【???】彼方の記憶

ー/ー



 地中深くに存在する灼熱の大地に、誰も寄せ付けぬ要塞のようにそびえ立つ、巨城があった。それは、かつて世界を支配していた魔王の城。もう歴史の中に埋もれ、忘れ去られようとしている城。

 誰も立ち入ることもできず、誰も立ち入るはずもない、その城に一人の女が訪れていた。月の如く美しき銀髪に、血の如く赤い瞳を持つ、見るも麗しいその絶世の美女の名は、フィテウマ・サタナムーン。先代魔王よりその意志を継いだ魔王である。

「おい、リコリス。まだ寝てるのか? もう十年くらい経ったぞ。そろそろ起きないか、この寝坊娘が」

 汗も枯れる灼熱の城の片隅、生命も拒む絶対零度の冷気に満ちた扉の奥。そこからはおぞましいほどに魔力が駄々漏れとなっていた。

「ぁ……、ふわぁぁ……、おはよう、さっちゃん。五年ぶりくらいだっけ?」
「もう十年くらいだ! というか正確には十二年はとっくに過ぎとるわ!」

 氷で閉ざされた扉を破り、中からまた違う女が現れる。月明かりのような麗しき乳白色の髪に、燃え盛る炎のような赤い瞳の、見るものを魅了する蠱惑的な女だ。その名もリコリス・ルキフェルナ。先代魔王の一人娘である。

「その前は百年前だったから、こんなの寝坊のうちに入らないわ」
「言っておくが、そのときの二度寝で十二年だからな。まったく……お前とは会話にもなりゃしない」

 呆れ果てたように溜め息をつく。
 その凍てつく寒さ故に、吐息も煌めくダイアモンドダストだ。

「で、さっちゃん、そろそろ世界征服できたの?」
「そんな短期間で成せるものか。未だ我の知名度も世界には知れ渡ってはおらぬわ」
「五百年くらい魔王やってるのに、さっちゃんも大したことないのね」

 リコリスの何の気なしに繰り出された鋭い一言に、フィテウマは心臓を貫かれたかのようにグサッとショックを受ける。

「……正確にはもう六百年だ。国も軍隊も丸ごと一網打尽にしてしまうから後世に名が届かぬのだ。仮に辛うじて語り継ぐものがいても、突発的な天変地異か、怪物の異常繁殖のせいにされてしまって魔王の存在などなかったことにされてしまう」
「もっと手加減すればいいのに。さっちゃんって不器用だよね」
「リコリス、お前も魔王軍に入ってくれれば助かるのだが」
「ふわぁぁ……、なんだか私また眠くなってきちゃった」

 露骨なまでに、リコリスは大あくびをしてみせる。
 これにはフィテウマも慌ててしまう。

「ま、待て待て! 分かった! もう二度と魔王軍には誘わないから、せめてまた手を貸してくれ! そしたらまた百年くらいは寝ていいから!」

 気怠そうなリコリスを懸命にフィテウマは引き留めに掛かる。
 ここでまた眠りに就かれてしまっては、次に目覚めるのがいつになるのか分かったものではないからだ。

 魔王としての才覚を持ち合わせていても、それを発揮しないことには宝の持ち腐れ。リコリスとフィテウマの二人の力はおおよそ拮抗していたが、いくらフィテウマが説得を試みてもリコリスは魔王としての活動に興味を示すことはなかった。

 二言目には面倒、やりたくない、気分が乗らないと続くばかりで、そもそも起きて活動すること自体も嫌がるほど自堕落的な女だった。

 ※ ※ ※

 ※ ※

 ※

「さっちゃんってさ、弱いの?」
「なんだ、藪から棒に。人に言われるほど弱いつもりはないぞ」

 また少しの時を経た後、二人はあの灼熱の城の、極寒の部屋で再会する。
 何十年ごとなのか、何百年ごとなのか、それはもう誰にも分からない。

「でも前にあったときよりも、なんか魔力が弱まった気がする」
「我も年を食ったのだろうな。そればっかりは仕方のないことだ」
「そうなの? でも私も、さっちゃんと同じくらいの年のはずなのに」
「そりゃお前はずっと城に引き籠もっているからだろう。激しい魔力の消費もしないし、なんなら常に魔力を蓄え続けているようなものではないか。身体の方は年も食っておらんのではないか?」

 なんだかんだで、魔王の動きも活発化し、順風満帆とまではいかないにしても、世界にその名を轟かすようになるまで至っていた。
 今では、世界各国で魔王軍に焦点をあてた戦争も勃発するほど。

「さっちゃんも私を見習って沢山休めばいいのに」
「そうはいかん。最近はまた人間どもの動きも著しい。ここで我が歩むのを止めればここまで積み上げてきたものも無駄になるかもしれん」

 少し疲弊した様子で、フィテウマも溜め息をつく。

「まあ、確かにリコリスの言うように、我も少しずつ弱くなりつつある。魔力を蓄える手段を探さねばならぬが、お手軽に魔力を得られる方法などそうはあるまい」
「世界樹(ユグドラシル)を囓っちゃえば?」
「アホタレ。魔力の管理者たる魔王が魔力の根源を奪うなど言語道断だ」

 そこでリコリスは「うーん」と物思いに耽るように首を傾げる。無機質な表情からは想像もつかないほど頭を巡らせているのだろう。

「じゃあ、何かを魔力に変換して、そのまま命に還元できる仕組みの術式を開発すればいいと思うわ。原理は世界樹のシステムと一緒よ」
「いやいや……口で言うのは簡単だがな、リコリス。そんな術式を創るのにどれだけ時間を費やすつもりだ」
「たっぷり」
「……それで、そもそも何を命に換えるのだ?」

 そう言われて、リコリスはまた「うーん」と反対方向に首を傾げる。無気力な顔つきからは予想できないほど突飛な考えを練っているのだろう。

「一番分かりやすいエネルギーは……感情よ。ほら、さっちゃん、嫌われるの好きみたいだから、そういう感情を糧にできるようになれば、無尽蔵の命を得られるんじゃないかしら。難しそうだけど面白そう。面白そうだけど難しそう」
「別に我は嫌われるのが好きというわけでは……、だが、まあ、負の感情を命に換えられるようになるのなら、魔王の立場にある我にはピッタリかもしれんな。我も少し構築方法を研究してみるとするか」

 こうして、二人の発案は実を結び、魔王フィテウマから寿命という概念が擬似的に消失することとなった。それから何百年、何千年という長い時の中、魔王軍と人間たちによる一進一退の戦争の歴史が束ねられていくのだった。

 ※ ※ ※ ※ ※

 ※ ※ ※ ※

 ※ ※ ※

 ※ ※

 ※

「ふわぁぁ~……、なんか、すごい寝ちゃった。何百年くらい寝てたかな」

 気怠そうな身体を起こし、リコリスが目覚める。何故だか不思議な心地だった。
 起きている間は大体いつもそばにいるはずのフィテウマの姿がなかったのだ。

 別に、そんなときも数百年に一回くらい、たまにはある。
 しかし、このときのリコリスは何故だか嫌な胸騒ぎを覚えていた。

「さっちゃん……、さっちゃん? さっちゃん……、何処にいるの?」

 キョロキョロと見渡しても、あの月の如き美しき銀髪と、血の如く紅い瞳の女の姿は何処にもない。魔力を探っても、その気配を感じ取ることもできない。
 まるで、この世界から消失してしまったみたいに。

 途方もない喪失感。えも言われぬ疎外感。
 感情の起伏が乏しいリコリスは、今まで生きてきた中で最も感情を表に出したのかもしれない。

「さっちゃん……、待ってよ……、何処にも行かないでよ……」

 凍てついた部屋の外へと足を踏み出したのは、いつぶりのことだったのだろう。
 リコリスを迎え入れた灼熱の廊下は、何処か、今のリコリスの感情そのものを反映するかのよう。

 それから間もなくして、リコリスはフィテウマがレッドアイズ国の軍隊に敗北し、殺されたことを知り、リコリスの中に灯る火は、何処までも熱を高めていった。


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 地中深くに存在する灼熱の大地に、誰も寄せ付けぬ要塞のようにそびえ立つ、巨城があった。それは、かつて世界を支配していた魔王の城。もう歴史の中に埋もれ、忘れ去られようとしている城。
 誰も立ち入ることもできず、誰も立ち入るはずもない、その城に一人の女が訪れていた。月の如く美しき銀髪に、血の如く赤い瞳を持つ、見るも麗しいその絶世の美女の名は、フィテウマ・サタナムーン。先代魔王よりその意志を継いだ魔王である。
「おい、リコリス。まだ寝てるのか? もう十年くらい経ったぞ。そろそろ起きないか、この寝坊娘が」
 汗も枯れる灼熱の城の片隅、生命も拒む絶対零度の冷気に満ちた扉の奥。そこからはおぞましいほどに魔力が駄々漏れとなっていた。
「ぁ……、ふわぁぁ……、おはよう、さっちゃん。五年ぶりくらいだっけ?」
「もう十年くらいだ! というか正確には十二年はとっくに過ぎとるわ!」
 氷で閉ざされた扉を破り、中からまた違う女が現れる。月明かりのような麗しき乳白色の髪に、燃え盛る炎のような赤い瞳の、見るものを魅了する蠱惑的な女だ。その名もリコリス・ルキフェルナ。先代魔王の一人娘である。
「その前は百年前だったから、こんなの寝坊のうちに入らないわ」
「言っておくが、そのときの二度寝で十二年だからな。まったく……お前とは会話にもなりゃしない」
 呆れ果てたように溜め息をつく。
 その凍てつく寒さ故に、吐息も煌めくダイアモンドダストだ。
「で、さっちゃん、そろそろ世界征服できたの?」
「そんな短期間で成せるものか。未だ我の知名度も世界には知れ渡ってはおらぬわ」
「五百年くらい魔王やってるのに、さっちゃんも大したことないのね」
 リコリスの何の気なしに繰り出された鋭い一言に、フィテウマは心臓を貫かれたかのようにグサッとショックを受ける。
「……正確にはもう六百年だ。国も軍隊も丸ごと一網打尽にしてしまうから後世に名が届かぬのだ。仮に辛うじて語り継ぐものがいても、突発的な天変地異か、怪物の異常繁殖のせいにされてしまって魔王の存在などなかったことにされてしまう」
「もっと手加減すればいいのに。さっちゃんって不器用だよね」
「リコリス、お前も魔王軍に入ってくれれば助かるのだが」
「ふわぁぁ……、なんだか私また眠くなってきちゃった」
 露骨なまでに、リコリスは大あくびをしてみせる。
 これにはフィテウマも慌ててしまう。
「ま、待て待て! 分かった! もう二度と魔王軍には誘わないから、せめてまた手を貸してくれ! そしたらまた百年くらいは寝ていいから!」
 気怠そうなリコリスを懸命にフィテウマは引き留めに掛かる。
 ここでまた眠りに就かれてしまっては、次に目覚めるのがいつになるのか分かったものではないからだ。
 魔王としての才覚を持ち合わせていても、それを発揮しないことには宝の持ち腐れ。リコリスとフィテウマの二人の力はおおよそ拮抗していたが、いくらフィテウマが説得を試みてもリコリスは魔王としての活動に興味を示すことはなかった。
 二言目には面倒、やりたくない、気分が乗らないと続くばかりで、そもそも起きて活動すること自体も嫌がるほど自堕落的な女だった。
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「さっちゃんってさ、弱いの?」
「なんだ、藪から棒に。人に言われるほど弱いつもりはないぞ」
 また少しの時を経た後、二人はあの灼熱の城の、極寒の部屋で再会する。
 何十年ごとなのか、何百年ごとなのか、それはもう誰にも分からない。
「でも前にあったときよりも、なんか魔力が弱まった気がする」
「我も年を食ったのだろうな。そればっかりは仕方のないことだ」
「そうなの? でも私も、さっちゃんと同じくらいの年のはずなのに」
「そりゃお前はずっと城に引き籠もっているからだろう。激しい魔力の消費もしないし、なんなら常に魔力を蓄え続けているようなものではないか。身体の方は年も食っておらんのではないか?」
 なんだかんだで、魔王の動きも活発化し、順風満帆とまではいかないにしても、世界にその名を轟かすようになるまで至っていた。
 今では、世界各国で魔王軍に焦点をあてた戦争も勃発するほど。
「さっちゃんも私を見習って沢山休めばいいのに」
「そうはいかん。最近はまた人間どもの動きも著しい。ここで我が歩むのを止めればここまで積み上げてきたものも無駄になるかもしれん」
 少し疲弊した様子で、フィテウマも溜め息をつく。
「まあ、確かにリコリスの言うように、我も少しずつ弱くなりつつある。魔力を蓄える手段を探さねばならぬが、お手軽に魔力を得られる方法などそうはあるまい」
「世界樹《ユグドラシル》を囓っちゃえば?」
「アホタレ。魔力の管理者たる魔王が魔力の根源を奪うなど言語道断だ」
 そこでリコリスは「うーん」と物思いに耽るように首を傾げる。無機質な表情からは想像もつかないほど頭を巡らせているのだろう。
「じゃあ、何かを魔力に変換して、そのまま命に還元できる仕組みの術式を開発すればいいと思うわ。原理は世界樹のシステムと一緒よ」
「いやいや……口で言うのは簡単だがな、リコリス。そんな術式を創るのにどれだけ時間を費やすつもりだ」
「たっぷり」
「……それで、そもそも何を命に換えるのだ?」
 そう言われて、リコリスはまた「うーん」と反対方向に首を傾げる。無気力な顔つきからは予想できないほど突飛な考えを練っているのだろう。
「一番分かりやすいエネルギーは……感情よ。ほら、さっちゃん、嫌われるの好きみたいだから、そういう感情を糧にできるようになれば、無尽蔵の命を得られるんじゃないかしら。難しそうだけど面白そう。面白そうだけど難しそう」
「別に我は嫌われるのが好きというわけでは……、だが、まあ、負の感情を命に換えられるようになるのなら、魔王の立場にある我にはピッタリかもしれんな。我も少し構築方法を研究してみるとするか」
 こうして、二人の発案は実を結び、魔王フィテウマから寿命という概念が擬似的に消失することとなった。それから何百年、何千年という長い時の中、魔王軍と人間たちによる一進一退の戦争の歴史が束ねられていくのだった。
 ※ ※ ※ ※ ※
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「ふわぁぁ~……、なんか、すごい寝ちゃった。何百年くらい寝てたかな」
 気怠そうな身体を起こし、リコリスが目覚める。何故だか不思議な心地だった。
 起きている間は大体いつもそばにいるはずのフィテウマの姿がなかったのだ。
 別に、そんなときも数百年に一回くらい、たまにはある。
 しかし、このときのリコリスは何故だか嫌な胸騒ぎを覚えていた。
「さっちゃん……、さっちゃん? さっちゃん……、何処にいるの?」
 キョロキョロと見渡しても、あの月の如き美しき銀髪と、血の如く紅い瞳の女の姿は何処にもない。魔力を探っても、その気配を感じ取ることもできない。
 まるで、この世界から消失してしまったみたいに。
 途方もない喪失感。えも言われぬ疎外感。
 感情の起伏が乏しいリコリスは、今まで生きてきた中で最も感情を表に出したのかもしれない。
「さっちゃん……、待ってよ……、何処にも行かないでよ……」
 凍てついた部屋の外へと足を踏み出したのは、いつぶりのことだったのだろう。
 リコリスを迎え入れた灼熱の廊下は、何処か、今のリコリスの感情そのものを反映するかのよう。
 それから間もなくして、リコリスはフィテウマがレッドアイズ国の軍隊に敗北し、殺されたことを知り、リコリスの中に灯る火は、何処までも熱を高めていった。