空色をさがして 後編
ー/ー
女性は無事に結び目を直し、安堵したように小さく息をつく。その柔らかな吐息を確認してから、青年は再び顔を上げた。
手を貸せば解決する些細な出来事。
けれどそれは、相手の領域に突然踏み込むことにもなる。戸惑いと安堵。
ーーやがて、遠くからディーゼルエンジンの重たい音が聞こえてくる。定刻より三刻ほど遅れて、銀色の車体が滑り込んできた。
扉が開くと、二人は示し合わせたわけでもないのに、同じような速度で歩き出す。
乗り込む順番も、座る位置さえも毎日少しずつ違う。女性は前方、青年は決まって後方の窓際に座る。
窓ガラス越しに、二人の視線が交差することはない。それでも、車内に漂うエンジンの振動が、共通の「日常の続き」として二人の体を揺らした。
女性は、青年の名前を知らない。彼がどんな仕事をして、何に悩み、誰を愛しているのかも。
青年も、女性がどこへ向かうのか、そのストールを誰が選んだのかを知らない。
ただ、朝のこの短い時間、同じ空間で呼吸を合わせることで、何かがリセットされる、たしかな感覚だけがあった。
バスは終点近くの大きな交差点で信号待ちをする。青年はふと、窓の外を眺めた。街路樹の葉が、季節の移ろいを告げるように色を変え始めている。
明日は今日よりも少し冷え込むだろうか。女性は、何色のストールを選ぶだろうか。
明日もまた、七時十二分。
名前のない関係、言葉のない約束。
それだけで、世界は十分に、確かだった。
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