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お隣さんの贈りもの 後編

ー/ー



「おはようございます」

「今日は日差しが強いですね」

「……ええ。ローズマリーは少し陰に移したほうがいい」

「あ、本当だ。ありがとうございます」


言葉数は少ないけれど、彼の助言は的確だった。私のローズマリーはみるみるうちに青々と茂り、ワイルドストロベリーは小さな白い花を咲かせた。



ある雨の日、私は仕事で失敗して、ひどく落ち込んで帰宅した。ベランダに出ると、雨に濡れた土の香りが立ちのぼっていた。



「何か、ありましたか」


仕切りの向こうから、静かな声がした。私の溜め息が聞こえたのだろうか。


「少し、仕事で、失敗してしまって。今の仕事、自分には向いてないのかなって」

「植物も、芽が出ない時期があります」

彼は、間を置きながら言葉を選ぶように続けた。


「でも、根っこは土の中で動いている。見えないところで、準備をしているんですよ。あんまり自分を責めなさんな」


その言葉が、雨音と一緒に心に染み込んだ。私は鼻をすすり、「ありがとうございます」と小さく笑った。


翌朝、目が覚めると雨は上がり、雲の間から柔らかな光が差し込んでいた。


いつものようにベランダへ出ると、隣から水の音がしない。ふと足元を見ると、隙間に一枚のメモと、小さな花の苗が置かれていた。


『引っ越すことになりました。』
苗には「勿忘草(わすれなぐさ)」のラベルがついていた。


あわてて身を乗り出したが、隣の部屋はすでに静まり返っていた。


私は、その青い小さな花を、ローズマリーの隣に並べた。


顔も知らない。名前も知らない。


けれど、私のベランダには、彼が教えてくれた「根を張る強さ」が、確かに息づいている。



私はジョウロを持ち、新しい芽にたっぷりと水を注いだ。


光の中で、水しぶきがきらきらと瞬いていた。





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「おはようございます」
「今日は日差しが強いですね」
「……ええ。ローズマリーは少し陰に移したほうがいい」
「あ、本当だ。ありがとうございます」
言葉数は少ないけれど、彼の助言は的確だった。私のローズマリーはみるみるうちに青々と茂り、ワイルドストロベリーは小さな白い花を咲かせた。
ある雨の日、私は仕事で失敗して、ひどく落ち込んで帰宅した。ベランダに出ると、雨に濡れた土の香りが立ちのぼっていた。
「何か、ありましたか」
仕切りの向こうから、静かな声がした。私の溜め息が聞こえたのだろうか。
「少し、仕事で、失敗してしまって。今の仕事、自分には向いてないのかなって」
「植物も、芽が出ない時期があります」
彼は、間を置きながら言葉を選ぶように続けた。
「でも、根っこは土の中で動いている。見えないところで、準備をしているんですよ。あんまり自分を責めなさんな」
その言葉が、雨音と一緒に心に染み込んだ。私は鼻をすすり、「ありがとうございます」と小さく笑った。
翌朝、目が覚めると雨は上がり、雲の間から柔らかな光が差し込んでいた。
いつものようにベランダへ出ると、隣から水の音がしない。ふと足元を見ると、隙間に一枚のメモと、小さな花の苗が置かれていた。
『引っ越すことになりました。』
苗には「勿忘草(わすれなぐさ)」のラベルがついていた。
あわてて身を乗り出したが、隣の部屋はすでに静まり返っていた。
私は、その青い小さな花を、ローズマリーの隣に並べた。
顔も知らない。名前も知らない。
けれど、私のベランダには、彼が教えてくれた「根を張る強さ」が、確かに息づいている。
私はジョウロを持ち、新しい芽にたっぷりと水を注いだ。
光の中で、水しぶきがきらきらと瞬いていた。