第161話 徐々に忍び寄る脅威

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 もう数日後には、この街の発展に大きく貢献してきた勇者の戴冠式が行われ、それと同時に建国記念祭を控えているパエデロスは、かつてないほどの賑わいだった。

 通りすがる人、すれ違う人、皆、陽気に振る舞いで、種族の壁なんて存在しないんじゃないかと確信してしまうくらいには、平和というものが訪れていた。

――どうして誰も気付かない?

 今、ここに、途轍もない異物が紛れ込んでいるのに、その目の前の空間だけがくり抜かれたかのように周囲の誰も認識できていないのだろうか。

「お前……、誰だよ」

 張り詰めていた空気を破裂させたのは、我の隣にいたパエニアの一言だった。
 この場で、お前はちゃんと目の前にいる少女の存在を認識できているのか。

 それとも、分かっていないのか。
 この街ごとまとめて消し飛ばせるほどの魔力と殺意を帯びていることに。

「あら、初めまして。私はリコリス・ルキフェルナというの。さっちゃんとは昔からの付き合いがあるのよ。あなたは、さっちゃんのお友達、かしら?」

 上品さ、可憐さを儚さで解きほぐすようなか細い声で言う。
 リコリスが何をしようとしているのか、何も分からない。

「お、俺様は別に友達でもなんでもねえよ。俺様はな、この街に貢献してきたラクトフロニア家の長男、パエニア・ラクトフロニア様だ」
「そうなの。初めて聞いたわ。そう……そう、お友達ではないのね。ふふふふふ」

 禍々しさの欠片もない、真っ白で純粋無垢な微笑みに見えた。
 心なしか、突き付けられていた刃物の切っ先が逸れたかのような錯覚を覚える。

「リコリス、急にどうして姿を現した? しかもそんな姿で」
「さっちゃんに会いに来たの。会いたかったから」

 会話は成立しているし、そこに違和感のある含みなどなかった。
 ただどうしたことだろう。この息が詰まりそうな感じ。

 何故だか分からないが、お互いに普通に立っているだけだというのに、我は襟元をグイっと掴み挙げられて尋問されているみたいな心地だった。

 傍から見れば大人しく、お淑やかで、風が吹いたらとんでしまいそうなお嬢様を相手にしているように見えるのだろうが、途方もない緊迫感に駆られる。

「驚いたぞ。我はてっきり、こんな賑やかな場所、苦手だと思っておった」
「そう。私、こういう場所、あまり好みではないの。でもさっちゃんに会いたくて」

 さっきから我は幻聴を聴いているのか?
 リコリスの口から出てくる言葉が本音に聞こえない。

 いや、正確に言うなれば、言っていることにはウソはない。ただ、もっと心の底から叫びたいことを喉の奥に無理やり押し殺しているような、そんな奇妙な感覚だ。

「今の世界、何処も居心地が悪いわ。だからね、さっちゃん。私ね――……」

 あどけない、瀟洒な笑みを浮かべ、リコリスは言葉を続ける。

「魔王になったの」

 初心な少女の告白みたいに、恥じらうような素振りを見せる。
 そのせいで、その言葉の意味を汲み取るのに、一瞬の時間を要した。

「な……、魔王に、だと? どうして今さら……!」
「それは秘密。今日は会えてうれしかったわ、さっちゃん。また、会いましょ」

 淡い月明かりの如く麗しき乳白色の髪を持ち、燃ゆる炎の如く朱色の瞳の少女は、踵を返して、街の雑踏の中へと消えていく。

 追いかけようと思ったときにはもう霧のようにいなくなっていた。

 リコリスの姿を確認できなくなったと同時に、身体を縛り付けるほどの途方もない緊張感から解かれ、そして時間が動き出す。

 全身からは気持ちの悪い汗が噴き出し、軽いめまいすら覚えた。

 ふと背後から、どすん、ばたっ、という音が聞こえ、咄嗟に振り向くと、パエニアを護衛していたガタいのいい男二人が泡を吹いて倒れ込んでいた。

「お、おい! 急にお前らどうしたんだよ!」

 おそらくは、殺気を見せたから殺気で反撃されたに違いない。
 その証拠に、外傷は全く見当たらない。威圧だけでやられたのだ。

 やはり、我の気のせいじゃなかった。
 リコリスは、ずっと鋭い殺気を放っていた。

「フィー! 今の奴、何者なんだよ。魔王って、何の冗談だ!」
「パエニア……、リコリスの言葉がウソのように聞こえたか?」

 質問に対し、質問で答えると、パエニアは口を紡ぐ。それが答えだった。

 大の大人が二人も倒れたことにより、さすがの周囲もざわざわとよからぬ方に騒ぎ始める。こんなお祭り騒ぎで賑やかな空気だったのに、投石を食らったよう。

 ともかく、この場をこのままにしてはおけない。

「誰か、手を貸してくれ。何処か休めるところを」

 そんな言葉を掛けると、すぐさま人が集まってきて、パエニアの護衛たちが担ぎ込まれていく。それはもう、あっという間だった。

「パエニア、すまないが、我は行かなければならない。勇者に報告せねば」
「ちょ、おい、フィー!」
「お前はここで護衛の回復を待て。じゃあな」

 パエニアの制止を振り切って、我は教会広場の方へと走り出す。

 新生魔王軍が結成されたと聞いて、嫌なことが頭の中にこびりついていたが、まさか本当にあのリコリスが魔王になったなんて。

 まだ、何かの冗談であってほしかった。
 だが、あの得体の知れない笑顔の裏側から漏れ出す殺意は隠し切れていなかった。

 リコリスは、何かをしようとしている。

 依然として目的は不明瞭のままで、何のために我の前に姿を現したのかは分からないが、レッドアイズ国転覆だとか、パエデロス建国妨害だとか、そんなちゃちいものでは断じてない、何か恐ろしいものの片鱗を味わった。

 一体、何が起ころうとしているのか。

 ※ ※ ※

 教会の扉を叩いて、まず現われたマルペルは、我の真っ青な顔を見て察した。
 続いて、さっきはいなかったダリアに引きずられるように奥へと連れていかれた。

 ロータス、リンドー、プディカと入れ替わりでダリアがきたらしい。
 あいつらも暇人じゃないしな。別れ間際も忙しそうにしていたし。

「――で、何よ、早速魔王と遭遇しちゃったわけ?」
「ああ……、そうだ。というか、何も感じなかったのか?」
「ロータスさんが帰ってきてから街は色々な人が集まってきていますしね。紛れ込んでしまったのではないでしょうか」

 いや、そんなはずはない。あの存在感は雑踏の中に紛れるほど小さなものなんかでは決してない。何より、目の前にいた我やパエニア、そしてその護衛たちがその圧倒的な殺気をビリビリと感じていたのだから。

「一先ず、そのラクトフロニアの護衛さんのところに向かいましょう。お手当が必要でしょうから」
「じゃあ、そこに案内してもらうついでに話してもらうわよ。新生魔王軍の新たな魔王、リコリス・ルキフェルナについて」
「フィーちゃんは大丈夫ですか? 何でしたらもう少し休んでも……」
「いやいい、問題ない」

 どうしようもなく情けない話で、口が裂けても言いたくないのだが、はっきり言ってリコリスを前にしてから恐怖で身体が竦み上がっていた。
 ダリアやマルペルのそばにいないと怖くて身体が震えてしまうほどに。

 分かりきっている。そう、分かりきった話なのだ。
 今の我は、魔法の才能が無い人間に少し毛が生えた程度の実力しかない。

 本物の魔王を相手にできるのは、魔王だった頃の全盛期の我に打ち勝った勇者の仲間たちだけということだ。情けない、嗚呼情けない。

 リコリスが、我に会いに来たというのも何処までが本心だったのやら。
 あまりにも自然で、友好的に接してきたことは、幸いととるべきか。
 そうでもなければ、今頃我はあっさり葬られていたことだろう。


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 もう数日後には、この街の発展に大きく貢献してきた勇者の戴冠式が行われ、それと同時に建国記念祭を控えているパエデロスは、かつてないほどの賑わいだった。
 通りすがる人、すれ違う人、皆、陽気に振る舞いで、種族の壁なんて存在しないんじゃないかと確信してしまうくらいには、平和というものが訪れていた。
――どうして誰も気付かない?
 今、ここに、途轍もない異物が紛れ込んでいるのに、その目の前の空間だけがくり抜かれたかのように周囲の誰も認識できていないのだろうか。
「お前……、誰だよ」
 張り詰めていた空気を破裂させたのは、我の隣にいたパエニアの一言だった。
 この場で、お前はちゃんと目の前にいる少女の存在を認識できているのか。
 それとも、分かっていないのか。
 この街ごとまとめて消し飛ばせるほどの魔力と殺意を帯びていることに。
「あら、初めまして。私はリコリス・ルキフェルナというの。さっちゃんとは昔からの付き合いがあるのよ。あなたは、さっちゃんのお友達、かしら?」
 上品さ、可憐さを儚さで解きほぐすようなか細い声で言う。
 リコリスが何をしようとしているのか、何も分からない。
「お、俺様は別に友達でもなんでもねえよ。俺様はな、この街に貢献してきたラクトフロニア家の長男、パエニア・ラクトフロニア様だ」
「そうなの。初めて聞いたわ。そう……そう、お友達ではないのね。ふふふふふ」
 禍々しさの欠片もない、真っ白で純粋無垢な微笑みに見えた。
 心なしか、突き付けられていた刃物の切っ先が逸れたかのような錯覚を覚える。
「リコリス、急にどうして姿を現した? しかもそんな姿で」
「さっちゃんに会いに来たの。会いたかったから」
 会話は成立しているし、そこに違和感のある含みなどなかった。
 ただどうしたことだろう。この息が詰まりそうな感じ。
 何故だか分からないが、お互いに普通に立っているだけだというのに、我は襟元をグイっと掴み挙げられて尋問されているみたいな心地だった。
 傍から見れば大人しく、お淑やかで、風が吹いたらとんでしまいそうなお嬢様を相手にしているように見えるのだろうが、途方もない緊迫感に駆られる。
「驚いたぞ。我はてっきり、こんな賑やかな場所、苦手だと思っておった」
「そう。私、こういう場所、あまり好みではないの。でもさっちゃんに会いたくて」
 さっきから我は幻聴を聴いているのか?
 リコリスの口から出てくる言葉が本音に聞こえない。
 いや、正確に言うなれば、言っていることにはウソはない。ただ、もっと心の底から叫びたいことを喉の奥に無理やり押し殺しているような、そんな奇妙な感覚だ。
「今の世界、何処も居心地が悪いわ。だからね、さっちゃん。私ね――……」
 あどけない、瀟洒な笑みを浮かべ、リコリスは言葉を続ける。
「魔王になったの」
 初心な少女の告白みたいに、恥じらうような素振りを見せる。
 そのせいで、その言葉の意味を汲み取るのに、一瞬の時間を要した。
「な……、魔王に、だと? どうして今さら……!」
「それは秘密。今日は会えてうれしかったわ、さっちゃん。また、会いましょ」
 淡い月明かりの如く麗しき乳白色の髪を持ち、燃ゆる炎の如く朱色の瞳の少女は、踵を返して、街の雑踏の中へと消えていく。
 追いかけようと思ったときにはもう霧のようにいなくなっていた。
 リコリスの姿を確認できなくなったと同時に、身体を縛り付けるほどの途方もない緊張感から解かれ、そして時間が動き出す。
 全身からは気持ちの悪い汗が噴き出し、軽いめまいすら覚えた。
 ふと背後から、どすん、ばたっ、という音が聞こえ、咄嗟に振り向くと、パエニアを護衛していたガタいのいい男二人が泡を吹いて倒れ込んでいた。
「お、おい! 急にお前らどうしたんだよ!」
 おそらくは、殺気を見せたから殺気で反撃されたに違いない。
 その証拠に、外傷は全く見当たらない。威圧だけでやられたのだ。
 やはり、我の気のせいじゃなかった。
 リコリスは、ずっと鋭い殺気を放っていた。
「フィー! 今の奴、何者なんだよ。魔王って、何の冗談だ!」
「パエニア……、リコリスの言葉がウソのように聞こえたか?」
 質問に対し、質問で答えると、パエニアは口を紡ぐ。それが答えだった。
 大の大人が二人も倒れたことにより、さすがの周囲もざわざわとよからぬ方に騒ぎ始める。こんなお祭り騒ぎで賑やかな空気だったのに、投石を食らったよう。
 ともかく、この場をこのままにしてはおけない。
「誰か、手を貸してくれ。何処か休めるところを」
 そんな言葉を掛けると、すぐさま人が集まってきて、パエニアの護衛たちが担ぎ込まれていく。それはもう、あっという間だった。
「パエニア、すまないが、我は行かなければならない。勇者に報告せねば」
「ちょ、おい、フィー!」
「お前はここで護衛の回復を待て。じゃあな」
 パエニアの制止を振り切って、我は教会広場の方へと走り出す。
 新生魔王軍が結成されたと聞いて、嫌なことが頭の中にこびりついていたが、まさか本当にあのリコリスが魔王になったなんて。
 まだ、何かの冗談であってほしかった。
 だが、あの得体の知れない笑顔の裏側から漏れ出す殺意は隠し切れていなかった。
 リコリスは、何かをしようとしている。
 依然として目的は不明瞭のままで、何のために我の前に姿を現したのかは分からないが、レッドアイズ国転覆だとか、パエデロス建国妨害だとか、そんなちゃちいものでは断じてない、何か恐ろしいものの片鱗を味わった。
 一体、何が起ころうとしているのか。
 ※ ※ ※
 教会の扉を叩いて、まず現われたマルペルは、我の真っ青な顔を見て察した。
 続いて、さっきはいなかったダリアに引きずられるように奥へと連れていかれた。
 ロータス、リンドー、プディカと入れ替わりでダリアがきたらしい。
 あいつらも暇人じゃないしな。別れ間際も忙しそうにしていたし。
「――で、何よ、早速魔王と遭遇しちゃったわけ?」
「ああ……、そうだ。というか、何も感じなかったのか?」
「ロータスさんが帰ってきてから街は色々な人が集まってきていますしね。紛れ込んでしまったのではないでしょうか」
 いや、そんなはずはない。あの存在感は雑踏の中に紛れるほど小さなものなんかでは決してない。何より、目の前にいた我やパエニア、そしてその護衛たちがその圧倒的な殺気をビリビリと感じていたのだから。
「一先ず、そのラクトフロニアの護衛さんのところに向かいましょう。お手当が必要でしょうから」
「じゃあ、そこに案内してもらうついでに話してもらうわよ。新生魔王軍の新たな魔王、リコリス・ルキフェルナについて」
「フィーちゃんは大丈夫ですか? 何でしたらもう少し休んでも……」
「いやいい、問題ない」
 どうしようもなく情けない話で、口が裂けても言いたくないのだが、はっきり言ってリコリスを前にしてから恐怖で身体が竦み上がっていた。
 ダリアやマルペルのそばにいないと怖くて身体が震えてしまうほどに。
 分かりきっている。そう、分かりきった話なのだ。
 今の我は、魔法の才能が無い人間に少し毛が生えた程度の実力しかない。
 本物の魔王を相手にできるのは、魔王だった頃の全盛期の我に打ち勝った勇者の仲間たちだけということだ。情けない、嗚呼情けない。
 リコリスが、我に会いに来たというのも何処までが本心だったのやら。
 あまりにも自然で、友好的に接してきたことは、幸いととるべきか。
 そうでもなければ、今頃我はあっさり葬られていたことだろう。