第167話 魔王と元魔王
ー/ー『さっちゃんにね、ひとつ、言っておきたいことがあるの』
気配も感じるし、声も聞こえるが、その姿は見えない。
間違いなく直ぐ近くにリコリスがいるはずなのに。
『さっちゃんは私が勇者を殺したいと思ってたみたいだけど別にそんなことないよ』
「なに!?」
本当に分からない。たゆたう煙みたいにまるで掴みどころがない。
リコリスの抑揚のない言葉の何処に本心があるのか汲み取ることができない。
『そして、この城も面白くなくなってきたからもう返してあげてもいいよ。あとは私とお話するだけだね。ふふふふふ……』
からかっているのか? それとも本当に興味がなくなったのか?
分からない……、本気でリコリスは何を考えておるのだ……?
「……我も一つ、言っておくことがある。少しはお前のことを理解しているつもりだったが、そんなことはなかったようだ」
校門を潜り抜けて、校舎の方へと歩を進める。ただでさえ濃密なリコリスの気配がより濃くなっていくばかりで、一向にその姿を視界に収めることができない。
あたかも、沼に足を踏み入れているのに、それを自覚できていないかのよう。
このまま先に進んでいいのかさえも分からない。
ふとそのとき、目の前の空間が口を開けたかのように裂ける。
そして、そのまま我の身体は空間の裂け目へと飲み込まれていく……。
「フィー!」
後方でダリアが叫んだような気がするが、その声はかなり遠くに感じた。
距離感的には何歩も離れていなかったはずなのに。
「案ずるな、ちょっとリコリスと話してくる」
その言葉が届いたかどうかは定かではないが、不思議と落ち着いた気分だった。
次の瞬間には、我の身体は何処とも分からない空間の中を移動していた。
空間魔法で呼び寄せられたと気付くのはそんなに遅くはなかった。
目の前にリコリスが出現する。
否、正確には我の方が忽然と現われたのだろう。
「いらっしゃい、さっちゃん。やっとまた会えたわね」
空は無限に広がる星空のよう。
足下は鏡面のようにその星空を何処までも映し出し、幻想的な地平線を描く。
何もないに等しい漆黒の闇と、かすかな星々の光だけが照らす、そんな何処とも分からぬ空間の中、我とリコリスは対峙していた。
まるで、この世界に二人だけしか存在していないような錯覚に陥る。
月の如き美しき銀髪と、血の如き紅き瞳の少女。
月の如き麗しい白髪と、炎の如き朱き瞳の少女。
鏡あわせのようにお互いがお互いの顔を見合わせる。
「全てを聞かせてくれないか、リコリス。どうして今さら魔王になんてなろうと思ったのか。どうして勇者の命を狙う必要があったのか」
気怠そうな一見無気力に見える瞳の奥は、轟々と燃えさかる灼熱のようなソレが映り込んでいるかのようだった。
「全ては、さっちゃんのためだよ。全ては、さっちゃんのせいだよ」
「わ、我のせい……だと?」
どうしてそこで我が出てくるのかが分からない。
「本当はこんな世界、嫌いなの。魔王なんてイヤ。何処までも蝕まれていく、害虫にまみれた気味の悪いものを必死に守って、延々と害虫どもに恨まれ続けるだけの汚れ役なんて、やりたくないの。こんな世界、壊れてしまえばいい」
魔王の仕事を何だと思ってるんだ、コイツは。
まあ大体あってる。勿論リコリスがそういう風に思っているのは知っていたし、だからこそ魔王なんて絶対にやりたくないものだと思っていた。
「さっちゃんが害虫どもに殺されたって聞いて、吐き気がしたわ。むしろ吐いたわ。ゲロゲロだったわ。お気に入りの服が一着ダメになったの。どうしてくれるの」
「ええと、それはすまなかった」
なんで我が謝らなければならんのだ。
「女神が創った聖剣で魔力も消し飛ばされたって聞いたわ。さっちゃんが可愛そう。なんで害虫どものためにさっちゃんがこんな目に遭うの? 不公平」
「もしかして、それで我の復讐のために勇者を?」
「違うわ」
違うんかい!
「さっちゃんの肉体は、害虫どもの負の感情を魔力に変換して取り込める。そういう風な術式、一緒につくったよね。楽しかった。殆ど覚えてないけど」
「あ……」
そうだ。我には、そういう魔術が施されていた。
人々の悪意を命に換える、不老不死の術式。
「だからイヤな害虫たち集めたの。負の感情をたっぷり蓄えた気色悪い奴。本当、イヤだった。けど、さっちゃんのために、さっちゃんが早く元の力を取り戻せるように、私は頑張ったの。褒めて。激しく」
そうか、リコリスは知らないんだ……。
「魔王になれば、負の感情は沢山生まれる。だって、世界の嫌われ者、悪役だもの。だから私は、イヤだったけど、害虫どもに手を貸したの。イヤだったけど」
「ち、違う……違うんだ、リコリス」
我に掛けられた不老不死を実現する魔術。
何度殺されようとも、人間たちの心に悪意がある限り、何度でも復活を遂げる。
そんなものは、浄血の儀式によってとっくに消されてしまっている。
今の我は、本当にただの人間の小娘に過ぎない。
「ねえ、さっちゃん。どういうこと? 心地良くないの? あんなに恨んでた勇者を殺してあげたんだよ? 勇者を崇拝してた害虫どももみんな負の感情でいっぱいだよ。それとも、もっともっと必要?」
我のせい……、なのか?
「さっちゃん、ねえ、気持ちいい? 気持ちよくない? もっとしたほうがいい?」
気持ちいいわけがなかった。いくら負の感情があったって糧にならないから。
いや仮に、まだその術式が我の中に構築されていたとしても、我は決して心地よい気分になどなれたはずがない。
「すまない……リコリス。もうないんだ、その術式。我の中に組み込まれていたソレは浄血によって消されてしまった。だから、いくら負の感情をかき集めても、なんにもならないんだ……」
「なんてこと。私、頑張ったのに。かなり頑張ったのに。とっても残念な気分だわ」
ここに来るまで、リコリスには強い怒りを覚えていたはず。
ただ、その怒りの矛先は、鏡のように我に返ってきていた。
リコリスを許すわけにはいかない。だけど、リコリスがやってきたことは全て我のために集約されている。
本当はリコリスが魔王になることもなかった。
勇者に恨みを抱く人間を集めることもなかった。
パエデロスの人々が悲しむことも、嘆くことも、怒ることもなかったはずだ。
我の、せいなのか?
ロータスの命を奪われたのも、あんなに望まれていた平穏が破壊されたのも。
これから先、世界は大きく荒れていく。
勇者がいなくなり、世界に名を轟かせた国も再び崩れ始めていくだろう。
平和という名の正義を掲げて仲間に恨まれたロータスの意志を継ぎ、我は汚れ役だろうが悪役だろうが担ってやろうと誓ったのに。
その根幹にいたのは我だったのか?
「じゃあ、さっちゃん。もう一度やり直しましょ」
「何?」
「もう一度、負の感情を命に換えられる魔術をさっちゃんにかけてあげる。それならまだ間に合うわ。今も負の感情はこの街に、ゆくゆくは世界に広がっていく。そしたらさっちゃんも直ぐに復活できると思うの」
確かにこの魔術の構築の仕方を知っているリコリスならそれができる。
そして今ならきっと、全盛期の力を取り戻すまで、そう時間は要しないだろう。
それほどまでに勇者を失った怒りや悲しみ、憎しみが増幅されていくだろうから。
「私、さっちゃんと二人なら魔王も悪くないと思うの。だからね、さっちゃん――」
抑揚のない声で、無気力な瞳の少女は、言葉を続ける。
「――私と世界をはんぶんこにしましょ?」
気配も感じるし、声も聞こえるが、その姿は見えない。
間違いなく直ぐ近くにリコリスがいるはずなのに。
『さっちゃんは私が勇者を殺したいと思ってたみたいだけど別にそんなことないよ』
「なに!?」
本当に分からない。たゆたう煙みたいにまるで掴みどころがない。
リコリスの抑揚のない言葉の何処に本心があるのか汲み取ることができない。
『そして、この城も面白くなくなってきたからもう返してあげてもいいよ。あとは私とお話するだけだね。ふふふふふ……』
からかっているのか? それとも本当に興味がなくなったのか?
分からない……、本気でリコリスは何を考えておるのだ……?
「……我も一つ、言っておくことがある。少しはお前のことを理解しているつもりだったが、そんなことはなかったようだ」
校門を潜り抜けて、校舎の方へと歩を進める。ただでさえ濃密なリコリスの気配がより濃くなっていくばかりで、一向にその姿を視界に収めることができない。
あたかも、沼に足を踏み入れているのに、それを自覚できていないかのよう。
このまま先に進んでいいのかさえも分からない。
ふとそのとき、目の前の空間が口を開けたかのように裂ける。
そして、そのまま我の身体は空間の裂け目へと飲み込まれていく……。
「フィー!」
後方でダリアが叫んだような気がするが、その声はかなり遠くに感じた。
距離感的には何歩も離れていなかったはずなのに。
「案ずるな、ちょっとリコリスと話してくる」
その言葉が届いたかどうかは定かではないが、不思議と落ち着いた気分だった。
次の瞬間には、我の身体は何処とも分からない空間の中を移動していた。
空間魔法で呼び寄せられたと気付くのはそんなに遅くはなかった。
目の前にリコリスが出現する。
否、正確には我の方が忽然と現われたのだろう。
「いらっしゃい、さっちゃん。やっとまた会えたわね」
空は無限に広がる星空のよう。
足下は鏡面のようにその星空を何処までも映し出し、幻想的な地平線を描く。
何もないに等しい漆黒の闇と、かすかな星々の光だけが照らす、そんな何処とも分からぬ空間の中、我とリコリスは対峙していた。
まるで、この世界に二人だけしか存在していないような錯覚に陥る。
月の如き美しき銀髪と、血の如き紅き瞳の少女。
月の如き麗しい白髪と、炎の如き朱き瞳の少女。
鏡あわせのようにお互いがお互いの顔を見合わせる。
「全てを聞かせてくれないか、リコリス。どうして今さら魔王になんてなろうと思ったのか。どうして勇者の命を狙う必要があったのか」
気怠そうな一見無気力に見える瞳の奥は、轟々と燃えさかる灼熱のようなソレが映り込んでいるかのようだった。
「全ては、さっちゃんのためだよ。全ては、さっちゃんのせいだよ」
「わ、我のせい……だと?」
どうしてそこで我が出てくるのかが分からない。
「本当はこんな世界、嫌いなの。魔王なんてイヤ。何処までも蝕まれていく、害虫にまみれた気味の悪いものを必死に守って、延々と害虫どもに恨まれ続けるだけの汚れ役なんて、やりたくないの。こんな世界、壊れてしまえばいい」
魔王の仕事を何だと思ってるんだ、コイツは。
まあ大体あってる。勿論リコリスがそういう風に思っているのは知っていたし、だからこそ魔王なんて絶対にやりたくないものだと思っていた。
「さっちゃんが害虫どもに殺されたって聞いて、吐き気がしたわ。むしろ吐いたわ。ゲロゲロだったわ。お気に入りの服が一着ダメになったの。どうしてくれるの」
「ええと、それはすまなかった」
なんで我が謝らなければならんのだ。
「女神が創った聖剣で魔力も消し飛ばされたって聞いたわ。さっちゃんが可愛そう。なんで害虫どものためにさっちゃんがこんな目に遭うの? 不公平」
「もしかして、それで我の復讐のために勇者を?」
「違うわ」
違うんかい!
「さっちゃんの肉体は、害虫どもの負の感情を魔力に変換して取り込める。そういう風な術式、一緒につくったよね。楽しかった。殆ど覚えてないけど」
「あ……」
そうだ。我には、そういう魔術が施されていた。
人々の悪意を命に換える、不老不死の術式。
「だからイヤな害虫たち集めたの。負の感情をたっぷり蓄えた気色悪い奴。本当、イヤだった。けど、さっちゃんのために、さっちゃんが早く元の力を取り戻せるように、私は頑張ったの。褒めて。激しく」
そうか、リコリスは知らないんだ……。
「魔王になれば、負の感情は沢山生まれる。だって、世界の嫌われ者、悪役だもの。だから私は、イヤだったけど、害虫どもに手を貸したの。イヤだったけど」
「ち、違う……違うんだ、リコリス」
我に掛けられた不老不死を実現する魔術。
何度殺されようとも、人間たちの心に悪意がある限り、何度でも復活を遂げる。
そんなものは、浄血の儀式によってとっくに消されてしまっている。
今の我は、本当にただの人間の小娘に過ぎない。
「ねえ、さっちゃん。どういうこと? 心地良くないの? あんなに恨んでた勇者を殺してあげたんだよ? 勇者を崇拝してた害虫どももみんな負の感情でいっぱいだよ。それとも、もっともっと必要?」
我のせい……、なのか?
「さっちゃん、ねえ、気持ちいい? 気持ちよくない? もっとしたほうがいい?」
気持ちいいわけがなかった。いくら負の感情があったって糧にならないから。
いや仮に、まだその術式が我の中に構築されていたとしても、我は決して心地よい気分になどなれたはずがない。
「すまない……リコリス。もうないんだ、その術式。我の中に組み込まれていたソレは浄血によって消されてしまった。だから、いくら負の感情をかき集めても、なんにもならないんだ……」
「なんてこと。私、頑張ったのに。かなり頑張ったのに。とっても残念な気分だわ」
ここに来るまで、リコリスには強い怒りを覚えていたはず。
ただ、その怒りの矛先は、鏡のように我に返ってきていた。
リコリスを許すわけにはいかない。だけど、リコリスがやってきたことは全て我のために集約されている。
本当はリコリスが魔王になることもなかった。
勇者に恨みを抱く人間を集めることもなかった。
パエデロスの人々が悲しむことも、嘆くことも、怒ることもなかったはずだ。
我の、せいなのか?
ロータスの命を奪われたのも、あんなに望まれていた平穏が破壊されたのも。
これから先、世界は大きく荒れていく。
勇者がいなくなり、世界に名を轟かせた国も再び崩れ始めていくだろう。
平和という名の正義を掲げて仲間に恨まれたロータスの意志を継ぎ、我は汚れ役だろうが悪役だろうが担ってやろうと誓ったのに。
その根幹にいたのは我だったのか?
「じゃあ、さっちゃん。もう一度やり直しましょ」
「何?」
「もう一度、負の感情を命に換えられる魔術をさっちゃんにかけてあげる。それならまだ間に合うわ。今も負の感情はこの街に、ゆくゆくは世界に広がっていく。そしたらさっちゃんも直ぐに復活できると思うの」
確かにこの魔術の構築の仕方を知っているリコリスならそれができる。
そして今ならきっと、全盛期の力を取り戻すまで、そう時間は要しないだろう。
それほどまでに勇者を失った怒りや悲しみ、憎しみが増幅されていくだろうから。
「私、さっちゃんと二人なら魔王も悪くないと思うの。だからね、さっちゃん――」
抑揚のない声で、無気力な瞳の少女は、言葉を続ける。
「――私と世界をはんぶんこにしましょ?」
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