家族の存在
ー/ー
「フゥゥ…………」
古い本と木の香りが混ざった独特の空気の中、ようやく緊張を解くことができた。
元々はあった埃の匂いは、今やすっかり消え去っている。そう、ここはオレがこの館で目覚めた部屋だ。
ひとまずオレの置かれた状況とその深刻さを教えてくれたルミィナは、ルカと話がしたいと言ってオレを退室させた。適当に時間を潰せとしか指示されなかったオレは、館内を散策すると迷うという直感を蔑ろにすることなく、こうして何とか自室(?)に戻ってきたというわけだ。
「………………はあ」
部屋に置かれた机(元々なかったはずなのに、部屋に戻ると何故か置かれていた)には、クリスタル製のティーカップがある。それに注がれたものを見つめて、思わずため息が漏れた。
赤々とした液体。芳醇な香りが鼻腔を魅惑的にくすぐり、誘惑してくるこれが何なのか。考えずとも、この身の宿す本能が嫌でも教えてくれる。
「いらないっていうのにな」
無理やり持たされたもの。所在なく持っているのもクラクラするから、とにかくあそこに置いている。だけどいやらしいことに、わざわざ透明なカップに注がれているせいで、ついついチラチラと視界に赤が入ってくる。
あれに触れた空気が、わざわざオレの鼻に集まって、脳まで赤く蕩かすようで……………。
「っ!」
積まれた本で蓋をする。そのまま箱みたいにして、本で囲い込んで視界からも閉め出した。
「……………………」
頭の中は、これからのことでいっぱいだ。
一体自分はどうなるのか。話を聞く限り、最悪の場合はここで監禁生活だってあり得る。それは嫌だ。しかし、嫌だと言っても、いきなり外に放られたらそれはそれで何もできない。
取り止めの無い思考が渦を巻く。
ルカたちの会話の内容も気になる。きっとオレの処遇や今後について話し合っているんだろう。
ただ、だからと言ってオレにできることはやはり何ひとつなかった。
悶々とした時間をただ過ごしても無駄だ。とりあえずここには欠けている知識を埋めてくれそうな本で溢れているし、さっきルミィナから叩き込まれた情報の復習だってした方がいい。呼び出されるまでの時間の潰し方は、一応は見つかったようだった。
-------------------------------------------------------
「なるほど? つまり魔法なのか魔術なのかは、その魔力が何に由来するかで決まるってことか。宗教って面倒なもんだな」
適当に手に取った、やたらに仰々しい装丁の本は、魔法とクリシエ教について簡単にその関係性を解説するものだった。
まず、魔法とは望む事象を引き起こす奇跡のことだとされ、その奇跡には代償として魔力が必要になる。これが大前提とされており、この魔法の定義を『広義の魔法』と呼ぶらしい。で、そんな奇跡を起こすために必要となる魔力の種類によって、クリシエ教はさらに『魔法』と『魔術』の2種類へと分けているらしいのだ。
クリシエ教では魔力を、『神々が人類に対し、魔物への対抗手段として魔法の使用を認め、そのために分け与えた力』なのだとしているらしい。
この、『神に分け与えられた魔力によって奇跡を成すもの』を『魔法』とし(本では『狭義の魔法』とも記されている)、それ以外の"神に由来しない力"によって行われる奇跡を魔術としている。何だか魔術を外法だの邪法だのと忌み、禁忌とみなしているらしかった。
つまり、こうなる。
広義の魔法 = 狭義の魔法 + 魔術
狭義の魔法 = 神に由来する、宗教的に“正しい”魔法
魔術 = 狭義の魔法以外の全て
要するに宗教上の都合、というヤツだ。神に選ばれた自分たち以外にも魔法を使う者がいることを説明するためのものだと思う。
他にも魔法や魔術の定義の変遷やそのキッカケとなった事件や騒動、論争などについてもいろいろ記載されていたが、知らない人間の名前や用語、地名などが大量に出てきて頭が受け付けなかった。まあ、オレにはどうでもいい情報なので、後から学び直すつもりもない。
「本選びを間違えた。使えもしない魔法の話なんて見てもしょうがない……もっと吸血鬼についての本は……」
何冊目かも分からない本を閉じ、適当な場所に積む。
兎にも角にも自分のことを知る必要があるのだ。今は魔法だの社会だの国だのではない。
求めているのは吸血鬼についての情報だった。
ざっと見回すと、『魔物という瑕疵』という緑の重厚な本が目にとまった。
自分のことを知るために魔物の本に期待することに、なんだかとてもウンザリとした抵抗を感じつつも、適当なページを開く。
「魔物図鑑って感じか……『血の群体』……『肉の霧魔』……『縋る嘆き』…………どれも物騒だけど、吸血鬼の項目はないな…………って、これシリーズものか」
よく見ると、『魔物という瑕疵』に『参 ~堕ちた精霊編~』とある。精霊が何で、堕ちたとは何なのかはさっぱり分からないが、他のなんとか編に、それこそ真祖編なんてないか調べてみた方がいいかもしれない。
「真祖、か…………」
ふと、ルカの顔が浮かんだ。
冷静になってみると、さっきまでのオレでは思い至れなかったことにまで考えが及ぶ。
ルカはオレに寄り添ってくれていた。それは不器用だったかもしれないけど、それでも彼女にとっての精一杯で不安を和らげようとしてくれていたと思う。
オレは……情けないことに、それに縋りついていただけだった。
だけど、ルカこそが最大の被害者でもあることは間違いないのだ。オレはあんな狼狽えているんじゃなくて、救ってくれた恩人にこそ支えとなると示すべきだったはずなのだ。
だって生まれた瞬間から、彼女は孤独だったのだから。
親もなく、いつの間にか誕生し、その瞬間から世界に疎まれていたなんて————
「————ん、……あ、レ?」
そこまで考えて、ソレに思考が、及ぶ。
「おや……って、親……家族……………………、ッ!」
ようやく、本当にようやく気づく。
「親! オレは真祖じゃない! じゃあ、じゃあ絶対に親がいるッ! 家族が!!」
そう、オレは人間だった!
なら当然、オレという存在自体が、両親という存在を証明している!
「なんで気づかなかったんだ、バカ!」
罵倒しながら、その実なんとなく理解していた。
オレに親がいた。それはいい。
なら、その親はどこにいるのか————
「…………………………………………死んで……るよ……ぜったい」
当然、当たり前にこういうことになる。
あの村で生きていたオレの親なら、当たり前に同じ村で生きていただろう。
なら、あの村で死んでいたオレの親は、当たり前に同じ村で——そう、なっている。
当たり前だ。あまりに、当たり前。
取り返しはつかない、当然の帰結。
もう、どうにもならない起きた事。
「……………………」
心に罪が広がっていく。
なんで考えなかったか、答えは出ていた。
考えたくなかった。
盗賊以外に生きてる人間のいなかったあの場所。
知らない人たちの、かつてあたたかかったはずのカラダ。
あの中に————いた……のだろうか……。
死んででも忘れてはならなかった、大切な人。
踏み躙られ、何に代えても助けたかったはずの命。
どれだった?
あの、オレが踏んだアレが、お母さん?
それとも、開かれていたのが、お父さん?
「っ、違う……! 違う違うちがうソレはチガウ! アレじゃない……チガウチガウチガウチガウチガウ…………ッッッ!!!!」
頭の中、楽しげに列挙してくる思考を塗りつぶす。
声で塗りつぶそうとしても、
頭を両手で掴み、いっそ潰れてしまえと力を込めても、
ソレでもその声は止まらなかった。
望んでもないのに、目覚めた瞬間を思い出す。
右手を握っていたのは……だれ?
————本当に?
アレは……だれ、だ?
家族じゃない。
だって、オレと変わらないくらいの死体だった。
——————ほんとうに?
本当だ!
アレは家族じゃない!
男だったと思う、いや男だった!
ならアレが父親だって?! あり得ない!
親なんて年齢じゃないのだけは、絶対に間違いなかった!
だから、アレは関係ない……家族じゃない……………………!!
————————ホんとうニ?
頭の中、知らない自分が、のこった可能性を無理やり見せようと破顔う。
そして、決定的なことを——言った。
家族ッテ、親ダケダッタッケ?
「————————————————エ……?」
もう、聞こえない。
さっきまでの声は消えている。
けど、遅かった。もうきいた。聞こえてしまった。
「きょう……だい?」
きょうだいって、……なんだよ?
目覚めた時点で手を握っていたなら、それはきっと死の間際でも握り続けていたからだ。
……なんで?
だって、それじゃ逃げられない。
手なんて握ってたら、腕を振れない。
じゃあ、なんで握る?
「手を引いてた、んだ……」
手を引いていた。
引っ張っていた。
すぐ近くまで死が迫っているのに、いや、殺されるときにすら離さなかった。
それは、尋常じゃない絆だ。
それこそ、家族のソレでもないと説明が————
「ぁ……」
オレは、その手をどうしたっけ?
起き上がるとき、手から引き剥がしたんだ。無意識に。邪魔だったから。
煩わしいと。穢らわしいと。ゴミのように放って、その記憶すらゴミにした。
オレは、家族をゴミにしたんだ————————
「ぁ、ぁあアああア違ァぁあうチガウ違うチガウふざけるなぁああああぁぁああああっッ!?!?!?!?」
吹き飛んだ。
重厚な本の群れが、砂利のように部屋にばら撒かれる。
そこに刻まれた跡を見ても、オレはしばらく自分の爪に気づかなかった。
脳が、すりつぶされそうだった。
「ハぁ、はァ、……ぅ、ッッハァあぁぁ……ぁ、ぁ………………」
紅に染まりそうな思考を、ただ一つの理性が押しとどめる。
「ぃ、行かないと……探さないと……あんなところに…………」
置いていけない。
あんな、死の場所に。
あんな、命を冒涜する場所に。
「放置、なんて……ぜったいしちゃ、ダメだ」
再会しよう。
そして確かめよう。
オレが愛した人たちを。
オレを愛してくれた人を。
扉に向かう。
身体は熱にうかされたようなのに、使命感だけは背中を押す。
そうして重くて軽い悪夢の中みたいな足取りで数歩歩くと、扉はひとりでに開いた。
顔を上げる。
視界が変わる。
————目の前には、赤い女が立っていた。
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元々はあった埃の匂いは、今やすっかり消え去っている。そう、ここはオレがこの館で目覚めた部屋だ。
ひとまずオレの置かれた状況とその深刻さを教えてくれたルミィナは、ルカと話がしたいと言ってオレを退室させた。適当に時間を潰せとしか指示されなかったオレは、館内を散策すると迷うという直感を蔑ろにすることなく、こうして何とか自室(?)に戻ってきたというわけだ。
「………………はあ」
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赤々とした液体。芳醇な香りが鼻腔を魅惑的にくすぐり、誘惑してくるこれが何なのか。考えずとも、この身の宿す本能が嫌でも教えてくれる。
「いらないっていうのにな」
無理やり持たされたもの。所在なく持っているのもクラクラするから、とにかくあそこに置いている。だけどいやらしいことに、わざわざ透明なカップに注がれているせいで、ついついチラチラと視界に赤が入ってくる。
あれに触れた空気が、わざわざオレの鼻に集まって、脳まで赤く蕩かすようで……………。
「っ!」
積まれた本で蓋をする。そのまま箱みたいにして、本で囲い込んで視界からも閉め出した。
「……………………」
頭の中は、これからのことでいっぱいだ。
一体自分はどうなるのか。話を聞く限り、最悪の場合はここで監禁生活だってあり得る。それは嫌だ。しかし、嫌だと言っても、いきなり外に放られたらそれはそれで何もできない。
取り止めの無い思考が渦を巻く。
ルカたちの会話の内容も気になる。きっとオレの処遇や今後について話し合っているんだろう。
ただ、だからと言ってオレにできることはやはり何ひとつなかった。
悶々とした時間をただ過ごしても無駄だ。とりあえずここには欠けている知識を埋めてくれそうな本で溢れているし、さっきルミィナから叩き込まれた情報の復習だってした方がいい。呼び出されるまでの時間の潰し方は、一応は見つかったようだった。
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「なるほど? つまり魔法なのか魔術なのかは、その魔力が何に由来するかで決まるってことか。宗教って面倒なもんだな」
適当に手に取った、やたらに仰々しい装丁の本は、魔法とクリシエ教について簡単にその関係性を解説するものだった。
まず、魔法とは望む事象を引き起こす奇跡のことだとされ、その奇跡には代償として魔力が必要になる。これが大前提とされており、この魔法の定義を『広義の魔法』と呼ぶらしい。で、そんな奇跡を起こすために必要となる魔力の種類によって、クリシエ教はさらに『魔法』と『魔術』の2種類へと分けているらしいのだ。
クリシエ教では魔力を、『神々が人類に対し、魔物への対抗手段として魔法の使用を認め、そのために分け与えた力』なのだとしているらしい。
この、『神に分け与えられた魔力によって奇跡を成すもの』を『魔法』とし(本では『狭義の魔法』とも記されている)、それ以外の"神に由来しない力"によって行われる奇跡を魔術としている。何だか魔術を外法だの邪法だのと忌み、禁忌とみなしているらしかった。
つまり、こうなる。
広義の魔法 = 狭義の魔法 + 魔術
狭義の魔法 = 神に由来する、宗教的に“正しい”魔法
魔術 = 狭義の魔法以外の全て
要するに宗教上の都合、というヤツだ。神に選ばれた自分たち以外にも魔法を使う者がいることを説明するためのものだと思う。
他にも魔法や魔術の定義の変遷やそのキッカケとなった事件や騒動、論争などについてもいろいろ記載されていたが、知らない人間の名前や用語、地名などが大量に出てきて頭が受け付けなかった。まあ、オレにはどうでもいい情報なので、後から学び直すつもりもない。
「本選びを間違えた。使えもしない魔法の話なんて見てもしょうがない……もっと吸血鬼についての本は……」
何冊目かも分からない本を閉じ、適当な場所に積む。
兎にも角にも自分のことを知る必要があるのだ。今は魔法だの社会だの国だのではない。
求めているのは吸血鬼についての情報だった。
ざっと見回すと、『魔物という瑕疵』という緑の重厚な本が目にとまった。
自分のことを知るために魔物の本に期待することに、なんだかとてもウンザリとした抵抗を感じつつも、適当なページを開く。
「魔物図鑑って感じか……『血の群体』……『肉の霧魔』……『縋る嘆き』…………どれも物騒だけど、吸血鬼の項目はないな…………って、これシリーズものか」
よく見ると、『魔物という瑕疵』に『参 ~堕ちた精霊編~』とある。精霊が何で、堕ちたとは何なのかはさっぱり分からないが、他のなんとか編に、それこそ真祖編なんてないか調べてみた方がいいかもしれない。
「真祖、か…………」
ふと、ルカの顔が浮かんだ。
冷静になってみると、さっきまでのオレでは思い至れなかったことにまで考えが及ぶ。
ルカはオレに寄り添ってくれていた。それは不器用だったかもしれないけど、それでも彼女にとっての精一杯で不安を和らげようとしてくれていたと思う。
オレは……情けないことに、それに縋りついていただけだった。
だけど、ルカこそが最大の被害者でもあることは間違いないのだ。オレはあんな狼狽えているんじゃなくて、救ってくれた恩人にこそ支えとなると示すべきだったはずなのだ。
だって生まれた瞬間から、彼女は孤独だったのだから。
親もなく、いつの間にか誕生し、その瞬間から世界に疎まれていたなんて————
「————ん、……あ、レ?」
そこまで考えて、《《ソレ》》に思考が、及ぶ。
「おや……って、親……家族……………………、ッ!」
ようやく、本当にようやく気づく。
「親! オレは真祖じゃない! じゃあ、じゃあ絶対に親がいるッ! 家族が!!」
そう、オレは人間だった!
なら当然、オレという存在自体が、両親という存在を証明している!
「なんで気づかなかったんだ、バカ!」
罵倒しながら、その実なんとなく理解していた。
オレに親がいた。それはいい。
なら、その親は《《どこ》》にいるのか————
「…………………………………………死んで……るよ……ぜったい」
当然、当たり前にこういうことになる。
あの村で生きていたオレの親なら、当たり前に同じ村で生きていただろう。
なら、あの村で死んでいたオレの親は、当たり前に同じ村で——《《そう》》、なっている。
当たり前だ。あまりに、当たり前。
取り返しはつかない、当然の帰結。
もう、どうにもならない起きた事。
「……………………」
心に罪が広がっていく。
なんで考えなかったか、答えは出ていた。
考えたくなかった。
盗賊以外に生きてる人間のいなかったあの場所。
知らない人たちの、かつてあたたかかったはずのカラダ。
あの中に————《《いた》》……のだろうか……。
死んででも忘れてはならなかった、大切な人。
踏み躙られ、何に代えても助けたかったはずの命。
《《どれ》》だった?
あの、オレが踏んだ《《アレ》》が、お母さん?
それとも、《《開かれて》》いたのが、お父さん?
「っ、違う……! 違う違うちがうソレはチガウ! アレじゃない……チガウチガウチガウチガウチガウ…………ッッッ!!!!」
頭の中、楽しげに列挙してくる思考を塗りつぶす。
声で塗りつぶそうとしても、
頭を両手で掴み、いっそ潰れてしまえと力を込めても、
ソレでもその|声《思考》は止まらなかった。
望んでもないのに、目覚めた瞬間を思い出す。
右手を握っていたのは……だれ?
————本当に?
アレは……だれ、だ?
家族じゃない。
だって、オレと変わらないくらいの死体だった。
——————ほんとうに?
本当だ!
アレは家族じゃない!
男だったと思う、いや男だった!
ならアレが父親だって?! あり得ない!
親なんて年齢じゃないのだけは、絶対に間違いなかった!
だから、アレは関係ない……家族じゃない……………………!!
————————ホんとうニ?
頭の中、知らない自分が、のこった《《可能性》》を無理やり|見せ《考えさせ》ようと|破顔《わら》う。
そして、決定的なことを——言った。
家族ッテ、親ダケダッタッケ?
「————————————————エ……?」
もう、聞こえない。
さっきまでの声は消えている。
けど、遅かった。もうきいた。聞こえてしまった。
「きょう……だい?」
きょうだいって、……なんだよ?
目覚めた時点で手を握っていたなら、それはきっと死の間際でも握り続けていたからだ。
……なんで?
だって、それじゃ逃げられない。
手なんて握ってたら、腕を振れない。
じゃあ、なんで握る?
「手を引いてた、んだ……」
手を引いていた。
引っ張っていた。
すぐ近くまで死が迫っているのに、いや、殺されるときにすら離さなかった。
それは、尋常じゃない絆だ。
それこそ、家族のソレでもないと説明が————
「ぁ……」
オレは、その手をどうしたっけ?
起き上がるとき、手から引き剥がしたんだ。無意識に。邪魔だったから。
煩わしいと。穢らわしいと。ゴミのように放って、その記憶すらゴミにした。
|オレ《オマエ》は、|家族《きょうだい》をゴミにしたんだ————————
「ぁ、ぁあアああア違ァぁあうチガウ違うチガウふざけるなぁああああぁぁああああっッ!?!?!?!?」
吹き飛んだ。
重厚な本の群れが、砂利のように部屋にばら撒かれる。
そこに刻まれた跡を見ても、オレはしばらく自分の《《爪》》に気づかなかった。
脳が、すりつぶされそうだった。
「ハぁ、はァ、……ぅ、ッッハァあぁぁ……ぁ、ぁ………………」
紅に染まりそうな思考を、ただ一つの理性が押しとどめる。
「ぃ、行かないと……探さないと……あんなところに…………」
置いていけない。
あんな、死の場所に。
あんな、命を冒涜する場所に。
「放置、なんて……ぜったいしちゃ、ダメだ」
再会しよう。
そして確かめよう。
オレが愛した人たちを。
オレを愛してくれた人を。
扉に向かう。
身体は熱にうかされたようなのに、使命感だけは背中を押す。
そうして重くて軽い悪夢の中みたいな足取りで数歩歩くと、扉はひとりでに開いた。
顔を上げる。
視界が変わる。
————目の前には、赤い女が立っていた。