「……巨大猫がどうなろうと、塔がどうなろうと知ったことではない。ミケさえ元のサイズに戻ればそれでいい。それがサイラス様の『真理』だった。恐ろしいことです、師匠」
ティムは、魔王封印の儀式の真実を聞いて以降、何事も達観したような顔で書斎の掃除をしていた。彼の英雄崇拝の心は砕け散り、今や目の前の埃を払うことに集中している。
フィリアンは満足げに猫を撫でた。ティムの成長は、フィリアンにとって最高の娯楽になっていた。
「よく達観できたな。世界を救う儀式がペットの世話だったと知っても、お前はまだここにいる。さすがは私の弟子だ」
「もう、何も驚きません。壮大な伝説の裏には、いつも『個人的な面倒事』がある。それはもはや哲学です」
ティムはそう言いながら、建国記の書物を棚から取り出した。
「さて、本日の研究対象はこちらです。『聖剣の奇跡』。建国期、窮地に陥ったサイラス様が、湖の精霊から聖剣を授かり、敵軍の指揮官を一刀両断し、劣勢を一気に覆したという伝説です」
「『湖の精霊から聖剣を授かった』、か」
フィリアンは笑いを堪えているように口元を押さえた。
ティムは感情を込めずに、淡々と質問する。
「師匠。サイラス様が湖畔にいたのは、何かの対人恐怖症を避けるためですか?それとも、周囲に気づかれずに洗濯をしたかったのですか?湖の精霊の正体は、実は湖畔で魚を獲っていたサイラス様の知り合いの極度の人見知りだった、とか?」
ティムは、自分の考察のパターン化に、もはや快感すら覚えているようだった。
フィリアンは立ち上がり、湖を眺めていた窓辺へと歩いた。
「ティム、今回、お前の予想は少し惜しい。人見知りや洗濯は関係ない。だが、釣りは関係ある」
「……釣り?」
「…本当に、『本当の理由』を聞きたいかね?今回は、壮大さよりも、その動機のセコさがお前の達観を試すことになるぞ」
ティムは肩をすくめた。
「構いません。どうせ、湖の精霊の正体は、サイラス様が釣りをしているのを誰もに見られたくなかったから、『精霊のふりをした本人』だった、とかですよね?」
フィリアンは楽しそうに首を振った。
「違う。精霊は関係ない。聖剣など、もっと関係ない。あれは、サイラスが自分で作った、ただの『巨大磁石つきの釣り竿』の話だ」
ティムは掃除の手を止め、固まった。
「釣り……竿……?」
フィリアンは語り始めた。サイラスは食べることが好きだったが、人がいる場所で魚を釣るのがひどく苦手だった(人見知り)。そのため、彼は遠くからでも一瞬で獲物を釣り上げられる、強力な磁力を帯びた専用の釣り竿を開発していた。
「問題は、磁力が強すぎたことだ。うっかり湖に竿を落としてしまったサイラスは、必死にそれを引き上げようとした。その時、たまたま湖の対岸で軍を率いていたのが、敵国の指揮官だった」
「釣り竿が、指揮官に?」
「ああ。指揮官は、当時、全身を分厚い鉄の鎧で固めていた。そして、サイラスの巨大磁石つきの釣り竿が、湖底から引き上げられる途中で、その指揮官の鎧を強力に引き寄せたのだ」
湖から現れた釣り竿は、まっすぐ敵指揮官に向かって飛び、彼の全身の鎧をバラバラに剥がし、湖へと引きずり込んだ。
「周りの兵士たちは、鎧が分解し、指揮官が湖に引き込まれていく様を見て、『サイラスは湖の精霊から授かった聖剣で、指揮官の命を奪った!』と誤認した。そして、その釣り竿の先端が水面でキラキラと光っていたから、『聖剣』ということにされたのだ」
「鎧を……剥がした……だけ……」
ティムは全身の力が抜けたように、掃除用具を落とした。
「まさか、建国の第一歩となる『聖剣伝説』が、単なる釣り竿の磁力暴走事故だったなんて。しかも、その動機は、誰にも見られずに魚を釣りたかったという、あまりにもセコい私情……」
ティムは唇を噛み締めた。
「私は考察します!しかし、これはサイラス様のコミュ障が、磁力という形をとって無意識に敵を排除した、戦略的防衛本能だったと……」
フィリアンは微笑んだ。その微笑みは、ティムの最後の足掻きを優しく見守る、長寿の諦念に満ちていた。
「ティム。サイラスがその時考えていたのは、『ああ、せっかく作った釣り竿が!』ということだけだ。そして、鎧が剥がれた指揮官が寒さで震えているのを見て、彼がひどく『気の毒な光景を見てしまった』と、羞恥心から湖畔から逃げ出した。それが、敵を打ち破った後の『静かなる退場』の真実だ」
ティムは、頭を抱えて唸った。
「……無理です。もはや、この伝説には高尚な意味など、ひとかけらも見出せません!」
フィリアンは頷いた。
「よろしい。聖剣も英雄も、所詮はセコい私情と強力な磁石のなせる業だ。だが、そのくだらない真実を知ってなお、お前はその伝説の『結果』を否定できんだろう? さあ、ティム。次は騎士団長の話だ。建国記の『鉄壁の規律』、あの騎士団長は対人恐怖症が原因で、『無言・非接触』という誤解された規律を生んだのだが、話を聞きたいかね?」