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第1話 「まずくはない」の日

ー/ー



 俺は今。

 台所で、大根と向かい合っている。

 「片手鍋じゃ、小さぇか……」

 シンクの上の収納から、カレーやシチューを作る時に使う、大きめの鍋を取り出し、コンロの上に置く。

 家にある材料と調味料をAIに打ち込んで、良さそうなレシピをいくつか列挙してもらう。

 「ま、汁物の方がいいかな。」

 冷凍庫から、豚こま肉を取り出し、レンジの中へ。

 その間に、大根1本の皮を剥き、1センチよりも少し短いくらいのいちょう切りにして、片手鍋に水と一緒に放り込む。

 アクを出す為の米粒を、少し手鍋へ足して、その間にまな板で大きめの玉ねぎを刻む。

 玉ねぎは小さめの網に移し、今度は肉。

 レンジで解凍を終えた豚こま肉は300g程度。

 真ん中辺りを一度横に切り、縦に3等分。

 そのまま肉を大鍋へと入れる。

 隣では、大根が少しずつ、ぐつぐつと言い始めた。

 大鍋に火を着ける。

 強火だと焦げてしまうので、肉をほぐしながら、菜箸で丁寧にひっくり返す。

 その間にも、大根の色が透けてきつつある。

 アクをとる。

 肉を炒める。

 その作業を同時並行で、数度繰り返す。

 竹串で、大根の火の通りを確認し、大きめのザルへと中身をあける。

 「んじゃ、君たちも投入と行きますか」

 大鍋に玉ねぎと、水を落とした大根を投入し、少しの間炒め、計量カップで計った2.5リットルの水を足してゆく。

 少し時間をおいてからの、粉末のだし調味料の追加。

 軽く中身をお玉で混ぜ回す。  

 その間に俺は、マグカップにインスタントコーヒーと砂糖を入れて、電気ポットでお湯を注ぎ、鍋を見ながらカップをすする。

 じわっと鍋の端に、あぶくが生まれだす。

 火を弱めた俺は、冷蔵庫から味噌のパックを取り出し、お玉の半分くらい、豪快にすくい取って、小さめの泡だて器で、鍋の中に少しずつ味噌を溶かし込んでゆく。

「……ちいっと、薄いな」

 お玉の半分くらいを再度すくい取って、鍋の中でちまちまと溶かしてゆく。

「……よし。濃い目!」

 煮立たせないように火加減を見ながら、冷蔵庫から絹ごし豆腐を2丁取り出し、手の平の上で、大きめに切って鍋へ。

 冷凍庫から、刻んであるほうれん草も取り出して投入。

 沸騰させないくらいの温度まで到達した大鍋。

 最後に、醤油を一回し入れて、ごま油も軽く。

 火を止めた俺は、台所から居間へと移動し、妻に声をかける。

 「お〜い、出来た……」

 妻は、こたつに足を突っ込んで、倒した座椅子の上、気持ちよさそうな表情で、いつの間にか寝入っている。

 「マジか……」

 ここ数日のオリンピック中継。

 大体が、日本時間の朝方にライブ放送。

 「…………」

 俺は台所に戻って、米を洗い、炊飯器のスイッチを押す。

 妻は、脳梗塞を患ってから、少し身体が動かしづらい。

 それまでの俺は、妻の作る食事を、まるで魔法かのように堪能していた。

 よく俺の好みを理解していて、ピンポイントでその味を出せるものだといつも感心し、感謝していた。

 それは突然だった。

 身体の痺れを訴えた妻を、病院へ連れて行った日から。

 その日から、俺たちの食卓から、妻の手をかけた料理は消えたまま。

 俺はそんな事を思い出しながら、炊けたご飯を台所でよそい、豚汁風の汁物と一緒にこたつへと移り、1人で黙々と、テレビをぼうっと見ながら夕食をとる。

 俺の横では、肉の匂いがわかるのか、目だけは汁の椀から一時も目を離さず、お座りをしているトイ・プードルが鎮座している。

 「……あげないよ?玉ねぎ入ってるし。あなたは食べましたよ?カリカリ」

 飼い犬は、俺の横で首をかしげている。

 仕方なく、台所にあるおやつボックスから、いちご風味のハミガキガムを1本取り出し、ワンコの前に置いた。

 「……こっちは絶対ダメよ!」

 俺は、物欲しそうに汁椀を見つめるワンコの視線を振り切るように、慌てて食事を済ませ、台所で洗い物を手早く済ませる。

 居間に戻るが、妻はまだ夢の中。

 いつの間にかハミガキガムを食べ終わっていたワンコを抱いて、妻の対面側の座椅子に座り、ワンコの身体をゆっくり撫でる。

 別に興味もないテレビ番組を、視界に収めてただ時が経つのを待つ。

 「…………」

 「……まったく」

 モゾモゾと動き出した妻の様子を目の前で見ながら、俺は苦笑混じりに声をかける。

 立ち上がった妻は、そのままトイレに向かった様子だが、出てきた後も居間には戻って来ない。

 (カチッ。ボッ……)

 コンロに火のついた音だけが響く。

 しばらくすると、汁椀と箸を持った妻が、居間へと戻って来た。

 黙ってテレビを見ながら、汁をゆっくりと味わう妻。

 俺は黙って台所へと向かい、マグカップにお茶のティーバッグを入れて、お湯を注ぎ込んで妻の目の前へと置いた。

 入れ替わりに台所へと向かった妻は、再び汁椀を持って居間に戻って来た。

 テレビの音声だけが聞こえる、居間。

「……そのまま、置いとけよ。俺、持ってくから」

 妻の食べ終えた食器類を両手に持ち、台所に向かった俺は、冷蔵庫からスーパーで買っておいた、2枚の板チョコをシンクの横へと出して、洗い物を淡々と済ます。

 「……ほれ。甘い方がいいのか、ビターがいいか、選びな。」

 居間に戻った俺は、こたつの上に板チョコを、何でもない振りをしてそっと置く。

 「さっきのあれ。豚汁なのに、人参とか里芋とか入ってなかったね?」

 急に妻に聞かれた。

 「……人参、嫌いだろ?それに、特別なもん用意したら、それはそれで文句言うべ?」

 思わず少し、ふてくさり気味に答えてしまう。

 妻の身体の不調は、その舌にも影響が出ていた。

 味覚障害。

 毎年、外食したり、少しだけ高めの牛肉を使ってのお祝い。

 それらが全て出来なくなった。

 生クリーム。醤油。その他にも色々。

 本人曰く、粘土を食べているかのようだと言う。

 粘土を食べた事が無い俺は、あくまで想像するしかないのだが、それまで美味しかったと感じられた物との断絶とは……

 「で、どうだった?汁は」

 「ん」

 「んじゃ、わかんないから。食べれた?まずくなかった?」

 「まずくは……ない」

 「次も作ったら、食べれるの?まあ、有り物で作った物だけどさ。」

 「ん」

 「……わかった。有り寄りの有りな。おチビには夕ご飯あげてあるから。それとチョコ。もう冷たくないと思うから、好きに食べな。しょっぱい物の後は、どうせ甘い物だろ?」

 「ん」

 「……他に食いたいもんあったら言えよ?俺のセンスは壊滅的だから。コンビニくらいなら行くし」

 「……いらない。……食べたから。」

 「……そっか。……んで、どっちのチョコ食う?」

 「……赤い箱」

 「おう。なら、黒は俺もらうな?」

 「自分が食べたいんじゃん!」

 「バレた?」

 こうして、バレンタインデーという、世の中のイベントの日。

 俺たちにとっての結婚記念日は幕を降ろす。

 明日と、そう変わらない今日。

 でも、俺にとって、年に一度の特別な日。

 台所には、銀紙を剥ぐような音が小さく聞こえていた。



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 俺は今。
 台所で、大根と向かい合っている。
 「片手鍋じゃ、小さぇか……」
 シンクの上の収納から、カレーやシチューを作る時に使う、大きめの鍋を取り出し、コンロの上に置く。
 家にある材料と調味料をAIに打ち込んで、良さそうなレシピをいくつか列挙してもらう。
 「ま、汁物の方がいいかな。」
 冷凍庫から、豚こま肉を取り出し、レンジの中へ。
 その間に、大根1本の皮を剥き、1センチよりも少し短いくらいのいちょう切りにして、片手鍋に水と一緒に放り込む。
 アクを出す為の米粒を、少し手鍋へ足して、その間にまな板で大きめの玉ねぎを刻む。
 玉ねぎは小さめの網に移し、今度は肉。
 レンジで解凍を終えた豚こま肉は300g程度。
 真ん中辺りを一度横に切り、縦に3等分。
 そのまま肉を大鍋へと入れる。
 隣では、大根が少しずつ、ぐつぐつと言い始めた。
 大鍋に火を着ける。
 強火だと焦げてしまうので、肉をほぐしながら、菜箸で丁寧にひっくり返す。
 その間にも、大根の色が透けてきつつある。
 アクをとる。
 肉を炒める。
 その作業を同時並行で、数度繰り返す。
 竹串で、大根の火の通りを確認し、大きめのザルへと中身をあける。
 「んじゃ、君たちも投入と行きますか」
 大鍋に玉ねぎと、水を落とした大根を投入し、少しの間炒め、計量カップで計った2.5リットルの水を足してゆく。
 少し時間をおいてからの、粉末のだし調味料の追加。
 軽く中身をお玉で混ぜ回す。  
 その間に俺は、マグカップにインスタントコーヒーと砂糖を入れて、電気ポットでお湯を注ぎ、鍋を見ながらカップをすする。
 じわっと鍋の端に、あぶくが生まれだす。
 火を弱めた俺は、冷蔵庫から味噌のパックを取り出し、お玉の半分くらい、豪快にすくい取って、小さめの泡だて器で、鍋の中に少しずつ味噌を溶かし込んでゆく。
「……ちいっと、薄いな」
 お玉の半分くらいを再度すくい取って、鍋の中でちまちまと溶かしてゆく。
「……よし。濃い目!」
 煮立たせないように火加減を見ながら、冷蔵庫から絹ごし豆腐を2丁取り出し、手の平の上で、大きめに切って鍋へ。
 冷凍庫から、刻んであるほうれん草も取り出して投入。
 沸騰させないくらいの温度まで到達した大鍋。
 最後に、醤油を一回し入れて、ごま油も軽く。
 火を止めた俺は、台所から居間へと移動し、妻に声をかける。
 「お〜い、出来た……」
 妻は、こたつに足を突っ込んで、倒した座椅子の上、気持ちよさそうな表情で、いつの間にか寝入っている。
 「マジか……」
 ここ数日のオリンピック中継。
 大体が、日本時間の朝方にライブ放送。
 「…………」
 俺は台所に戻って、米を洗い、炊飯器のスイッチを押す。
 妻は、脳梗塞を患ってから、少し身体が動かしづらい。
 それまでの俺は、妻の作る食事を、まるで魔法かのように堪能していた。
 よく俺の好みを理解していて、ピンポイントでその味を出せるものだといつも感心し、感謝していた。
 それは突然だった。
 身体の痺れを訴えた妻を、病院へ連れて行った日から。
 その日から、俺たちの食卓から、妻の手をかけた料理は消えたまま。
 俺はそんな事を思い出しながら、炊けたご飯を台所でよそい、豚汁風の汁物と一緒にこたつへと移り、1人で黙々と、テレビをぼうっと見ながら夕食をとる。
 俺の横では、肉の匂いがわかるのか、目だけは汁の椀から一時も目を離さず、お座りをしているトイ・プードルが鎮座している。
 「……あげないよ?玉ねぎ入ってるし。あなたは食べましたよ?カリカリ」
 飼い犬は、俺の横で首をかしげている。
 仕方なく、台所にあるおやつボックスから、いちご風味のハミガキガムを1本取り出し、ワンコの前に置いた。
 「……こっちは絶対ダメよ!」
 俺は、物欲しそうに汁椀を見つめるワンコの視線を振り切るように、慌てて食事を済ませ、台所で洗い物を手早く済ませる。
 居間に戻るが、妻はまだ夢の中。
 いつの間にかハミガキガムを食べ終わっていたワンコを抱いて、妻の対面側の座椅子に座り、ワンコの身体をゆっくり撫でる。
 別に興味もないテレビ番組を、視界に収めてただ時が経つのを待つ。
 「…………」
 「……まったく」
 モゾモゾと動き出した妻の様子を目の前で見ながら、俺は苦笑混じりに声をかける。
 立ち上がった妻は、そのままトイレに向かった様子だが、出てきた後も居間には戻って来ない。
 (カチッ。ボッ……)
 コンロに火のついた音だけが響く。
 しばらくすると、汁椀と箸を持った妻が、居間へと戻って来た。
 黙ってテレビを見ながら、汁をゆっくりと味わう妻。
 俺は黙って台所へと向かい、マグカップにお茶のティーバッグを入れて、お湯を注ぎ込んで妻の目の前へと置いた。
 入れ替わりに台所へと向かった妻は、再び汁椀を持って居間に戻って来た。
 テレビの音声だけが聞こえる、居間。
「……そのまま、置いとけよ。俺、持ってくから」
 妻の食べ終えた食器類を両手に持ち、台所に向かった俺は、冷蔵庫からスーパーで買っておいた、2枚の板チョコをシンクの横へと出して、洗い物を淡々と済ます。
 「……ほれ。甘い方がいいのか、ビターがいいか、選びな。」
 居間に戻った俺は、こたつの上に板チョコを、何でもない振りをしてそっと置く。
 「さっきのあれ。豚汁なのに、人参とか里芋とか入ってなかったね?」
 急に妻に聞かれた。
 「……人参、嫌いだろ?それに、特別なもん用意したら、それはそれで文句言うべ?」
 思わず少し、ふてくさり気味に答えてしまう。
 妻の身体の不調は、その舌にも影響が出ていた。
 味覚障害。
 毎年、外食したり、少しだけ高めの牛肉を使ってのお祝い。
 それらが全て出来なくなった。
 生クリーム。醤油。その他にも色々。
 本人曰く、粘土を食べているかのようだと言う。
 粘土を食べた事が無い俺は、あくまで想像するしかないのだが、それまで美味しかったと感じられた物との断絶とは……
 「で、どうだった?汁は」
 「ん」
 「んじゃ、わかんないから。食べれた?まずくなかった?」
 「まずくは……ない」
 「次も作ったら、食べれるの?まあ、有り物で作った物だけどさ。」
 「ん」
 「……わかった。有り寄りの有りな。おチビには夕ご飯あげてあるから。それとチョコ。もう冷たくないと思うから、好きに食べな。しょっぱい物の後は、どうせ甘い物だろ?」
 「ん」
 「……他に食いたいもんあったら言えよ?俺のセンスは壊滅的だから。コンビニくらいなら行くし」
 「……いらない。……食べたから。」
 「……そっか。……んで、どっちのチョコ食う?」
 「……赤い箱」
 「おう。なら、黒は俺もらうな?」
 「自分が食べたいんじゃん!」
 「バレた?」
 こうして、バレンタインデーという、世の中のイベントの日。
 俺たちにとっての結婚記念日は幕を降ろす。
 明日と、そう変わらない今日。
 でも、俺にとって、年に一度の特別な日。
 台所には、銀紙を剥ぐような音が小さく聞こえていた。