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碁石(イシ)踊る

ー/ー



 その日は雪で真っ白くなった庭を、一人静かに眺めていた。

 特別何かしたいわけでも、何かしなくちゃいけないことを探しているわけでもない。

 ただただじっと雪の白を見つめ続けていた。

 その人物の名は、    。

 年の頃十代後半といったところか。

 雪に合わせたかのような薄浅葱着物と、マタギバカマを身に付けた  は、同じ年代の若者と比べてみても、何処か落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 理由は定かではないが、幼少の頃から両親と離れ、忙しい祖父母と暮らしてことも、冷静な態度で過ごせる一つの要因なのだろう。

 今はその祖父母とも離れ、時折様子を見に来てくれる優しい隣人と共に暮らしている。

 さて、  がなかなか溶けない雪を見ていてポツリ呟く。

 庭を覆う雪と、それに負けじと隙間から姿を覗かせる苔達が共存する風景に飽きたというのだ。

 しかし、今はまだ春はすぐそことは言えないこの時期、そう簡単に木々や地面に草花が咲くわけでもなく……

   は不満を書き消すかのように、小さな溜め息を吐いてみせた。

 数分後、  の脳裏に浮かんだのは、一つの赤い巻物だった。

   はふと立ち上がり、棚の上にある幾つかの巻物のうち、深紅の巻物を手にする。

 そして畳の上に直に置いて広げ、じっくりと眺め始めた。

 その行動は、まるで巻物に書いてあるものを丸覚えしてるかのようである

 暫くして、  は思い出したかのように立ち上がり、その時は手をつけなかった青い巻物 つを胸に抱え、再び畳の上にそっと置いた。

 順番に広げては見つめ、納得しては巻いて紐を結び、棚へ戻す。

 この作業を繰り返した  は、漸く落ち着いたのか、三度(ミタビ)畳に腰を降ろして真紅の巻物に瞳を向けた。

 一体どのくらいの時が流れたのだろうか?

 ふと気付くと、向かって立つ優しき隣人が憂い顔で  を見つめている。

「  さん、今日は」
「今日は、  さん」

 挨拶を交わした二人は、お互いの出方でも探るかのように沈黙し続けた。

「  さん」

 不意に  は隣人の名を呼ぶ。

 その声に反応してゆっくりと顔を上げた隣人に
「昨日は沢山雪が降りましたね」
と、然り気無く話題を持ちかけた。

「本当、一面真っ白に覆われてしまって」

 そう言って瞳を細める隣人に
「向こうも雪が降っているのでしょうか?」
と、隣人は淡々と問う。

「今はまだですが、いずれは」

 隣人も淡々と答えて、雪景色から  へと瞳を移して微笑む。

 その笑みに安堵すると同時に、不安を覚えた  。
 
 解消しようと口を開きかけた矢先
「そういえば、  さんは本当にここを旅立つのですか?」
と、隣人は悲しい顔をして訊ねる。

   もまた伏せ目がちになって
「はい」
と、短く返事をした。

「そうですか」

 ただ一言答えた隣人は
「それでは、もう少しだけ待っていてもらえますか?」
と、言い残して部屋から出ていく。

 静まり返った部屋で、  は再び白い世界に浸る為、溶けつつある雪を眺め始めた。

「何かしたい事」

 何気なく呟いた時、コン・コンと何かを打ちつける音が、  の耳に入る。

 良く聞いてみると、その音にはリズムがついていた。

 二人で交互に音を鳴らしているのか、一人が打てばもう一人が応えるかのように打っていく。

 まるで二人が協力して、一つの音楽を作り出しているように感じた  。

 いつしか  も参加したくなり、押し入れの奥から古びた碁盤を引っ張り出した。

 心踊る音楽が終わらぬうちにと、  は急いで碁盤に白と黒の碁石(イシ)を適当に並べる。

 配置に納得した  は頷くと、コツン、またコツンと、耳に届く音と音の間に、自分の碁石(イシ)を好きな場所へ置いていく。

 それを続けていくにうちに、はまるでワルツでも奏でているような気分になった。

 コン・コツン・コンと調和が取れている心地よいリズムに、  はいつしか酔いしれていく。

“ああ、今すぐあの場所へ行きたい!”

   はモノクロに染まっていく碁盤を目の前に、強く強くそう願った。

 気付けば、辺りがいつか見た橙色に包まれている。

 我に返り、耳を澄ませた  は、碁石(イシ)達が奏でる音楽が終わっていたことに、一抹の寂しさを覚えた。

 その時、引戸がコトリと音をたてる。

 離れていた隣人が戻ってきた合図だった。

 隣人は  に近づき
「旅立つ用意が出来ました」
と告げ、愁眉を見せる。

   も一瞬同じような表情になってその場から立ち上がるも、直ぐに笑顔を浮かべ
「有難うございます」
と、礼を言った。

 包み込んだ沈黙を破るかのように、  はもう一度笑顔になり
「今までお世話になりました」
と言いながら、頭を下げる。

「こちらこそ」

 隣人も頭を下げ、短く礼を言った。

「道中お気をつけて」
「はい」
「向こうには理不尽な出来事が沢山起こりますが、  さんなら乗り越えられます」
「はい」

 お互いに笑顔を絶やさず、次の言葉を待つ二人。

 しかし、どれ程待っていてもその場に適した言葉が見つからず、二人の間に時が過ぎていくばかりであった。

 やがて埒が開かないと感じた隣人は、  からゆっくりと顔を背け
「またいつか、何処かで」
と、呟くように餞の言葉を送る。

「何処かで会うのを楽しみにしています」

   も微笑んで胸の内を伝えた。

 軽く抱き合った二人は、最後まで別れを惜しむ。

 そして隣人は部屋に留まり、  は碁盤を出したままあとにした。

「地上での活躍をお祈り致します」

 隣人はもうここにはいない  に向けて、安らかな祈りを捧げた後、次に(キタ)るべき人の為に、部屋を片し始める。

 いずれ行くであろう地上に想いを馳せながら、隣人は古びた碁盤を押し入れの奥に仕舞うのだった。
 


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 その日は雪で真っ白くなった庭を、一人静かに眺めていた。
 特別何かしたいわけでも、何かしなくちゃいけないことを探しているわけでもない。
 ただただじっと雪の白を見つめ続けていた。
 その人物の名は、    。
 年の頃十代後半といったところか。
 雪に合わせたかのような薄浅葱着物と、マタギバカマを身に付けた  は、同じ年代の若者と比べてみても、何処か落ち着いた雰囲気を醸し出している。
 理由は定かではないが、幼少の頃から両親と離れ、忙しい祖父母と暮らしてことも、冷静な態度で過ごせる一つの要因なのだろう。
 今はその祖父母とも離れ、時折様子を見に来てくれる優しい隣人と共に暮らしている。
 さて、  がなかなか溶けない雪を見ていてポツリ呟く。
 庭を覆う雪と、それに負けじと隙間から姿を覗かせる苔達が共存する風景に飽きたというのだ。
 しかし、今はまだ春はすぐそことは言えないこの時期、そう簡単に木々や地面に草花が咲くわけでもなく……
   は不満を書き消すかのように、小さな溜め息を吐いてみせた。
 数分後、  の脳裏に浮かんだのは、一つの赤い巻物だった。
   はふと立ち上がり、棚の上にある幾つかの巻物のうち、深紅の巻物を手にする。
 そして畳の上に直に置いて広げ、じっくりと眺め始めた。
 その行動は、まるで巻物に書いてあるものを丸覚えしてるかのようである
 暫くして、  は思い出したかのように立ち上がり、その時は手をつけなかった青い巻物 つを胸に抱え、再び畳の上にそっと置いた。
 順番に広げては見つめ、納得しては巻いて紐を結び、棚へ戻す。
 この作業を繰り返した  は、漸く落ち着いたのか、三度《ミタビ》畳に腰を降ろして真紅の巻物に瞳を向けた。
 一体どのくらいの時が流れたのだろうか?
 ふと気付くと、向かって立つ優しき隣人が憂い顔で  を見つめている。
「  さん、今日は」
「今日は、  さん」
 挨拶を交わした二人は、お互いの出方でも探るかのように沈黙し続けた。
「  さん」
 不意に  は隣人の名を呼ぶ。
 その声に反応してゆっくりと顔を上げた隣人に
「昨日は沢山雪が降りましたね」
と、然り気無く話題を持ちかけた。
「本当、一面真っ白に覆われてしまって」
 そう言って瞳を細める隣人に
「向こうも雪が降っているのでしょうか?」
と、隣人は淡々と問う。
「今はまだですが、いずれは」
 隣人も淡々と答えて、雪景色から  へと瞳を移して微笑む。
 その笑みに安堵すると同時に、不安を覚えた  。
 解消しようと口を開きかけた矢先
「そういえば、  さんは本当にここを旅立つのですか?」
と、隣人は悲しい顔をして訊ねる。
   もまた伏せ目がちになって
「はい」
と、短く返事をした。
「そうですか」
 ただ一言答えた隣人は
「それでは、もう少しだけ待っていてもらえますか?」
と、言い残して部屋から出ていく。
 静まり返った部屋で、  は再び白い世界に浸る為、溶けつつある雪を眺め始めた。
「何かしたい事」
 何気なく呟いた時、コン・コンと何かを打ちつける音が、  の耳に入る。
 良く聞いてみると、その音にはリズムがついていた。
 二人で交互に音を鳴らしているのか、一人が打てばもう一人が応えるかのように打っていく。
 まるで二人が協力して、一つの音楽を作り出しているように感じた  。
 いつしか  も参加したくなり、押し入れの奥から古びた碁盤を引っ張り出した。
 心踊る音楽が終わらぬうちにと、  は急いで碁盤に白と黒の碁石《イシ》を適当に並べる。
 配置に納得した  は頷くと、コツン、またコツンと、耳に届く音と音の間に、自分の碁石《イシ》を好きな場所へ置いていく。
 それを続けていくにうちに、はまるでワルツでも奏でているような気分になった。
 コン・コツン・コンと調和が取れている心地よいリズムに、  はいつしか酔いしれていく。
“ああ、今すぐあの場所へ行きたい!”
   はモノクロに染まっていく碁盤を目の前に、強く強くそう願った。
 気付けば、辺りがいつか見た橙色に包まれている。
 我に返り、耳を澄ませた  は、碁石《イシ》達が奏でる音楽が終わっていたことに、一抹の寂しさを覚えた。
 その時、引戸がコトリと音をたてる。
 離れていた隣人が戻ってきた合図だった。
 隣人は  に近づき
「旅立つ用意が出来ました」
と告げ、愁眉を見せる。
   も一瞬同じような表情になってその場から立ち上がるも、直ぐに笑顔を浮かべ
「有難うございます」
と、礼を言った。
 包み込んだ沈黙を破るかのように、  はもう一度笑顔になり
「今までお世話になりました」
と言いながら、頭を下げる。
「こちらこそ」
 隣人も頭を下げ、短く礼を言った。
「道中お気をつけて」
「はい」
「向こうには理不尽な出来事が沢山起こりますが、  さんなら乗り越えられます」
「はい」
 お互いに笑顔を絶やさず、次の言葉を待つ二人。
 しかし、どれ程待っていてもその場に適した言葉が見つからず、二人の間に時が過ぎていくばかりであった。
 やがて埒が開かないと感じた隣人は、  からゆっくりと顔を背け
「またいつか、何処かで」
と、呟くように餞の言葉を送る。
「何処かで会うのを楽しみにしています」
   も微笑んで胸の内を伝えた。
 軽く抱き合った二人は、最後まで別れを惜しむ。
 そして隣人は部屋に留まり、  は碁盤を出したままあとにした。
「地上での活躍をお祈り致します」
 隣人はもうここにはいない  に向けて、安らかな祈りを捧げた後、次に来《キタ》るべき人の為に、部屋を片し始める。
 いずれ行くであろう地上に想いを馳せながら、隣人は古びた碁盤を押し入れの奥に仕舞うのだった。