栞がわりのレシート
ー/ー 降り続く雨のせいで、庭の沈丁花が重たげに頭を垂れている。冷たい雨は、止まない。
理沙は、いつまでも終わらない求職活動に疲れはて、薄暗い部屋に座り込み、古びた文庫本を手に取った。
十五年間、がむしゃらに働いてきた編集プロダクションが解散したのは半年前のことだった。最初はそれでも、何とかなると思っていた。
けれど、四十代での再就職は、自分の想像以上に厳しく、積み上げてきたものが次々に崩されていった。経験、実績。
文庫本のページをめくると、カサリと硬い感触が指に触れた。隙間から滑り落ちたのは、一枚のレシートだった。栞としてはさんでいたのだろう。
感熱紙は茶色く変色し、文字も消えかかっている。しかし二十年前の日付と、今はもうなくなった駅前百貨店の名は、かろうじて読めた。
「……ケーキ二個、それに高価な万年筆」
理沙の胸の奥が、ちくりとうずく。
二十年前、新卒で仕事を三ヶ月で辞めた自分。将来への展望もなく、ただ古本屋で時間を潰していた、あの頃の情けない自分だ。
あの日、理沙は貯金を下ろし、分不相応な万年筆を買った。
「何も成し遂げていないのに、ご褒美なんて」
そう自嘲しながらも、何かにすがりたかった。
日記には『これから戦う自分への前払いの給料』と、震える文字で書いた。その万年筆で書いた履歴書が、十五年のキャリアの始まりだったのだ。
今、手元にはパソコンで打たれた無機質な不採用通知が並んでいる。
あの頃の「何者でもない自分」には、根拠のない無敵さがあった。けれど今の自分はーー
「……情けないなあ、私」
古びたレシートは、輝かしい思い出ではなく、若さと無知ゆえの「痛さ」の象徴だ。
けれどその痛みは、冷え切った今の心をかすかに熱くした。
理沙は立ち上がり、キッチンへ向かう。
高級な万年筆はもう手元にないけれど、代わりに少しだけ良い珈琲豆を挽く。
豆を挽く音は、今の自分にできる精一杯の抵抗だ。
窓の外では雨が上がり、湿った土の匂いが立ち上がっている。明日、また新しい求人を探そう。二十年前に先払いした「勇気」の残高は、まだほんの少し、残っているはずだから。
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