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出会い① 2輪:三毛稜太郎というツッパリ…?

ー/ー




 ────「わっ!」「きゃー!!」


 中学生になって初めての始業式の日、登校途中。

美鎖子(みさこ)は車道を挟んだ向こう側の歩道で、ランニングウェアを着た白髪のおじさんが倒れるのを見た。


 美鎖子が“行かなきゃ”と思った時には、すでに身体は動き出していた。

一瞬にして身体が軽く、熱くなり、今までに体験したことのない変化を味わった。

その身体をコントロールしている意識がないまま、
美鎖子はちょうど青信号になった近くの横断歩道を渡って、倒れたおじさんの元へと急いで向かった。


 美鎖子が着く頃には、おじさんの周りに多くの人が集まっていた。

その人だかりの中から「大丈夫ですか!」「あなたは救急車を!」
「誰か近くにAEDがある場所知ってますか!」という大きく呼びかける男の子の声が聞こえてくる。


神楽(かぐら)美鎖子(みさこ)「てっ手伝います!」

 美鎖子は群衆の外側から精一杯手を伸ばして飛び跳ねた。

しかし人々はおじさんの動向に夢中になっていたので、美鎖子に道を譲流ことはなかった。

なので美鎖子は人々を掻き分けて、その中心に入ろうとした。


美鎖子「ぅっと…」

 美鎖子がやっとの思いで人混みの中心に入ると、おじさんの肩を叩いていた男の子がふと顔を上げた。


 パーマのかかった燻んだ茶髪を、軽くオールバックにしたような髪型。

勝手にアレンジを加えて短ランになった学生服の中に、パキッとした赤色のパーカーを着ている。

そしてなにより目に付くのは、中学生らしからぬ小さな丸いレンズのサングラス。

深緑色のレンズの上から、スモーキーな深緑の瞳が美鎖子を真っ直ぐ捉えていた。


美鎖子(……三毛(みけ)稜太郎(りょうたろう)くんだ)

 美鎖子はごくりと唾を飲んだ。


 入学式でツッパリのような風貌から、体育館中をざわつかせた男の子だった。

その時はカッチリとオールバックをしていて、ツッパリ世代の参列者に優しい笑みを向けられていたのを覚えている。

その印象が強く残っていたので、顔覚えの悪い美鎖子でも名前まで記憶していた。


三毛(みけ)稜太郎(りょうたろう)「…あの、携帯持ってる?」

 稜太郎が先程まで大きな声を出していたとは思えないほど落ち着いた声で聞いてきた。


美鎖子「ももも持ってないですっ!」

 美鎖子は手を横に振りながら答えて、急いで稜太郎の近くに膝をついた。


 おじさんは苦しそうに息を切らし、全身を痙攣させていた。

美鎖子は必死で救急処置のガイドラインの手順を思い起こした。


美鎖子(ああ安全確認はしてる、ぉおじさんの反応は無い。
よっ呼びかけは…スゥマホの有無を聞かれた!スマホ!)

 美鎖子はすぐに顔を上げると、周りの大人たちにスマホを借りようと辺りを見渡した。


美鎖子(・・・え?)

 美鎖子はその瞬間、尾骨から頭の先にかけて一気に主要な血管が凍りつくような感覚に襲われた。


 車道にいるのにも関わらず、自転車に跨ったままこちらにスマホのカメラを向けているスーツ姿の会社員。

「初めて見た」とニヤついた表情でおじさんの写真を撮り、スマホをいじりながら立ち去って行く高校生。

隠し撮りをしているかのように、スマホをこっそり構える男性。

小さい子どもを連れているのにも関わらず、動画を回すのに夢中な母親。

ライブ会場にいるかのようにスマホを高く掲げておじさんを撮っている人々。


 美鎖子がどこを見渡しても、たくさんのスマホがこちらを向いていた。

にも関わらず、稜太郎が自分にスマホを持っていないか尋ねたことに衝撃を受けた。


 美鎖子の中で心臓の音が、どっどっとゆっくり鈍く響いた。

心臓と肺が誰かに鷲掴みにされたかのように窮屈になり、勝手に動いてしまうことが憎らしかった。

おじさんの元に駆けつけるまで熱く、軽かった美鎖子の身体は、嘘のように血の気が引き、冷たく青白くなってしまった。


稜太郎「AEDは、AEDはどこにあるか知ってる?」

 その声に美鎖子はハッとした。

稜太郎の方を見ると、すでに心臓マッサージを始めていた。

美鎖子は勝手に急かされながら頭の中で地図を広げ、AEDの場所を探した。


美鎖子「え、えっとAEDなら…ぁあそこのスーパーのエレベーター横にたしか!」

 美鎖子は200mほど先のY字路の真ん中にあるスーパーの方を指差した。


 いきなり出した声は緊張した喉から発せられたため、裏返った声だった。

それを気にした美鎖子は、今度はささやくような声で
「でっでもまだ、開店時間じゃないと思います」と付け加えた。


稜太郎「裏口は?知ってる?」

 稜太郎は顔を上げることなく、心臓マッサージを続けながら聞いた。


美鎖子「わわわ分からないですぅ!」

稜太郎「心臓マッサージはできる?」

美鎖子「!それは!」

 稜太郎は相変わらず、落ち着いたトーンで話した。

美鎖子も相変わらず、喉の調節が効いていない声のまま答え続けた。

そんな状態に加え、舌も頭も回っていないことに焦りを覚えていた。


稜太郎「お願いしていい?」

美鎖子「ふぁい!」

 美鎖子は返事をした後すぐ立ち上がろうとしたけれど、膝の関節が油を差していない歯車のように引っかかった。

体制を崩しかけたが、膝に手をついてなんとか持ち堪えた。


美鎖子(早くしないと!)

 美鎖子は一生懸命踏ん張って立ち上がり、稜太郎の向かいにしゃがみ直した。

そして一度、拳をぎゅっと強く握りしめた。

けれど手から強張りと緊張感が取れる気配を感じなかったので、そのまま強引に両手を重ねて指を絡めた。


 美鎖子の「1、2、3!」という掛け声に合わせて、2人は心臓マッサージを交代した。


稜太郎「僕、そこで救急車も呼んでくるから」

 稜太郎は美鎖子の顔を覗き込むように声をかけた。

美鎖子は今までのやり取りの中で一番大きな声で「はい!!」と返事をした。


稜太郎「ごめんね、ありがとう。すぐに戻るから」

 稜太郎は柔らかな声でそう言うと、スーパーの方へ向かって走り出した。


 美鎖子は心臓マッサージの回数を口に出して数えた。

けれど今何セット目の心臓マッサージをしているのか、全く分かっていなかった。

様々に浮かんでくる思考が邪魔をしてくるのだ。


美鎖子(どうしてさっき、三毛くんは『ごめんね』って謝ってきたの?
心臓マッサージの交代くらい謝ることじゃないし、というか普通のことだし!
私の代わりにAEDを取りに行ってもらってる訳だから、私の方こそ謝らなきゃ。

 私が来る前から、三毛くんはちゃんと具体的に指示を出していたよね?
私聞こえたもの!

なのになんで…なんで誰もスマホ貸してくれないの?
救急車を呼ばないの?AEDを探そうとしないの…?)

 美鎖子は周りを見渡さない(上を向かない)ことだけを心掛けた。

周りにいる人たちを見てしまうと、その人たちの思考を悪く捉えてしまいそうな気がしたからだ。

おじさんの痙攣は随分前に止まったけれど、心臓マッサージをする美鎖子の手はずっと小刻みに震えていた。


稜太郎「AEDはできるっ?」

美鎖子「っ〰︎〰︎〰︎〰︎?!」

 美鎖子は声にならない声を出しながら、勢いよく顔を上げてた。

ついさっきスーパーに向かったばかりの稜太郎が、あまりにも早くAEDを持って帰って来たからだ。


 しかも稜太郎着はサングラスを外しており、顔の印象がまるっきり違っていた。

なので一瞬、美鎖子は彼を稜太郎だと認識できなかった。


 美鎖子は“200m以上ある、あり、ありますよね?!”と目を丸くさせながら目配せした。

けれど息を切らしている稜太郎が、あまりにも真っ直ぐな瞳でこちらを見つめたまま何も返してこない。

その眼圧に負けた美鎖子は「…でででできますっ!」と話を戻した。


稜太郎「心臓マッサージ代わるから、お願いしてもいいっ?」

美鎖子「ははい!」

稜太郎「ごめんね、ありがと」

 美鎖子は“また謝った…”と思いながらも、心臓マッサージを交代した。


 手の震えはだいぶ治っていたけれど、まだ身体の芯の部分が震えている。

美鎖子はもう一度拳を握り締め、わざと指を大きく開いてからAEDバックのチャックを開けた。


稜太郎「ハサミは出せる?服切ってくれる?」

美鎖子「はっははい!」

 AEDの自動音声が流れる中、稜太郎は適切に指示を出し続けた。

美鎖子はその指示に従い、ヒヤヒヤしながらおじさんのランニングウェアを縦にハサミで切った。

そして付属のタオルで胸元の汗を急いで拭きあげる。


 美鎖子は電極パッドの入った袋を勢いよく破ると、パッドを保護しているシートを剥がそうと試みた。

しかし身体と連動して震える指先が思い通りに動かず、シート剥がしに手こずってしまった。


稜太郎「落ち着いて。ゆっくり息して。大丈夫だから」

 そんな美鎖子を見かねたのか、稜太郎が心臓マッサージを続けながら優しく声をかけてくれた。

どうやら美鎖子は浅い呼吸を繰り返していたようだ。


 美鎖子は大袈裟に深呼吸をしてから、もう一度電極パッドと向き合った。

すると今度はシートの端にしっかり指先を引っ掛けることができた。

そのままシートを剥がしきると、おじさんの右胸に貼った。

もう1個の電極パッドはあっさりと剥がれたので、急いで左脇腹に貼り付けた。


 AEDが心電図解析を始めると、近くのスーパーの制服を着た小太りの男性が人混みをかき分けてやって来た。

その手に持ったスマホを振りながら、稜太郎に救急車が向かっていることを伝えた。

稜太郎はその店員に、周りにいる人たちの誘導をお願いしていた。

美鎖子は2人のことを交互に見ると、
“三毛くん、この店員さんのこと置いてきたんだ…”と口を真一文字に結んだ。


 すると鼓膜を劈くようなAEDのブザーが鳴り響いた。

稜太郎は「触らないで!離れてください!」と再度周りの人たちに一応呼びかけると、美鎖子に目配せをした。

美鎖子はおじさんに誰も触れていないことを確認してから、
「ショックボタン押します!」と大声で言い、点滅するボタンを力強く押し込んだ。


 美鎖子は電気ショックを加える時、おじさんを見ないようにしていた。

おじさんが知っていたからだ。

しかしその甲斐もなく、
周りで見ていた人たちの「うわっ」というどよめきのせいで、胸がぐぅっと締めつけられた。


 すぐに稜太郎は心臓マッサージを再開させた。

けれど美鎖子は放心してしまい、AEDのスクリーンをただ眺めることしかできなかった。





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 ────「わっ!」「きゃー!!」
 中学生になって初めての始業式の日、登校途中。
|美鎖子《みさこ》は車道を挟んだ向こう側の歩道で、ランニングウェアを着た白髪のおじさんが倒れるのを見た。
 美鎖子が“行かなきゃ”と思った時には、すでに身体は動き出していた。
一瞬にして身体が軽く、熱くなり、今までに体験したことのない変化を味わった。
その身体をコントロールしている意識がないまま、
美鎖子はちょうど青信号になった近くの横断歩道を渡って、倒れたおじさんの元へと急いで向かった。
 美鎖子が着く頃には、おじさんの周りに多くの人が集まっていた。
その人だかりの中から「大丈夫ですか!」「あなたは救急車を!」
「誰か近くにAEDがある場所知ってますか!」という大きく呼びかける男の子の声が聞こえてくる。
|神楽《かぐら》|美鎖子《みさこ》「てっ手伝います!」
 美鎖子は群衆の外側から精一杯手を伸ばして飛び跳ねた。
しかし人々はおじさんの動向に夢中になっていたので、美鎖子に道を譲流ことはなかった。
なので美鎖子は人々を掻き分けて、その中心に入ろうとした。
美鎖子「ぅっと…」
 美鎖子がやっとの思いで人混みの中心に入ると、おじさんの肩を叩いていた男の子がふと顔を上げた。
 パーマのかかった燻んだ茶髪を、軽くオールバックにしたような髪型。
勝手にアレンジを加えて短ランになった学生服の中に、パキッとした赤色のパーカーを着ている。
そしてなにより目に付くのは、中学生らしからぬ小さな丸いレンズのサングラス。
深緑色のレンズの上から、スモーキーな深緑の瞳が美鎖子を真っ直ぐ捉えていた。
美鎖子(……|三毛《みけ》|稜太郎《りょうたろう》くんだ)
 美鎖子はごくりと唾を飲んだ。
 入学式でツッパリのような風貌から、体育館中をざわつかせた男の子だった。
その時はカッチリとオールバックをしていて、ツッパリ世代の参列者に優しい笑みを向けられていたのを覚えている。
その印象が強く残っていたので、顔覚えの悪い美鎖子でも名前まで記憶していた。
|三毛《みけ》|稜太郎《りょうたろう》「…あの、携帯持ってる?」
 稜太郎が先程まで大きな声を出していたとは思えないほど落ち着いた声で聞いてきた。
美鎖子「ももも持ってないですっ!」
 美鎖子は手を横に振りながら答えて、急いで稜太郎の近くに膝をついた。
 おじさんは苦しそうに息を切らし、全身を痙攣させていた。
美鎖子は必死で救急処置のガイドラインの手順を思い起こした。
美鎖子(ああ安全確認はしてる、ぉおじさんの反応は無い。
よっ呼びかけは…スゥマホの有無を聞かれた!スマホ!)
 美鎖子はすぐに顔を上げると、周りの大人たちにスマホを借りようと辺りを見渡した。
美鎖子(・・・え?)
 美鎖子はその瞬間、尾骨から頭の先にかけて一気に主要な血管が凍りつくような感覚に襲われた。
 車道にいるのにも関わらず、自転車に跨ったままこちらにスマホのカメラを向けているスーツ姿の会社員。
「初めて見た」とニヤついた表情でおじさんの写真を撮り、スマホをいじりながら立ち去って行く高校生。
隠し撮りをしているかのように、スマホをこっそり構える男性。
小さい子どもを連れているのにも関わらず、動画を回すのに夢中な母親。
ライブ会場にいるかのようにスマホを高く掲げておじさんを撮っている人々。
 美鎖子がどこを見渡しても、たくさんのスマホがこちらを向いていた。
にも関わらず、稜太郎が自分にスマホを持っていないか尋ねたことに衝撃を受けた。
 美鎖子の中で心臓の音が、どっどっとゆっくり鈍く響いた。
心臓と肺が誰かに鷲掴みにされたかのように窮屈になり、勝手に動いてしまうことが憎らしかった。
おじさんの元に駆けつけるまで熱く、軽かった美鎖子の身体は、嘘のように血の気が引き、冷たく青白くなってしまった。
稜太郎「AEDは、AEDはどこにあるか知ってる?」
 その声に美鎖子はハッとした。
稜太郎の方を見ると、すでに心臓マッサージを始めていた。
美鎖子は勝手に急かされながら頭の中で地図を広げ、AEDの場所を探した。
美鎖子「え、えっとAEDなら…ぁあそこのスーパーのエレベーター横にたしか!」
 美鎖子は200mほど先のY字路の真ん中にあるスーパーの方を指差した。
 いきなり出した声は緊張した喉から発せられたため、裏返った声だった。
それを気にした美鎖子は、今度はささやくような声で
「でっでもまだ、開店時間じゃないと思います」と付け加えた。
稜太郎「裏口は?知ってる?」
 稜太郎は顔を上げることなく、心臓マッサージを続けながら聞いた。
美鎖子「わわわ分からないですぅ!」
稜太郎「心臓マッサージはできる?」
美鎖子「《《さい》》!それは!」
 稜太郎は相変わらず、落ち着いたトーンで話した。
美鎖子も相変わらず、喉の調節が効いていない声のまま答え続けた。
そんな状態に加え、舌も頭も回っていないことに焦りを覚えていた。
稜太郎「お願いしていい?」
美鎖子「ふぁい!」
 美鎖子は返事をした後すぐ立ち上がろうとしたけれど、膝の関節が油を差していない歯車のように引っかかった。
体制を崩しかけたが、膝に手をついてなんとか持ち堪えた。
美鎖子(早くしないと!)
 美鎖子は一生懸命踏ん張って立ち上がり、稜太郎の向かいにしゃがみ直した。
そして一度、拳をぎゅっと強く握りしめた。
けれど手から強張りと緊張感が取れる気配を感じなかったので、そのまま強引に両手を重ねて指を絡めた。
 美鎖子の「1、2、3!」という掛け声に合わせて、2人は心臓マッサージを交代した。
稜太郎「僕、そこで救急車も呼んでくるから」
 稜太郎は美鎖子の顔を覗き込むように声をかけた。
美鎖子は今までのやり取りの中で一番大きな声で「はい!!」と返事をした。
稜太郎「ごめんね、ありがとう。すぐに戻るから」
 稜太郎は柔らかな声でそう言うと、スーパーの方へ向かって走り出した。
 美鎖子は心臓マッサージの回数を口に出して数えた。
けれど今何セット目の心臓マッサージをしているのか、全く分かっていなかった。
様々に浮かんでくる思考が邪魔をしてくるのだ。
美鎖子(どうしてさっき、三毛くんは『ごめんね』って謝ってきたの?
心臓マッサージの交代くらい謝ることじゃないし、というか普通のことだし!
私の代わりにAEDを取りに行ってもらってる訳だから、私の方こそ謝らなきゃ。
 私が来る前から、三毛くんはちゃんと具体的に指示を出していたよね?
私聞こえたもの!
なのになんで…なんで誰もスマホ貸してくれないの?
救急車を呼ばないの?AEDを探そうとしないの…?)
 美鎖子は|周りを見渡さない《上を向かない》ことだけを心掛けた。
周りにいる人たちを見てしまうと、その人たちの思考を悪く捉えてしまいそうな気がしたからだ。
おじさんの痙攣は随分前に止まったけれど、心臓マッサージをする美鎖子の手はずっと小刻みに震えていた。
稜太郎「AEDはできるっ?」
美鎖子「っ〰︎〰︎〰︎〰︎?!」
 美鎖子は声にならない声を出しながら、勢いよく顔を上げてた。
ついさっきスーパーに向かったばかりの稜太郎が、あまりにも早くAEDを持って帰って来たからだ。
 しかも稜太郎着はサングラスを外しており、顔の印象がまるっきり違っていた。
なので一瞬、美鎖子は彼を稜太郎だと認識できなかった。
 美鎖子は“200m以上ある、あり、ありますよね?!”と目を丸くさせながら目配せした。
けれど息を切らしている稜太郎が、あまりにも真っ直ぐな瞳でこちらを見つめたまま何も返してこない。
その眼圧に負けた美鎖子は「…でででできますっ!」と話を戻した。
稜太郎「心臓マッサージ代わるから、お願いしてもいいっ?」
美鎖子「ははい!」
稜太郎「ごめんね、ありがと」
 美鎖子は“また謝った…”と思いながらも、心臓マッサージを交代した。
 手の震えはだいぶ治っていたけれど、まだ身体の芯の部分が震えている。
美鎖子はもう一度拳を握り締め、わざと指を大きく開いてからAEDバックのチャックを開けた。
稜太郎「ハサミは出せる?服切ってくれる?」
美鎖子「はっははい!」
 AEDの自動音声が流れる中、稜太郎は適切に指示を出し続けた。
美鎖子はその指示に従い、ヒヤヒヤしながらおじさんのランニングウェアを縦にハサミで切った。
そして付属のタオルで胸元の汗を急いで拭きあげる。
 美鎖子は電極パッドの入った袋を勢いよく破ると、パッドを保護しているシートを剥がそうと試みた。
しかし身体と連動して震える指先が思い通りに動かず、シート剥がしに手こずってしまった。
稜太郎「落ち着いて。ゆっくり息して。大丈夫だから」
 そんな美鎖子を見かねたのか、稜太郎が心臓マッサージを続けながら優しく声をかけてくれた。
どうやら美鎖子は浅い呼吸を繰り返していたようだ。
 美鎖子は大袈裟に深呼吸をしてから、もう一度電極パッドと向き合った。
すると今度はシートの端にしっかり指先を引っ掛けることができた。
そのままシートを剥がしきると、おじさんの右胸に貼った。
もう1個の電極パッドはあっさりと剥がれたので、急いで左脇腹に貼り付けた。
 AEDが心電図解析を始めると、近くのスーパーの制服を着た小太りの男性が人混みをかき分けてやって来た。
その手に持ったスマホを振りながら、稜太郎に救急車が向かっていることを伝えた。
稜太郎はその店員に、周りにいる人たちの誘導をお願いしていた。
美鎖子は2人のことを交互に見ると、
“三毛くん、この店員さんのこと置いてきたんだ…”と口を真一文字に結んだ。
 すると鼓膜を劈くようなAEDのブザーが鳴り響いた。
稜太郎は「触らないで!離れてください!」と再度周りの人たちに一応呼びかけると、美鎖子に目配せをした。
美鎖子はおじさんに誰も触れていないことを確認してから、
「ショックボタン押します!」と大声で言い、点滅するボタンを力強く押し込んだ。
 美鎖子は電気ショックを加える時、おじさんを見ないようにしていた。
おじさんが《《どうなるか》》知っていたからだ。
しかしその甲斐もなく、
周りで見ていた人たちの「うわっ」というどよめきのせいで、胸がぐぅっと締めつけられた。
 すぐに稜太郎は心臓マッサージを再開させた。
けれど美鎖子は放心してしまい、AEDのスクリーンをただ眺めることしかできなかった。