第七章「証人」
ー/ー 美和は明かりのない場所にポツンと立っていた。立っている場所は、寒くもなく暑くもなく、意識がふわふわとして心地よい。
柔らかい真綿に包みこまれている感覚で、夢の中にいるようだった。
――気持ちいいな。
夢見心地のままの空間にいたいと、うずくまる。
――おいで、美和。
聞き慣れた声がして、美和は顔を上げて立ち上がった。
視線を巡らせる。
――都?
――あなたが私を空間に呼んだの?
――そう。
――ここは僕が作り出した精神世界だ。
都は子どもの姿であって、美和から少し離れた場所に立っている。暗闇の中でも輝く金色の髪は、宝石みたいだなと、ぼんやりと見つめていた。
――僕から離れないで。
美和は都に手招きをされて、フラフラとあとを追いかけていく。
――止まった?
足を止める。美和の目の前で、都と誰かと言い争う声がした。体格からして男である。美和でも声も聞いた記憶がある。自分の周りにあった霧も、はれていった。
対峙しているのは、十河孝に間違いはない。 親子の間に不穏な空気が流れて、美和の夢見心地の気分は、一気に吹き飛んでいった。
手に汗をかいている。
――どうなるの?
困惑しながら、視線を行ったり来たりさせる。
「黙れ! デザインズ・ベイビーとして機能をしていないくせに! 成り損ないのくせに!」
「成り損ないの僕を作ったのはあなたですよ?」
「試作品が私に口答えをするのか! 私の所有物なら大人しておけばいいだろう!」
「僕たちが所有物でなくなった時、あなたは何も考えていないでしょう?」
「何だと!」
「あなたは一人です。研究所でも孤立しているのでしょう? あなたはいずれ、破滅するでしょう」
「私は破滅なんてしない! 研究者として頂点に立ってみせる。日本を支配するのだ!」
話の一部が聞こえてくる。あまりの横暴さに目眩がした。美和が見ても都は、普段と変わらず落ち着いていた。
「言い切りましたね? 今の言葉を、覚えておきます」
「都! お前!」
美和と目が合った。
「証人もいますよ? 美和。君も教授の言葉を聞いたよね?」
頭の中に声が響いた。そういうことかと、ひらめいた。自分に教授が言った言質を、聞かせるためである。
理由があったのだと納得した。だから、都の精神世界の中に呼ばれたのだ。
「聞いたわ」
「僕のわがままに付き合わせて悪い。大丈夫。美和に負担はいかないための対策してある」
美和にその声は耳にはっきりと入ってきた。
「違う! 違うよ! 謝ってほしいわけじゃないの! 私はお母さんと都と笑いあいたいだけなの!」
近づきたくても近づけない。見えない壁にはね返される。見えない壁をバンバンと叩く。美和は息を止めた。
彼女の視界に銃を、構えた孝が見えた。見えない壁のせいで、 間に割り込めない。
「都! 後ろ!」
美和の声は都には聞こえない。パンパンと乾いた音が響く。美和の前にいる都が血に染まっていく。撃った孝の姿はいつの間にか、見当たらなくなっていた。
パリンと見えない壁が割れて、美和は都の傍へと駆け寄る。
「都! やだ! 死なないで!ねぇ、都! 嫌だ! 一人にしないで! 目を開けてよ!」
冷たくなっていく体に、必死に呼びかける。ハンカチで止血をしても止まらない。 血が流れる。 流れ続けて血の海になる。
心臓の鼓動も聞こえない。 死の匂いがして、命がこぼれ落ちていく。必死に呼び止めても、体も冷たくなっていく。
ボロボロと周囲も崩れ始める。彼女は都の体を、きつく抱きしめて、空気を吸い込むと、お腹の底から声をだした。
「誰か彼を助けて!」
叫んだと同時に、目が覚めた。目に映ったのは白い天井だった。扉の向こう側からは、生徒たちが歩く靴の音と、笑い声がした。
保健室である。
学校で倒れたのである。
現実へと復帰をしたのだ。
自分はよかった。
生きている。
怪我もなく、何の痛みもなかった。
――都!
――都は!?
今、優先すべきは都だ。無性に会いたかった。美和はベッドが起き上がると全力疾走をした。
廊下を走ったらダメだよと、注意する声すら耳に入っていない。普通科の一年三組のドアを勢いよく開ける。
美和は都がいるのかを確かめた。
美和の姿を認めたみたいだった。ホッと肩をなでおろす。話を聞かれたくなくて、空き教室に入って鍵をかける。
「体調は?」
「休んでいたから大丈夫よ。都」
「僕に何の用?」
「よかった――よかった。生きている」
――あなたはちゃんと生きている。
――目の前にいる。
ポロポロと涙を流す。子供みたいに泣きじゃくる。
「私は私自身が傷つくなんて怖くないわ!だから、手伝わせてよ!」
「教授を止めらなくて、戦争になった場合、美和に人を殺す勇気はあるのか? 武器を持つ覚悟はあるのか?」
「都のために――」
「僕は教授のニュースが流れていた日に、警告をしていたはずだ」
美和はビクリと体を縮こませる。都が静かに怒っていると感じていた。あまりの迫力に、足がすくんでいる。
「私は――私のやれるだけの」
行動をしようと思っただけだよ、とまでは言えなかった。
「黙れ。警告を守れない唇は、ふさいでしまおうか?」
美和の唇を都の細い指がなぞる。あごをグイッと持ち上げる。反射的に瞳を閉じても、唇は重ならなかった。
瞳を開きながら、しまったと思った。都の内面に深く入り込みすぎた。
心の傷を抉ってしまった。
取りつかないことを言ってしまって、グッと唇を噛み締めた。自分の思いをぶつけるだけでは、間違いなく間に亀裂が入る。
「姉」や「家族」としての立場もなくなり、成り立たなくなる。 待ち受けるのは、お互いの喪失感だけだ。
「戦争になったら、都は?」
「僕は研究所に戻されて、今の記憶は消されるだろうね」
美和は顔を強張らせた。 過程の話だとしても、考えただけで恐ろしい。
「都の記憶を消されるなんて嫌よ!」
――嫌に決まっているじゃない!
都にすがりながら、嫌々と首をふった。彼女が見上げてくる。美和の瞳は再び潤んでいた。
不意に会話が途切れる。重苦しい空気の中で、次の授業のチャイムが鳴った。
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