10年後の答え合わせ
ー/ー 駅ビルのイタリアンレストランは、昼下がりの気だるい光に満ちていた。
10年ぶりに再会した高木くんは、少しだけ肩幅が広くなり、左手の薬指には銀色の指輪が収まっていた。
「里香、変わらないな」
そう笑う彼の目尻には、当時の面影を残しながらも、相応の歳月が刻まれている。
「嘘。お互い様でしょ」
私は、彼がくれた白ワインを一口含んだ。喉を通る冷ややかな感触が、記憶の蓋をそっと押し開ける。
私たちは、あの頃間違いなく「両想い」だった。放課後の図書室、夕暮れの帰り道。言葉にしなくても伝わっていた熱量は、進学という距離に負けて、未遂のまま終わった。
話題は、共通の友人の近況から、自然と「もしも」の話へと流れていった。
「あの時、僕がちゃんと言っていれば、付き合ってたよね」
「そうね。私も待ってたよ。もし付き合ってたら、今頃どうなってたかな」
二人で笑い合う。家庭や仕事、住宅ローンといった現実の重石を一時的に忘れ、私たちは10年前の無垢な自分たちを演じていた。会話は弾み、まるで空白の時間がなかったかのように共鳴した。
だが、店を出て駅の改札へと向かうエスカレーター。背中合わせに流れる景色を見つめているうちに、魔法は解けていった。
ふと、私のスマートフォンが震える。画面には、夫がスーパーで買い出しをしている写真と「洗剤、これで合ってる?」という短いメッセージ。そこにあるのは、劇的ではないが、積み上げてきた確かな「生活」だった。
横を歩く高木くんもまた、無意識にスマートフォンの時計を確認していた。その指先には、奥さんとの生活や、子供の未来を背負った男の重みがあった。
私たちは駅の雑踏の中で立ち止まった。
「……楽しかったよ、高木くん」
「ああ。僕も」
彼の声は、先ほどまでの熱を失い、驚くほど冷静だった。
私たちは悟っていた。もしあの時付き合っていたとしても、結局は今の伴侶とは違う誰かと、同じような「生活」を営んでいたに過ぎない。今の幸せを投げ打ってまで、過去の幻影を追いかける情熱は、もう一滴も残っていない。
「二度と、会わない方がいいよね」
私が口にすると、彼は短く「そうだね」と頷いた。それは拒絶ではなく、今の生活を守るための、大人としての誠実な合意だった。
私たちは別々の改札へと向かった。振り返ることはなかった。
答え合わせは終わったのだ。あの恋は、未遂だったからこそ美しかった。そして私たちは、その美しさを汚さない程度には、今の日常に満足している。
二月の冷たい風に吹かれながら、私は家で待つ夫への返信を打ち込んだ。
『それ、詰め替え用だから気をつけて。夕飯、グラタンにするね』
もう、過去の幽霊に用はなかった。
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