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#9

ー/ー



>>Iris

 その後、中尉さんと救援艦「オーロラ4」の艦長さんが交わすやり取りを聞きながら、私は胸の内で安堵しつつ、あの通信がどれだけ危機一髪だったかを実感していた。

 オーロラ4が所属している惑星トリリオンは、ヴェリザンから2.3パーセク離れた場所にある友好関係を結んだ星らしい。8年前、疫病の発生を知ったトリリオン政府は直ちに救援艦を派遣することを決めたそうだ。
 でも、亜光速でしか航行できない船の旅は当然ながら長い時間がかかる。オーロラ4がヴェリザンに到着したのは、疫病発生から8年近くが経った、つい最近のことだったという。

 航宙船の航行規定では目的地の1光日先の地点でまず通信を行い、連絡が取れればさらに進む――そういう手順になっている。でも、その時点でヴェリザンの通信設備はすでに破壊されていたし、軌道ステーションも無人のままだった。交信が全くできなかったことで、艦長たちは「惑星の住民は疫病もしくはその他の原因で全滅したのでは」と考えざるを得なかったそうだ。
 それでも彼らはすぐに諦めなかった。オーロラ4は危険回避のため一光日離れた宇宙空間で投錨したまま、惑星との直接交信を試みることにした。トリリオンを出発する際に行政府からは「10日間交信が無ければ全滅と見なして帰還せよ」と命令されていたそうだけど、艦長はその規定を破って滞在を延長する決断を下したらしい。

 とはいえ、エネルギーや物資には限りがある。最初は毎日行っていた交信も、次第に間隔が空いていき、隔日、そして3日おきに。そんな中、今日が「最後の交信」の日だったらしい。もし今日の通信に応答が無ければ、彼らは惑星が滅びたと判断して帰投するところだった。

 ――その「最後の交信」に間に合った。ほんの数秒の差で。

「ものすごいタイミングでしたね」

 私は一緒に話を聞いていたオペレータさんに話しかけてみた。

「ええ……でも、実はさっき通信ログを確認したところ、過去にも他の船から何度か繰り返し入電していた記録が残っていたんです」
「えっ……それって」
「おそらくですが、オーロラ4以外にもこの惑星へ来てくれていた船はあったんだと思います」
「じゃあその船は……」
「ええ……おそらくそれらは連絡が取れずに引き返したか、よその惑星へ向かったのではないかと……」

 ……よくよく考えれば私達もそうだった。たまたま物資が不足していたのでやむを得ず軌道ステーションへ寄港し、さらにはフィルターパックとC3の件があったから私達は地表に降りただけだ。もし私達の船に引き返すだけの十分な物資があれば、きっと寄港することなくこの星を立ち去っていただろう。
 つまり、今回の偶然は一度限りのチャンスではなく、何度も与えられ……そしてつかみ損ねていたチャンスの一回をたまたま上手くつかみ取る事が出来た、と言うことなんだろう。もっともそのチャンスは「通信装置に代替可能なオルガン用のC3」と「トワという特殊な才能を持つシンガー」の両方が揃わなければ、決して掴むことが出来なかったものではあるけれど。

 実際、疫病やその他の理由で全滅し、ロストプラネットになる惑星は決して珍しい存在ではない。むしろ今回のような危機的な状況で孤立した場合、偶然によって救われる星の方が珍しいぐらいだろう。そう。ヴェリザンは……たまたま運が良かったんだ。

 後はその幸運をこの星の人達が活かせるかどうか……まぁ、それは旅人である私達が干渉することでも無いだろう。そもそもギルド憲章は星の統治に対する不干渉を求めているからね。管理官である私には表立ってこれを破ることはできない。……トワなら、きっとなんとかしたいと言い出すだろうけど。

 で、そのトワだけど。

 回復しきっていないのかまだ微妙にふらついているのに、C3を運んできたケースを持ち上げようと四苦八苦している。あれ、空でも結構重いと思うんだけど……何をしてるんだろう、あの子。

「トワ?それ、もう要らないんじゃない?」
「そんな事ない。これはレイラの為に必要」

 ……レイラちゃんに必要?空のケースが?珍しくトワが何を言っているのか理解できず、トワの顔をじっと見つめてしまった。

「アイリス、手伝って」
「別に手伝うのはいいけど……って、あれ?」

 トワの元に駆け寄り、手に取ったケースは思っていたよりもずっと重い。これ、空じゃなくて何か入ってる……?無言でトワの方を見ると、頷いた。

「ここの子。割れてたけど、まだ頑張れるって」
「……もしかして、破損したC3をオルガン用に再調律するの?」
「うん」
「……トワ?」
「アイリスの言いたい事は判る。でも、これは私がしたい事だから」

 丸二日も昏睡して、起き抜けの状態でC3の調律をしたらまた倒れる可能性があるのに。それなのにこの子はレイラちゃんのために調律(それ)をしたいと言う。姉として、トワを止めるべきか、それとも応援するべきか。
 虹色のトワの瞳を見つめながらしばらく逡巡し……私は大事な妹にこう告げた。

「ケース、車に積んでおけば良い?」
「うん、ありがとう……お姉ちゃん」

 いつもそうだ。こういうときだけ姉呼びしてくる。でも、今回はそれがとても心地よかった。


 私とトワ、そしてレイラちゃんの3人でノヴァーラへ向かうことになった。ヴァルトさんは救援艦の受け入れに人手が必要だという中尉さんの要請に応え、軌道エレベータへ戻ることになったからだ。
 そもそも彼とはたまたま前の職場が一緒だったというだけの縁で、上下関係や雇用関係があるわけでもない。ただ船に乗り合わせただけの道連れに過ぎない私に、彼の行動を縛る権利なんてないからね。
 それに冷静に考えれば、この星のためには救援艦との連携を優先した方がよほど有意義だ。ノヴァーラに向かう私達の方がむしろ間違っているのかもしれないぐらいだし。……まぁ、それでもトワはきっと大音楽堂へ行くと言うだろうし、私はそんな妹を手助けしたい。それが理由。それで十分だ。

 とはいえ、未だ疫病の脅威が残るこの星でいつまでも長居するつもりはない。やるべきことがあるなら迅速に行動しなければ。
 既に日はすっかり落ちていたけれど、私とトワはノヴァーラへ帰るレイラちゃんを伴って星都を出発した。

 後部座席で眠るレイラちゃんとトワを載せ、夜の街道をひたすら走る。まさか何度もこの道を往復することになるなんて最初は思ってもみなかったけど……何も考えずに車を走らせるのは、それはそれで悩みが吹き飛ぶようで悪くないと思えた。
 星都は外灯が復旧したけど、さすがに人気の無い街道にまでは復旧の手は及んでいない。星明かりとヘッドライトが照らす闇の中、ひたすら車を進める。
 柄にも無く先ほどの救援艦との通信成功で興奮しているのか、熱を持った頬に夜風が心地良い。夜風に吹かれながら走り続け、ノヴァーラまでの道のりの中間あたりで一度休憩を挟むことにした。

 街道脇に車を止め、そっと車を降りる。のびをして星空を眺めると、そこには故郷とは異なる配置の星々が輝いていた。……遠くへ来たんだな。そんな事を、ふと思った。

「……アイリス」
「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん。私こそごめん。運転、任せっぱなし」
「いいよ、トワは病み上がりだし」

 起きてきたトワとそんな言葉を交わし、二人で夜空を見上げる。

「私達、遠くまで来た」
「そうだね……私も同じ事を考えてたよ」
「いろいろあった。まだ二つ目の星なのに」
「ほんと。大変な事ばかりだよね」
「アイリス、旅に出て後悔してる?」
「ちょっと後悔してるかな……まさか妹がこんなにトラブルメーカーだったなんて」
「……ごめん」

 私の言葉に、トワが少ししょんぼりとした様子で答える。

「冗談だよ。トワ、私に旅立つ機会を与えてくれてありがとう。私、今とても充実してるし、自分の人生を生きてるって実感してるんだよ?」
「なら、良かった」
「……ねぇ、トワ」
「うん?」
「これからも、ずっと二人で旅を続けようね。どこまでも、どこまでも」
「うん。アイリスと一緒なら、どこまでも行けると思う」
「約束だよ?」
「約束した」
「……私、あなたが妹で良かった」
「私も、アイリスがお姉ちゃんで良かった」
「……今日は素直なのね?」
「そういう日もある」

 視線を交わさず、二人で星空を見上げながら、そんな事を話した。大宇宙(おおぞら)はどこまでも広がっている。だから……どこまでも、どこまでも。二人で。私達は旅を続けるんだ。


 その後、助手席でナビゲートをするというトワを無理矢理後部座席に押し込み、少し寝るように厳命してから運転を再開する。この分だと、夜明けまでにはノヴァーラに到着できるだろう。


>>Towa

 大音楽堂。私の体感では毎日来てる気がするけど、実際は3日ぶりだったらしい。気づいたら日付が進んでるの、なんだか損した気分。ご飯も食べられてないしね。
 レイラを先に家に送るつもりだったけど、オルガンの修復を見たいと言って聞かなかった。まぁまだ朝も早いし作業が終わってから送り届ければいいか。

 砕けたC3を修復する方法はいくつかあるけど、今回は破損部分を切り落として小型のC3に整形し直す方法を採用することにした。ただ、問題はそのための道具だ。ただ砕くだけならハンマーで十分だけど、調律の効果を活かすためには形状を綺麗に整える必要がある。だけど……。
 ギルドになら音波カッター(ソニックカッター)という便利なツールがある。歌声を音波に変換し、フォトンの刃に同調させてC3を切断するC3加工専用の道具で、シンガーではなくてもギルドの人間なら誰でも知っているアイテムだ。私も使ったことがあるし、C3を整形するなら正規のツールであるこれを使うのが一番だと思う。

 ただ問題は……シンガー専用の「非売品」であることなんだよね。つまり、普通に街中にある可能性は皆無だから今の私が手に入れることが出来る可能性は限りなく0に近い。
 唯一、可能性があるとしたらここの大音楽堂は8年前にギルドの人員が修復に関わっていた場所だということ。もしかしたら……修復作業の時に誰かが持ち込んでいた可能性も……。
 ……いや、そんなご都合主義はないか。心の中でそう突っ込んでおく。

 仮に8年前にはあったとしても、誰かが持ち去ってるはずだ。何せ音波カッターで精密な作業をするならともかく、単にフォトンの刃を起動させるだけなら誰にでもできるから。そしてフォトンの刃は凶悪な切断武器……言うならばエネルギー剣みたいなものとして使えるからね、アレ。多少かさばるし武器に使うには扱いにくいけど、パンデミックやら暴動やらの最中に見つけたら自衛のために間違いなく持って行くよ。私だってそうするし。

 最悪の場合は整形せずにオルガンに設置するという方法もあるけど、それをするとアイリスに間違いなく叱られる。未整形C3の調律は普通のものより難易度高くなるから、今の私だと確実に倒れちゃうだろうし。
 でも、いざとなったら仕方ない。アイリスなら私の気持ちを判ってくれるだろうから……先日の分と合わせてちゃんと謝って、叱られよう。

 そんな覚悟と共に、アイリスと手分けして大音楽堂を探索することしばし。

 やっぱり見つかりませんでした。うん、知ってた。負け惜しみじゃないよ?世の中はそんなに甘くないことは、私だって知ってる。これでももう、成人してるからね。

「トワ、どうしたの?オルガンさん直さないの?」
「直すための道具が見つからない」

 判ってはいたけど、徒労感に少しへこんでいるとレイラが声を掛けてきた。気分転換に話し相手になってもらおう。

「道具?どんな?」
「オルガンの水晶を調律するのに使う道具。カッターみたいな感じのやつ」
「カッター?」
「うん。だけど、見つからなかった」

 そういえばレイラは小さい頃からこの大音楽堂に入り浸ってたんだっけ。もし、そんなものがここにあれば、彼女が真っ先に気付いてるよね……。

「あるよ?」

 まあさすがに都合良く残ってる訳が……ってあるの?

「オルガンさんの修理道具だよね?こっちにある」

 レイラに導かれた先は……クリスタルオルガンの筐体側面にしつらえられたメンテナンスハッチ。指さされるままにハッチを開けると……。

「それ、違う?」
「違わない」
「でしょ?」
「レイラ、すごい」
「やったー、トワにほめられた!」

 レイラの言う場所にあったのは音波カッター(ソニックカッター)ではなかったが、クリスタルオルガンの調律用に使われる音叉カッター(レゾナンスチューナー)だった。音波カッターに比べると機能は限定的だけど、これなら十分にC3を切断できる。レイラ、お手柄続きだね。もしかしたら、私よりヒロイン感あるんじゃないかな?……いや、何のヒロインかは知らないけど。
 私とレイラが見つけたカッターを手に騒いでいたことに気づいたのか、別の場所を探していたアイリスがやってきた。お目当てのものが見つかった事にアイリスも安堵しているようだ。

「ほら、それ貸して。トワは苦手でしょ、整形」

 アイリスがそういって右手をこちらに差し出してくる。私は傷一つ無いその手のひらと、音叉カッター(レゾナンスチューナー)を見比べて、躊躇無くカッターを手渡した。だって私よりアイリスがやった方が絶対早いし、仕上がりも綺麗になるからね……。
 アイリスったら、賢くてブラスターの腕前がすごくて美少女で権力まで持っててスタイルもいいおしゃれ女王なのに、おまけに手先まで器用なんだよ?この綺麗な手はなんでも出来ちゃうんだ。レイラ以上のヒロイン……いやスーパーヒロイン感だよ。

「たぶん心の中で褒めてくれてるんだと思うけど、大げさなのはパスだからね?」

 おまけに心まで読むし。本当、私の姉はすごすぎる。


 整形したC3の再調律自体はあっさりと終わった。私が「言い聞かせた」ものではない、普通のC3ならそんなに手こずる事もないし、恒星間通信用のSランクC3とはいえ破損してサイズも小さくなっていたからね。
 それでも歌い終わった時には少しふらついて、危うくC3を落とすところだった。自分で思っているよりも体にダメージが残ってるのかもしれない……。

「トワはちょっと休んでて。設置は私がするから」
「でも、仕事は最後までやりとげないと」
「今回はダメ。お姉ちゃんを頼りなさい」
「……わかった」

 再調律したC3をアイリスに託し、私はレイラと設置作業を見守ることにした。……やっぱり手際良いなぁアイリス。みるみる間に作業が進んでいく。

「トワ、これでオルガンさんまた弾けるようになる?」
「うん、なるよ」
「やったー!これならママにも音楽を届けられるね」

 ……ママ。そうか、メナの事をすっかり忘れていた。
 アイリスの話だとレイラの母であるメナ・クロウリーは中央通信局前での論戦でレイラちゃんに説得される寸前だったと聞いたけど……。
 あの後星都で姿を目撃されてないとエルドさん達も言ってたし、たぶんこの街に戻ってるよね、メナ。シンパが付いてきてるかどうかは判らないけど。そんな事を考えているうちにアイリスの作業は終わったようだ。早いなぁ……。

「レイラちゃん、設置終わったよ。試しに弾いてみる?」
「うん、ありがとうアイリス!」

 座っていた椅子から勢い良く立ち上がり、レイラはアイリスのいるところへ走って行った。大きなクリスタルオルガンの前に小さなレイラが座っていると、このオルガンの巨大さや荘厳さが改めて意識される。

「じゃあ、弾くねー!」

 そう言ってレイラはオルガンの鍵盤に指を走らせる。

 小さな指が鍵盤の上を踊ると、巨大なクリスタルオルガンは曲ともいえないような音の羅列を奏で始め――

 ――違う、これはちゃんとした曲だ!

 気付くとその音は立派な曲を成していた。しかも……このメロディ、間違いない。3日前にヴァルトさんが試奏で弾いていた、この星の祭事の曲だ!

 いつの間に曲を覚えたの?いや、その前にいつの間にオルガン弾けるようになったの?

 アイリスに目を向けると、彼女も驚きを隠せない表情をしている。無理もない。ついこの間まで音楽そのものを知らなかったレイラが、こんな風に――多少ぎこちない部分はあるとはいえ――「曲」として弾けるようになっているなんて。

 その時、不意にアイリスが目を細めてこちらとは別の方向に視線を向けた。……ホールの入口?

 何かあったのかと私もつられて目をやると、扉の影に――誰かいる?扉が半分だけ開き、その隙間に誰かの人影が見える。動いている様子はなく、じっとこちらを見つめているように感じた。レイラの演奏を邪魔したくないから、とりあえず様子見だけど……誰だろう。


 やがてレイラの演奏が終わり、曲の余韻がホールの空間へ溶けてゆく。結局扉の影の「誰か」は動きを見せず……レイラの曲に聴き入ってるようにも思えた。もしかして近隣住民の人がオルガンを聞きに来てただけ?そんな呑気なことを思った時だ。
 半開きだった扉が開く音。そして、足音。「誰か」がホールの中に入ってきた。

「……本当に弾いたのね、そのオルガンを。でもレイラ、こんなことをして何になるの?」

 ホールの中央に歩み出て、硬い口調でそう言い放ったのは……メナだった。突然メナが現れたことに驚く私。だけど、アイリスは表情を変えずにメナを見つめている。
 そっか、アイリスは最初からあそこにいたのがメナだって気付いてたのか。アイリスが演奏中に動かなかったということは、直接的な危険は無いと判断してるんだろう。シンパも引き連れていないようだし、少しは安心できるかな。

「……ママも、聞いてくれたんだね」

 一方、レイラはメナを見つめ、静かに応えていた。

「言ったでしょ、お姉ちゃん達がオルガン直してくれたって」
「ふん……オルガンが修復されたところで、私達の生活には……何の影響もないわ」

 メナはそう言うけど、彼女の声に宿る冷たさにはどこか装っているよな、強がっているような空気を感じる。

「あら、じゃあその音楽にもオルガンにも興味の無いあなたがどうしてここへ?」
「……あなたはギルドの……アイリスとか言ったわね。たまたま音楽堂の前を通ったら、音が聞こえた。だから様子を見に来ただけよ」
「そう?その割には曲が終わるまでちゃんと聞いてたみたいだけど」
「……!う、うるさいわね!」
「で、どうだった、レイラちゃんの演奏は」
「……あなたたちがこの子にあの曲を教えたの?」
「いいえ。レイラちゃん、一度聞いただけでこの曲を覚えたみたいよ?」

 アイリスの台詞にメナは絶句し、レイラに驚きの視線を向ける。わかるよ、メナ。私もびっくりした。

「うん、この前聞いた曲を私なりに弾いてみたの。ママ、私のオルガンどうだった?」
「そう……あなたがこんな風に弾けるなんて、考えてもみなかった」

 メナはホールの中央で立ち尽くしながら、レイラに目を向けていた。メナの声には驚きと称賛の色が浮かんでいるようにも思えるけど、その目には鋭さと戸惑いも混じっているように見える。

「…………夢を手に入れたのね。でも、その夢を奪われても、未来を語れるかしら」

 一瞬、レイラは目を見開いた。そしてすぐに微笑んでメナを見つめ返す。その笑顔は少しだけ寂しそうで、でもどこか誇らしげだった。

「私ね、夢をなくしても未来を信じてるよ。だって、トワが教えてくれたから」

 レイラは私の方に振り向いて、満面の笑みを浮かべた。……実際、必要に迫られてとはいえ彼女の夢を奪ったのは私なので少し心が痛む。メナは眉をひそめて、私とレイラを交互に見る。

「……簡単に言うわね。夢を失っても、どうして希望を持てるの?信じるなんて……そんなに簡単なことじゃないのに」

 その声は冷たく聞こえるけど、どこかレイラの本心を探るような、迷っているような気配を感じる。

 ……ここは、私が話をするべきだ。静かに息を吸って、口を開いた。

「簡単じゃない。レイラの夢は、これまでの人生すべてだった。でも、私はそれを奪った」

 できるだけ冷静に話そうとしたつもりなのに、出てきた言葉は短くて、言葉足らずないつもの口調た。メナが私を胡乱そうな目で見る。……そうだよね、伝わらないよね。こんな言葉じゃ。
 胸が苦しい。もっとちゃんと言いたい。レイラのことも、あの時の私の気持ちも。全部伝えたいのに。だけど、言葉がどうしても思うように出てこない。こんな大事な時にさえ、私の口は私の想いをちゃんと言葉にしてくれない。
 でも、黙るわけにはいかない。だから私はなりふり構わず、私に紡げる限りの言葉を続ける。

 レイラは一度手に入れた夢を手放すことを迫られたこと。通信機のC3の代わりに、レイラの夢であったオルガンのC3を転用せざるを得なかったこと。涙をこぼしながらもレイラがその決定を受け入れたこと。レイラは自分の夢より星の未来を選んだこと。
 一度手にした夢を奪われてなお、レイラは夢と未来を信じていること。そして、私がその夢を奪った本人であること。

 メナに知ってもらいたかった。あなたの幼い娘はこんなにも立派に夢と未来を信じているということを。そして、それは報われたのだと言うことを。

 私の拙い言葉を聞くメナの表情が変わっていく。最初は疑念を抱いたような目で私を見ていたのに、それが驚き、そして何かに気づいたような顔へと変わっていく。

「レイラは……夢を失っても、希望を失わなかったの?」

 私の言葉は……メナに届いたんだろうか。メナの声はかすかに震えていた。

「どうして? 夢を奪われても未来を信じられるの?」
「だって、誰かに夢をうばわれても……きっと別の誰かが助けてくれるから」

 レイラはクリスタルオルガンの前から立ち上がり、ゆっくりとメナの方へ近づいていく。

「それに、一度叶った夢なら、もうきっともう一度叶うって信じてるから」

 レイラの言葉は自らの信念を語っているだけでなく、母親にその信念を届けようとしているように聞こえた。

「それにね、トワはちゃんと助けてくれたよ?」

 メナはレイラを見つめる。瞳には戸惑いがあったけど、それが少しずつ柔らかさを帯びていくように見えた。

「……それは……結果論じゃないの?」
「よくわからないけど、でもあきらめなかったから叶ったんだよね?」

 メナは絞り出すように、そう問いかける。レイラは少しだけ首をかしげて、困ったような顔で私を見る。私は思わず頷いた。

「うん、そうだね」

 メナはしばらくの間、言葉を失ったようにレイラを見つめていた。やがて、顔を上げたメナの表情はまるで憑きものが落ちたように穏やかで、そして悲しみに満ちていた。

「……私も……昔は夢を信じていたわ」

 その後、彼女は自分の過去を語り始めた。

「……夫は、同僚の記者だったの。とても正義感が強くて、真実を伝えるためならどんな危険にも立ち向かう人だったわ」

 メナの声はどこか遠い昔を思い出しているようだ。

「クレナシス症候群が最初に発生した時期は、ちょうどこの星で年に一度の芸術祭が行われる直前だった。星外からも観光客が大勢訪れる一大イベントでね……政府はその芸術祭の経済効果に目がくらんだ。疫病の危険性を公表すれば観光客が来なくなってしまうと恐れたの」

 目先のことしか考えない指導者……素人目に見ても、それが悪手だと判るのに。

「だから政府は感染症の報道を徹底的に抑え込み、私たちには『安全だ』と言い続けた。芸術だの文化だのって言葉を掲げてね。でも、実際に何が起きたか分かる?星外から来た観光客の中にも感染者が出て、病はあっという間に広がった」

 彼女は拳を握り締めた。そりゃそうだろう。いくら言葉で安全を強調しても、疫病の危険性は軽くなりはしない。むしろ疫病の深刻さを軽視することで余計に感染が拡大することは素人の私にでもわかる。

「夫はその危険性にいち早く気づいて、政府の方針に異を唱えた。観光客を受け入れれば、人の流動がとまなくなって感染拡大が止まらなくなるって。でも、彼の警告は無視されたどころか、彼自身が感染して……そして、亡くなった」

 メナの瞳が揺れているのがわかる。そうか、だから彼女はあれだけ政府を毛嫌いしていたのか……。

「その時、私が信じていたものが崩れた。報道も正義も、そして…………芸術も。人々の心を豊かにすると信じていたその芸術が、命よりも金を優先させる大義名分にされていた。私は……夫が信じていた『正義』が裏切られたと思った。そして、人々を守るはずの芸術や文化にも……」

 彼女は小さく笑った。それは悲しみと怒りが入り混じった自嘲の笑みだった。アイリスから、メナは芸術に裏切られたと言っていたと聞いてはいたけど、その意味がようやく理解できた。メナにとっては芸術すら信じることの出来ないものになっていたのか。

「そんな中、大統領たちが星外に逃げたことを知ったの。市民を見捨てて、自分たちだけが安全な場所へ逃げた……その事実は私が信じていたものすべてを壊したわ。政府は私たちを守らない。星の未来なんて見ていない。ただ、自分たちの利益と保身だけを考えている。それがあの時、はっきりわかった」

 メナの政府に対する強烈な不信感は、やはりそれが原因だった。でも、その気持ちは私にもわかる。もしギルドがそんな事をしたら……たぶん私もギルドを許せないだろうし。

「それだけじゃない……民衆も同じだったわ。みんながパニックに陥り互いを非難して、自分を守ることしか考えなくなっていった。隣人同士が争い、信じていた仲間さえ私を責めた。……その時思ったのよ。誰も信じられないって。政府も、民衆も、仲間も。結局、誰も正義を守るために動かないんだって」

 顔を伏せたメナの肩がかすかに震えているのが見えた。不信と孤独。それがメナが未来や希望、他人の助けを拒んだ理由なのか……。

「だから、私が正義のために闘うしかないと思ったの。夫が命を懸けて守ろうとした『正義』を、私が代わりに守らなきゃいけないって。でも……その結果は……あなたたちの知っている通りよ。私の『正義』はあの人の『正義』とは違って……自分の憤りを晴らすための、『復讐』でしかなかった」

 彼女の正義のための闘いは、初めは夫の意志を継ぐという純粋な目的から始まった。しかし、その過程で感情が先行し……正義は復讐へとすり替わってしまった。復讐は正義を損なうもので、結果的に彼女の行動は破壊的な結果を招いてしまったんだろう。

「私は……誰のことも……自分のことすら信じられない弱い人間だった。信じたら、また裏切られると思ったから」

 続く彼女の声は最後には小さな吐息のようになり、まるでホールの静けさに溶けこむようだった。

 彼女の告白に、私は何も言えなかった。メナは……メナスは、星の秩序を破壊する邪悪な扇動者だと思っていた。確かに彼女の扇動で星は大きな被害を受けた。それは事実だろう。だけど……自分が同じ立場に置かれたら……?
 私が彼女と同じような事をしないなんて、断言できない。彼女より上手くやれるなんて思えない。私だってそんなに強い人間じゃない。

 アイリスなら……そんな状況でも上手く立ち回って『正義』を成すことができるんだろうか。そんな事を思いながらアイリスに目をやると、アイリスは表情こそ平静を保っていたが、その目には悲痛そうな色が宿っていた。

「でもレイラ、あなたは強いわね。……やっぱり、あなたはあの人の娘なのね。あの人でなく、私が死んでいれば……きっと――」
「ママ」

 メナの言葉をレイラが遮った。

「わたし、パパの事はよくおぼえてないけど……でも、ママが話してくれたパパの事なら知ってるよ?わたしの知ってるパパなら、きっとこう言うよ『誰かを信じる心をなくさないで』って」

 レイラは静かに微笑みながら、メナに近づいていく。そして、その手をそっと握りしめた。

「だから、ママにも信じてほしいの。私のオルガンを聞いて……歌って、笑ってほしいの。私にはママの代わりになる人なんていない。ママが笑ってくれたら、私の夢はもっともっと広がるから……!」

 いつの間にか私の方に歩み寄って来ていたアイリスに軽く肩を叩かれた。……うん、判ってるよ。もう、ここから先は母娘二人で大丈夫だよね。

「未来を信じて生きることが、贖罪になる……そう信じてみてもいいんじゃない?」

 二人の横を通り過ぎるアイリスが、前を向き歩みを止めぬまま、そう呟いた。うん、私もそう思う。信じることは大事だってレイラも証明したからね。

「私にそんな資格があるのかしら……」
「資格なんていらないよ、ただ信じてみるだけでいいんだよ」
「……レイラ……」

 背中でそんな声を聞きながら、私達は大音楽堂を後にする。




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 つまり、今回の偶然は一度限りのチャンスではなく、何度も与えられ……そしてつかみ損ねていたチャンスの一回をたまたま上手くつかみ取る事が出来た、と言うことなんだろう。もっともそのチャンスは「通信装置に代替可能なオルガン用のC3」と「トワという特殊な才能を持つシンガー」の両方が揃わなければ、決して掴むことが出来なかったものではあるけれど。
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 後はその幸運をこの星の人達が活かせるかどうか……まぁ、それは旅人である私達が干渉することでも無いだろう。そもそもギルド憲章は星の統治に対する不干渉を求めているからね。管理官である私には表立ってこれを破ることはできない。……トワなら、きっとなんとかしたいと言い出すだろうけど。
 で、そのトワだけど。
 回復しきっていないのかまだ微妙にふらついているのに、C3を運んできたケースを持ち上げようと四苦八苦している。あれ、空でも結構重いと思うんだけど……何をしてるんだろう、あの子。
「トワ?それ、もう要らないんじゃない?」
「そんな事ない。これはレイラの為に必要」
 ……レイラちゃんに必要?空のケースが?珍しくトワが何を言っているのか理解できず、トワの顔をじっと見つめてしまった。
「アイリス、手伝って」
「別に手伝うのはいいけど……って、あれ?」
 トワの元に駆け寄り、手に取ったケースは思っていたよりもずっと重い。これ、空じゃなくて何か入ってる……?無言でトワの方を見ると、頷いた。
「ここの子。割れてたけど、まだ頑張れるって」
「……もしかして、破損したC3をオルガン用に再調律するの?」
「うん」
「……トワ?」
「アイリスの言いたい事は判る。でも、これは私がしたい事だから」
 丸二日も昏睡して、起き抜けの状態でC3の調律をしたらまた倒れる可能性があるのに。それなのにこの子はレイラちゃんのために|調律《それ》をしたいと言う。姉として、トワを止めるべきか、それとも応援するべきか。
 虹色のトワの瞳を見つめながらしばらく逡巡し……私は大事な妹にこう告げた。
「ケース、車に積んでおけば良い?」
「うん、ありがとう……お姉ちゃん」
 いつもそうだ。こういうときだけ姉呼びしてくる。でも、今回はそれがとても心地よかった。
 私とトワ、そしてレイラちゃんの3人でノヴァーラへ向かうことになった。ヴァルトさんは救援艦の受け入れに人手が必要だという中尉さんの要請に応え、軌道エレベータへ戻ることになったからだ。
 そもそも彼とはたまたま前の職場が一緒だったというだけの縁で、上下関係や雇用関係があるわけでもない。ただ船に乗り合わせただけの道連れに過ぎない私に、彼の行動を縛る権利なんてないからね。
 それに冷静に考えれば、この星のためには救援艦との連携を優先した方がよほど有意義だ。ノヴァーラに向かう私達の方がむしろ間違っているのかもしれないぐらいだし。……まぁ、それでもトワはきっと大音楽堂へ行くと言うだろうし、私はそんな妹を手助けしたい。それが理由。それで十分だ。
 とはいえ、未だ疫病の脅威が残るこの星でいつまでも長居するつもりはない。やるべきことがあるなら迅速に行動しなければ。
 既に日はすっかり落ちていたけれど、私とトワはノヴァーラへ帰るレイラちゃんを伴って星都を出発した。
 後部座席で眠るレイラちゃんとトワを載せ、夜の街道をひたすら走る。まさか何度もこの道を往復することになるなんて最初は思ってもみなかったけど……何も考えずに車を走らせるのは、それはそれで悩みが吹き飛ぶようで悪くないと思えた。
 星都は外灯が復旧したけど、さすがに人気の無い街道にまでは復旧の手は及んでいない。星明かりとヘッドライトが照らす闇の中、ひたすら車を進める。
 柄にも無く先ほどの救援艦との通信成功で興奮しているのか、熱を持った頬に夜風が心地良い。夜風に吹かれながら走り続け、ノヴァーラまでの道のりの中間あたりで一度休憩を挟むことにした。
 街道脇に車を止め、そっと車を降りる。のびをして星空を眺めると、そこには故郷とは異なる配置の星々が輝いていた。……遠くへ来たんだな。そんな事を、ふと思った。
「……アイリス」
「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん。私こそごめん。運転、任せっぱなし」
「いいよ、トワは病み上がりだし」
 起きてきたトワとそんな言葉を交わし、二人で夜空を見上げる。
「私達、遠くまで来た」
「そうだね……私も同じ事を考えてたよ」
「いろいろあった。まだ二つ目の星なのに」
「ほんと。大変な事ばかりだよね」
「アイリス、旅に出て後悔してる?」
「ちょっと後悔してるかな……まさか妹がこんなにトラブルメーカーだったなんて」
「……ごめん」
 私の言葉に、トワが少ししょんぼりとした様子で答える。
「冗談だよ。トワ、私に旅立つ機会を与えてくれてありがとう。私、今とても充実してるし、自分の人生を生きてるって実感してるんだよ?」
「なら、良かった」
「……ねぇ、トワ」
「うん?」
「これからも、ずっと二人で旅を続けようね。どこまでも、どこまでも」
「うん。アイリスと一緒なら、どこまでも行けると思う」
「約束だよ?」
「約束した」
「……私、あなたが妹で良かった」
「私も、アイリスがお姉ちゃんで良かった」
「……今日は素直なのね?」
「そういう日もある」
 視線を交わさず、二人で星空を見上げながら、そんな事を話した。|大宇宙《おおぞら》はどこまでも広がっている。だから……どこまでも、どこまでも。二人で。私達は旅を続けるんだ。
 その後、助手席でナビゲートをするというトワを無理矢理後部座席に押し込み、少し寝るように厳命してから運転を再開する。この分だと、夜明けまでにはノヴァーラに到着できるだろう。
>>Towa
 大音楽堂。私の体感では毎日来てる気がするけど、実際は3日ぶりだったらしい。気づいたら日付が進んでるの、なんだか損した気分。ご飯も食べられてないしね。
 レイラを先に家に送るつもりだったけど、オルガンの修復を見たいと言って聞かなかった。まぁまだ朝も早いし作業が終わってから送り届ければいいか。
 砕けたC3を修復する方法はいくつかあるけど、今回は破損部分を切り落として小型のC3に整形し直す方法を採用することにした。ただ、問題はそのための道具だ。ただ砕くだけならハンマーで十分だけど、調律の効果を活かすためには形状を綺麗に整える必要がある。だけど……。
 ギルドになら|音波カッター《ソニックカッター》という便利なツールがある。歌声を音波に変換し、フォトンの刃に同調させてC3を切断するC3加工専用の道具で、シンガーではなくてもギルドの人間なら誰でも知っているアイテムだ。私も使ったことがあるし、C3を整形するなら正規のツールであるこれを使うのが一番だと思う。
 ただ問題は……シンガー専用の「非売品」であることなんだよね。つまり、普通に街中にある可能性は皆無だから今の私が手に入れることが出来る可能性は限りなく0に近い。
 唯一、可能性があるとしたらここの大音楽堂は8年前にギルドの人員が修復に関わっていた場所だということ。もしかしたら……修復作業の時に誰かが持ち込んでいた可能性も……。
 ……いや、そんなご都合主義はないか。心の中でそう突っ込んでおく。
 仮に8年前にはあったとしても、誰かが持ち去ってるはずだ。何せ音波カッターで精密な作業をするならともかく、単にフォトンの刃を起動させるだけなら誰にでもできるから。そしてフォトンの刃は凶悪な切断武器……言うならばエネルギー剣みたいなものとして使えるからね、アレ。多少かさばるし武器に使うには扱いにくいけど、パンデミックやら暴動やらの最中に見つけたら自衛のために間違いなく持って行くよ。私だってそうするし。
 最悪の場合は整形せずにオルガンに設置するという方法もあるけど、それをするとアイリスに間違いなく叱られる。未整形C3の調律は普通のものより難易度高くなるから、今の私だと確実に倒れちゃうだろうし。
 でも、いざとなったら仕方ない。アイリスなら私の気持ちを判ってくれるだろうから……先日の分と合わせてちゃんと謝って、叱られよう。
 そんな覚悟と共に、アイリスと手分けして大音楽堂を探索することしばし。
 やっぱり見つかりませんでした。うん、知ってた。負け惜しみじゃないよ?世の中はそんなに甘くないことは、私だって知ってる。これでももう、成人してるからね。
「トワ、どうしたの?オルガンさん直さないの?」
「直すための道具が見つからない」
 判ってはいたけど、徒労感に少しへこんでいるとレイラが声を掛けてきた。気分転換に話し相手になってもらおう。
「道具?どんな?」
「オルガンの水晶を調律するのに使う道具。カッターみたいな感じのやつ」
「カッター?」
「うん。だけど、見つからなかった」
 そういえばレイラは小さい頃からこの大音楽堂に入り浸ってたんだっけ。もし、そんなものがここにあれば、彼女が真っ先に気付いてるよね……。
「あるよ?」
 まあさすがに都合良く残ってる訳が……ってあるの?
「オルガンさんの修理道具だよね?こっちにある」
 レイラに導かれた先は……クリスタルオルガンの筐体側面にしつらえられたメンテナンスハッチ。指さされるままにハッチを開けると……。
「それ、違う?」
「違わない」
「でしょ?」
「レイラ、すごい」
「やったー、トワにほめられた!」
 レイラの言う場所にあったのは|音波カッター《ソニックカッター》ではなかったが、クリスタルオルガンの調律用に使われる|音叉カッター《レゾナンスチューナー》だった。音波カッターに比べると機能は限定的だけど、これなら十分にC3を切断できる。レイラ、お手柄続きだね。もしかしたら、私よりヒロイン感あるんじゃないかな?……いや、何のヒロインかは知らないけど。
 私とレイラが見つけたカッターを手に騒いでいたことに気づいたのか、別の場所を探していたアイリスがやってきた。お目当てのものが見つかった事にアイリスも安堵しているようだ。
「ほら、それ貸して。トワは苦手でしょ、整形」
 アイリスがそういって右手をこちらに差し出してくる。私は傷一つ無いその手のひらと、|音叉カッター《レゾナンスチューナー》を見比べて、躊躇無くカッターを手渡した。だって私よりアイリスがやった方が絶対早いし、仕上がりも綺麗になるからね……。
 アイリスったら、賢くてブラスターの腕前がすごくて美少女で権力まで持っててスタイルもいいおしゃれ女王なのに、おまけに手先まで器用なんだよ?この綺麗な手はなんでも出来ちゃうんだ。レイラ以上のヒロイン……いやスーパーヒロイン感だよ。
「たぶん心の中で褒めてくれてるんだと思うけど、大げさなのはパスだからね?」
 おまけに心まで読むし。本当、私の姉はすごすぎる。
 整形したC3の再調律自体はあっさりと終わった。私が「言い聞かせた」ものではない、普通のC3ならそんなに手こずる事もないし、恒星間通信用のSランクC3とはいえ破損してサイズも小さくなっていたからね。
 それでも歌い終わった時には少しふらついて、危うくC3を落とすところだった。自分で思っているよりも体にダメージが残ってるのかもしれない……。
「トワはちょっと休んでて。設置は私がするから」
「でも、仕事は最後までやりとげないと」
「今回はダメ。お姉ちゃんを頼りなさい」
「……わかった」
 再調律したC3をアイリスに託し、私はレイラと設置作業を見守ることにした。……やっぱり手際良いなぁアイリス。みるみる間に作業が進んでいく。
「トワ、これでオルガンさんまた弾けるようになる?」
「うん、なるよ」
「やったー!これならママにも音楽を届けられるね」
 ……ママ。そうか、メナの事をすっかり忘れていた。
 アイリスの話だとレイラの母であるメナ・クロウリーは中央通信局前での論戦でレイラちゃんに説得される寸前だったと聞いたけど……。
 あの後星都で姿を目撃されてないとエルドさん達も言ってたし、たぶんこの街に戻ってるよね、メナ。シンパが付いてきてるかどうかは判らないけど。そんな事を考えているうちにアイリスの作業は終わったようだ。早いなぁ……。
「レイラちゃん、設置終わったよ。試しに弾いてみる?」
「うん、ありがとうアイリス!」
 座っていた椅子から勢い良く立ち上がり、レイラはアイリスのいるところへ走って行った。大きなクリスタルオルガンの前に小さなレイラが座っていると、このオルガンの巨大さや荘厳さが改めて意識される。
「じゃあ、弾くねー!」
 そう言ってレイラはオルガンの鍵盤に指を走らせる。
 小さな指が鍵盤の上を踊ると、巨大なクリスタルオルガンは曲ともいえないような音の羅列を奏で始め――
 ――違う、これはちゃんとした曲だ!
 気付くとその音は立派な曲を成していた。しかも……このメロディ、間違いない。3日前にヴァルトさんが試奏で弾いていた、この星の祭事の曲だ!
 いつの間に曲を覚えたの?いや、その前にいつの間にオルガン弾けるようになったの?
 アイリスに目を向けると、彼女も驚きを隠せない表情をしている。無理もない。ついこの間まで音楽そのものを知らなかったレイラが、こんな風に――多少ぎこちない部分はあるとはいえ――「曲」として弾けるようになっているなんて。
 その時、不意にアイリスが目を細めてこちらとは別の方向に視線を向けた。……ホールの入口?
 何かあったのかと私もつられて目をやると、扉の影に――誰かいる?扉が半分だけ開き、その隙間に誰かの人影が見える。動いている様子はなく、じっとこちらを見つめているように感じた。レイラの演奏を邪魔したくないから、とりあえず様子見だけど……誰だろう。
 やがてレイラの演奏が終わり、曲の余韻がホールの空間へ溶けてゆく。結局扉の影の「誰か」は動きを見せず……レイラの曲に聴き入ってるようにも思えた。もしかして近隣住民の人がオルガンを聞きに来てただけ?そんな呑気なことを思った時だ。
 半開きだった扉が開く音。そして、足音。「誰か」がホールの中に入ってきた。
「……本当に弾いたのね、そのオルガンを。でもレイラ、こんなことをして何になるの?」
 ホールの中央に歩み出て、硬い口調でそう言い放ったのは……メナだった。突然メナが現れたことに驚く私。だけど、アイリスは表情を変えずにメナを見つめている。
 そっか、アイリスは最初からあそこにいたのがメナだって気付いてたのか。アイリスが演奏中に動かなかったということは、直接的な危険は無いと判断してるんだろう。シンパも引き連れていないようだし、少しは安心できるかな。
「……ママも、聞いてくれたんだね」
 一方、レイラはメナを見つめ、静かに応えていた。
「言ったでしょ、お姉ちゃん達がオルガン直してくれたって」
「ふん……オルガンが修復されたところで、私達の生活には……何の影響もないわ」
 メナはそう言うけど、彼女の声に宿る冷たさにはどこか装っているよな、強がっているような空気を感じる。
「あら、じゃあその音楽にもオルガンにも興味の無いあなたがどうしてここへ?」
「……あなたはギルドの……アイリスとか言ったわね。たまたま音楽堂の前を通ったら、音が聞こえた。だから様子を見に来ただけよ」
「そう?その割には曲が終わるまでちゃんと聞いてたみたいだけど」
「……!う、うるさいわね!」
「で、どうだった、レイラちゃんの演奏は」
「……あなたたちがこの子にあの曲を教えたの?」
「いいえ。レイラちゃん、一度聞いただけでこの曲を覚えたみたいよ?」
 アイリスの台詞にメナは絶句し、レイラに驚きの視線を向ける。わかるよ、メナ。私もびっくりした。
「うん、この前聞いた曲を私なりに弾いてみたの。ママ、私のオルガンどうだった?」
「そう……あなたがこんな風に弾けるなんて、考えてもみなかった」
 メナはホールの中央で立ち尽くしながら、レイラに目を向けていた。メナの声には驚きと称賛の色が浮かんでいるようにも思えるけど、その目には鋭さと戸惑いも混じっているように見える。
「…………夢を手に入れたのね。でも、その夢を奪われても、未来を語れるかしら」
 一瞬、レイラは目を見開いた。そしてすぐに微笑んでメナを見つめ返す。その笑顔は少しだけ寂しそうで、でもどこか誇らしげだった。
「私ね、夢をなくしても未来を信じてるよ。だって、トワが教えてくれたから」
 レイラは私の方に振り向いて、満面の笑みを浮かべた。……実際、必要に迫られてとはいえ彼女の夢を奪ったのは私なので少し心が痛む。メナは眉をひそめて、私とレイラを交互に見る。
「……簡単に言うわね。夢を失っても、どうして希望を持てるの?信じるなんて……そんなに簡単なことじゃないのに」
 その声は冷たく聞こえるけど、どこかレイラの本心を探るような、迷っているような気配を感じる。
 ……ここは、私が話をするべきだ。静かに息を吸って、口を開いた。
「簡単じゃない。レイラの夢は、これまでの人生すべてだった。でも、私はそれを奪った」
 できるだけ冷静に話そうとしたつもりなのに、出てきた言葉は短くて、言葉足らずないつもの口調た。メナが私を胡乱そうな目で見る。……そうだよね、伝わらないよね。こんな言葉じゃ。
 胸が苦しい。もっとちゃんと言いたい。レイラのことも、あの時の私の気持ちも。全部伝えたいのに。だけど、言葉がどうしても思うように出てこない。こんな大事な時にさえ、私の口は私の想いをちゃんと言葉にしてくれない。
 でも、黙るわけにはいかない。だから私はなりふり構わず、私に紡げる限りの言葉を続ける。
 レイラは一度手に入れた夢を手放すことを迫られたこと。通信機のC3の代わりに、レイラの夢であったオルガンのC3を転用せざるを得なかったこと。涙をこぼしながらもレイラがその決定を受け入れたこと。レイラは自分の夢より星の未来を選んだこと。
 一度手にした夢を奪われてなお、レイラは夢と未来を信じていること。そして、私がその夢を奪った本人であること。
 メナに知ってもらいたかった。あなたの幼い娘はこんなにも立派に夢と未来を信じているということを。そして、それは報われたのだと言うことを。
 私の拙い言葉を聞くメナの表情が変わっていく。最初は疑念を抱いたような目で私を見ていたのに、それが驚き、そして何かに気づいたような顔へと変わっていく。
「レイラは……夢を失っても、希望を失わなかったの?」
 私の言葉は……メナに届いたんだろうか。メナの声はかすかに震えていた。
「どうして? 夢を奪われても未来を信じられるの?」
「だって、誰かに夢をうばわれても……きっと別の誰かが助けてくれるから」
 レイラはクリスタルオルガンの前から立ち上がり、ゆっくりとメナの方へ近づいていく。
「それに、一度叶った夢なら、もうきっともう一度叶うって信じてるから」
 レイラの言葉は自らの信念を語っているだけでなく、母親にその信念を届けようとしているように聞こえた。
「それにね、トワはちゃんと助けてくれたよ?」
 メナはレイラを見つめる。瞳には戸惑いがあったけど、それが少しずつ柔らかさを帯びていくように見えた。
「……それは……結果論じゃないの?」
「よくわからないけど、でもあきらめなかったから叶ったんだよね?」
 メナは絞り出すように、そう問いかける。レイラは少しだけ首をかしげて、困ったような顔で私を見る。私は思わず頷いた。
「うん、そうだね」
 メナはしばらくの間、言葉を失ったようにレイラを見つめていた。やがて、顔を上げたメナの表情はまるで憑きものが落ちたように穏やかで、そして悲しみに満ちていた。
「……私も……昔は夢を信じていたわ」
 その後、彼女は自分の過去を語り始めた。
「……夫は、同僚の記者だったの。とても正義感が強くて、真実を伝えるためならどんな危険にも立ち向かう人だったわ」
 メナの声はどこか遠い昔を思い出しているようだ。
「クレナシス症候群が最初に発生した時期は、ちょうどこの星で年に一度の芸術祭が行われる直前だった。星外からも観光客が大勢訪れる一大イベントでね……政府はその芸術祭の経済効果に目がくらんだ。疫病の危険性を公表すれば観光客が来なくなってしまうと恐れたの」
 目先のことしか考えない指導者……素人目に見ても、それが悪手だと判るのに。
「だから政府は感染症の報道を徹底的に抑え込み、私たちには『安全だ』と言い続けた。芸術だの文化だのって言葉を掲げてね。でも、実際に何が起きたか分かる?星外から来た観光客の中にも感染者が出て、病はあっという間に広がった」
 彼女は拳を握り締めた。そりゃそうだろう。いくら言葉で安全を強調しても、疫病の危険性は軽くなりはしない。むしろ疫病の深刻さを軽視することで余計に感染が拡大することは素人の私にでもわかる。
「夫はその危険性にいち早く気づいて、政府の方針に異を唱えた。観光客を受け入れれば、人の流動がとまなくなって感染拡大が止まらなくなるって。でも、彼の警告は無視されたどころか、彼自身が感染して……そして、亡くなった」
 メナの瞳が揺れているのがわかる。そうか、だから彼女はあれだけ政府を毛嫌いしていたのか……。
「その時、私が信じていたものが崩れた。報道も正義も、そして…………芸術も。人々の心を豊かにすると信じていたその芸術が、命よりも金を優先させる大義名分にされていた。私は……夫が信じていた『正義』が裏切られたと思った。そして、人々を守るはずの芸術や文化にも……」
 彼女は小さく笑った。それは悲しみと怒りが入り混じった自嘲の笑みだった。アイリスから、メナは芸術に裏切られたと言っていたと聞いてはいたけど、その意味がようやく理解できた。メナにとっては芸術すら信じることの出来ないものになっていたのか。
「そんな中、大統領たちが星外に逃げたことを知ったの。市民を見捨てて、自分たちだけが安全な場所へ逃げた……その事実は私が信じていたものすべてを壊したわ。政府は私たちを守らない。星の未来なんて見ていない。ただ、自分たちの利益と保身だけを考えている。それがあの時、はっきりわかった」
 メナの政府に対する強烈な不信感は、やはりそれが原因だった。でも、その気持ちは私にもわかる。もしギルドがそんな事をしたら……たぶん私もギルドを許せないだろうし。
「それだけじゃない……民衆も同じだったわ。みんながパニックに陥り互いを非難して、自分を守ることしか考えなくなっていった。隣人同士が争い、信じていた仲間さえ私を責めた。……その時思ったのよ。誰も信じられないって。政府も、民衆も、仲間も。結局、誰も正義を守るために動かないんだって」
 顔を伏せたメナの肩がかすかに震えているのが見えた。不信と孤独。それがメナが未来や希望、他人の助けを拒んだ理由なのか……。
「だから、私が正義のために闘うしかないと思ったの。夫が命を懸けて守ろうとした『正義』を、私が代わりに守らなきゃいけないって。でも……その結果は……あなたたちの知っている通りよ。私の『正義』はあの人の『正義』とは違って……自分の憤りを晴らすための、『復讐』でしかなかった」
 彼女の正義のための闘いは、初めは夫の意志を継ぐという純粋な目的から始まった。しかし、その過程で感情が先行し……正義は復讐へとすり替わってしまった。復讐は正義を損なうもので、結果的に彼女の行動は破壊的な結果を招いてしまったんだろう。
「私は……誰のことも……自分のことすら信じられない弱い人間だった。信じたら、また裏切られると思ったから」
 続く彼女の声は最後には小さな吐息のようになり、まるでホールの静けさに溶けこむようだった。
 彼女の告白に、私は何も言えなかった。メナは……メナスは、星の秩序を破壊する邪悪な扇動者だと思っていた。確かに彼女の扇動で星は大きな被害を受けた。それは事実だろう。だけど……自分が同じ立場に置かれたら……?
 私が彼女と同じような事をしないなんて、断言できない。彼女より上手くやれるなんて思えない。私だってそんなに強い人間じゃない。
 アイリスなら……そんな状況でも上手く立ち回って『正義』を成すことができるんだろうか。そんな事を思いながらアイリスに目をやると、アイリスは表情こそ平静を保っていたが、その目には悲痛そうな色が宿っていた。
「でもレイラ、あなたは強いわね。……やっぱり、あなたはあの人の娘なのね。あの人でなく、私が死んでいれば……きっと――」
「ママ」
 メナの言葉をレイラが遮った。
「わたし、パパの事はよくおぼえてないけど……でも、ママが話してくれたパパの事なら知ってるよ?わたしの知ってるパパなら、きっとこう言うよ『誰かを信じる心をなくさないで』って」
 レイラは静かに微笑みながら、メナに近づいていく。そして、その手をそっと握りしめた。
「だから、ママにも信じてほしいの。私のオルガンを聞いて……歌って、笑ってほしいの。私にはママの代わりになる人なんていない。ママが笑ってくれたら、私の夢はもっともっと広がるから……!」
 いつの間にか私の方に歩み寄って来ていたアイリスに軽く肩を叩かれた。……うん、判ってるよ。もう、ここから先は母娘二人で大丈夫だよね。
「未来を信じて生きることが、贖罪になる……そう信じてみてもいいんじゃない?」
 二人の横を通り過ぎるアイリスが、前を向き歩みを止めぬまま、そう呟いた。うん、私もそう思う。信じることは大事だってレイラも証明したからね。
「私にそんな資格があるのかしら……」
「資格なんていらないよ、ただ信じてみるだけでいいんだよ」
「……レイラ……」
 背中でそんな声を聞きながら、私達は大音楽堂を後にする。