第6話:建国記:不滅の防壁

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 ティムは、書斎の窓から見える城壁の一部を、目を細めて見ていた。分厚く、低い、まるで土台のような無骨なその壁は、建国初期の困難を象徴する偉大な遺産とされている。

「師匠。建国期の指導者層は、サイラス様は『極度のコミュ障』、騎士団長は『極度の対人恐怖症』……」

 ティムは頭を抱え、嘆息した。

「……こんなポンコツな私情の塊のような人間ばかりで、よく国が成り立っていたものだと、心から思います」

 フィリアンは、いつものように穏やかな笑みを浮かべた。

「そう嘆くでない、ティム。国というものはな、壮大な理念で動くよりも、個人的な動機と、それによる派手な結果の方が、よほど強固な基盤になるものだ。その最たる例が、今日のテーマだ」

 ティムは、気持ちを切り替えるように、建国記のページを開いた。

「建国記の王、つまりサイラス様の盟友だった初代国王が築いたとされる『不滅の防壁』。伝説では、神の加護を受けた防壁とされています。この低く分厚い壁が、敵の侵入を防ぎ、新国家を守護したと」

「神の加護、か。そう聞くと聞こえはいいがね」

 フィリアンは、紅茶を一口啜った。

「…本当に、『本当の理由』を聞きたいかね?今回ばかりは、その国王の『個人的な悩み』が、壮大な建築物という形で具現化した、というだけだ」

「国王の、個人的な悩み……まさか、王までコミュ障ですか?」

「いや、王は社交的な人物だったよ。問題は、彼の極度の潔癖症だ。彼にとって、城下町は『汚物と埃が渦巻く地獄』だったのだ」

 フィリアンは語り始めた。国王は、建国したばかりの王都の衛生状態に、心底辟易していた。特に耐えられなかったのが、城内に侵入してくる野良犬や野良猫、そして虫やゴミだった。

「国王は、城内で開かれる祝宴や会議中にも、常に城壁の向こう側から飛んでくる埃や、野良犬の鳴き声を気にしていた。その結果、彼は閃いた。『誰も入ってこられない、完璧に清潔な空間を、城壁の内側に作ればいい』と」

「それが、あの『不滅の防壁』なのですか?」

「そうだ。あの城壁が低く分厚いのは、敵の攻撃を防ぐためではない。まず、『野良犬や猫が飛び越えられない、ちょうどいい高さ』を計算した結果だ」

 ティムは絶句した。

「敵の騎馬隊を防ぐためではなく、野良犬が跳躍できない高さ……」

「そして、分厚いのは、『外から舞い込んでくるゴミや土埃を完全に遮断するため』だ。彼にとって、あの防壁は城下町と城内を隔てる『巨大な衝立(ついたて)』であり、『清潔を保つためのバリアー』だったのだ」

 そして、国王が防壁の建設に異常な熱意を注いだことが、周囲の臣下たちに「王は神の啓示を受け、最強の防御壁を築いているに違いない」と誤解された。

「国王は、防壁完成後、その前に『野良犬の糞一つでも見つけたら、即座に死罪』という規律を設けた。周囲は、それを『国王の神聖なる防壁への敬意』と受け止めたが、真実は単に国王が糞を見るのが嫌だっただけだ」

 ティムは、城壁を眺めながら、膝から崩れ落ちた。

「神の加護……不滅の防御……それが、犬猫の侵入と、国王の潔癖症が生んだ、最低にして最高の衛生管理システムだったとは……」

 ティムは震える手で、建国記をパラパラとめくった。

「…私は考察します。しかし、この一連の建国指導者たちの『ポンコツな私情』が、意図せずして、『私語厳禁の訓練』や『衛生的な防壁』といった、国家運営に必要な規律を結果的に生み出してしまっている。この偶然性こそが、歴史の真の原動力だと……」

 フィリアンは、この日一番の笑顔を見せた。

「その通りだ、ティム。壮大な目的などなくても、国は成り立つのだ。むしろ、壮大な理念はすぐに破綻する。だが、個人的な『嫌だ、汚い、怖い』という極めて切実な動機は、絶対に裏切らない。その個人的な『動』が、結果として公的な『果』を生む。それが、お前が言った『ポンコツばかりでよく国が成り立っていたな』の答えだ」

 ティムは静かに、深遠な悟りに達したかのように頷いた。

「ありがとうございます、師匠。この国は、恥ずかしがり屋と潔癖症の集合体でできているのですね」

 フィリアンは次の巻物を指差した。

「よろしい。ティム。次は、王自身の話だ。『敵将の奇妙な降伏』。国王の『戦略的沈黙』に恐れをなした敵将が降伏したという伝説。あれは、国王が会議直前に歯が抜け、口を開くのが恥ずかしくて一言も話さなかっただけなのだが、話を聞きたいかね?」




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 ティムは、書斎の窓から見える城壁の一部を、目を細めて見ていた。分厚く、低い、まるで土台のような無骨なその壁は、建国初期の困難を象徴する偉大な遺産とされている。
「師匠。建国期の指導者層は、サイラス様は『極度のコミュ障』、騎士団長は『極度の対人恐怖症』……」
 ティムは頭を抱え、嘆息した。
「……こんなポンコツな私情の塊のような人間ばかりで、よく国が成り立っていたものだと、心から思います」
 フィリアンは、いつものように穏やかな笑みを浮かべた。
「そう嘆くでない、ティム。国というものはな、壮大な理念で動くよりも、個人的な動機と、それによる派手な結果の方が、よほど強固な基盤になるものだ。その最たる例が、今日のテーマだ」
 ティムは、気持ちを切り替えるように、建国記のページを開いた。
「建国記の王、つまりサイラス様の盟友だった初代国王が築いたとされる『不滅の防壁』。伝説では、神の加護を受けた防壁とされています。この低く分厚い壁が、敵の侵入を防ぎ、新国家を守護したと」
「神の加護、か。そう聞くと聞こえはいいがね」
 フィリアンは、紅茶を一口啜った。
「…本当に、『本当の理由』を聞きたいかね?今回ばかりは、その国王の『個人的な悩み』が、壮大な建築物という形で具現化した、というだけだ」
「国王の、個人的な悩み……まさか、王までコミュ障ですか?」
「いや、王は社交的な人物だったよ。問題は、彼の極度の潔癖症だ。彼にとって、城下町は『汚物と埃が渦巻く地獄』だったのだ」
 フィリアンは語り始めた。国王は、建国したばかりの王都の衛生状態に、心底辟易していた。特に耐えられなかったのが、城内に侵入してくる野良犬や野良猫、そして虫やゴミだった。
「国王は、城内で開かれる祝宴や会議中にも、常に城壁の向こう側から飛んでくる埃や、野良犬の鳴き声を気にしていた。その結果、彼は閃いた。『誰も入ってこられない、完璧に清潔な空間を、城壁の内側に作ればいい』と」
「それが、あの『不滅の防壁』なのですか?」
「そうだ。あの城壁が低く分厚いのは、敵の攻撃を防ぐためではない。まず、『野良犬や猫が飛び越えられない、ちょうどいい高さ』を計算した結果だ」
 ティムは絶句した。
「敵の騎馬隊を防ぐためではなく、野良犬が跳躍できない高さ……」
「そして、分厚いのは、『外から舞い込んでくるゴミや土埃を完全に遮断するため』だ。彼にとって、あの防壁は城下町と城内を隔てる『巨大な衝立(ついたて)』であり、『清潔を保つためのバリアー』だったのだ」
 そして、国王が防壁の建設に異常な熱意を注いだことが、周囲の臣下たちに「王は神の啓示を受け、最強の防御壁を築いているに違いない」と誤解された。
「国王は、防壁完成後、その前に『野良犬の糞一つでも見つけたら、即座に死罪』という規律を設けた。周囲は、それを『国王の神聖なる防壁への敬意』と受け止めたが、真実は単に国王が糞を見るのが嫌だっただけだ」
 ティムは、城壁を眺めながら、膝から崩れ落ちた。
「神の加護……不滅の防御……それが、犬猫の侵入と、国王の潔癖症が生んだ、最低にして最高の衛生管理システムだったとは……」
 ティムは震える手で、建国記をパラパラとめくった。
「…私は考察します。しかし、この一連の建国指導者たちの『ポンコツな私情』が、意図せずして、『私語厳禁の訓練』や『衛生的な防壁』といった、国家運営に必要な規律を結果的に生み出してしまっている。この偶然性こそが、歴史の真の原動力だと……」
 フィリアンは、この日一番の笑顔を見せた。
「その通りだ、ティム。壮大な目的などなくても、国は成り立つのだ。むしろ、壮大な理念はすぐに破綻する。だが、個人的な『嫌だ、汚い、怖い』という極めて切実な動機は、絶対に裏切らない。その個人的な『動』が、結果として公的な『果』を生む。それが、お前が言った『ポンコツばかりでよく国が成り立っていたな』の答えだ」
 ティムは静かに、深遠な悟りに達したかのように頷いた。
「ありがとうございます、師匠。この国は、恥ずかしがり屋と潔癖症の集合体でできているのですね」
 フィリアンは次の巻物を指差した。
「よろしい。ティム。次は、王自身の話だ。『敵将の奇妙な降伏』。国王の『戦略的沈黙』に恐れをなした敵将が降伏したという伝説。あれは、国王が会議直前に歯が抜け、口を開くのが恥ずかしくて一言も話さなかっただけなのだが、話を聞きたいかね?」