深夜の読書会
ー/ー 午前二時のリビングは、水槽の底に似ている。
青白い月光と、手元の読書灯が作る小さな光の円形。私は、使い古したソファの角に深く腰を下ろしていた。
スマートフォンの画面を一度だけタップする。SNSのタイムラインには、あるハッシュタグが静かに流れていた。
#深夜の204ページ
それは、顔も知らない誰かが提唱した、ささやかな遊びだ。同じ時間に、同じ本の、同じページを開く。ただそれだけの、声なき集い。
今夜の課題図書は、古い海外の短編集だった。私がゆっくりとページをめくると、紙の擦れる音がやけに大きく響く。
二十数名がこのタグに参加しているようだが、会話はない。ただ、数分おきに「いいね」のハートが、波紋のように音もなく広がっていく。
「孤独とは、誰とも繋がっていないことではない。自分と同じ星を見ている者がどこかにいると、確信できないことだ」
そんな一節に指先が止まった。その瞬間、画面の向こうで誰かが同じ行に線を引いたような気がした。
ふと、画面に新しい投稿が表示される。
『この段落、庭に咲く沈丁花の香りがする気がしますね』
私は目を見開いた。自分の家の庭でも、春の先触れが夜の闇に香っていたからだ。
顔も知らないその誰かは、今、自分と同じ空気を吸い、同じ言葉に胸を震わせている。
かつて、本は孤独な嗜みだった。けれど今は、この光る板が一枚あるだけで、深夜の海を漂う孤島同士が、焚き火の煙を合図に送り合っているような連帯感がある。
「……ふふ、おやすみなさい」
私は小さく呟き、本に栞を挟んだ。
ハッシュタグに最後の一つ、青い鳥のような「いいね」を残して。
画面を閉じれば、部屋は再び深い静寂に包まれる。けれど、先ほどまでの冷たい静けさではない。
毛布を一枚多く掛けたような、仄かな温もりが胸の奥に残っていた。
明日、庭の沈丁花がもう少しだけ花開くかもしれない。そんなことを考えながら、ゆっくりと立ち上がった。
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