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#4

ー/ー



>>Iris

 高速鉄道と思しき高架沿いに続く道路は、長らく整備されていないわりには比較的走りやすい道だった。まぁ、実際に運転しているのはヴァルトさんなので、「走りやすそうに見える」が正しい表現だろうけど。
 道中は順調だったけど高価で繊細なC3を積んでいるからあまり速度を出すことはできなかったし、さらにいくつかの場所にバリケードのようなものが設置されていたから慎重に進む必要があったせいもあって、結局朝に出発したのにノヴァーラへの到着は昼過ぎになってしまった。

 途中、エルドさんが話していた治安当局の駐屯地があるという農業プラントの近くを通りかかった。ヴァルトさんが「ここだ」と教えてくれたものの、農作業をする人影は見当たらず、広がっているのは無人の農地ばかり。本当に人がいるのだろうかと気になったけど、立ち寄るのは帰りと決めていたので、そのまま通過した。

 そして大音楽堂がある街、ノヴァーラへと到着した訳だけど……。
 ノヴァーラの街に入るとかつての観光地の面影がそこかしこに残っていた。古びた案内看板や色あせたコンサートのポスターはここがかつて多くの人々で賑わっていたことを物語っている。
 しかし街の入口付近には半ば崩れたバリケードが今も残されていて、物々しい空気が漂っていた。設置された方向やこの町が感染の発生源であることを考えると、おそらく治安当局による都市封鎖の跡なのだろう。そしてその光景をみた私は、道中のバリケードも少しでもノヴァーラからの感染を防ごうとする足掻きだったのだと思い当たった。

 道路を塞いだところで脇の荒れ地を通れば素通りできることは明白なのに、それでも封鎖による僅かな安心を求めたくなる……不合理とも言える心理。そんな追い詰められた状況が想像できた。
 パンデミック初期の混乱期、この街がどれほどの緊張と恐怖に包まれていたのかは……考えることも辛いぐらいによく理解できる。そしてそんな状況の中で、ギルドの同胞たちは……。

 私達の車が発するエンジン音が街中に響くたび、住民たちがこちらを振り返るのが見えた。内燃機関を使ったエンジン音が珍しいのだろう。私だって、こんな大きな音を立てる車が走っていたら驚くだろうしね。
 住民の何人かは作業の手を止め、驚いたようにこちらを見つめていたけど、その視線にはどこか警戒心が含まれていたように思えた。

 やがて街の中心部に入ると、石造りの大音楽堂が壮大な姿を現した。他の建物と比べてもその堂々たる佇まいは圧巻で、ところどころ朽ちかけてはいるものの街の象徴であることがひと目でわかった。
 周囲に建材のような物が散乱しているところを見ると、きっとクリスタルオルガンの改修だけでなくて建物全体を含む大規模な改修プロジェクトが進められていたのだろう。

 周囲からの視線を感じながら、私達は大音楽堂に車を横付けした。改めて街を見渡すと街の中にも封鎖の痕跡が残り、ここが感染の苦しみと政府の放棄によって荒廃してしまった街であることが改めて実感できた。
 車内からこっそりと住民達にスキャナを向けてみたけど、感染者の反応は検出されなかった。住民達が普通に暮らしている様子と併せて考えると、ナタリアさん達が言っていたように本当に感染は終息しているのかもしれない。
 ただ、油断は禁物だ。少々失礼である事は理解しているけど、初対面の相手にはスキャナを向けさせてもらうことにしよう。
 怒られた場合は……謝るだけだ。

 ヴァルトさんがC3を車から下ろす前に周囲の様子を確認したいと申し出てきた。確かに大きなC3を調律(チューン)するにはそれなりの時間が掛かる。調律中に暴徒の襲撃があるとトワを守り切れないかもしれない。潜在的な危険が無いか、事前に調べておくべきだろう。
 ……ただ、トワは情報収集や隠密行動には全く向かないだろうから、先に大音楽堂に入って設置場所の確認をさせておく方がいいだろう。

「トワ、ちょっといい?」
「なに?」
「私とヴァルトさんで周囲の状況を確認してくる。調律中に襲撃されたら困るからね」
「大丈夫。アイリスが守ってくれる」
「そりゃもちろん守るけどね、一応事前に警戒しておいた方が良いでしょ?」
「それはそう。じゃあ私も行く?」
「ううん。トワは先に中へ入って設置場所がどうなっているか見てきて欲しい」
「わかった。私は足手まとい」
「……えっと」
「自分でも理解してる。気にしてない」
「役割分担だからね?トワの事足手まといなんて思ったことないからね?」
「わかってる」

 妙なところだけ鋭いんだよ、トワは。いや、別に足手まといなんて思ったことはないし、あの子も本気でそう思ってる訳じゃないのはわかるけど、ちょっと今のは胸が痛かった。あとでお詫び代わりに少し甘やかすことにしよう。

 道中でコスモスーツから私服に着替えたため、私たちの服装は街の人々とさほど変わらない。
 トワはいつものジャケットとTシャツ姿、私は薄手の地味めなワンピース。ブラスターはいつも通りサイホルスターに収めている。ヴァルトさんはというと、シンプルな黒のスーツ姿だが、よく見るとそれ、ギルド保安部の制服じゃない……?退職したのにそれを着てるのは規則違反だよね?内心ジト目で見ていると、ヴァルトさんがにやりと笑った。

「これか?儂のお手製よ。いわゆるコスプレというやつだな」
「……えっ?どうしてまた……?」
「長年これを着ていたからな、これでないと落ち着かんのだ」

 見た目は厳ついが、実はお茶目な人なのかもしれない。私は少しヴァルトさんのことを見直した。だって、有能でお茶目なおじさまって素敵じゃない?うちの父さんみたいだし。

 私たちは街の片隅で何かの作業していた住民にそっと近づいてハンドスキャナーで彼の状態を密かにスキャンしようとした。だがタイミングの悪いことにスキャナーを取り出した瞬間に彼はこちらのことに気付いてしまった。少し警戒したように私たちを見つめた住民は眉をひそめ、険しい表情で問いかけてきた。

「……おい、あんたら……政府の調査員か?」

 その冷ややかな質問に私がどう返答すべきか言葉を選んでいると、ヴァルトさんが一歩前に出る。住民はヴァルトさんを一瞥し、その服装に気づいたのか、少し表情を和らげた。

「もしかして……ギルドの人か?政府の連中じゃないなら、それでいいんだ」

 それをきっかけに、彼はこの町の現状や過去の出来事について語ってくれた。政府による封鎖と、それによる大勢の犠牲に住民たちが強い反感を抱いていること。ギルドが最後まで大音楽堂の修復を続けようとし、疫病蔓延後も住民を助けようと奮闘していたこと。そしてこの大音楽堂が住民たちの大切な心の支えであること。
 極限状態で、大音楽堂という精神的な支えが無ければこの街は崩壊していたと彼は語ってくれた。そして、その大音楽堂に関わっていたギルドへの感謝も。

 この星の星都ではギルド支部の人間が大統領と星外へ逃げたと言われているらしいけど、彼らが倒れた地の人達はそんな風評に流されることも無く、ギルドを支持してくれているようだ。ギルドの一員として、彼の言葉はほんとうに嬉しかった。そして住民達の信頼を最後まで裏切らなかったであろうヴェリザン支部の同胞達に深い敬意を感じた。

 現地の状況もおおよそ把握できた。少なくとも今のところここノヴァーラでは暴徒の危険はそれほど高くない様子だし、これならトワに調律作業を始めてもらっても大丈夫だろう。


>>Towa

 アイリスには平気な顔をしてみせたけれど、実のところ私があまり役に立っていないのは自覚していた。ペレジスでのことを思い返すまでもなく。けど今回はシンガーである私の役目だし、せめて今ぐらいはしっかり頑張らなきゃね。
 そんなことを考えながら、私は一人で大音楽堂に足を踏み入れた。エルドさん達が言っていたように、エネルギー供給に難があるせいか内部の照明はすべて消えたままだけど、天窓や崩壊した壁の隙間から差し込む日光でなんとか室内の様子は把握できる。まぁ、もともと私は夜目の利く方だから、これぐらいの明るさがあれば活動するのに問題は無いだろう。

 大音楽堂の内部は外観よりもはるかに手入れが行き届いていた。もっとも長らく人が立ち入っていないようで
どこか埃っぽい空気が感じられるし、通路の隅や部屋には改修用の資材が積み上げられたままだけど……それでも何か神聖な気配があるように思えた。

 正面の大きな扉を開き、広々としたホールに足を踏み入れた私は思わず息をのんだ。視線の先にそびえ立つのは巨大なクリスタルオルガン。その透明なパイプの一本一本が天井まで届きそうなほどの高さで静かに輝いていて、まるで生き物のように光を吸い込んで神秘的な色を放っている。奥の高台に見える台座は、何かが欠けているように感じるから……きっと、あそこが私の仕事場になるんだろう。
 ただ見上げているだけでもこの静寂と圧倒的な存在感に飲まれそうになるけど、不思議と不安は感じない。もしこのオルガンが音楽を奏で始めたなら、どんな音色が響くのかな?叶うならその音に合わせて自分も歌ってみたい……そんなことを考えていた、その時だった。

「……お姉ちゃん、だれ?」

 不意に声をかけられた。視線を横に向けるとオルガンの脇にある通用口の影から、少女がじっとこちらを見ていた。
 10歳……いや、それよりも少し下ぐらい?短い茶色い髪と、茶色い瞳の女の子。少し痩せていて、服もくたびれている。ペレジスのスラムにいた孤児たちを思い出させるような姿だけど、彼女の顔にはあの子達のような虚無や絶望の表情は浮かんでいない。
 私が黙って少女を見つめていたので彼女は不安になったのか、扉の影に半身を隠してしまって顔だけを出してこちらをうかがっている。いけない、警戒させてしまったらしい。

「怪しいものじゃ、ない」

 ……我ながら何を言ってるんだろうと思った。無人の音楽堂に無断で入り込んでいるのに、怪しくないわけがないよね。そもそも怪しい人間は自分から怪しいなんて告白しないし、みんな自分は怪しくないと主張するだろうし。
 私の反応が怪しすぎたせいか、少女の表情には警戒の色が浮かんでいる。それでもじっとこちらを見つめるその目には、不安の色と……少しの好奇心が混じっているように見えた。うう、アイリスならきっとすぐ打ち解けられただろうに……。早く戻ってきて、お姉ちゃん。こんな場面、私には荷が重すぎるよ。

 とはいえ、ここにアイリスはいない。私がなんとかしないと。そう思ったとき、不意にクリスタルオルガンが私を呼んでいるような気がして視線がそちらに吸い寄せられた。ああ、そうだ。確かにこの子は私を、シンガーを呼んでいる。呼ばれるままにオルガンの前に歩み寄る。静かなホールに自分の足音が響くのを感じながら、私は少女を振り返った。

「このオルガン、鳴らしていい?」

 少女は一瞬戸惑い、目を丸くした。けれど、しばらくして黙ったまま小さく頷いた。うん、彼女が言いたいことはわかる。このオルガンにはコアとなるC3が欠けているから、普通に演奏しても音は出ないんだ。たぶん彼女自身もそれを何度も確かめたことがあるっていう表情だ。
 でも私はかまわずオルガンの前に立ち、そっと旋律を口ずさみ始めた。控えめに声を出したつもりだったけど、歌声は静かなホールに意外なほど響き渡った。音響が良いのか……いや、オルガンに誘われたんだね、きっと。

 一小節を歌い終えた時、目の前の巨大なクリスタルオルガンが柔らかな光に包まれ、ほんの小さな音が……私の歌に呼応するように、ゆるやかに響き始めた。

「……すごい……」

 オルガンの音色に少女の目が輝き、少しずつこちらに近づいてくる。私は歌を続けながら、彼女と目を合わせた。やがて私の短いアリアが終わると、ホールが再び静寂に包まれた。

「このオルガン、ずっと歌いたかったって。もっと歌を奏でたいって」

 私が言うと、少女は満面の笑顔で頷いた。

「お姉ちゃん、すごいね!私も触ったことあるけど、全然ならなかったんだ……」

 そうだろう。コアがなければオルガンは音を奏でない。シンガーの共鳴能力を使って、周囲のC3を強制的に共鳴させない限りは。

「小さい頃から、ここでオルガン弾く人になるのが夢だったの!あ、私レイラ。お姉ちゃんは?」
「トワ。クリスタルシンガー」

 お姉ちゃん、と言う言葉に何故かゾクゾクしてしまう。そうか、アイリスはこういう感覚で姉呼びを求めてるのか。ちょっとだけ、いつもアイリスの姉呼び要求を拒否していることに罪悪感を覚えた。
 だって、こんなに心が温まるものだなんて思ってもみなかったから。時々はお姉ちゃんって呼んであげるべきなのかな……もちろん私が自立心を維持できる範囲で、だけど。

 レイラと名乗った少女は、私の言葉にすこし驚いたようだ。普通の人からすればクリスタルシンガーなんて伝説の生き物みたいなものだろうしね。でも、私の歌声がクリスタルオルガンを歌わせたことで、シンガーである事を納得してくれたようだ。……私だって、やればできるんだからね。ここにはいないアイリスに向かって、心の中でドヤ顔を決めた。

「私もお姉ちゃんみたいにオルガンを鳴らせる?」
「それは……難しいかも」
「そっか……残念。わたし、オルガン弾いてみたかったのに」

 しまった、もしかして子供の夢を壊しちゃったかもしれない。慌てて次の言葉を探すけど、思いつかない。さっきの脳内ドヤ顔を撤回するから、早く帰ってきて、アイリス。
 とは言え黙っていても状況は改善しないから、私は何とか話を続けようと試みる。

「ここで弾くの、ずっと夢だったの?」
「うん。でも、今はだれもここへ来ないし、……ママも、もうやめなさいって」
「そう。昔はここに沢山、人が来てた?」
「うん、みんなこのオルガンの音が聞きたくて来てたんだって。でも病気がひろがって、みんな死んじゃって……」

 悲しそうな顔をするレイラ。いけない、話題がどんどん暗い方へ流れていく。自分のコミュニケーションスキルの低さが恨めしい。私が焦っているとレイラは寂しそうに目を伏せた。

「……ママも『病気はギルドのせいた』とか、いろんな人に言ってた。『せいふがわたしたちをだまそうとしてる』って。それで、みんな、どこもかしこも壊しちゃって……」
「……そう」

 どう答えたら良いかわからす、ついそう答えた私だったけど……ちょっと待って?今この子、すごく重要な事をいったような気がする。この子のママってもしかして、扇動してた人?そう考えると、メナスという名前とともに脳裏に警告の言葉が思い浮かぶ。

「でも、なんかおかしいって思う。ママは『みんなを助けたい』って言ってたけど、じゃあどうしてこんなに街がこわれて、だれもいなくなっちゃったの?」

 レイラの疑問はもっともだ。救うつもりで壊す?そんな事が正しいはずかないのに。


>>Iris

 情報収集を終えて大音楽堂前へと戻った私とヴァルトさんはC3のケースを車から降ろし、ホールの中へ足を踏み入れた。奥から歌声が聞こえる。聞き覚えのあるあのアルトはトワの歌声だ。
 ただ、少し状況が不明だ。C3がここにある以上調律している訳ではない。そしてあの子はシンガーなのに普段は鼻歌一つ歌わないはずなのに、どうして急に?そう思っていると今度はオルガンの音が聞こえた。私はC3のコンテに思わず目をやったけど、確かにC3はここにある。どうしてオルガンが鳴ってるんだろう……?ヴァルトさんが不思議そうな顔をしながら、ケースの中身を確かめている間に歌声とオルガンの音は止まった。
 ……ケースの中には確かにC3が納められている。ということは、可能性は一つ。またやらかしたな、あの子。

「ごめんなさい、トワがまたやらかしたみたい」
「やらかし、ですと?」

 私はヴァルトさんの言葉にはそれ以上応えず、肩をすくめると音楽堂の奥へ向かった。まぁ、ここで説明しなくてもどうせこの後すぐにトワが「やらかす」ところを目にするだろうからね。その後で説明した方が二度手間にならいだろう。

 やがて聞こえてきたのはトワの声と幼い女の子の声だった。ここの住民だろうか。私は無言で後続のヴァルトさんを制し戸口からそっと中を覗き込む。と、クリスタルオルガンの威容と共にトワが10歳ぐらいの女の子と話をしている姿が目に入った。着ている服からしてこの星の住人だろう。見たところ疫病に感染している気配はないけど、一応スキャンしてみる。
 ……うん、大丈夫そうだ。結果的にはOKだったけどトワ、感染対策とかまるで考えてないよね……。あとで注意しておかないと。

 そんな事を考えながら様子をうかがっていると、女の子の言葉が耳に入り……私は耳を疑った。……今、なんて言った?その母親というのは、もしかするとナタリア達が言っていた「住民を扇動し混乱を広げた記者」と同一人物?いや、複数の扇動者がいる可能性もあるけど、それでも……まさか、そんな偶然があるものだろうか。
 トワもそのことに気付いたのか、硬直しているけど、ここは姉として助け船を出すべきだろう。少女が警戒しないように、そして件の扇動者が近くにいる可能性を警戒してヴァルトさんには万が一の事態に備えて入口付近で見張りをお願いした。
 そして私も少女に警戒されないよう、わざと明るく軽いトーンでトワに声をかけた。

「トワ、お待たせ!」
「アイリス。ごめん、謝る。ドヤ顔はもうしない」
「……何のこと?」

 何故かいきなり謝られた。この子、別にドヤ顔なんかしてないし、そもそもそんな顔できないと思うけど。

「それより、そちらの女の子は?……あっ、ごめんなさいね?私はアイリス。トワのお姉ちゃんだよ」
「トワのお姉ちゃん?私、レイラ!」

 どうやらトワとは既に仲良くなっていたらしく、トワの姉を名乗る私にも好意的な視線を向けてくるレイラちゃん。先ほどの話をすぐに詳しく聞くのも不自然だから、まずC3の設置準備を始めつつ、彼女の様子を伺うことにしよう。

「レイラちゃん、お話中にごめんね。私達このオルガンの修理に来たんだ」
「ほんと!?オルガンさん、直るの?」
「もちろんだよ」

 そう言って微笑みながら、私はトワにずしりと重いC3のケースを手渡した。戸口まではヴァルトさんが運んでくれたから、私がこれを持ち運んだのは入り口からオルガンの前までだけど、それだけでも肩が抜けそうになった。
 なのにトワは平然とコンテナケースを受け取っている。もともと表情が読めないというのはあるけど、細身の割には意外と力持ちなんだよね、トワは。いや、今はトワのことよりも優先すべき事があった。

「トワ、周囲に問題はなさそうたからこのまま調律(チューン)を始めて大丈夫そうだよ。事前準備はじめよっか?」
「もう済ませた」
「……そっかぁ」

 目の前のクリスタルオルガンのように複数のC3が用いられた機器は、本来共鳴波の相互干渉を避けるために内蔵されているC3の波長を一つ一つ確認し、互いに干渉しない波長域を探った上で慎重に調律(チューン)を行う必要がある。
 だけどトワはーおそらく先ほどの歌でまとめて波長の検査を済ませたのだろう。まるで当たり前のことのように「もう済ませた」と言ってのけるけど、それがどれほど困難なことか、凡才の私にさえわかる。それはもはや神業の領域だ。なにせ、この規模のクリスタルオルガンの調律なら準備だけでも本来なら3日ぐらいかかるものだから。

「ちなみに、調律(チューン)にはどれぐらい時間が掛かりそう?」
「んー、15分?」

 またとんでもないことを言い出した。C3の調律はサイズや品質によって難易度が大きく変わる。今回のC3は非常に大きなものだから、たとえそれがCランクの普及品であっても調律に1時間以上はかかる。そして今回のものは最高難易度のSランクだというのに15分だなんて……ほかのシンガーが聞いたら、間違い無く嘘つき呼ばわりされるだろう。
 そもそもSランクの調律を一人で行うという時点で常識はずれなんだし。でもトワがC3の扱いに関して間違った事なんて一度もないし、あの子が15分と言うならきっと15分でやってしまうのだろう。
 ただ、念のため釘は刺しておかないと。

急ぎ(・・)ではなく普通にして、だよね?」
「うん、急ぎではない。それで15分」
「そっか、判った。ならもう始める?」
「うん、お腹空いたし。さっさと終わらせて、お昼にする」

 このサイズのSランクを調律するなんて、本来なら一体どれぐらい時間が掛かるのか見当も付かない。おそらくヴェリザン支部の人達も複数のAランクシンガーを集めた上で十数時間を掛けた長い調律作業を予定していたはずだ。なのに、トワは朝飯前ならぬ昼飯前ってやつか……。驚きを通り越して、もはや呆れるほかなかった。

「私達は外に出といたほうがいい?」
「別にいい。見てても、減らない」
「じゃあ久々にトワのリサイタル、見せてもらおうかな。この前は通信機越しだったし」
「それは忘れたい過去」

 宇宙空間での船外活動中に真空の中で調律を行ったことと、その後の酸素欠乏症を思い出したのか、少しげんなりした様子を見せるトワに思わず私も苦笑してしまう。レイラちゃんはそんな私達を不思議そうな顔で見ていた。

「レイラちゃん。これからトワがお仕事するから、少し離れて見ててくれるかな?」
「うん、わかった!」

 先ほど漏れ聞こえた言葉が正しいのだとしたら、レイラは星を滅びに追いやった扇動者に育てられた子と言うことになる。その割にはレイラちゃんは素直で良い子にしか見えないけど……どういうことなんだろうか。

「じゃ、始める」

 レイラちゃんの事情を推し量ろうとしていた私に向かい、トワはそう言うと脱いで、C3を抱きしめた。軽く目を閉じ、深く息を吸い込んでから……トワは朗々とした声で歌い始めた。




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>>Iris
 高速鉄道と思しき高架沿いに続く道路は、長らく整備されていないわりには比較的走りやすい道だった。まぁ、実際に運転しているのはヴァルトさんなので、「走りやすそうに見える」が正しい表現だろうけど。
 道中は順調だったけど高価で繊細なC3を積んでいるからあまり速度を出すことはできなかったし、さらにいくつかの場所にバリケードのようなものが設置されていたから慎重に進む必要があったせいもあって、結局朝に出発したのにノヴァーラへの到着は昼過ぎになってしまった。
 途中、エルドさんが話していた治安当局の駐屯地があるという農業プラントの近くを通りかかった。ヴァルトさんが「ここだ」と教えてくれたものの、農作業をする人影は見当たらず、広がっているのは無人の農地ばかり。本当に人がいるのだろうかと気になったけど、立ち寄るのは帰りと決めていたので、そのまま通過した。
 そして大音楽堂がある街、ノヴァーラへと到着した訳だけど……。
 ノヴァーラの街に入るとかつての観光地の面影がそこかしこに残っていた。古びた案内看板や色あせたコンサートのポスターはここがかつて多くの人々で賑わっていたことを物語っている。
 しかし街の入口付近には半ば崩れたバリケードが今も残されていて、物々しい空気が漂っていた。設置された方向やこの町が感染の発生源であることを考えると、おそらく治安当局による都市封鎖の跡なのだろう。そしてその光景をみた私は、道中のバリケードも少しでもノヴァーラからの感染を防ごうとする足掻きだったのだと思い当たった。
 道路を塞いだところで脇の荒れ地を通れば素通りできることは明白なのに、それでも封鎖による僅かな安心を求めたくなる……不合理とも言える心理。そんな追い詰められた状況が想像できた。
 パンデミック初期の混乱期、この街がどれほどの緊張と恐怖に包まれていたのかは……考えることも辛いぐらいによく理解できる。そしてそんな状況の中で、ギルドの同胞たちは……。
 私達の車が発するエンジン音が街中に響くたび、住民たちがこちらを振り返るのが見えた。内燃機関を使ったエンジン音が珍しいのだろう。私だって、こんな大きな音を立てる車が走っていたら驚くだろうしね。
 住民の何人かは作業の手を止め、驚いたようにこちらを見つめていたけど、その視線にはどこか警戒心が含まれていたように思えた。
 やがて街の中心部に入ると、石造りの大音楽堂が壮大な姿を現した。他の建物と比べてもその堂々たる佇まいは圧巻で、ところどころ朽ちかけてはいるものの街の象徴であることがひと目でわかった。
 周囲に建材のような物が散乱しているところを見ると、きっとクリスタルオルガンの改修だけでなくて建物全体を含む大規模な改修プロジェクトが進められていたのだろう。
 周囲からの視線を感じながら、私達は大音楽堂に車を横付けした。改めて街を見渡すと街の中にも封鎖の痕跡が残り、ここが感染の苦しみと政府の放棄によって荒廃してしまった街であることが改めて実感できた。
 車内からこっそりと住民達にスキャナを向けてみたけど、感染者の反応は検出されなかった。住民達が普通に暮らしている様子と併せて考えると、ナタリアさん達が言っていたように本当に感染は終息しているのかもしれない。
 ただ、油断は禁物だ。少々失礼である事は理解しているけど、初対面の相手にはスキャナを向けさせてもらうことにしよう。
 怒られた場合は……謝るだけだ。
 ヴァルトさんがC3を車から下ろす前に周囲の様子を確認したいと申し出てきた。確かに大きなC3を|調律《チューン》するにはそれなりの時間が掛かる。調律中に暴徒の襲撃があるとトワを守り切れないかもしれない。潜在的な危険が無いか、事前に調べておくべきだろう。
 ……ただ、トワは情報収集や隠密行動には全く向かないだろうから、先に大音楽堂に入って設置場所の確認をさせておく方がいいだろう。
「トワ、ちょっといい?」
「なに?」
「私とヴァルトさんで周囲の状況を確認してくる。調律中に襲撃されたら困るからね」
「大丈夫。アイリスが守ってくれる」
「そりゃもちろん守るけどね、一応事前に警戒しておいた方が良いでしょ?」
「それはそう。じゃあ私も行く?」
「ううん。トワは先に中へ入って設置場所がどうなっているか見てきて欲しい」
「わかった。私は足手まとい」
「……えっと」
「自分でも理解してる。気にしてない」
「役割分担だからね?トワの事足手まといなんて思ったことないからね?」
「わかってる」
 妙なところだけ鋭いんだよ、トワは。いや、別に足手まといなんて思ったことはないし、あの子も本気でそう思ってる訳じゃないのはわかるけど、ちょっと今のは胸が痛かった。あとでお詫び代わりに少し甘やかすことにしよう。
 道中でコスモスーツから私服に着替えたため、私たちの服装は街の人々とさほど変わらない。
 トワはいつものジャケットとTシャツ姿、私は薄手の地味めなワンピース。ブラスターはいつも通りサイホルスターに収めている。ヴァルトさんはというと、シンプルな黒のスーツ姿だが、よく見るとそれ、ギルド保安部の制服じゃない……?退職したのにそれを着てるのは規則違反だよね?内心ジト目で見ていると、ヴァルトさんがにやりと笑った。
「これか?儂のお手製よ。いわゆるコスプレというやつだな」
「……えっ?どうしてまた……?」
「長年これを着ていたからな、これでないと落ち着かんのだ」
 見た目は厳ついが、実はお茶目な人なのかもしれない。私は少しヴァルトさんのことを見直した。だって、有能でお茶目なおじさまって素敵じゃない?うちの父さんみたいだし。
 私たちは街の片隅で何かの作業していた住民にそっと近づいてハンドスキャナーで彼の状態を密かにスキャンしようとした。だがタイミングの悪いことにスキャナーを取り出した瞬間に彼はこちらのことに気付いてしまった。少し警戒したように私たちを見つめた住民は眉をひそめ、険しい表情で問いかけてきた。
「……おい、あんたら……政府の調査員か?」
 その冷ややかな質問に私がどう返答すべきか言葉を選んでいると、ヴァルトさんが一歩前に出る。住民はヴァルトさんを一瞥し、その服装に気づいたのか、少し表情を和らげた。
「もしかして……ギルドの人か?政府の連中じゃないなら、それでいいんだ」
 それをきっかけに、彼はこの町の現状や過去の出来事について語ってくれた。政府による封鎖と、それによる大勢の犠牲に住民たちが強い反感を抱いていること。ギルドが最後まで大音楽堂の修復を続けようとし、疫病蔓延後も住民を助けようと奮闘していたこと。そしてこの大音楽堂が住民たちの大切な心の支えであること。
 極限状態で、大音楽堂という精神的な支えが無ければこの街は崩壊していたと彼は語ってくれた。そして、その大音楽堂に関わっていたギルドへの感謝も。
 この星の星都ではギルド支部の人間が大統領と星外へ逃げたと言われているらしいけど、彼らが倒れた地の人達はそんな風評に流されることも無く、ギルドを支持してくれているようだ。ギルドの一員として、彼の言葉はほんとうに嬉しかった。そして住民達の信頼を最後まで裏切らなかったであろうヴェリザン支部の同胞達に深い敬意を感じた。
 現地の状況もおおよそ把握できた。少なくとも今のところここノヴァーラでは暴徒の危険はそれほど高くない様子だし、これならトワに調律作業を始めてもらっても大丈夫だろう。
>>Towa
 アイリスには平気な顔をしてみせたけれど、実のところ私があまり役に立っていないのは自覚していた。ペレジスでのことを思い返すまでもなく。けど今回はシンガーである私の役目だし、せめて今ぐらいはしっかり頑張らなきゃね。
 そんなことを考えながら、私は一人で大音楽堂に足を踏み入れた。エルドさん達が言っていたように、エネルギー供給に難があるせいか内部の照明はすべて消えたままだけど、天窓や崩壊した壁の隙間から差し込む日光でなんとか室内の様子は把握できる。まぁ、もともと私は夜目の利く方だから、これぐらいの明るさがあれば活動するのに問題は無いだろう。
 大音楽堂の内部は外観よりもはるかに手入れが行き届いていた。もっとも長らく人が立ち入っていないようで
どこか埃っぽい空気が感じられるし、通路の隅や部屋には改修用の資材が積み上げられたままだけど……それでも何か神聖な気配があるように思えた。
 正面の大きな扉を開き、広々としたホールに足を踏み入れた私は思わず息をのんだ。視線の先にそびえ立つのは巨大なクリスタルオルガン。その透明なパイプの一本一本が天井まで届きそうなほどの高さで静かに輝いていて、まるで生き物のように光を吸い込んで神秘的な色を放っている。奥の高台に見える台座は、何かが欠けているように感じるから……きっと、あそこが私の仕事場になるんだろう。
 ただ見上げているだけでもこの静寂と圧倒的な存在感に飲まれそうになるけど、不思議と不安は感じない。もしこのオルガンが音楽を奏で始めたなら、どんな音色が響くのかな?叶うならその音に合わせて自分も歌ってみたい……そんなことを考えていた、その時だった。
「……お姉ちゃん、だれ?」
 不意に声をかけられた。視線を横に向けるとオルガンの脇にある通用口の影から、少女がじっとこちらを見ていた。
 10歳……いや、それよりも少し下ぐらい?短い茶色い髪と、茶色い瞳の女の子。少し痩せていて、服もくたびれている。ペレジスのスラムにいた孤児たちを思い出させるような姿だけど、彼女の顔にはあの子達のような虚無や絶望の表情は浮かんでいない。
 私が黙って少女を見つめていたので彼女は不安になったのか、扉の影に半身を隠してしまって顔だけを出してこちらをうかがっている。いけない、警戒させてしまったらしい。
「怪しいものじゃ、ない」
 ……我ながら何を言ってるんだろうと思った。無人の音楽堂に無断で入り込んでいるのに、怪しくないわけがないよね。そもそも怪しい人間は自分から怪しいなんて告白しないし、みんな自分は怪しくないと主張するだろうし。
 私の反応が怪しすぎたせいか、少女の表情には警戒の色が浮かんでいる。それでもじっとこちらを見つめるその目には、不安の色と……少しの好奇心が混じっているように見えた。うう、アイリスならきっとすぐ打ち解けられただろうに……。早く戻ってきて、お姉ちゃん。こんな場面、私には荷が重すぎるよ。
 とはいえ、ここにアイリスはいない。私がなんとかしないと。そう思ったとき、不意にクリスタルオルガンが私を呼んでいるような気がして視線がそちらに吸い寄せられた。ああ、そうだ。確かにこの子は私を、シンガーを呼んでいる。呼ばれるままにオルガンの前に歩み寄る。静かなホールに自分の足音が響くのを感じながら、私は少女を振り返った。
「このオルガン、鳴らしていい?」
 少女は一瞬戸惑い、目を丸くした。けれど、しばらくして黙ったまま小さく頷いた。うん、彼女が言いたいことはわかる。このオルガンにはコアとなるC3が欠けているから、普通に演奏しても音は出ないんだ。たぶん彼女自身もそれを何度も確かめたことがあるっていう表情だ。
 でも私はかまわずオルガンの前に立ち、そっと旋律を口ずさみ始めた。控えめに声を出したつもりだったけど、歌声は静かなホールに意外なほど響き渡った。音響が良いのか……いや、オルガンに誘われたんだね、きっと。
 一小節を歌い終えた時、目の前の巨大なクリスタルオルガンが柔らかな光に包まれ、ほんの小さな音が……私の歌に呼応するように、ゆるやかに響き始めた。
「……すごい……」
 オルガンの音色に少女の目が輝き、少しずつこちらに近づいてくる。私は歌を続けながら、彼女と目を合わせた。やがて私の短いアリアが終わると、ホールが再び静寂に包まれた。
「このオルガン、ずっと歌いたかったって。もっと歌を奏でたいって」
 私が言うと、少女は満面の笑顔で頷いた。
「お姉ちゃん、すごいね!私も触ったことあるけど、全然ならなかったんだ……」
 そうだろう。コアがなければオルガンは音を奏でない。シンガーの共鳴能力を使って、周囲のC3を強制的に共鳴させない限りは。
「小さい頃から、ここでオルガン弾く人になるのが夢だったの!あ、私レイラ。お姉ちゃんは?」
「トワ。クリスタルシンガー」
 お姉ちゃん、と言う言葉に何故かゾクゾクしてしまう。そうか、アイリスはこういう感覚で姉呼びを求めてるのか。ちょっとだけ、いつもアイリスの姉呼び要求を拒否していることに罪悪感を覚えた。
 だって、こんなに心が温まるものだなんて思ってもみなかったから。時々はお姉ちゃんって呼んであげるべきなのかな……もちろん私が自立心を維持できる範囲で、だけど。
 レイラと名乗った少女は、私の言葉にすこし驚いたようだ。普通の人からすればクリスタルシンガーなんて伝説の生き物みたいなものだろうしね。でも、私の歌声がクリスタルオルガンを歌わせたことで、シンガーである事を納得してくれたようだ。……私だって、やればできるんだからね。ここにはいないアイリスに向かって、心の中でドヤ顔を決めた。
「私もお姉ちゃんみたいにオルガンを鳴らせる?」
「それは……難しいかも」
「そっか……残念。わたし、オルガン弾いてみたかったのに」
 しまった、もしかして子供の夢を壊しちゃったかもしれない。慌てて次の言葉を探すけど、思いつかない。さっきの脳内ドヤ顔を撤回するから、早く帰ってきて、アイリス。
 とは言え黙っていても状況は改善しないから、私は何とか話を続けようと試みる。
「ここで弾くの、ずっと夢だったの?」
「うん。でも、今はだれもここへ来ないし、……ママも、もうやめなさいって」
「そう。昔はここに沢山、人が来てた?」
「うん、みんなこのオルガンの音が聞きたくて来てたんだって。でも病気がひろがって、みんな死んじゃって……」
 悲しそうな顔をするレイラ。いけない、話題がどんどん暗い方へ流れていく。自分のコミュニケーションスキルの低さが恨めしい。私が焦っているとレイラは寂しそうに目を伏せた。
「……ママも『病気はギルドのせいた』とか、いろんな人に言ってた。『せいふがわたしたちをだまそうとしてる』って。それで、みんな、どこもかしこも壊しちゃって……」
「……そう」
 どう答えたら良いかわからす、ついそう答えた私だったけど……ちょっと待って?今この子、すごく重要な事をいったような気がする。この子のママってもしかして、扇動してた人?そう考えると、メナスという名前とともに脳裏に警告の言葉が思い浮かぶ。
「でも、なんかおかしいって思う。ママは『みんなを助けたい』って言ってたけど、じゃあどうしてこんなに街がこわれて、だれもいなくなっちゃったの?」
 レイラの疑問はもっともだ。救うつもりで壊す?そんな事が正しいはずかないのに。
>>Iris
 情報収集を終えて大音楽堂前へと戻った私とヴァルトさんはC3のケースを車から降ろし、ホールの中へ足を踏み入れた。奥から歌声が聞こえる。聞き覚えのあるあのアルトはトワの歌声だ。
 ただ、少し状況が不明だ。C3がここにある以上調律している訳ではない。そしてあの子はシンガーなのに普段は鼻歌一つ歌わないはずなのに、どうして急に?そう思っていると今度はオルガンの音が聞こえた。私はC3のコンテに思わず目をやったけど、確かにC3はここにある。どうしてオルガンが鳴ってるんだろう……?ヴァルトさんが不思議そうな顔をしながら、ケースの中身を確かめている間に歌声とオルガンの音は止まった。
 ……ケースの中には確かにC3が納められている。ということは、可能性は一つ。またやらかしたな、あの子。
「ごめんなさい、トワがまたやらかしたみたい」
「やらかし、ですと?」
 私はヴァルトさんの言葉にはそれ以上応えず、肩をすくめると音楽堂の奥へ向かった。まぁ、ここで説明しなくてもどうせこの後すぐにトワが「やらかす」ところを目にするだろうからね。その後で説明した方が二度手間にならいだろう。
 やがて聞こえてきたのはトワの声と幼い女の子の声だった。ここの住民だろうか。私は無言で後続のヴァルトさんを制し戸口からそっと中を覗き込む。と、クリスタルオルガンの威容と共にトワが10歳ぐらいの女の子と話をしている姿が目に入った。着ている服からしてこの星の住人だろう。見たところ疫病に感染している気配はないけど、一応スキャンしてみる。
 ……うん、大丈夫そうだ。結果的にはOKだったけどトワ、感染対策とかまるで考えてないよね……。あとで注意しておかないと。
 そんな事を考えながら様子をうかがっていると、女の子の言葉が耳に入り……私は耳を疑った。……今、なんて言った?その母親というのは、もしかするとナタリア達が言っていた「住民を扇動し混乱を広げた記者」と同一人物?いや、複数の扇動者がいる可能性もあるけど、それでも……まさか、そんな偶然があるものだろうか。
 トワもそのことに気付いたのか、硬直しているけど、ここは姉として助け船を出すべきだろう。少女が警戒しないように、そして件の扇動者が近くにいる可能性を警戒してヴァルトさんには万が一の事態に備えて入口付近で見張りをお願いした。
 そして私も少女に警戒されないよう、わざと明るく軽いトーンでトワに声をかけた。
「トワ、お待たせ!」
「アイリス。ごめん、謝る。ドヤ顔はもうしない」
「……何のこと?」
 何故かいきなり謝られた。この子、別にドヤ顔なんかしてないし、そもそもそんな顔できないと思うけど。
「それより、そちらの女の子は?……あっ、ごめんなさいね?私はアイリス。トワのお姉ちゃんだよ」
「トワのお姉ちゃん?私、レイラ!」
 どうやらトワとは既に仲良くなっていたらしく、トワの姉を名乗る私にも好意的な視線を向けてくるレイラちゃん。先ほどの話をすぐに詳しく聞くのも不自然だから、まずC3の設置準備を始めつつ、彼女の様子を伺うことにしよう。
「レイラちゃん、お話中にごめんね。私達このオルガンの修理に来たんだ」
「ほんと!?オルガンさん、直るの?」
「もちろんだよ」
 そう言って微笑みながら、私はトワにずしりと重いC3のケースを手渡した。戸口まではヴァルトさんが運んでくれたから、私がこれを持ち運んだのは入り口からオルガンの前までだけど、それだけでも肩が抜けそうになった。
 なのにトワは平然とコンテナケースを受け取っている。もともと表情が読めないというのはあるけど、細身の割には意外と力持ちなんだよね、トワは。いや、今はトワのことよりも優先すべき事があった。
「トワ、周囲に問題はなさそうたからこのまま|調律《チューン》を始めて大丈夫そうだよ。事前準備はじめよっか?」
「もう済ませた」
「……そっかぁ」
 目の前のクリスタルオルガンのように複数のC3が用いられた機器は、本来共鳴波の相互干渉を避けるために内蔵されているC3の波長を一つ一つ確認し、互いに干渉しない波長域を探った上で慎重に|調律《チューン》を行う必要がある。
 だけどトワはーおそらく先ほどの歌でまとめて波長の検査を済ませたのだろう。まるで当たり前のことのように「もう済ませた」と言ってのけるけど、それがどれほど困難なことか、凡才の私にさえわかる。それはもはや神業の領域だ。なにせ、この規模のクリスタルオルガンの調律なら準備だけでも本来なら3日ぐらいかかるものだから。
「ちなみに、|調律《チューン》にはどれぐらい時間が掛かりそう?」
「んー、15分?」
 またとんでもないことを言い出した。C3の調律はサイズや品質によって難易度が大きく変わる。今回のC3は非常に大きなものだから、たとえそれがCランクの普及品であっても調律に1時間以上はかかる。そして今回のものは最高難易度のSランクだというのに15分だなんて……ほかのシンガーが聞いたら、間違い無く嘘つき呼ばわりされるだろう。
 そもそもSランクの調律を一人で行うという時点で常識はずれなんだし。でもトワがC3の扱いに関して間違った事なんて一度もないし、あの子が15分と言うならきっと15分でやってしまうのだろう。
 ただ、念のため釘は刺しておかないと。
「|急ぎ《・・》ではなく普通にして、だよね?」
「うん、急ぎではない。それで15分」
「そっか、判った。ならもう始める?」
「うん、お腹空いたし。さっさと終わらせて、お昼にする」
 このサイズのSランクを調律するなんて、本来なら一体どれぐらい時間が掛かるのか見当も付かない。おそらくヴェリザン支部の人達も複数のAランクシンガーを集めた上で十数時間を掛けた長い調律作業を予定していたはずだ。なのに、トワは朝飯前ならぬ昼飯前ってやつか……。驚きを通り越して、もはや呆れるほかなかった。
「私達は外に出といたほうがいい?」
「別にいい。見てても、減らない」
「じゃあ久々にトワのリサイタル、見せてもらおうかな。この前は通信機越しだったし」
「それは忘れたい過去」
 宇宙空間での船外活動中に真空の中で調律を行ったことと、その後の酸素欠乏症を思い出したのか、少しげんなりした様子を見せるトワに思わず私も苦笑してしまう。レイラちゃんはそんな私達を不思議そうな顔で見ていた。
「レイラちゃん。これからトワがお仕事するから、少し離れて見ててくれるかな?」
「うん、わかった!」
 先ほど漏れ聞こえた言葉が正しいのだとしたら、レイラは星を滅びに追いやった扇動者に育てられた子と言うことになる。その割にはレイラちゃんは素直で良い子にしか見えないけど……どういうことなんだろうか。
「じゃ、始める」
 レイラちゃんの事情を推し量ろうとしていた私に向かい、トワはそう言うと脱いで、C3を抱きしめた。軽く目を閉じ、深く息を吸い込んでから……トワは朗々とした声で歌い始めた。