第168話 対立の正義
ー/ー どうしたことだろう。不思議なことに、我の選択肢の中にリコリスの手を取るというものはなかった。今、差し出されている手はまさに、魔王への復活が確約されているというのに。
全ての力を失った我にとってはこの上なく魅力的な提案でもあり、かつて手を組むことのなかった先代魔王の娘リコリスが力になってくれるというのなら百人力、千人力といっても全く過言ではない。
ろくに魔力のコントロールもできず、さっきもちょっと感情に任せて魔法を使っただけでまた身体中がバラバラになりそうなほどの激痛が走り、今にも倒れてしまいそうな、こんな虚弱な身体ともおさらばできる。
それでも。それでも尚。今の我に、リコリスと手を組んで新生魔王軍の二人目の魔王として君臨し、かつての栄光を取り戻す、その光景が目に浮かばない。
困ったことに、脳裏を過ぎるのはロータスのことばかり。
「どうしたの、さっちゃん。私と魔王になりたくないの?」
「とても嬉しい誘いだ。ただ、それを受けるには、もう遅すぎた」
「どうして? さっちゃんは前に私を誘ってくれたのに?」
「お前はそれを断ったよな」
「はっ。そうだったわ。私、断ったんだったわ」
無垢な表情を浮かべ、リコリスは口元に手を添える。
「でも、今は違うの。もう世界は居心地が悪くてたまらないの。こんな世界を変えてしまいたいの。さっちゃんだって、ずっとそうしていたでしょ? 害虫たちを力でねじ伏せて、圧倒して、管理してきた。力を失ったのなら、私が取り戻してあげる」
いよいよ、リコリスの目的が露わになってきたような気がする。
「魔法という技術は私たち月の民のものだった。それが、どう? 今はどんどん害虫たちが群がって、どんどん私たちの技術が奪われてきている。どんどん、どんどんよ。どんどんどん。どんどどん。もう勘弁してほしいわ。害虫の分際で」
「それもまた、時代の流れではないのか? いつまでも我らが独占し続けるものではない。それに、元々は魔力が月の民のものだったのもかつての話だ。未来永劫固執することに何の意味がある」
無気力で、無垢な瞳をしたリコリスから、明確な感情の漏れを感じる。
「銃器に機械人形に列車……レッドアイズの蛆虫どもがこんな玩具を造るために世界の源を蝕むなんて許せない、許したくない」
「それもまた技術の革新だ。古の時代に我ら月の民が魔法を生み出したことと何が違うというのか」
今の我は人間の味方ばかりしている。酷く、滑稽だ。
少なくとも、手のひらを返している我をリコリスはそう思っているはず。
「リコリス。お前の言っていることは間違ってはいないだろう。ほんの少し前の我と変わらぬ考えだ。私利私欲に溺れ、驕り高ぶる人間どもによって、摂理は破壊されつつあり、それを止めることこそが我ら月の民の使命なのだと」
「そうよ、その通りよ、さっちゃん。私は間違っていない。世界のあるべき姿の中に、害虫の存在は不要なのよ。だから魔王という存在が必要になったの」
魔王が何故存在しているのか。
どうして徒党を組んでまで世界に制裁を加えようとするのか。
その理由を知る者は今の時代にほとんどいない。
ただ月の民という、御伽噺にしかその名前を聞くことがなくなった亜人が、人々を恐怖に陥れようとしているだけ。魔王は、世界から見れば悪役にすぎないのだ。
なんなら、人類史から見れば月の民の存在こそ後発のもので、人間から派生し、世界の源となる魔力の発見と技術の発展を最初にしてきた種族こそ、この月の民だ。
魔力という枯渇資源を還元することもせず利用すれば、いずれ世界は崩壊の道を辿る。そう予見した月の民の思想によって、魔力の管理者、魔王が生まれた。
今の時代では、悲しいことにそんなことさえも形骸化してしまっている。
「もう、魔王なんて存在こそ要らぬのだ。あの勇者がそう教えてくれた」
「分からない……、分からないわ。あんな、さっちゃんを殺して、英雄を気取ってるあの男の言葉なんて間に受けることなんてないはずよ。どんなことを言われたのかなんて知らないし、興味もないけれど」
あの、何処までも底なしにお人好しの阿呆は、かつて世界を恐怖に陥れた我を、そして復讐を誓い令嬢として忍び込んでいたこの我を、受け入れていた。
こんな我と平和を築こうと言っておったのだ。
馬鹿馬鹿しい。なんと馬鹿馬鹿しい。
だが、あの勇者は世界でも掃き溜めと罵られるほどの治安の悪い街を、平和の象徴にまで仕立て上げ、世界が注目する大きな国にまで変貌させるところにまで至った。
残念ながらそれはすんでのところで叶わぬ夢と潰えてしまったが、それでもあの男は大きな可能性を遺した。長年、魔王として世界に君臨していた我には考えもつかなかった、平和の選択肢だ。
我と同じように嫌われ役、汚れ役を買いながらも、その先にある目的は誰もが決して叶えることなどできないと吐き捨てるであろう、何も隔てない平等な世界。
それがあの男の掲げた正義だ。
リコリスの――かつての我が掲げた理想の正義とは対立する、また違う理想。
そのどちらも、世界を救う正義でありながらも、あまりにも相反する。
「残念だわ、さっちゃん。私たち、友達になれると思ったのに」
「あのとき――氷で閉ざされた扉が開かれたあのとき、お前が我の手をとってくれたのなら、今とは違う未来も、あったのかもしれんな」
「泣きそうだわ。さっちゃん、私とっても泣きそうだわ」
抑揚のない声、感情の起伏も思わせない表情で言われても今ひとつピンとこない言葉ではあったが、確かにリコリスの赤い瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
「では、どうする? お前が魔王として君臨するつもりならば、我はそれを阻むぞ」
「今のさっちゃんに、それができるとは思えないけど?」
「承知の上だ。だが、どれだけ無意味な結果に終わろうとも我は足掻いてみせる」
はっきり言って、かつての魔王であった全盛期の我と変わらぬ実力を秘めたリコリスと、魔石がなくてはろくに魔法も使えぬ上に例え使えても身体が持たない今の我とでは相手にもならないだろう。
「イヤ。私、さっちゃんと戦いたくない。さっちゃんとだけは戦いたくない」
多分、なんとなくそんな気はしていた。
「さっきから少し、気になっていたのだが……、リコリスは何故そんなにも我を気遣おうとする?」
どういうわけか、リコリスの行動は我のためのものに集約されている。
魔王を名乗り出たのも我のため。
元仲間たちに勇者を殺させたのも我のため。
それによって世界を混乱に陥れようとしたのも我のため。
例え、我に負の感情を命に換える術が残っていたとしても、一度レッドアイズ国の勢力に敗北して無力に等しい我にどれだけの利用価値があったのか。
「私、さっちゃんのこと、とても好きだから」
そういえば、昔にもそんなことを言われたような気はする。
だからこそ、魔王軍に加入することこそを何度も拒んできたが、幾分かの協力を得られた側面もあった。
「さっちゃんが、害虫と一緒にいるなんて、耐えられないと思ったわ。とても耐えられなかったわ。そのまま私の手で世界を滅亡させてしまいたくなるくらいに。でもガマンしたの。負の感情が糧になると思っていたから」
「そ、そうか……」
ふと思ったのだが、ひょっとして我があのときリコリスから感じた悍ましい殺気は……いや、今さら何も言うまい。
「さっちゃんが魔王に復帰しないのなら、私も降りるわ。やっぱり面倒臭そうだわ」
全ての力を失った我にとってはこの上なく魅力的な提案でもあり、かつて手を組むことのなかった先代魔王の娘リコリスが力になってくれるというのなら百人力、千人力といっても全く過言ではない。
ろくに魔力のコントロールもできず、さっきもちょっと感情に任せて魔法を使っただけでまた身体中がバラバラになりそうなほどの激痛が走り、今にも倒れてしまいそうな、こんな虚弱な身体ともおさらばできる。
それでも。それでも尚。今の我に、リコリスと手を組んで新生魔王軍の二人目の魔王として君臨し、かつての栄光を取り戻す、その光景が目に浮かばない。
困ったことに、脳裏を過ぎるのはロータスのことばかり。
「どうしたの、さっちゃん。私と魔王になりたくないの?」
「とても嬉しい誘いだ。ただ、それを受けるには、もう遅すぎた」
「どうして? さっちゃんは前に私を誘ってくれたのに?」
「お前はそれを断ったよな」
「はっ。そうだったわ。私、断ったんだったわ」
無垢な表情を浮かべ、リコリスは口元に手を添える。
「でも、今は違うの。もう世界は居心地が悪くてたまらないの。こんな世界を変えてしまいたいの。さっちゃんだって、ずっとそうしていたでしょ? 害虫たちを力でねじ伏せて、圧倒して、管理してきた。力を失ったのなら、私が取り戻してあげる」
いよいよ、リコリスの目的が露わになってきたような気がする。
「魔法という技術は私たち月の民のものだった。それが、どう? 今はどんどん害虫たちが群がって、どんどん私たちの技術が奪われてきている。どんどん、どんどんよ。どんどんどん。どんどどん。もう勘弁してほしいわ。害虫の分際で」
「それもまた、時代の流れではないのか? いつまでも我らが独占し続けるものではない。それに、元々は魔力が月の民のものだったのもかつての話だ。未来永劫固執することに何の意味がある」
無気力で、無垢な瞳をしたリコリスから、明確な感情の漏れを感じる。
「銃器に機械人形に列車……レッドアイズの蛆虫どもがこんな玩具を造るために世界の源を蝕むなんて許せない、許したくない」
「それもまた技術の革新だ。古の時代に我ら月の民が魔法を生み出したことと何が違うというのか」
今の我は人間の味方ばかりしている。酷く、滑稽だ。
少なくとも、手のひらを返している我をリコリスはそう思っているはず。
「リコリス。お前の言っていることは間違ってはいないだろう。ほんの少し前の我と変わらぬ考えだ。私利私欲に溺れ、驕り高ぶる人間どもによって、摂理は破壊されつつあり、それを止めることこそが我ら月の民の使命なのだと」
「そうよ、その通りよ、さっちゃん。私は間違っていない。世界のあるべき姿の中に、害虫の存在は不要なのよ。だから魔王という存在が必要になったの」
魔王が何故存在しているのか。
どうして徒党を組んでまで世界に制裁を加えようとするのか。
その理由を知る者は今の時代にほとんどいない。
ただ月の民という、御伽噺にしかその名前を聞くことがなくなった亜人が、人々を恐怖に陥れようとしているだけ。魔王は、世界から見れば悪役にすぎないのだ。
なんなら、人類史から見れば月の民の存在こそ後発のもので、人間から派生し、世界の源となる魔力の発見と技術の発展を最初にしてきた種族こそ、この月の民だ。
魔力という枯渇資源を還元することもせず利用すれば、いずれ世界は崩壊の道を辿る。そう予見した月の民の思想によって、魔力の管理者、魔王が生まれた。
今の時代では、悲しいことにそんなことさえも形骸化してしまっている。
「もう、魔王なんて存在こそ要らぬのだ。あの勇者がそう教えてくれた」
「分からない……、分からないわ。あんな、さっちゃんを殺して、英雄を気取ってるあの男の言葉なんて間に受けることなんてないはずよ。どんなことを言われたのかなんて知らないし、興味もないけれど」
あの、何処までも底なしにお人好しの阿呆は、かつて世界を恐怖に陥れた我を、そして復讐を誓い令嬢として忍び込んでいたこの我を、受け入れていた。
こんな我と平和を築こうと言っておったのだ。
馬鹿馬鹿しい。なんと馬鹿馬鹿しい。
だが、あの勇者は世界でも掃き溜めと罵られるほどの治安の悪い街を、平和の象徴にまで仕立て上げ、世界が注目する大きな国にまで変貌させるところにまで至った。
残念ながらそれはすんでのところで叶わぬ夢と潰えてしまったが、それでもあの男は大きな可能性を遺した。長年、魔王として世界に君臨していた我には考えもつかなかった、平和の選択肢だ。
我と同じように嫌われ役、汚れ役を買いながらも、その先にある目的は誰もが決して叶えることなどできないと吐き捨てるであろう、何も隔てない平等な世界。
それがあの男の掲げた正義だ。
リコリスの――かつての我が掲げた理想の正義とは対立する、また違う理想。
そのどちらも、世界を救う正義でありながらも、あまりにも相反する。
「残念だわ、さっちゃん。私たち、友達になれると思ったのに」
「あのとき――氷で閉ざされた扉が開かれたあのとき、お前が我の手をとってくれたのなら、今とは違う未来も、あったのかもしれんな」
「泣きそうだわ。さっちゃん、私とっても泣きそうだわ」
抑揚のない声、感情の起伏も思わせない表情で言われても今ひとつピンとこない言葉ではあったが、確かにリコリスの赤い瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
「では、どうする? お前が魔王として君臨するつもりならば、我はそれを阻むぞ」
「今のさっちゃんに、それができるとは思えないけど?」
「承知の上だ。だが、どれだけ無意味な結果に終わろうとも我は足掻いてみせる」
はっきり言って、かつての魔王であった全盛期の我と変わらぬ実力を秘めたリコリスと、魔石がなくてはろくに魔法も使えぬ上に例え使えても身体が持たない今の我とでは相手にもならないだろう。
「イヤ。私、さっちゃんと戦いたくない。さっちゃんとだけは戦いたくない」
多分、なんとなくそんな気はしていた。
「さっきから少し、気になっていたのだが……、リコリスは何故そんなにも我を気遣おうとする?」
どういうわけか、リコリスの行動は我のためのものに集約されている。
魔王を名乗り出たのも我のため。
元仲間たちに勇者を殺させたのも我のため。
それによって世界を混乱に陥れようとしたのも我のため。
例え、我に負の感情を命に換える術が残っていたとしても、一度レッドアイズ国の勢力に敗北して無力に等しい我にどれだけの利用価値があったのか。
「私、さっちゃんのこと、とても好きだから」
そういえば、昔にもそんなことを言われたような気はする。
だからこそ、魔王軍に加入することこそを何度も拒んできたが、幾分かの協力を得られた側面もあった。
「さっちゃんが、害虫と一緒にいるなんて、耐えられないと思ったわ。とても耐えられなかったわ。そのまま私の手で世界を滅亡させてしまいたくなるくらいに。でもガマンしたの。負の感情が糧になると思っていたから」
「そ、そうか……」
ふと思ったのだが、ひょっとして我があのときリコリスから感じた悍ましい殺気は……いや、今さら何も言うまい。
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