第193話 後腐れなく

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 意外にも、我の心は穏やかなものだった。
 空は晴れ渡り、澄み切っている。暖かな日差しと涼しげな風を肌に感じていると、自分の死が迫っている事実すら忘れてしまいそうだった。

 だが、こうして呆けたまま逝ったのでは心残りがあるというもの。
 我は置き土産を遺す気など毛頭無いということだ。

 パエデロスの街外れ、小高い丘の上で、今一度我はその国を見下ろした。
 この場所は我がまだ勇者暗殺を計画していた頃、その途中で正体がバレてしまい、危うくダリアに返り討ちに遭いそうになったあの丘だ。

 あのときですら、パエデロスは大きくなったと実感したものだ。
 勇者に復讐を誓っておきながらも手をこまねき、あれやこれや策を練っている間に気付いたら街が大きくなっていて驚かされた。

 今、見下ろすとあのときよりもずっとパエデロスは大きくなっていた。
 そびえ立つネルムフィラ魔導士学院の存在感の主張っぷりも相変わらずだ。

 勇者ロータスが少しずつ築き上げてきたこの街の成長は、我も見届けていた。
 そのためか、可愛い子供のようにも思えてきてしまうな。

 だが、こんなパエデロスにもまだいくつもの陰りが残っている。
 そのうちの一つが、新生魔王軍の残党の存在だ。
 未だにこんなものがはびこっていては、死んでも死に切れん。

 本来、魔王は世界の管理者という立場なのだ。
 女神からはお役ごめんとされたが、そこだけはブレないでほしい。
 ところが、この残党の連中ときたら自己正義に溺れた輩ばかりときた。

 これまでも色々と手を回してきたが、今回新たな手を打たせてもらうことにした。

「さっちゃん。準備できたわ」
「ああ、慎重に頼む」

 傍に立つリコリスに、その腕輪を渡す。
 本来であれば、他人に渡すこともはばかれるような危険な代物。
 特にリコリスにだけは渡すべきではない、その腕輪を今、リコリスが腕につける。

 その次の瞬間に、パエデロスの全域が大きな光に包まれ、そして消え失せる。
 日中の晴天に、雷でも落ちたのかと思うような一瞬きの明滅だ。
 誰もソレを認識することはできなかっただろう。
 仮に認識できたとしても、記憶の中の関心からも逸れてしまっている。

「終わったわ」
「すまなかったな。お前の手を煩わせてしまって」
「そういうのは全然構わないわ。さっちゃんの頼みだもの」

 今の何秒にも満たないやり取りの中で、何が行われたのか。
 リコリスは、いともたやすくやってのけたが結構えげつない行為だ。

 認識を自在のまま書き換える古の産物、幻惑の腕輪を使い、リコリスの無尽蔵ともいえる膨大な魔力を利用して、国まるごとの認識を書き換えたのだ。

 何処ぞのダンジョンの奥底からこの腕輪を入手したときは、どうにか勇者ロータスを暗殺できないかと考えていたものだが、そのときは結局大量の魔力の消耗を無視できず使わず終いだった。

 いつだったかは、エルフの里に連れていかれたミモザを連れ戻すために多少なり活用したこともあったが、やはり強力すぎるがゆえに宝の持ち腐れだった。

 本気の本気で使いこなせれば、国と言わず、世界をも意のままにできるだろう。
 まあ、そんな使い方ができるのはリコリスくらいのものなのだが。

「ほら、さっちゃん。早速動き出したみたいよ。虫みたいで可愛らしいわ」

 肉眼では遠目を確認できなかったが、簡単な魔法を使って望遠してみる。
 この広大なパエデロスの中、ある一定の動きをしている者が少しずつ見えてきた。
 砂時計の砂が落ちていくように、最初は気にするほどのことのない些細なもの。

 だが、やがてそれは数を束ねて、分かりやすくなる。
 気がついたときには、パエデロスの教会の前の広場に、大勢の集団が押し寄せて、祈りを込めるように跪いていた。

 パエデロスの教会には、王になり損ねたロータスが被る予定だった冠が置かれており、遠方からもその冠を拝みたくて訪れる者も後を絶たない。
 だから、その集団の行動自体は何ら不自然に思われることもなかっただろう。

 たまたま、タイミングが合って集まっただけなのだと。

 ただ、今回そこに集まっているのは勇者ロータスを崇拝している者たちだけではない。一応いくらか本物も混ざっているだろうが……あれは勇者暗殺を目論んでいた新生魔王軍の残党だ。

「これでチャラということになるのかしら。元々あんな害虫(にんげん)を仲間にした覚えもないのだけれど。ああ、本当、虫みたい。私のことなんかすっぱり忘れてもらいたいわ。ああ、もう忘れていくわよね」

 とどのつまりはこういうことだ。
 新生魔王軍の残党だけを狙い撃ちにして、その思想を書き換えて勇者に対する罪悪感を増幅させてやったのだ。まだパエデロスの外にも残党がいるかもしれないが、そいつらにも改心を求めさせるようにしてある。

 元々大した思想を持たない連中揃いだったのだ。
 逃れた奴も仲間から説得されていけば、いずれ興が逸れて飽きるだろう。
 これにて新生魔王軍の残党も一網打尽というわけだ。

 ついでとばかりに、リコリスのことも認識から外すようにしてある。
 魔王というビッグネームをあやかりたいとしか思ってなかっただろうし、そもそも直接的にリコリスと会ったこともないような奴らだ。
 リコリス本人からしても不快だったことは間違いない。

 しばらく眺めていたが、さすがに異常な数だったせいか、教会広場がちょっと騒ぎになっているっぽい。あんなにウジャウジャと残党がいたことの方が驚きだ。

 さて、これで一番大きな心残りは片付いたな。

 本来であれば、我もじっくりと時間を掛けて解決するつもりでいたが、あいにくとそんな余裕もないことが分かってしまったので、リコリスの力を借りるに至る。

 国交問題とかは依然として山積み状態ではあるものの、そっちの方は元々ロータスがやってきたことだ。ダリアやマルペル、リンドーやバレイが上手いことやっていってくれるだろう。さすがにそんなところまで面倒見切れん。

 そもそものそもそも、パエデロスと友好を築いているレッドアイズ国なんて我と真っ向から対立してきた国の筆頭ではないか。我が魔王ではなくなったあともしこたま引っかき回してくれおって。

 特にコリウス。アイツには何度煮え湯を飲まされたことか。確か兄のソレノスの病を治すために巨大蜂(ビッグホーネット)の巣に飛び込んでいったときが最初の出会いだったか。レッドアイズ国の魔導機兵(オートマタ)の密造事件にまで巻き込まれたこともあったな。

 もう十分すぎるくらい関わってきたのだ。
 さすがにこれ以上手を出すほどお人好しにはなれん。

「さっちゃん、具合はまだ大丈夫?」
「ああ、肉体には異常はないからな。そこまで酷い状態に見えるか?」

 そこまで訊ねると、リコリスはジッと我の顔を見つめて、よくないものが取り憑いているものを見てしまったかのように眉をひそめて言葉を探し始めた。

「やっぱり、うかうか寝ていられなかったわ。正直なところ、私も眠くて眠くて仕方ないところなのだけど、ダメね。ねえ、さっちゃん、さっちゃん。同じことを何度も訊きたくはないの。ねえ、さっちゃん。魔王になってよ」

 リコリスがスッと抱きついてくる。キツくはなかった。むしろ逆で、今にも崩れてしまいそうな砂でできた人形でも抱くかのよう。そこまで脆く見えるのか。
 珍しく、リコリスが泣きそうな顔を見せる。この様子だと、さては大分前から酷い状態だったことを察していたのだろうな。リコリスの行動に合点がいった。

「一度決めたことを易々変えるほど我も耄碌しておらん。ありがとうな、リコリス」


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 意外にも、我の心は穏やかなものだった。
 空は晴れ渡り、澄み切っている。暖かな日差しと涼しげな風を肌に感じていると、自分の死が迫っている事実すら忘れてしまいそうだった。
 だが、こうして呆けたまま逝ったのでは心残りがあるというもの。
 我は置き土産を遺す気など毛頭無いということだ。
 パエデロスの街外れ、小高い丘の上で、今一度我はその国を見下ろした。
 この場所は我がまだ勇者暗殺を計画していた頃、その途中で正体がバレてしまい、危うくダリアに返り討ちに遭いそうになったあの丘だ。
 あのときですら、パエデロスは大きくなったと実感したものだ。
 勇者に復讐を誓っておきながらも手をこまねき、あれやこれや策を練っている間に気付いたら街が大きくなっていて驚かされた。
 今、見下ろすとあのときよりもずっとパエデロスは大きくなっていた。
 そびえ立つネルムフィラ魔導士学院の存在感の主張っぷりも相変わらずだ。
 勇者ロータスが少しずつ築き上げてきたこの街の成長は、我も見届けていた。
 そのためか、可愛い子供のようにも思えてきてしまうな。
 だが、こんなパエデロスにもまだいくつもの陰りが残っている。
 そのうちの一つが、新生魔王軍の残党の存在だ。
 未だにこんなものがはびこっていては、死んでも死に切れん。
 本来、魔王は世界の管理者という立場なのだ。
 女神からはお役ごめんとされたが、そこだけはブレないでほしい。
 ところが、この残党の連中ときたら自己正義に溺れた輩ばかりときた。
 これまでも色々と手を回してきたが、今回新たな手を打たせてもらうことにした。
「さっちゃん。準備できたわ」
「ああ、慎重に頼む」
 傍に立つリコリスに、その腕輪を渡す。
 本来であれば、他人に渡すこともはばかれるような危険な代物。
 特にリコリスにだけは渡すべきではない、その腕輪を今、リコリスが腕につける。
 その次の瞬間に、パエデロスの全域が大きな光に包まれ、そして消え失せる。
 日中の晴天に、雷でも落ちたのかと思うような一瞬きの明滅だ。
 誰もソレを認識することはできなかっただろう。
 仮に認識できたとしても、記憶の中の関心からも逸れてしまっている。
「終わったわ」
「すまなかったな。お前の手を煩わせてしまって」
「そういうのは全然構わないわ。さっちゃんの頼みだもの」
 今の何秒にも満たないやり取りの中で、何が行われたのか。
 リコリスは、いともたやすくやってのけたが結構えげつない行為だ。
 認識を自在のまま書き換える古の産物、幻惑の腕輪を使い、リコリスの無尽蔵ともいえる膨大な魔力を利用して、国まるごとの認識を書き換えたのだ。
 何処ぞのダンジョンの奥底からこの腕輪を入手したときは、どうにか勇者ロータスを暗殺できないかと考えていたものだが、そのときは結局大量の魔力の消耗を無視できず使わず終いだった。
 いつだったかは、エルフの里に連れていかれたミモザを連れ戻すために多少なり活用したこともあったが、やはり強力すぎるがゆえに宝の持ち腐れだった。
 本気の本気で使いこなせれば、国と言わず、世界をも意のままにできるだろう。
 まあ、そんな使い方ができるのはリコリスくらいのものなのだが。
「ほら、さっちゃん。早速動き出したみたいよ。虫みたいで可愛らしいわ」
 肉眼では遠目を確認できなかったが、簡単な魔法を使って望遠してみる。
 この広大なパエデロスの中、ある一定の動きをしている者が少しずつ見えてきた。
 砂時計の砂が落ちていくように、最初は気にするほどのことのない些細なもの。
 だが、やがてそれは数を束ねて、分かりやすくなる。
 気がついたときには、パエデロスの教会の前の広場に、大勢の集団が押し寄せて、祈りを込めるように跪いていた。
 パエデロスの教会には、王になり損ねたロータスが被る予定だった冠が置かれており、遠方からもその冠を拝みたくて訪れる者も後を絶たない。
 だから、その集団の行動自体は何ら不自然に思われることもなかっただろう。
 たまたま、タイミングが合って集まっただけなのだと。
 ただ、今回そこに集まっているのは勇者ロータスを崇拝している者たちだけではない。一応いくらか本物も混ざっているだろうが……あれは勇者暗殺を目論んでいた新生魔王軍の残党だ。
「これでチャラということになるのかしら。元々あんな害虫《にんげん》を仲間にした覚えもないのだけれど。ああ、本当、虫みたい。私のことなんかすっぱり忘れてもらいたいわ。ああ、もう忘れていくわよね」
 とどのつまりはこういうことだ。
 新生魔王軍の残党だけを狙い撃ちにして、その思想を書き換えて勇者に対する罪悪感を増幅させてやったのだ。まだパエデロスの外にも残党がいるかもしれないが、そいつらにも改心を求めさせるようにしてある。
 元々大した思想を持たない連中揃いだったのだ。
 逃れた奴も仲間から説得されていけば、いずれ興が逸れて飽きるだろう。
 これにて新生魔王軍の残党も一網打尽というわけだ。
 ついでとばかりに、リコリスのことも認識から外すようにしてある。
 魔王というビッグネームをあやかりたいとしか思ってなかっただろうし、そもそも直接的にリコリスと会ったこともないような奴らだ。
 リコリス本人からしても不快だったことは間違いない。
 しばらく眺めていたが、さすがに異常な数だったせいか、教会広場がちょっと騒ぎになっているっぽい。あんなにウジャウジャと残党がいたことの方が驚きだ。
 さて、これで一番大きな心残りは片付いたな。
 本来であれば、我もじっくりと時間を掛けて解決するつもりでいたが、あいにくとそんな余裕もないことが分かってしまったので、リコリスの力を借りるに至る。
 国交問題とかは依然として山積み状態ではあるものの、そっちの方は元々ロータスがやってきたことだ。ダリアやマルペル、リンドーやバレイが上手いことやっていってくれるだろう。さすがにそんなところまで面倒見切れん。
 そもそものそもそも、パエデロスと友好を築いているレッドアイズ国なんて我と真っ向から対立してきた国の筆頭ではないか。我が魔王ではなくなったあともしこたま引っかき回してくれおって。
 特にコリウス。アイツには何度煮え湯を飲まされたことか。確か兄のソレノスの病を治すために|巨大蜂《ビッグホーネット》の巣に飛び込んでいったときが最初の出会いだったか。レッドアイズ国の|魔導機兵《オートマタ》の密造事件にまで巻き込まれたこともあったな。
 もう十分すぎるくらい関わってきたのだ。
 さすがにこれ以上手を出すほどお人好しにはなれん。
「さっちゃん、具合はまだ大丈夫?」
「ああ、肉体には異常はないからな。そこまで酷い状態に見えるか?」
 そこまで訊ねると、リコリスはジッと我の顔を見つめて、よくないものが取り憑いているものを見てしまったかのように眉をひそめて言葉を探し始めた。
「やっぱり、うかうか寝ていられなかったわ。正直なところ、私も眠くて眠くて仕方ないところなのだけど、ダメね。ねえ、さっちゃん、さっちゃん。同じことを何度も訊きたくはないの。ねえ、さっちゃん。魔王になってよ」
 リコリスがスッと抱きついてくる。キツくはなかった。むしろ逆で、今にも崩れてしまいそうな砂でできた人形でも抱くかのよう。そこまで脆く見えるのか。
 珍しく、リコリスが泣きそうな顔を見せる。この様子だと、さては大分前から酷い状態だったことを察していたのだろうな。リコリスの行動に合点がいった。
「一度決めたことを易々変えるほど我も耄碌しておらん。ありがとうな、リコリス」