第174話 押しつけて切磋琢磨
ー/ー リコリス・ルキフェルナという女は、聞き分けが悪い性格でもない。ただ、おそろしく言葉を曲解してしまう節がある。それだけ常識が欠落しているといってもいい。
このネルムフィラ魔導士学院は人間社会の中にあり、これまでリコリスが過ごしてきた環境とは大きく異なる。それがまた周囲との齟齬を致命的にしているのだ。
となれば、何をすべきなのか方向性は定まったようなものだろう。
常識知らずのリコリスに常識を叩き込んでやるしかない。
ところが、少し困った話がある。我自身、一応このパエデロスでの生活が長くなってはいるものの、人間社会の常識を熟知しているとは言いづらく、誤魔化し誤魔化しで過ごしている身。つまり、我が教えるのは少々無理がある。
こういうときこそ、教師に頼るのが生徒という立場なのだろうが、どうもリコリスは学校の授業を退屈に思っている節もあり、率直に言って真面目に聞かない可能性が高い。というか、実際に授業中なんかポケーっとしているしな。
少しでもリコリスの興味を惹いているような奴じゃないと土台無理だ。
「ボンちゃんって、ひょっとしてハーフなのかしら。隠しても私には分かるわ」
「え、あの、その、はい、まあ、ええ、そうですけれど……」
リコリスがキョロキョロと見回している彼女は、クラメ・ボンフィア。ネルムフィラ魔導士学院の同じ教室で授業を受けている何のことはないクラスメイトなのだが、どうもリコリスはクラメの何かに興味を持った様子だ。
アイツの趣味はよく分からないし、何がツボにハマるのか分かったものではないが、おそらくはクラメの立ち振る舞いに感じるものがあったのだろう。
「あ、あの、フィーさん。わ、私にでき、できるのでしょうか? その、リコ、リコリスさんに、れれれ、礼儀作法とか教えられるのかどうか」
必要以上にビクビクとした様子で、クラメは鼻をヒクヒクとさせる。
ハーフオークである彼女は、豚のような鼻を持つ特徴的な女であるせいなのか、自分から他人との距離を置いている節がある。何せ、人と会話する際にはクセのように鼻を隠そうとするしな。
「おそらく、お前にしかできないことだ。急に押しつけるようで悪いが頼む」
非常識なリコリスに常識を教える適任者はクラメくらいしかいないと考えている。教育のような堅苦しい形式にするとリコリスも直ぐに飽きてしまいそうだし、できるだけ近しい奴がいい。そういう意味でもクラメは条件に当てはまる。
この学校には直ぐに教師につっかかる不良みたいな金持ち小僧がいたり、平然と自分の命を危険に晒そうとする聞き分けのない王子がいたりと問題児を抱えているが、クラメなら他のクラスの連中とは一線を画すくらい、日頃から貴族としての振る舞いをよく理解している。まさしくガチで本物の令嬢だ。
加えて、クラメは分かりやすいくらいにコミュ障だ。実のところ今はこれでも大分改善されていて、初めて会ったときなど会話をすることもままならなかったが、貴族としてのプライドか、頑張って克服して今に至る。
言わずもがな、リコリスも激しくコミュ障であり、他人との距離感がとんでもなく狂っている。クラメならそんなリコリスのことを汲み取れるのではないか。
……なんとなくだが、そう思った。
「ふごっ……。頼まれたなら、お断りすることは、できませんね」
「ああ、コイツに一般常識という奴を教えてやってくれ」
こう話している最中にも、リコリスはクラメの背後に立ち、さらっさらの髪の毛を梳いている。本当にコイツは他人との距離感狂いすぎだろう。
「おい、リコリス」
「何かしら、さっちゃん。私、今ボンちゃんと遊んでいるのだけど」
「ちょっとお前に頼みごとがある」
「あら、嬉しいわ。引き受けましょう」
まだ何も言っていないのにこう安請け合いする。リコリスの危険性はこういうところも含まれるのだろうな。早急に手を打たなければ学校どころか世界が滅ぶ。
「クラメに教わる代わりにクラメにもお前から魔法の指導をしてやってくれないか」
「別に構わないけど、ボンちゃんもそれでいいの?」
「ふひっ!? え、ええ、そうですね。私もまだまだ魔法に関しては若輩者。授業の遅れを取り戻すためにも、ぜひ、お願いしたい、ですね」
ダメで元々ではあったのだが、どうやら上手いこと交渉成立したようだ。
実際のところ、クラメの潜在魔力は申し分ないし、魔力操作に関しても基礎的なところは十分できているが、荒削りなところも多い。
リコリスに任せれば、十分すぎるくらい洗練されることだろう。
「それで、さっちゃん。私ボンちゃんから何を学んで、何を教えたらいいのかしら」
そう言いながらリコリスはクラメの髪を持ち上げ、頭の上に耳のようなものを作ったりして遊んでいる。クラメも少しくらい拒絶してもいいのに押し黙っている。
普段のコイツを見て萎縮しているかもしれない。
いっそ何もかも全部クラメから学んでくれ、と言いたい気持ちを押し殺す。
なるべく、クラメの負担を抑えるようにしなければならないだろうな。
小刻みに鼻をひくつかせるクラメを見て、そう悟った。
※ ※ ※
「ええと、リコリスさん。カーテシーはそんなにスカートを持ち上げるのではなく、裾を掴む程度でいいんです。はい、そんな感じで、あと、片足の膝を曲げて……はい、とても美しいです。ふひ」
「なるほど、そういえばこんな感じだった気がするわ」
指導されるがままに、リコリスはキレイにお辞儀してみせる。
クラメに押しつけるような形にはなってしまったが、どうやら上手くやれている様子だ。少し作法を覚えるだけで大分違って見えるものだ。
「リコリスさんは姿勢もいいですから、歩き姿もキレイでいいです。でも、えと、あのたまに、腕と脚が変にバラバラに動くと、ふひ、動くときがあるので、気をつけた方が、いいですよ」
「そうね。歩くのが面倒臭くて仕方ないときもあるのよ。これからはちゃんと二本の足で歩くように心がけるわ」
それなりに会話も噛み合っている辺り、クラメに任せて正解だったようだ。
「どうだ、少しは作法も覚えられたか?」
「ええ、バッチリよ。結構思い出せた気がするわ」
胡散臭いことを言う。確かに記憶の端に、かつてのリコリスの従者が礼儀やらその作法やらを教えていたような気もするが、何千年も引き籠もりっぱなしだったのだから、当時と今では勝手も何も違うだろう。
「やはり大したものだ。クラメの教え方がいいのだろうな」
「ふへぇぇぇ……そんな、私なんて……まだまだ……」
「ボンちゃんの教え方、とても良かったわ。しばらくは忘れないようにするからもっと教えてほしいくらい」
どちらかといえば肌白いクラメの顔が、見て分かるくらいポッと赤くなる。どうやら他人から褒められ慣れてないらしい。
「それじゃ、約束だし、お返しに今度は私がボンちゃんに魔法を教えてあげるわ。安心して。私も教えるの、得意だから。さっちゃんにもいっぱい魔法を教えたこともあるのよ」
「ふぁひっ……、よ、よろしくお願いします、リコリスさん」
単純な話として魔法の技術力でリコリスの右に出る者はまずいないだろう。リコリスの言葉の通り、魔法の開発には昔から何度も助けてもらっている。
考えてもみれば、もはや世界で唯一の月の民だしな。
これ以上贅沢な授業はないといってもいい。
「手始めに季節を変える魔法でも覚えてみる? 失敗しても時空が裂けるだけだし」
無論、全力で見張る必要があるが。
このネルムフィラ魔導士学院は人間社会の中にあり、これまでリコリスが過ごしてきた環境とは大きく異なる。それがまた周囲との齟齬を致命的にしているのだ。
となれば、何をすべきなのか方向性は定まったようなものだろう。
常識知らずのリコリスに常識を叩き込んでやるしかない。
ところが、少し困った話がある。我自身、一応このパエデロスでの生活が長くなってはいるものの、人間社会の常識を熟知しているとは言いづらく、誤魔化し誤魔化しで過ごしている身。つまり、我が教えるのは少々無理がある。
こういうときこそ、教師に頼るのが生徒という立場なのだろうが、どうもリコリスは学校の授業を退屈に思っている節もあり、率直に言って真面目に聞かない可能性が高い。というか、実際に授業中なんかポケーっとしているしな。
少しでもリコリスの興味を惹いているような奴じゃないと土台無理だ。
「ボンちゃんって、ひょっとしてハーフなのかしら。隠しても私には分かるわ」
「え、あの、その、はい、まあ、ええ、そうですけれど……」
リコリスがキョロキョロと見回している彼女は、クラメ・ボンフィア。ネルムフィラ魔導士学院の同じ教室で授業を受けている何のことはないクラスメイトなのだが、どうもリコリスはクラメの何かに興味を持った様子だ。
アイツの趣味はよく分からないし、何がツボにハマるのか分かったものではないが、おそらくはクラメの立ち振る舞いに感じるものがあったのだろう。
「あ、あの、フィーさん。わ、私にでき、できるのでしょうか? その、リコ、リコリスさんに、れれれ、礼儀作法とか教えられるのかどうか」
必要以上にビクビクとした様子で、クラメは鼻をヒクヒクとさせる。
ハーフオークである彼女は、豚のような鼻を持つ特徴的な女であるせいなのか、自分から他人との距離を置いている節がある。何せ、人と会話する際にはクセのように鼻を隠そうとするしな。
「おそらく、お前にしかできないことだ。急に押しつけるようで悪いが頼む」
非常識なリコリスに常識を教える適任者はクラメくらいしかいないと考えている。教育のような堅苦しい形式にするとリコリスも直ぐに飽きてしまいそうだし、できるだけ近しい奴がいい。そういう意味でもクラメは条件に当てはまる。
この学校には直ぐに教師につっかかる不良みたいな金持ち小僧がいたり、平然と自分の命を危険に晒そうとする聞き分けのない王子がいたりと問題児を抱えているが、クラメなら他のクラスの連中とは一線を画すくらい、日頃から貴族としての振る舞いをよく理解している。まさしくガチで本物の令嬢だ。
加えて、クラメは分かりやすいくらいにコミュ障だ。実のところ今はこれでも大分改善されていて、初めて会ったときなど会話をすることもままならなかったが、貴族としてのプライドか、頑張って克服して今に至る。
言わずもがな、リコリスも激しくコミュ障であり、他人との距離感がとんでもなく狂っている。クラメならそんなリコリスのことを汲み取れるのではないか。
……なんとなくだが、そう思った。
「ふごっ……。頼まれたなら、お断りすることは、できませんね」
「ああ、コイツに一般常識という奴を教えてやってくれ」
こう話している最中にも、リコリスはクラメの背後に立ち、さらっさらの髪の毛を梳いている。本当にコイツは他人との距離感狂いすぎだろう。
「おい、リコリス」
「何かしら、さっちゃん。私、今ボンちゃんと遊んでいるのだけど」
「ちょっとお前に頼みごとがある」
「あら、嬉しいわ。引き受けましょう」
まだ何も言っていないのにこう安請け合いする。リコリスの危険性はこういうところも含まれるのだろうな。早急に手を打たなければ学校どころか世界が滅ぶ。
「クラメに教わる代わりにクラメにもお前から魔法の指導をしてやってくれないか」
「別に構わないけど、ボンちゃんもそれでいいの?」
「ふひっ!? え、ええ、そうですね。私もまだまだ魔法に関しては若輩者。授業の遅れを取り戻すためにも、ぜひ、お願いしたい、ですね」
ダメで元々ではあったのだが、どうやら上手いこと交渉成立したようだ。
実際のところ、クラメの潜在魔力は申し分ないし、魔力操作に関しても基礎的なところは十分できているが、荒削りなところも多い。
リコリスに任せれば、十分すぎるくらい洗練されることだろう。
「それで、さっちゃん。私ボンちゃんから何を学んで、何を教えたらいいのかしら」
そう言いながらリコリスはクラメの髪を持ち上げ、頭の上に耳のようなものを作ったりして遊んでいる。クラメも少しくらい拒絶してもいいのに押し黙っている。
普段のコイツを見て萎縮しているかもしれない。
いっそ何もかも全部クラメから学んでくれ、と言いたい気持ちを押し殺す。
なるべく、クラメの負担を抑えるようにしなければならないだろうな。
小刻みに鼻をひくつかせるクラメを見て、そう悟った。
※ ※ ※
「ええと、リコリスさん。カーテシーはそんなにスカートを持ち上げるのではなく、裾を掴む程度でいいんです。はい、そんな感じで、あと、片足の膝を曲げて……はい、とても美しいです。ふひ」
「なるほど、そういえばこんな感じだった気がするわ」
指導されるがままに、リコリスはキレイにお辞儀してみせる。
クラメに押しつけるような形にはなってしまったが、どうやら上手くやれている様子だ。少し作法を覚えるだけで大分違って見えるものだ。
「リコリスさんは姿勢もいいですから、歩き姿もキレイでいいです。でも、えと、あのたまに、腕と脚が変にバラバラに動くと、ふひ、動くときがあるので、気をつけた方が、いいですよ」
「そうね。歩くのが面倒臭くて仕方ないときもあるのよ。これからはちゃんと二本の足で歩くように心がけるわ」
それなりに会話も噛み合っている辺り、クラメに任せて正解だったようだ。
「どうだ、少しは作法も覚えられたか?」
「ええ、バッチリよ。結構思い出せた気がするわ」
胡散臭いことを言う。確かに記憶の端に、かつてのリコリスの従者が礼儀やらその作法やらを教えていたような気もするが、何千年も引き籠もりっぱなしだったのだから、当時と今では勝手も何も違うだろう。
「やはり大したものだ。クラメの教え方がいいのだろうな」
「ふへぇぇぇ……そんな、私なんて……まだまだ……」
「ボンちゃんの教え方、とても良かったわ。しばらくは忘れないようにするからもっと教えてほしいくらい」
どちらかといえば肌白いクラメの顔が、見て分かるくらいポッと赤くなる。どうやら他人から褒められ慣れてないらしい。
「それじゃ、約束だし、お返しに今度は私がボンちゃんに魔法を教えてあげるわ。安心して。私も教えるの、得意だから。さっちゃんにもいっぱい魔法を教えたこともあるのよ」
「ふぁひっ……、よ、よろしくお願いします、リコリスさん」
単純な話として魔法の技術力でリコリスの右に出る者はまずいないだろう。リコリスの言葉の通り、魔法の開発には昔から何度も助けてもらっている。
考えてもみれば、もはや世界で唯一の月の民だしな。
これ以上贅沢な授業はないといってもいい。
「手始めに季節を変える魔法でも覚えてみる? 失敗しても時空が裂けるだけだし」
無論、全力で見張る必要があるが。
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