数の光矢を完全には防ぎきれず。
 貫通して全身を貫かれた衝撃と激痛にばたばたと倒れた。
 人よりは負の気に抵抗力がある魔断といえども眉間や心臓といった急所をやられれば即死は免れない。
 先達した光矢にえぐられた地表が起こした地鳴りも静まらない、ほんのまたたきほどの間に半数近い仲間が即死した中、腕や腹をやられた翠珂が立っていられたのは、運が良かったのだという一点に尽きた。
「散開しろ! かたまっていてはやられるだけだ!」
 満身創痍の|侑氷《ゆうひ》からの指示に、残った者たちがそれぞれ四方に向けて走り出す。その行為すら子どもだましだと言いたげに、余裕緯々、魅魎は右腕で空を薙いだ。
 優雅な仕草で振り切られた指先より生み出された風の刃は、きっと本物の風すら超えたに違いない。
「!」
 直撃せずともそこから生まれた衝撃波を受けただけで、声を発する間もなく一堂に地へたたきつけられた。
 直撃した幾人かは背を割られるか、あるいは首をはねられて即座に散る。
「はははっおもしれーのっ。たっかがこれっぽっちで、あんな、地に這いつくばって!」
 勝ち誇った、愉悦を含んだ笑いがしばらくの間宙を満たす。
「くそっ」
 仲間の無惨な姿に目を瞠り、反撃にうつろうとした侑氷に、落雷のごとく真上から数倍に高められた力が荷重した。
「……っ、あああぁぁあっ」
 満足に防御を張る間もなく直撃を受けた、その身に一体どれほどの力が落とされたかを物語るように、驚異的な速度ですり鉢状にえぐれていく穴の中央で、侑氷は悲鳴を上げた。耳の中や目といった、皮膚薄い箇所から血管が破れて血を噴き出し、鼓膜が破れる。激しく振動した空気が散る火花のような音をたて、不容易に近付こうとする者を威嚇した。
「どうした? ほら、抜けてみろよ。俺を倒すんだろ? 反撃してきたらどうだ。きさま程度にできるものならな!」