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102 母との対決 みやび視点

ー/ー



 電車を乗り継ぎして、バスを利用して帝都内とは思えないくらい静かな郊外の一軒家へとたどり着く。
 この周辺は他に店や民家が無い。だからここに引っ越してきた当初もほぼ軟禁状態だった。
 ここに住む以前、子供の時には忍さんが外出した隙を狙ってしょっちゅう家を抜け出していた。それに気づかれ、私を物理的に軟禁するためにこの不便な場所へと越してきた。それにしてもよくこんな物件を見つけてきたものだと、ある意味感心する。
 帝都の外れにあるここは私の学校と実家は直線距離ではさほど離れてないのに、電車の路線の都合でやたらと遠回りさせられるのがネックで、月1度に実家に帰るのも億劫だ。

 いつから待っていたのか、玄関で静かに笑みをたたえながら忍さんは立っていた。
 私のお母さんはこんなにも気持ち悪かっただろうか。ふと、私のお母さんの皮を被ったナニカと対峙してる感覚に陥った。
 先月実家に来た時にはこんな風ではなかった。いつも通りに淡々と私の報告を聞いて、生活費を受け渡しして、稽古をし夜は共に食事をしていつもと同じだった。
 なのにこの変貌は何? 私とナギとの関係を知ったから?
 高校卒業したら自分の元に帰ってくると信じてたのに、私が約束を破るかもしれない可能性があると知り、お母さんが心のよりどころにしていたモノを私が壊してしまったのだろうか。

「お帰りなさい」と、お母さんは昔私が近所の子供に泣かされ家に帰った時にいつもしてくれていたように私の体を抱きしめる。懐かしい香りに包まれる。幼かったころ、私は母のこの香りが好きだった。
 私はその体をそっと押しのけ、無言で家に入る。
 リビングに入り、とりあえず鞄をテーブルの上に置く。そして大きく息を吸い、ここに着くまでにずっと考えていた言葉をぶつける。
「ねぇ、ナギの所に行ったって本当? そういうのやめて。……私がちゃんとお母さんに彼の事を報告しなかったのは悪かったと思ってる。だけど、彼に迷惑をかけるのはやめてよ」
 私がそう言うと、お母さんの顔から表情がすっと消えた。あまり感情を見せない人だけど、こんな無表情は初めて見る。一瞬気圧されたけど、それでもちゃんと向き合わないと。
「……恋愛禁止の約束を破ったのは申し訳ないと思ってる。番いの連絡を受けた時にちゃんと相談すべきだったし、交際を始めてからもナギの事もきちんと紹介したらよかった。でも私はナギが好きなの。だから私たちを認めて。進学も就職もしない。この家に戻る。それでも、せめてナギとの交際は許して欲しい」
 しばらく沈黙が場を支配する。

「……可哀そうに。護国なんかに騙されてしまって。でももう大丈夫よ。お母さんが全てを終わらせてあげるから。学校も辞めて、あのアパートも引き払って、あの男の手の届かない所に行きましょう、一緒に」なんて笑顔で言う。
 ――なにそれ。どうする気なの。というか、騙されてるってなに? どういうことなの。
「やめて、私はそんなの望んでない。好きな人と一緒に居たいだけ、それでも駄目なの?」
 声が震える。喉が詰まる。今までお母さんに反抗したことは無かった。だけどこれはちゃんと伝えないと。
 忍さんは距離を詰めて、まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるように言葉を続ける。
「いい? あの男の番いはあなたではないの。あなたは、あの男と巫女たちの嘘に翻弄されているだけなのよ」
 そう言いながら忍さんは私の頬に手をやった。慈しむような手つきで頬を撫でる。
「番いじゃないかもしれないけど、私はナギが好き!! ナギも好きだって言ってくれた」
 たとえ私がナギの本当の番いじゃなくても愛してるって言ってくれた。私もそう。お母さんの約束を破ることになるけど私は彼と一緒に生きたい。
 未成年である私がナギの番いではないかもしれない、巫女の託宣が間違いかもしれないと知らされた時にはショックを受けたけど、その後でお互いの気持ちは本物だと確かめ合った。
 例え、番いだろうがそうでなかろうが私はナギが好きなんだから。

 私の頬を撫で続けていたお母さんの手がピタリと止まる。
「あの男の番いは『藤原みやび』なんでしょ? それならば、あなたではないのよ」
 菩薩みたいな笑みを浮かべ訳の分からないことを言う。
 ナギの番いは藤原みやびなのに、私の事ではない? どういうこと? まさか、ナギにまだ何かを隠されてたってこと……?
 私の動揺を好機と見たのか「あなたは藤原みやびではないのよ。子供の頃、遊んだことのある女の子を覚えてる? 髪の毛がくせ毛だった小さな子。あの子が藤原みやび……ああ、ダメね、あの頃の記憶を封じていたんだったわ」と続けざまに言う。

「え」

 なにそれどういうこと。
 私は藤原みやびじゃない?
 それよりも記憶を封じていたってなに。
 ――この人は何を言っているの。

「あなたがこの汚い世の中で生きていくためにね、私が藤原母娘を殺したの。それで戸籍を奪ったのよ」
 それは今まで見たこともないくらい慈愛に満ちた表情だった。

「ひとを――ころ、した?」
 目の前がぐらぐら揺れる。
 戸籍を奪った?
 私のせいで人が死んだ?
 お母さんが殺した?
 足に力が入らず、くずおれそうになり、慌ててテーブルに手をつく。
 きもちわるい。
 お母さんがそっと背中を抱いてきた。
「また適当な人間を殺して戸籍を奪いましょうね。そしてまた月輪(つきのわ)にあなたの記憶を封じてもらわなきゃ。あの忌々しい護国の犬なんかの記憶なんて忘れた方がいいわ。本当はあの男を切り刻んでやりたいけど、護国機関の人間を相手にするのは面倒ですからね」
 その声はおぞましい内容に反して酷く甘い。
 聞き捨てならないことを言っているけど、理解が追い付かない。
 月輪とやらが私の記憶を封じた?
 私は子供の頃の記憶が酷くあいまいだけど、成長するにしたがってみんな子供の頃の記憶が朧げになるのだと思っていた。
 なのに、私のこの記憶は操作されていたというの?

「あなたもまた髪を黒く染めなくてはね。染めるのは面倒だと言ってたからせめてまた髪の毛を短く切りましょうか」と私の髪の毛を指で梳く。
 やだ、もう髪の毛は染めたくない。このままがいい。自然のままがいい。ナギが「好きだ」と言ってくれた髪の毛を切りたくない。
 子供の頃、茶色の髪が気持ち悪いと同年代の子たちにいじめられ、それから黒髪に染めて生きてきた。高校入学を機に生来の髪の色で過ごすことを決めた。
 染めたくない。
 思考がまとまらない。
 気持ちが悪い。
 吐きそうだ。

「やめて、ひとをころさないで」
 かろうじてそれだけが言葉に出来た。
「でも厄介な護国の犬はあなたをいつまでも追うでしょう。神に定められた運命の恋人『番い』だとかいう馬鹿な妄執に捕らわれて。だから戸籍の乗り換えは必要なのよ」
 わがままを言わないで、とばかりに優しく優しく私を抱き、背中を撫でる。
「いやだよ」
 ナギの事を悪く言わないで。
 私たちを引き裂こうとしないで。

 私はナギが好き。
 でも私にナギを愛する資格があるの?
 人を殺してまで生きてる私に。
 その戸籍を奪ってる私に。
「――ひとごろし」
 その言葉はお母さんに向けたものなのか、それとも自分自身へか。

「人を殺してまで生きていたくない」
 それは本心だ。一旦口に出すと、もう止められなかった。
 お母さんを乱暴に振りほどく。
 今まで反抗したことなかったので、私の行動に驚愕してるようで見たことがないくらい狼狽している。

 私のせいで殺された少女が居る。
 その子のお母さんも殺された。
 それがとてもやるせなく、辛かった。
 人の命を踏みいじってまで生きなきゃいけなかっただなんて。
 脳がちりちりと焼ける感じがする。
 今まで思い出せもしなかった幼い頃の記憶が流れ込んでくる。
 これが封じられていたという記憶だろうか。
 その中に、私よりも年下のあどけない少女のビジョンがかすかに浮かび上がってきた。
 生まれて初めてできた友達、私の髪の色も気にせずに当時の私よりも小さな手を私に差し伸べてくれた。
「わたしたち、誕生日が同じなんだね。すごいね、運命だね」と言葉の意味もよくわからないまま笑い合ってたあの子。
 私は彼女を「みやびちゃん」と呼んでいた。
 みやびちゃんは私の名前を「   ちゃん」と呼んだ。
 その名前だけは聞き取れない。
 思い出せない。
 ――私の名前は何?
 私は、誰なの?

 この記憶の中にある、何の罪もない女の子を、お母さんが殺した。
 私の存在が彼女を、殺した。
 私のせいで、あの子が――殺された。

 ずきり。
 頭痛が襲う。
 私には知る権利が、義務がある。
 もっと深く、思い出せ。
 忘れているなにかを。
 大切な、あの事を。
 当時、確かに傍に居たあの人たちの事を。 

 痛い、痛い、頭が痛い……。
 割れそう。
 でもみやびちゃんたちはもっともっと痛い思いを、怖い思いをしたんだ。
 私が、私が居たせいで、人が死んだ。
 殺された。
 私が生まれてきてしまったばっかりに。
「■■■。落ち着いて。無理に思い出そうとしては駄目よ」
 忍さんが私を抑え込もうと、身を重ねてくるけどそれを振りほどく。何か言葉を発していたようだけど、うまく聞き取れなかった。
 気が付いたら髪の毛を振り乱し、とめどなく涙が流れ「私なんか、私なんか!! 生まれてこなければよかったんだ!!!!!!!!」と腹の底から叫んでいた。


 叫んだ瞬間、お母さんは虚を突かれたように魂の抜けた顔になった。
 その瞳が衝撃で揺れていた。

 私は言ってはいけないことを言ったんだ、お母さんを傷つけたんだ、と察した瞬間。
「お母さ――」


 忍さんから放たれた見えない空気の刃みたいなものに、私は全身を、切り刻まれた。

「え」
 なに、これ……。
 激痛で気絶しそうになりながら、床に伏す。
 痛い。
 全身が痛い。
 どんどんと体の熱が抜けていく感覚がする。
 倒れた私の顔を何か温かいものが浸す。
 それが、私の体から流れ出ていく血だと理解した。
 目の前に広がる赤い世界。
 引き裂かれた皮膚から命が流れ出ていくのを感じた。
 とめどなく流れていく。
 
 なにを間違えたのか、そもそもすべてが間違いだったのか。

 私がわかったのは、死ぬのだな、ということだけ。

 私を殺してお母さんはどうするのだろう。
 どうやって生きていくのだろう。
 生きられるのかな、後を追いそうだな。
 お母さん、ゴメンなさい。
 ――みやびちゃん、そして彼女のお母さん……ゴメンなさい。


 そして、最後にナギに会いたかったな、と彼の顔を思い浮かべながら――。


                   
 ――私の意識は途絶えた。


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 この周辺は他に店や民家が無い。だからここに引っ越してきた当初もほぼ軟禁状態だった。
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 帝都の外れにあるここは私の学校と実家は直線距離ではさほど離れてないのに、電車の路線の都合でやたらと遠回りさせられるのがネックで、月1度に実家に帰るのも億劫だ。
 いつから待っていたのか、玄関で静かに笑みをたたえながら忍さんは立っていた。
 私のお母さんはこんなにも気持ち悪かっただろうか。ふと、私のお母さんの皮を被ったナニカと対峙してる感覚に陥った。
 先月実家に来た時にはこんな風ではなかった。いつも通りに淡々と私の報告を聞いて、生活費を受け渡しして、稽古をし夜は共に食事をしていつもと同じだった。
 なのにこの変貌は何? 私とナギとの関係を知ったから?
 高校卒業したら自分の元に帰ってくると信じてたのに、私が約束を破るかもしれない可能性があると知り、お母さんが心のよりどころにしていたモノを私が壊してしまったのだろうか。
「お帰りなさい」と、お母さんは昔私が近所の子供に泣かされ家に帰った時にいつもしてくれていたように私の体を抱きしめる。懐かしい香りに包まれる。幼かったころ、私は母のこの香りが好きだった。
 私はその体をそっと押しのけ、無言で家に入る。
 リビングに入り、とりあえず鞄をテーブルの上に置く。そして大きく息を吸い、ここに着くまでにずっと考えていた言葉をぶつける。
「ねぇ、ナギの所に行ったって本当? そういうのやめて。……私がちゃんとお母さんに彼の事を報告しなかったのは悪かったと思ってる。だけど、彼に迷惑をかけるのはやめてよ」
 私がそう言うと、お母さんの顔から表情がすっと消えた。あまり感情を見せない人だけど、こんな無表情は初めて見る。一瞬気圧されたけど、それでもちゃんと向き合わないと。
「……恋愛禁止の約束を破ったのは申し訳ないと思ってる。番いの連絡を受けた時にちゃんと相談すべきだったし、交際を始めてからもナギの事もきちんと紹介したらよかった。でも私はナギが好きなの。だから私たちを認めて。進学も就職もしない。この家に戻る。それでも、せめてナギとの交際は許して欲しい」
 しばらく沈黙が場を支配する。
「……可哀そうに。護国なんかに騙されてしまって。でももう大丈夫よ。お母さんが全てを終わらせてあげるから。学校も辞めて、あのアパートも引き払って、あの男の手の届かない所に行きましょう、一緒に」なんて笑顔で言う。
 ――なにそれ。どうする気なの。というか、騙されてるってなに? どういうことなの。
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 声が震える。喉が詰まる。今までお母さんに反抗したことは無かった。だけどこれはちゃんと伝えないと。
 忍さんは距離を詰めて、まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるように言葉を続ける。
「いい? あの男の番いはあなたではないの。あなたは、あの男と巫女たちの嘘に翻弄されているだけなのよ」
 そう言いながら忍さんは私の頬に手をやった。慈しむような手つきで頬を撫でる。
「番いじゃないかもしれないけど、私はナギが好き!! ナギも好きだって言ってくれた」
 たとえ私がナギの本当の番いじゃなくても愛してるって言ってくれた。私もそう。お母さんの約束を破ることになるけど私は彼と一緒に生きたい。
 未成年である私がナギの番いではないかもしれない、巫女の託宣が間違いかもしれないと知らされた時にはショックを受けたけど、その後でお互いの気持ちは本物だと確かめ合った。
 例え、番いだろうがそうでなかろうが私はナギが好きなんだから。
 私の頬を撫で続けていたお母さんの手がピタリと止まる。
「あの男の番いは『藤原みやび』なんでしょ? それならば、あなたではないのよ」
 菩薩みたいな笑みを浮かべ訳の分からないことを言う。
 ナギの番いは藤原みやびなのに、私の事ではない? どういうこと? まさか、ナギにまだ何かを隠されてたってこと……?
 私の動揺を好機と見たのか「あなたは藤原みやびではないのよ。子供の頃、遊んだことのある女の子を覚えてる? 髪の毛がくせ毛だった小さな子。あの子が藤原みやび……ああ、ダメね、あの頃の記憶を封じていたんだったわ」と続けざまに言う。
「え」
 なにそれどういうこと。
 私は藤原みやびじゃない?
 それよりも記憶を封じていたってなに。
 ――この人は何を言っているの。
「あなたがこの汚い世の中で生きていくためにね、私が藤原母娘を殺したの。それで戸籍を奪ったのよ」
 それは今まで見たこともないくらい慈愛に満ちた表情だった。
「ひとを――ころ、した?」
 目の前がぐらぐら揺れる。
 戸籍を奪った?
 私のせいで人が死んだ?
 お母さんが殺した?
 足に力が入らず、くずおれそうになり、慌ててテーブルに手をつく。
 きもちわるい。
 お母さんがそっと背中を抱いてきた。
「また適当な人間を殺して戸籍を奪いましょうね。そしてまた月輪(つきのわ)にあなたの記憶を封じてもらわなきゃ。あの忌々しい護国の犬なんかの記憶なんて忘れた方がいいわ。本当はあの男を切り刻んでやりたいけど、護国機関の人間を相手にするのは面倒ですからね」
 その声はおぞましい内容に反して酷く甘い。
 聞き捨てならないことを言っているけど、理解が追い付かない。
 月輪とやらが私の記憶を封じた?
 私は子供の頃の記憶が酷くあいまいだけど、成長するにしたがってみんな子供の頃の記憶が朧げになるのだと思っていた。
 なのに、私のこの記憶は操作されていたというの?
「あなたもまた髪を黒く染めなくてはね。染めるのは面倒だと言ってたからせめてまた髪の毛を短く切りましょうか」と私の髪の毛を指で梳く。
 やだ、もう髪の毛は染めたくない。このままがいい。自然のままがいい。ナギが「好きだ」と言ってくれた髪の毛を切りたくない。
 子供の頃、茶色の髪が気持ち悪いと同年代の子たちにいじめられ、それから黒髪に染めて生きてきた。高校入学を機に生来の髪の色で過ごすことを決めた。
 染めたくない。
 思考がまとまらない。
 気持ちが悪い。
 吐きそうだ。
「やめて、ひとをころさないで」
 かろうじてそれだけが言葉に出来た。
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 わがままを言わないで、とばかりに優しく優しく私を抱き、背中を撫でる。
「いやだよ」
 ナギの事を悪く言わないで。
 私たちを引き裂こうとしないで。
 私はナギが好き。
 でも私にナギを愛する資格があるの?
 人を殺してまで生きてる私に。
 その戸籍を奪ってる私に。
「――ひとごろし」
 その言葉はお母さんに向けたものなのか、それとも自分自身へか。
「人を殺してまで生きていたくない」
 それは本心だ。一旦口に出すと、もう止められなかった。
 お母さんを乱暴に振りほどく。
 今まで反抗したことなかったので、私の行動に驚愕してるようで見たことがないくらい狼狽している。
 私のせいで殺された少女が居る。
 その子のお母さんも殺された。
 それがとてもやるせなく、辛かった。
 人の命を踏みいじってまで生きなきゃいけなかっただなんて。
 脳がちりちりと焼ける感じがする。
 今まで思い出せもしなかった幼い頃の記憶が流れ込んでくる。
 これが封じられていたという記憶だろうか。
 その中に、私よりも年下のあどけない少女のビジョンがかすかに浮かび上がってきた。
 生まれて初めてできた友達、私の髪の色も気にせずに当時の私よりも小さな手を私に差し伸べてくれた。
「わたしたち、誕生日が同じなんだね。すごいね、運命だね」と言葉の意味もよくわからないまま笑い合ってたあの子。
 私は彼女を「みやびちゃん」と呼んでいた。
 みやびちゃんは私の名前を「   ちゃん」と呼んだ。
 その名前だけは聞き取れない。
 思い出せない。
 ――私の名前は何?
 私は、誰なの?
 この記憶の中にある、何の罪もない女の子を、お母さんが殺した。
 私の存在が彼女を、殺した。
 私のせいで、あの子が――殺された。
 ずきり。
 頭痛が襲う。
 私には知る権利が、義務がある。
 もっと深く、思い出せ。
 忘れているなにかを。
 大切な、あの事を。
 当時、確かに傍に居たあの人たちの事を。 
 痛い、痛い、頭が痛い……。
 割れそう。
 でもみやびちゃんたちはもっともっと痛い思いを、怖い思いをしたんだ。
 私が、私が居たせいで、人が死んだ。
 殺された。
 私が生まれてきてしまったばっかりに。
「■■■。落ち着いて。無理に思い出そうとしては駄目よ」
 忍さんが私を抑え込もうと、身を重ねてくるけどそれを振りほどく。何か言葉を発していたようだけど、うまく聞き取れなかった。
 気が付いたら髪の毛を振り乱し、とめどなく涙が流れ「私なんか、私なんか!! 生まれてこなければよかったんだ!!!!!!!!」と腹の底から叫んでいた。
 叫んだ瞬間、お母さんは虚を突かれたように魂の抜けた顔になった。
 その瞳が衝撃で揺れていた。
 私は言ってはいけないことを言ったんだ、お母さんを傷つけたんだ、と察した瞬間。
「お母さ――」
 忍さんから放たれた見えない空気の刃みたいなものに、私は全身を、切り刻まれた。
「え」
 なに、これ……。
 激痛で気絶しそうになりながら、床に伏す。
 痛い。
 全身が痛い。
 どんどんと体の熱が抜けていく感覚がする。
 倒れた私の顔を何か温かいものが浸す。
 それが、私の体から流れ出ていく血だと理解した。
 目の前に広がる赤い世界。
 引き裂かれた皮膚から命が流れ出ていくのを感じた。
 とめどなく流れていく。
 なにを間違えたのか、そもそもすべてが間違いだったのか。
 私がわかったのは、死ぬのだな、ということだけ。
 私を殺してお母さんはどうするのだろう。
 どうやって生きていくのだろう。
 生きられるのかな、後を追いそうだな。
 お母さん、ゴメンなさい。
 ――みやびちゃん、そして彼女のお母さん……ゴメンなさい。
 そして、最後にナギに会いたかったな、と彼の顔を思い浮かべながら――。
 ――私の意識は途絶えた。