第192話 調和

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「あら、フィーちゃん。今日は早かったのね」

 パエデロスでも一際大きい教会の裏扉から、その女僧侶が出てくる。
 最近は特にちょくちょく顔をあわせているマルペルだ。

 我の顔を見るなり、ほんのり表情を強ばらせつつ、直ぐさま気付かれぬよう笑顔を取り繕う。まあ、我にはバレバレなのだが。

「やっぱりミモザちゃんもオキザリスちゃんも連れてこなかったのですね」
「それは、まあな」
「いつか打ち明ける気になったら私も後押ししますよ。言いづらいでしょうしね」

 我がわざわざマルペルのいる教会に足を運ぶのには理由がある。
 いわゆる定期検診という奴だ。

「じゃあ、中に入って。そこにかけてください」

 マルペルに招かれるまま、我は教会へと入り、表の聖堂の方より延々聞こえてくる祈りの歌から耳を逸らしつつも、そのすぐそばにあった椅子に座る。
 するといつものように、マルペルは背中越しに我の身体を簡単に触診する。

 手先から放たれる温かい光の玉が服の上を滑るように撫でていき、少し心地よさを覚える。それと同時に、ある一定の箇所を通過すると、傷口に触れたみたいな痛みがバチっと響く。堪えるつもりでいても、反射的に反応してしまう。

「あ、ごめんなさい。少し痛かったかしら」
「気にしなくてよい。続けてくれ」
「分かりました。辛いと思ったら直ぐに言ってくださいね。では、今度は直接肌に触りますから、少し脱いでください」

 言われる通りに一枚をはだける。素肌が晒され、言葉通りに肌寒さを感じる。
 しかし、室内はさほど冷え込んでいるわけではない。
 あたかも血流が上手く巡っていないかのよう。

「やはり……前より進行していますね」

 マルペルの手が、箇所に触れる。
 怪我などしていない。血も出ていない。それでも、そこは亀裂でも入っているのかと思うほど、痛みが走る。
 普段は何でもなく、自分の手で触る程度では痛くも痒くもないというのに。

「どういう感じだ。そんなに酷いのか?」
「ここまで衰弱した魂を診るのは初めてですから。人が死ぬ境界線を越えているのは確かでしょう」
 ロータスの死を看取った当人がそのように言うのだから事実だろう。

 今の我の状態は途轍もなく芳しくないことは明白だった。

 以前までは肉体は魔力を置換して補い、その魔力も他者の負の感情を糧とすることで実質的な不老不死として長いこと生き長らえてきた。

 一度勇者に心臓を貫かれ、肉体が炭のように崩れ落ちた後、大量の魔力は消失。
 負の感情を三年間束ねて修復できた肉体も不完全なものだった。

 その状態であれば、いずれは数百年も掛ければ魔力の回復に伴い、完全なる肉体を取り戻せるはずだったのだが、いくつもの思いもよらぬ事態に見舞われた。

 負の感情を変換する術式が反転し、逆に肉体を蝕み始めていたこと。
 そして、浄血の儀式――人化の秘法だ。

 あれは対象の魔力を取り除き、他の呪いや加護なども丸ごと消滅させてしまう恐ろしい呪い。例えば、我がただの魔法使いであったり、あるいはエルフだったのなら、魔力の才がない、無能な人間になるだけだった。

 ところが、我の場合はそんな簡単な話ではなかったのだ。

 命というものは肉体と魂が結びついて形成されるもの。

 勇者に殺される前まで肉体と魂の二つのバランスが安定していたが、魔力が欠落して以降、そのバランスは崩壊し、魂の方は摩耗し続けていた。
 負の感情を糧とする術式もそれを助長し続けていた。

 極めつけに、人化の秘法によって、それまで術式に雁字搦め状態にあった魂が一気に解放され、それも大きな負担になっていたらしい。
 言ってみれば、肉に食い込むほどギュウギュウに巻き付けていた包帯を無理やり引き剥がしたようなものだからな。何のリスクがないはずもない。

 肉体はどうにか形だけは安定したようだが、逆にただでさえ不安定な状態にあった魂は、少しずつ、少しずつ、我の命を削っていたというわけだ。

 そう。

 何かがおかしい。そう自覚し始めたのは、実のところ最近のことではなかった。
 少なからずとも、かなり前から異変を感じていたことだけは確かだ。

 何が要因となって、何が起きているのかは言及するまでもない。
 分かりきったことが、ただただ現実になっているだけに過ぎないのだろう。

 結末の見えたお話ほど、興が削がれるものもないが……。
 何にせよ、今の我にできることといえば、今ある平穏を保つことばかり。

「今際(いまわ)(きわ)くらい……静かなままでいさせてほしいものだ」
「フィーちゃん。貴女とは、もう少し長く付き合えると思っていたのですが」

 まったく、冗談を言うでない。お前みたいな説教おっぱいと長く関わってたら、我の耳が腐り落ちてしまうわ。

 もう長くはないということは分かる。
 それが今日か、明日か。案外しぶとく一年も持ってしまうのかもしれないが、それでも既に自分の死が直ぐそばまできていることだけはハッキリとしている。

「なあ、マルペル。我は死んだら何処へ行くのだろうな」
「それは……世界樹(ユグドラシル)に導かれて、その魂は還元されていくでしょう」
「やがて枝となり、芽吹いて葉となり、新たな命へ……か」

 この世界の理ではあるが、果たして我にその資格があるのだろうか。
 何せ、我は長いこと命を弄んでいた。
 仮にも一度死んだ身ではあるが、世界樹(ユグドラシル)なんかに招かれた記憶なぞない。

世界樹(ユグドラシル)の根は数多の世界を繋いでいると聞く。もし神の意志があるなら我の魂は地獄に送り込まれるかもしれんな」
「女神様は慈悲深きお方。フィーちゃんのこれまでの行いを省みれば、そのようなことはしませんよ」
「知ったようなことを言う。マルペル、お前は女神に会ったことがあるのか?」
「私は直接お会いしていませんが、ロータスさんが一度、啓示を受けたときに聖剣を授かりましたね。世界の調和を司るものとして」

 そういえば、そんなものもあったな。
 思えば、我の心臓を貫いたのも女神の聖剣だった。

 あれにより我の命は一度絶たれ、その爪痕が今にも残って、またしても確実に我を葬ろうとしているのだと思えば、確かに世界の調和を司っていると言えるだろう。
 神にとって不老不死など、不都合なことこの上ないのだからな。

「結局、我の命も神の手のひらの上か」

 魔王とは、世界の栄養源たる魔力の管理者を指す。
 長い年月の中で、人間という種族は本来あるべき摂理を破壊しつつあり、我を含む歴代の魔王たちは人間を掌握することでその摂理を守ろうとしていた。

 だが、あくまでそれは武力行使であり、双方の和解など得ようともしなかった。
 それが世界の平定に繋がるのだから、悪役であろうと構わない。それをよしとしてきたが、結果として、魔王などという存在は神に見咎められたのだろう。

 無様な結末だ。神からしてみれば用済みになったと言い換えられるだろう。

 一方の勇者ロータスは、平和のため平穏のために女神のいいなりになりながらも、自分の力でできることを探り、世界の掃き溜めとまで言われたパエデロスの街を、巨大な異種族国家に変え、世界的に誇れる平和の象徴にしてしまった。

 何もかもで敗北した気分だ。
 我の選ばなかった道を歩み、命を賭して完成させたのだから。
 これこそが自然の摂理だというのなら、我の長い生涯は実に道化のようであった。

「でも、フィーちゃんの生きてきた道は決して無駄なものではありませんでしたよ。全てが廻り、全てが巡り、今ある平和の世界に続いているのですから」
「ふん、聖職者め。キレイごとで締めくくろうとするでないわ」


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「あら、フィーちゃん。今日は早かったのね」
 パエデロスでも一際大きい教会の裏扉から、その女僧侶が出てくる。
 最近は特にちょくちょく顔をあわせているマルペルだ。
 我の顔を見るなり、ほんのり表情を強ばらせつつ、直ぐさま気付かれぬよう笑顔を取り繕う。まあ、我にはバレバレなのだが。
「やっぱりミモザちゃんもオキザリスちゃんも連れてこなかったのですね」
「それは、まあな」
「いつか打ち明ける気になったら私も後押ししますよ。言いづらいでしょうしね」
 我がわざわざマルペルのいる教会に足を運ぶのには理由がある。
 いわゆる定期検診という奴だ。
「じゃあ、中に入って。そこにかけてください」
 マルペルに招かれるまま、我は教会へと入り、表の聖堂の方より延々聞こえてくる祈りの歌から耳を逸らしつつも、そのすぐそばにあった椅子に座る。
 するといつものように、マルペルは背中越しに我の身体を簡単に触診する。
 手先から放たれる温かい光の玉が服の上を滑るように撫でていき、少し心地よさを覚える。それと同時に、ある一定の箇所を通過すると、傷口に触れたみたいな痛みがバチっと響く。堪えるつもりでいても、反射的に反応してしまう。
「あ、ごめんなさい。少し痛かったかしら」
「気にしなくてよい。続けてくれ」
「分かりました。辛いと思ったら直ぐに言ってくださいね。では、今度は直接肌に触りますから、少し脱いでください」
 言われる通りに一枚をはだける。素肌が晒され、言葉通りに肌寒さを感じる。
 しかし、室内はさほど冷え込んでいるわけではない。
 あたかも血流が上手く巡っていないかのよう。
「やはり……前より進行していますね」
 マルペルの手が、《《痛い》》箇所に触れる。
 怪我などしていない。血も出ていない。それでも、そこは亀裂でも入っているのかと思うほど、痛みが走る。
 普段は何でもなく、自分の手で触る程度では痛くも痒くもないというのに。
「どういう感じだ。そんなに酷いのか?」
「ここまで衰弱した魂を診るのは初めてですから。人が死ぬ境界線を越えているのは確かでしょう」
 ロータスの死を看取った当人がそのように言うのだから事実だろう。
 今の我の状態は途轍もなく芳しくないことは明白だった。
 以前までは肉体は魔力を置換して補い、その魔力も他者の負の感情を糧とすることで実質的な不老不死として長いこと生き長らえてきた。
 一度勇者に心臓を貫かれ、肉体が炭のように崩れ落ちた後、大量の魔力は消失。
 負の感情を三年間束ねて修復できた肉体も不完全なものだった。
 その状態であれば、いずれは数百年も掛ければ魔力の回復に伴い、完全なる肉体を取り戻せるはずだったのだが、いくつもの思いもよらぬ事態に見舞われた。
 負の感情を変換する術式が反転し、逆に肉体を蝕み始めていたこと。
 そして、浄血の儀式――人化の秘法だ。
 あれは対象の魔力を取り除き、他の呪いや加護なども丸ごと消滅させてしまう恐ろしい呪い。例えば、我がただの魔法使いであったり、あるいはエルフだったのなら、魔力の才がない、無能な人間になるだけだった。
 ところが、我の場合はそんな簡単な話ではなかったのだ。
 命というものは肉体と魂が結びついて形成されるもの。
 勇者に殺される前まで肉体と魂の二つのバランスが安定していたが、魔力が欠落して以降、そのバランスは崩壊し、魂の方は摩耗し続けていた。
 負の感情を糧とする術式もそれを助長し続けていた。
 極めつけに、人化の秘法によって、それまで術式に雁字搦め状態にあった魂が一気に解放され、それも大きな負担になっていたらしい。
 言ってみれば、肉に食い込むほどギュウギュウに巻き付けていた包帯を無理やり引き剥がしたようなものだからな。何のリスクがないはずもない。
 肉体はどうにか形だけは安定したようだが、逆にただでさえ不安定な状態にあった魂は、少しずつ、少しずつ、我の命を削っていたというわけだ。
 そう。
 何かがおかしい。そう自覚し始めたのは、実のところ最近のことではなかった。
 少なからずとも、かなり前から異変を感じていたことだけは確かだ。
 何が要因となって、何が起きているのかは言及するまでもない。
 分かりきったことが、ただただ現実になっているだけに過ぎないのだろう。
 結末の見えたお話ほど、興が削がれるものもないが……。
 何にせよ、今の我にできることといえば、今ある平穏を保つことばかり。
「今際《いまわ》の際《きわ》くらい……静かなままでいさせてほしいものだ」
「フィーちゃん。貴女とは、もう少し長く付き合えると思っていたのですが」
 まったく、冗談を言うでない。お前みたいな説教おっぱいと長く関わってたら、我の耳が腐り落ちてしまうわ。
 もう長くはないということは分かる。
 それが今日か、明日か。案外しぶとく一年も持ってしまうのかもしれないが、それでも既に自分の死が直ぐそばまできていることだけはハッキリとしている。
「なあ、マルペル。我は死んだら何処へ行くのだろうな」
「それは……|世界樹《ユグドラシル》に導かれて、その魂は還元されていくでしょう」
「やがて枝となり、芽吹いて葉となり、新たな命へ……か」
 この世界の理ではあるが、果たして我にその資格があるのだろうか。
 何せ、我は長いこと命を弄んでいた。
 仮にも一度死んだ身ではあるが、|世界樹《ユグドラシル》なんかに招かれた記憶なぞない。
「|世界樹《ユグドラシル》の根は数多の世界を繋いでいると聞く。もし神の意志があるなら我の魂は地獄に送り込まれるかもしれんな」
「女神様は慈悲深きお方。フィーちゃんのこれまでの行いを省みれば、そのようなことはしませんよ」
「知ったようなことを言う。マルペル、お前は女神に会ったことがあるのか?」
「私は直接お会いしていませんが、ロータスさんが一度、啓示を受けたときに聖剣を授かりましたね。世界の調和を司るものとして」
 そういえば、そんなものもあったな。
 思えば、我の心臓を貫いたのも女神の聖剣だった。
 あれにより我の命は一度絶たれ、その爪痕が今にも残って、またしても確実に我を葬ろうとしているのだと思えば、確かに世界の調和を司っていると言えるだろう。
 神にとって不老不死など、不都合なことこの上ないのだからな。
「結局、我の命も神の手のひらの上か」
 魔王とは、世界の栄養源たる魔力の管理者を指す。
 長い年月の中で、人間という種族は本来あるべき摂理を破壊しつつあり、我を含む歴代の魔王たちは人間を掌握することでその摂理を守ろうとしていた。
 だが、あくまでそれは武力行使であり、双方の和解など得ようともしなかった。
 それが世界の平定に繋がるのだから、悪役であろうと構わない。それをよしとしてきたが、結果として、魔王などという存在は神に見咎められたのだろう。
 無様な結末だ。神からしてみれば用済みになったと言い換えられるだろう。
 一方の勇者ロータスは、平和のため平穏のために女神のいいなりになりながらも、自分の力でできることを探り、世界の掃き溜めとまで言われたパエデロスの街を、巨大な異種族国家に変え、世界的に誇れる平和の象徴にしてしまった。
 何もかもで敗北した気分だ。
 我の選ばなかった道を歩み、命を賭して完成させたのだから。
 これこそが自然の摂理だというのなら、我の長い生涯は実に道化のようであった。
「でも、フィーちゃんの生きてきた道は決して無駄なものではありませんでしたよ。全てが廻り、全てが巡り、今ある平和の世界に続いているのですから」
「ふん、聖職者め。キレイごとで締めくくろうとするでないわ」