「エリナ!」
「レオ――」
エリナの声が、水の轟音にかき消される。
渦は、容赦なく彼らを引き離し、それぞれを奈落へと引きずり込んでいく。次々と仲間たちの姿が視界から消えていった。ミーシャの金髪が。ルナの赤髪が。シエルの銀髪が。そして、エリナの黒髪が。全てが、濁流の中に飲み込まれていく。
視界が、激しく回転する。
上下の感覚が失われる。
息ができない。苦しい。肺が、悲鳴を上げている。もう限界だ。
意識が、徐々に、徐々に遠のいていく。
みんな……ごめん……。
レオンの心の中で、謝罪の言葉が響く。
守れなかった。
また、守れなかった。
僕は、結局……何もできなかった……。
世界どころか仲間も守れなくて。
僕は、一体何のために……。
「はーっはっはっはっは! ごきげんよう、小鳥たち! また、すぐに会いましょう! その時は、貴方たちも私の可愛い|僕《しもべ》になっているでしょうけれどねぇ! きゃははは!」
イザベラの狂的な笑い声が、遠く、遠く、遠ざかっていく。
水の轟音も全てが、遠くなる。
闇。
深い、深い闇だけが、レオンを包み込んでいく。まるで、母の胎内に戻るような、冷たい闇。
そして――完全な沈黙。
意識が、途切れた。
◇
次に意識が戻った時、全身を襲う激痛に、レオンは呻き声を上げた。
「う……ぐ……っ……」
体中が痛い。打撲だらけだ。頭が割れるように痛む。肋骨も、何本か折れているかもしれない。息をするたびに、鋭い痛みが胸を貫く。まるで、内側から刃物で抉られているような。
目を開けると、そこは冷たく湿った石造りの空間だった。
牢獄。
天井は低く、圧迫感がある。今にも落ちてきそうな重さで、頭上にのしかかっている。壁は黴と苔に覆われ、長年放置されていたことを物語っていた。緑色に変色した石壁から、冷たい水滴が滴り落ちている。床は凍てついた石で、所々に黒い水たまりができていた。
空気は淀み、湿気と腐敗の臭いが鼻を突く。肺が拒絶反応を起こし、吐き気が込み上げてくる。ここは、人が生きる場所ではない。死者を葬る場所だったのかもしれない。
「みんな……!」
レオンは必死に体を起こし、周囲を見回した。痛みで視界が霞む。
少し離れた場所に、仲間たちが倒れていた。
エリナ。ミーシャ。ルナ。シエル。
全員が意識を失ったまま、冷たい石床に転がされている。まるで、捨てられた人形のように。
「みんな! しっかりしろ!」
レオンは這うようにして、仲間たちに近づこうとした。腕が震える。足に力が入らない。指先が石床を掻き、爪が剥がれそうになる。
その時だった。
ガシャン!
頭上から、重く、絶望的な音が響き渡った。
天井の鉄格子が閉まる音。
レオンは顔を上げた。天井にぽっかりと開いた大きな穴。おそらく、排水口のようなものだろう。自分たちは、あの穴から水と共に流され、この牢獄に幽閉されたのだ。
牢獄の入口にも、太い鉄の格子が降ろされていた。錆びついた鉄格子の向こうには、暗い通路が続いている。松明の光すら届かない、深い闇。
脱出は――不可能に近かった。
「くそっ……!」
レオンは、力なく拳で床を叩いた。石が、手のひらに冷たい。骨に響く痛みが走る。けれど、心の痛みに比べれば、そんなものは何でもなかった。
無力だ。
何もできない。
また、守れなかった――。
その時、遠くから、何か異様な音が聞こえてくる。
ゴゴゴゴゴ……。
地響き。まるで、大地そのものが呻いているような音。この世の終わりを告げる、不吉な鳴動。
いや、それだけではない。
キィィィィ……。
ギャアアアアア……。
グルルルルル……。
無数の、おぞましい声。それらが重なり合い、不協和音を奏でている。高く、低く、うねりながら、闇の底から這い上がってくる。
それは――十万の魔物が殻を破り、産声を上げる、終焉の合唱だった。
レオンの顔から、血の気が引いた。
始まってしまった。
イザベラの計画が、動き出してしまったのだ。
この牢獄の外で、今まさに、世界を滅ぼす軍勢が目覚め始めている。あの咆哮の一つ一つが、一つの命を刈り取る刃。十万の刃が、王都へと向かっている。人々が、街が、この国が――全てが蹂躙される。
「……嘘だろ……」
レオンの声が、震えた。
絶望が、心を覆い尽くそうとしてくる。
もう、終わりなのか?
僕たちは、何もできずに――ここで朽ちていくのか?
「う……レオン……?」
か細い声が聞こえた。
エリナが、目を覚ましたのだ。
「エリナ! 無事か!?」
レオンは這うようにしてエリナに近寄った。彼女の顔は青白く、唇が震えている。けれど、生きている。それだけで、レオンの心に小さな光が灯った。