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最終回

ー/ー



 膝を抱きこみ、すん、と鼻をすすりあげる。

 ずれた上着の隙間から覗き見えたサティアの目は真っ赤で、気丈にもこれ以上泣くまいと我慢しているのが分かり、その決意の痛々しさにそっと肩を抱き寄せた。

「俺もね、結構そのことでは悩んだよ。ガキんときは単純だから、剣をふるって化物と闘う姿に憧れたり、人に感謝されて大金がもらえるのを羨ましがったりもしたんだけど、いざ入宮して学んでみて、退魔師っていう職がそれほどいいことずくめじゃない、むしろ平時には人から敬遠されるものなんだって知ったときは、さすがにこたえた。

 これは、今までだれにも言ったことがないんだけど、やめてしまおうって思ったこともあるんだ。昔、相手が退魔師だと知った向こうの親に、結婚を猛烈に反対されてね。
 彼女も、毎日毎日俺が無事戻ってくるか考える不安な生活に堪えられる自信がないって……まあ、いろいろあって、結局別れるしかなかったんだけど。

 愛する人はだれより幸せにしてやりたいし、みんなからも祝福されたい。自分の幸せより他人の幸せをとるなんてばかげてる、退魔師はなにも俺1人じゃない。俺がやめたところでどうってことあるもんか。本気でそう思った。でも、やめられなかった。

 俺はこの国の生まれじゃないけど、ここに来て、この町が好きになったんだ。この町の人たちが好きだ。平凡な日常が大事だ。それを護る力が俺にあるっていうんなら、護りたいじゃないか。
 それに、これは俺だけじゃなくて、退魔師をしているみんなが負って、理解してるリスクだ。自分1人さっさと撤退して弱さを認めるなんて、シャクだろ?」

 おどけて言ったら、初めてサティアが笑顔を見せた。ひとまずほっとする。

「退魔師をやめられないから諦める……そういうのを繰り返すと、すっかり臆病になってね。負い目を自覚したら、自分からは動けなくなった。
 絶対幸せにしてやるなんて言えないし、充実した生活も保証できない。我慢させて、怖がらせて。苦労させるのも分かりきってる。

 身勝手だろう? リスクを承知で一番に想ってもらいたいくせに、その献身に報いてあげられないことはおろか、自分の一番にも絶対にしてあげられないんだ」

 愛すること・愛されることそのものを諦められたなら、楽なのは分かりきっていた。すべてを理解し、どんな障害も越えて自分を求めてくれる存在――この場合、それこそ希有というより、奇特だ。そんな人が現れることなどないと、期待しないでいられたら。

 けれど、そこまで人に失望してしまったら、退魔師ですらいられなくなる。

「だから、ソジュールも大分悩んだと思うよ。口にはしなかったけど。いつ死ぬかしれないし、多分、一番辛いときも一緒にいてやれない。
 そんな不安や不満を愛してる女性に与えることになること、考えないはずがないんだ」
「……彼女、言ってました。あの人は、だれよりも悲しみや苦しみを知っているから、安らぎも、人より多くしてあげたい。自分にそれができるのなら、こんなに嬉しいことはないって……。
 私も、そう思います」

 決してルチアを慰めるでなく、誇らしげに友人のことを語る腕の中の彼女に救われた気がして、うんとルチアは頷いた。

「ソジュールは本当にいい女性を見つけた。『退魔師』でなく、自分自身を認めてくれる相手だ。心を添わせて分かち合うことが幸せなんだと思ってくれる、救いとなる人を。
 だから、もし、きみも、満ち足りた生活保証とか、絶対幸せにしてあげるという約束とか、求めないで、そう思ってくれているなら――」

 俺の一番近くにいてほしい。そう囁いたときの彼女が見たくてそっと手の力を緩めたら、応じるようにサティアが顔を上げてきた。

 涙に濡れそぼったまつげに縁取られたきらきら輝く琥珀の瞳はうっとりするほど愛らしく、ルチアをひきつけ、言葉を奪う。

「剣師さま」

 熱っぽく潤んだ声で、彼女は呼んだ。

「ルチアでいいよ」
「……では、ルチアさま」
「ルチア」
「ルチア。あの……」
「なに?」

 サティアは思いを言葉にすることをためらうように目をそらした。不安げなその頬をそっとはさみこみ、正面を向かせる。その優しい、思いやり深い仕草に彼女もついに決意したのか、今度は打って変わって食い入るようにルチアを見上げ、そしてこう言ったのである。

「リロイさまも、そう思ってくださるでしょうか?」

 ――――――はあっ!?


◆◆◆


 翌日。東棟の庭では、これ以上ないほど上気した頬を両手ではさんで俯きっぱなしのサティアと、突然の告白に照れてあせりまくったリロイの姿があった。

 ああまったく、うらめやましいったらない。
 目を皿のようにつぶして階上から見下ろしているルチアに、くすくす笑って朱廻が近寄る。

「なに仏頂面してるんです。リロイさまは見つかりましたか?」
「いい。今日のあいつは留守番だ」

 気を損ねた子どものような口調で窓から離れるルチアに、おや? と首をかしげた朱廻も、ずっと彼が覗きこんでいた下を見て、ああと腑に落ちる。

「リロイはいいやつだ。思えば、彼女を前々から見ていたような口振りをしていたし。きっと2人はうまくいくんじゃないか」

 あーあ。

「祝いに魎鬼の首でも取ってきてやるかー」

 嬉しいような、寂しいような。ちょっとだけシャクのような。とにかく複雑な気分で伸びをするルチアに、

「それはいやがらせというんですよ」

 しっかりと朱廻かかわいげのないツッコミを入れてきた。
 途端、げっそりくる。

 こいつは、胸の内では全然思ってないくせに、口では何かと常識論をぶってくる。
 知りあって10年。今日ばかりははっきり言ってやろうかと口を開いた直後。つん、とズボンの端を後ろから引っ張られた。

 見ると、カナンである。

「お嬢さん、また脱走ですか?」
「違うわ。今は、休憩の時間よっ」

 ぷく、と頬をふくらませて、ルチアの決めつけを叱る。けれどもすぐにそんなことをしている時間はないといった様子で怒りを解くと、少女はすーっと胸いっぱいに空気を吸いこんだ。

「あのっ! あのね、ルチア! あたし決めたの!
 もう絶対お勉強さぼったりしないわ! ちゃんと教養のある、すてきなレディになるっ」
「それはそれは」

 その宣言をしに、部屋のある南館から一番遠いこの東棟までわざわざ自分を探して来たのだろうか。
 そう思うととても少女がいじらしくて、自然に笑みが浮かんだ。

「いい決意をされましたね」
「だから……だからね、だからルチア、落ち込まないで。
 大丈夫よ。あたし、大急ぎで大きくなるからっ!」

 額まで真っ赤になって、全身から言葉をほとばしらせる。
 一体何を言わんとしているのか。
 勢いに押されて退いたあと、もしやと疑ったときにはもう、カナンはくるりと踵を返して、来た道を走り出していた。
 自ら宣言したばかりだというのに、さっそく『廊下は走らない』を破っているところがかわいらしい。

「大急ぎでねえ……」

 どうにもきまりが悪くてため息をつく。
 あんなことを突然言い出すところをみて、もしかすると昨日のあの情けないやりとりをどこかで見られていたのかもしれない。

 6つの子どもに慰められるとは。なにやらむずがゆかったが、不思議と悪い気はしない。

「すぐですよ。もう5~6年もすれば、お美しい女性になられます」

 察しの良い朱廻が予見めいたことを口にする。
 その内容に、ルチアは渋い顔をした。

「5~6年? あの様子だと10年はかかるぞ」

 強気で反論しながらも、朱廻に向き直ろうとはしない。朝のまぶしい白光に照らされた廊下をぱたぱた走って行く少女の背を、目を細めて見送った。

 まるで光の中に溶け入ってゆくようなその姿に、ふと、金の髪をなびかせて走る美しい女性の幻を重ね見た気がして頭を振る。

「さあそろそろ私たちも行きましょう」

 うながされるまま、背を向けて。

「じゃあがんばって、10年生き残るか」

 ルチアは前へ踏み出した。






【魔断の剣6 傾く時のなかで 了】


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 ずれた上着の隙間から覗き見えたサティアの目は真っ赤で、気丈にもこれ以上泣くまいと我慢しているのが分かり、その決意の痛々しさにそっと肩を抱き寄せた。
「俺もね、結構そのことでは悩んだよ。ガキんときは単純だから、剣をふるって化物と闘う姿に憧れたり、人に感謝されて大金がもらえるのを羨ましがったりもしたんだけど、いざ入宮して学んでみて、退魔師っていう職がそれほどいいことずくめじゃない、むしろ平時には人から敬遠されるものなんだって知ったときは、さすがにこたえた。
 これは、今までだれにも言ったことがないんだけど、やめてしまおうって思ったこともあるんだ。昔、相手が退魔師だと知った向こうの親に、結婚を猛烈に反対されてね。
 彼女も、毎日毎日俺が無事戻ってくるか考える不安な生活に堪えられる自信がないって……まあ、いろいろあって、結局別れるしかなかったんだけど。
 愛する人はだれより幸せにしてやりたいし、みんなからも祝福されたい。自分の幸せより他人の幸せをとるなんてばかげてる、退魔師はなにも俺1人じゃない。俺がやめたところでどうってことあるもんか。本気でそう思った。でも、やめられなかった。
 俺はこの国の生まれじゃないけど、ここに来て、この町が好きになったんだ。この町の人たちが好きだ。平凡な日常が大事だ。それを護る力が俺にあるっていうんなら、護りたいじゃないか。
 それに、これは俺だけじゃなくて、退魔師をしているみんなが負って、理解してるリスクだ。自分1人さっさと撤退して弱さを認めるなんて、シャクだろ?」
 おどけて言ったら、初めてサティアが笑顔を見せた。ひとまずほっとする。
「退魔師をやめられないから諦める……そういうのを繰り返すと、すっかり臆病になってね。負い目を自覚したら、自分からは動けなくなった。
 絶対幸せにしてやるなんて言えないし、充実した生活も保証できない。我慢させて、怖がらせて。苦労させるのも分かりきってる。
 身勝手だろう? リスクを承知で一番に想ってもらいたいくせに、その献身に報いてあげられないことはおろか、自分の一番にも絶対にしてあげられないんだ」
 愛すること・愛されることそのものを諦められたなら、楽なのは分かりきっていた。すべてを理解し、どんな障害も越えて自分を求めてくれる存在――この場合、それこそ希有というより、奇特だ。そんな人が現れることなどないと、期待しないでいられたら。
 けれど、そこまで人に失望してしまったら、退魔師ですらいられなくなる。
「だから、ソジュールも大分悩んだと思うよ。口にはしなかったけど。いつ死ぬかしれないし、多分、一番辛いときも一緒にいてやれない。
 そんな不安や不満を愛してる女性に与えることになること、考えないはずがないんだ」
「……彼女、言ってました。あの人は、だれよりも悲しみや苦しみを知っているから、安らぎも、人より多くしてあげたい。自分にそれができるのなら、こんなに嬉しいことはないって……。
 私も、そう思います」
 決してルチアを慰めるでなく、誇らしげに友人のことを語る腕の中の彼女に救われた気がして、うんとルチアは頷いた。
「ソジュールは本当にいい女性を見つけた。『退魔師』でなく、自分自身を認めてくれる相手だ。心を添わせて分かち合うことが幸せなんだと思ってくれる、救いとなる人を。
 だから、もし、きみも、満ち足りた生活保証とか、絶対幸せにしてあげるという約束とか、求めないで、そう思ってくれているなら――」
 俺の一番近くにいてほしい。そう囁いたときの彼女が見たくてそっと手の力を緩めたら、応じるようにサティアが顔を上げてきた。
 涙に濡れそぼったまつげに縁取られたきらきら輝く琥珀の瞳はうっとりするほど愛らしく、ルチアをひきつけ、言葉を奪う。
「剣師さま」
 熱っぽく潤んだ声で、彼女は呼んだ。
「ルチアでいいよ」
「……では、ルチアさま」
「ルチア」
「ルチア。あの……」
「なに?」
 サティアは思いを言葉にすることをためらうように目をそらした。不安げなその頬をそっとはさみこみ、正面を向かせる。その優しい、思いやり深い仕草に彼女もついに決意したのか、今度は打って変わって食い入るようにルチアを見上げ、そしてこう言ったのである。
「リロイさまも、そう思ってくださるでしょうか?」
 ――――――はあっ!?
◆◆◆
 翌日。東棟の庭では、これ以上ないほど上気した頬を両手ではさんで俯きっぱなしのサティアと、突然の告白に照れてあせりまくったリロイの姿があった。
 ああまったく、うらめやましいったらない。
 目を皿のようにつぶして階上から見下ろしているルチアに、くすくす笑って朱廻が近寄る。
「なに仏頂面してるんです。リロイさまは見つかりましたか?」
「いい。今日のあいつは留守番だ」
 気を損ねた子どものような口調で窓から離れるルチアに、おや? と首をかしげた朱廻も、ずっと彼が覗きこんでいた下を見て、ああと腑に落ちる。
「リロイはいいやつだ。思えば、彼女を前々から見ていたような口振りをしていたし。きっと2人はうまくいくんじゃないか」
 あーあ。
「祝いに魎鬼の首でも取ってきてやるかー」
 嬉しいような、寂しいような。ちょっとだけシャクのような。とにかく複雑な気分で伸びをするルチアに、
「それはいやがらせというんですよ」
 しっかりと朱廻かかわいげのないツッコミを入れてきた。
 途端、げっそりくる。
 こいつは、胸の内では全然思ってないくせに、口では何かと常識論をぶってくる。
 知りあって10年。今日ばかりははっきり言ってやろうかと口を開いた直後。つん、とズボンの端を後ろから引っ張られた。
 見ると、カナンである。
「お嬢さん、また脱走ですか?」
「違うわ。今は、休憩の時間よっ」
 ぷく、と頬をふくらませて、ルチアの決めつけを叱る。けれどもすぐにそんなことをしている時間はないといった様子で怒りを解くと、少女はすーっと胸いっぱいに空気を吸いこんだ。
「あのっ! あのね、ルチア! あたし決めたの!
 もう絶対お勉強さぼったりしないわ! ちゃんと教養のある、すてきなレディになるっ」
「それはそれは」
 その宣言をしに、部屋のある南館から一番遠いこの東棟までわざわざ自分を探して来たのだろうか。
 そう思うととても少女がいじらしくて、自然に笑みが浮かんだ。
「いい決意をされましたね」
「だから……だからね、だからルチア、落ち込まないで。
 大丈夫よ。あたし、大急ぎで大きくなるからっ!」
 額まで真っ赤になって、全身から言葉をほとばしらせる。
 一体何を言わんとしているのか。
 勢いに押されて退いたあと、もしやと疑ったときにはもう、カナンはくるりと踵を返して、来た道を走り出していた。
 自ら宣言したばかりだというのに、さっそく『廊下は走らない』を破っているところがかわいらしい。
「大急ぎでねえ……」
 どうにもきまりが悪くてため息をつく。
 あんなことを突然言い出すところをみて、もしかすると昨日のあの情けないやりとりをどこかで見られていたのかもしれない。
 6つの子どもに慰められるとは。なにやらむずがゆかったが、不思議と悪い気はしない。
「すぐですよ。もう5~6年もすれば、お美しい女性になられます」
 察しの良い朱廻が予見めいたことを口にする。
 その内容に、ルチアは渋い顔をした。
「5~6年? あの様子だと10年はかかるぞ」
 強気で反論しながらも、朱廻に向き直ろうとはしない。朝のまぶしい白光に照らされた廊下をぱたぱた走って行く少女の背を、目を細めて見送った。
 まるで光の中に溶け入ってゆくようなその姿に、ふと、金の髪をなびかせて走る美しい女性の幻を重ね見た気がして頭を振る。
「さあそろそろ私たちも行きましょう」
 うながされるまま、背を向けて。
「じゃあがんばって、10年生き残るか」
 ルチアは前へ踏み出した。
【魔断の剣6 傾く時のなかで 了】