【教職員】蟹鍋

ー/ー



 海に水没した後に引き上げられたかのような水浸しの洞窟内は、ひっきりなしに海水が流れ出しており、その壁の脆さを語っているかのようだった。
 そんな中、地鳴りのような音が延々と反響していく。

「ダリア先生! そちらの方にもうひとかたまりのカニさんが行きましたよ!」
「ありがとう、キッキバル先生!」

 黒いローブを身に纏う二人の女性が、今まさに蟹と交戦している最中だ。数から言ってしまうと、狭い通路内に足の踏み場もないくらいぞろぞろと埋め尽くすほど。
 退けても退けても、次から次へとたかりにたかってくる。

 そんな蟹たちと戦いを繰り広げているのはネルムフィラ魔導士学院の教員を務めているダリアとマーガの二人だ。

 押されているように見えて、その実、ダリアが杖を軽く振るうだけで蟹たちはあしらわれていく。傍から見れば蟹に囲まれて絶体絶命のようにも思わされるが、二人とも全くの無傷のまま、洞穴の奥へ進んでいく。

「うーん、さすがに巣穴まで突っ込むと数が多いわね。どう? キッキバル先生、何か異変は見当たらない?」
「なんだかかんだか、何の問題もなさそうですね~。どうやらこっちの方でもなかったみたいですよ。魔力の臭いも全然です」
「そう。じゃあ次のところに行きましょう」

 襲い来る獰猛な蟹たちの猛攻も、魔法で軽くはじき返し、二人は洞穴の分岐点の方まで足早に踵を返していく。そして狭路を抜けた先、学校の職員らしき男たちがそこで待機していた。

「いかがでしたか、ダリア教官」
「こっちはハズレだったみたい。それより、生徒たちはみんな保護できた?」
「先ほど地上からの通信によりますと、新たに三名ほど自力で洞窟を脱出してきたとの報告が入りました」
「三名というとフィーとラクトフロニアのおぼっちゃん、それとコリウス王子ね?」

 肯定の意味で教員が首を縦に振る。その報告を聞くなり、ダリアもマーガもホッと安堵の息をつく。一番懸念していたことが解消された様子だ。

「現在洞窟の入り口にてリンドー教官と対策部隊が到着し、待機しておられます。直ぐにでも突入できる状態ですがいかがなさいますか?」
「生徒が全員無事ならここは一旦引き上げましょう。むしろ生徒たちの護衛の方に回した方が賢明だわ」
「そうですね。この洞窟は深いですし暗いですし、私たちがいつまでも篭もっちゃってたら地上に待たせてる生徒のみんなが心配になっちゃいますよ」

 頭からローブをすっぽりと被った女呪術師のマーガは表情こそ見えないが、一刻も早く帰らねばとはやる気持ちを抑えるように言う。

「洞窟内のみんなに撤収命令よ。あと、その前に被害状況を確認させて」
「はっ! 現状、重傷を負っているのは骨喰い寄居虫(スカル・ハーミット)と交戦したコリウス王子の護衛数名。他は今回の洞窟探索中での軽傷を負った数名の生徒のみです」
「新たに脱出した三名は? 特にコリウス王子は?」
「ええ、報告によりますと、王子はほぼ無傷。他二名のうち、女生徒が外傷こそほとんどないもののかなり弱っているとのこと。今、カーネ教官が対応しております」

 その報告を聞いて、何か少し引っかかったような反応を見せるダリアだったが、ふと何かを思い返して合点がいった表情へと変わる。

「分かったわ、ありがとう。じゃあ、よろしくね」
「はっ! これより撤収します!」

 ダリアの一声で職員は通信端末らしきものを取り出し、連絡を行き渡らせる。
 改めて、肩の荷が下りたようで、ほんの少しだけ脱力した。

「それじゃあ、キッキバル先生。私たちも撤収しましょう」
「あんま収獲がなかったのが残念なところですが」

 洞窟内に水の音が反響する。ぴちょん、ぴちょんと地面の上に雫が跳ねる。
 海水が流れ込む通路は、まるで河川の浅瀬みたくちゃぷちゃぷだ。
 おそらく、潮が満ちてきているのだろう。

 ややもすれば、今いるこの場所も海水に満たされるのかもしれない。
 あまりゆっくりしていられる時間もそうはないのだと察する。

 浅い水面を蹴り上げ、ざぶざぶと出口へと急ぐ二人だったが、水の音に混じり、何か大きなものが動いているような気配を感知する。
 そこで真っ先に反応したのはマーガの方だった。

「まあ、さすがにまだ残ってますよね。うふふ、収獲の足しということで」

 マーガがローブのフードを開け、顔を露出する。標的の位置を正確に捕捉すると即座に杖を構え、ブツブツボソボソと高速の詠唱を開始する。

 次の瞬間、通路の行く手を阻むには十分すぎるくらいの巨体が姿を現す。
 壁に擬態していたのか、はたまた最初からずっとそこに息を潜めていたのか。
 気性の荒い巨大ヤドカリが、二人を捕食しようと狙いを定める。

 しかし、その歩みは二人の元へと届くことはなかった。
 何故なら既に、マーガの術中にハマっていたからだ。

「うふ……うふふ……うひひひ……蟹鍋って美味しいんですよね……」

 やたらとみだらでふしだらな笑みを浮かべる美女が、よだれを垂らし、杖を持った手を捻る。すると、巨大なヤドカリの位置だけを切り取ったかのように、その部分の海水が沸々と煮立ち始める。

 ダリアとマーガの立っている位置の海水は至って普通の、ぬるくもない冷たい水のままなのにも関わらずだ。

「あの、キッキバル先生……骨喰い寄居虫はヤドカリの仲間であって、蟹の仲間じゃないんですよ?」
「煮込んでしまえば似たようなもんですよ。うへへぇ」

 などと言っている間にも美味しそうな匂いが立ち上ってくる。見た目からでは分からないが、かなり高い温度で煮込まれている様子。
 食べ頃と判断した辺りで、マーガは再び杖をくいっくいと翻す。

 すると、巨大なヤドカリがいた場所だけ空間ごと切り抜かれたかのように、忽然と消失する。かなりの高度な魔術のはずだが、マーガは汗一つ見せない。

「ええと、これでやっつけたヤドカリちゃんは何体くらいでしたっけ?」
「私が七体で、キッキバル先生が今ので四体。あと途中で見かけた変な茨に絡まってたのが二体と、その近くで痺れてたのが一体ね」
「そういえばそんなものもありました。なんとも芳しい蒼い薔薇の香りがとってもお鼻にピンピンきました。海底に咲く薔薇なんてあるもんなんですね」
「いや、あれはどう考えても――」

 思い当たる名前が脳裏を過ぎるダリアだったが、憶測だけであまり追求しても仕方ないと悟り、一先ず今は脱出の方を優先することにする。

「――ともかく、ここには骨喰い寄居虫以外にも危険な生物がいる可能性が否めないし、生徒たちもみんな避難した今、早く脱出するに越したことないわ」
「そうですね! 生徒ちゃんたちも寂しがっているでしょうし!」

 フードをふぁさっと被り、またすっかり頭を隠してしまったマーガは潮の満ちていく洞窟をザッブザッブと早足に移動していく。

「戻ったらみんなと浜辺で蟹鍋パーティをしましょう!」
「だから、ヤドカリは蟹の仲間じゃなくて……」
「そう考えたらお腹すきました。急ぎましょう、ダリア先生!」

 感情の起伏が今ひとつ掴めないマーガに引っ張られるように、ダリアも後を追う。
 相手がよく見知ったダリアじゃなければマーガも顔を晒すこともなかっただろう。

「ちょっと、キッキバル先生。あまり慌てるとまた転びますよ」

 様々な疑問、様々な謎こそあったが、一先ずそれらはこの海底洞窟に置いておいておくことにし、二人は生徒たちの待つ地上へと急ぐのだった。

(このまま何事もないといいんだけどなぁ……)

 もちろん、その胸中に一抹の不安を抱えながらも。


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次のエピソードへ進む 第153話 海沿いの宿舎で


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 海に水没した後に引き上げられたかのような水浸しの洞窟内は、ひっきりなしに海水が流れ出しており、その壁の脆さを語っているかのようだった。
 そんな中、地鳴りのような音が延々と反響していく。
「ダリア先生! そちらの方にもうひとかたまりのカニさんが行きましたよ!」
「ありがとう、キッキバル先生!」
 黒いローブを身に纏う二人の女性が、今まさに蟹と交戦している最中だ。数から言ってしまうと、狭い通路内に足の踏み場もないくらいぞろぞろと埋め尽くすほど。
 退けても退けても、次から次へとたかりにたかってくる。
 そんな蟹たちと戦いを繰り広げているのはネルムフィラ魔導士学院の教員を務めているダリアとマーガの二人だ。
 押されているように見えて、その実、ダリアが杖を軽く振るうだけで蟹たちはあしらわれていく。傍から見れば蟹に囲まれて絶体絶命のようにも思わされるが、二人とも全くの無傷のまま、洞穴の奥へ進んでいく。
「うーん、さすがに巣穴まで突っ込むと数が多いわね。どう? キッキバル先生、何か異変は見当たらない?」
「なんだかかんだか、何の問題もなさそうですね~。どうやらこっちの方でもなかったみたいですよ。魔力の臭いも全然です」
「そう。じゃあ次のところに行きましょう」
 襲い来る獰猛な蟹たちの猛攻も、魔法で軽くはじき返し、二人は洞穴の分岐点の方まで足早に踵を返していく。そして狭路を抜けた先、学校の職員らしき男たちがそこで待機していた。
「いかがでしたか、ダリア教官」
「こっちはハズレだったみたい。それより、生徒たちはみんな保護できた?」
「先ほど地上からの通信によりますと、新たに三名ほど自力で洞窟を脱出してきたとの報告が入りました」
「三名というとフィーとラクトフロニアのおぼっちゃん、それとコリウス王子ね?」
 肯定の意味で教員が首を縦に振る。その報告を聞くなり、ダリアもマーガもホッと安堵の息をつく。一番懸念していたことが解消された様子だ。
「現在洞窟の入り口にてリンドー教官と対策部隊が到着し、待機しておられます。直ぐにでも突入できる状態ですがいかがなさいますか?」
「生徒が全員無事ならここは一旦引き上げましょう。むしろ生徒たちの護衛の方に回した方が賢明だわ」
「そうですね。この洞窟は深いですし暗いですし、私たちがいつまでも篭もっちゃってたら地上に待たせてる生徒のみんなが心配になっちゃいますよ」
 頭からローブをすっぽりと被った女呪術師のマーガは表情こそ見えないが、一刻も早く帰らねばとはやる気持ちを抑えるように言う。
「洞窟内のみんなに撤収命令よ。あと、その前に被害状況を確認させて」
「はっ! 現状、重傷を負っているのは|骨喰い寄居虫《スカル・ハーミット》と交戦したコリウス王子の護衛数名。他は今回の洞窟探索中での軽傷を負った数名の生徒のみです」
「新たに脱出した三名は? 特にコリウス王子は?」
「ええ、報告によりますと、王子はほぼ無傷。他二名のうち、女生徒が外傷こそほとんどないもののかなり弱っているとのこと。今、カーネ教官が対応しております」
 その報告を聞いて、何か少し引っかかったような反応を見せるダリアだったが、ふと何かを思い返して合点がいった表情へと変わる。
「分かったわ、ありがとう。じゃあ、よろしくね」
「はっ! これより撤収します!」
 ダリアの一声で職員は通信端末らしきものを取り出し、連絡を行き渡らせる。
 改めて、肩の荷が下りたようで、ほんの少しだけ脱力した。
「それじゃあ、キッキバル先生。私たちも撤収しましょう」
「あんま収獲がなかったのが残念なところですが」
 洞窟内に水の音が反響する。ぴちょん、ぴちょんと地面の上に雫が跳ねる。
 海水が流れ込む通路は、まるで河川の浅瀬みたくちゃぷちゃぷだ。
 おそらく、潮が満ちてきているのだろう。
 ややもすれば、今いるこの場所も海水に満たされるのかもしれない。
 あまりゆっくりしていられる時間もそうはないのだと察する。
 浅い水面を蹴り上げ、ざぶざぶと出口へと急ぐ二人だったが、水の音に混じり、何か大きなものが動いているような気配を感知する。
 そこで真っ先に反応したのはマーガの方だった。
「まあ、さすがにまだ残ってますよね。うふふ、収獲の足しということで」
 マーガがローブのフードを開け、顔を露出する。標的の位置を正確に捕捉すると即座に杖を構え、ブツブツボソボソと高速の詠唱を開始する。
 次の瞬間、通路の行く手を阻むには十分すぎるくらいの巨体が姿を現す。
 壁に擬態していたのか、はたまた最初からずっとそこに息を潜めていたのか。
 気性の荒い巨大ヤドカリが、二人を捕食しようと狙いを定める。
 しかし、その歩みは二人の元へと届くことはなかった。
 何故なら既に、マーガの術中にハマっていたからだ。
「うふ……うふふ……うひひひ……蟹鍋って美味しいんですよね……」
 やたらとみだらでふしだらな笑みを浮かべる美女が、よだれを垂らし、杖を持った手を捻る。すると、巨大なヤドカリの位置だけを切り取ったかのように、その部分の海水が沸々と煮立ち始める。
 ダリアとマーガの立っている位置の海水は至って普通の、ぬるくもない冷たい水のままなのにも関わらずだ。
「あの、キッキバル先生……骨喰い寄居虫はヤドカリの仲間であって、蟹の仲間じゃないんですよ?」
「煮込んでしまえば似たようなもんですよ。うへへぇ」
 などと言っている間にも美味しそうな匂いが立ち上ってくる。見た目からでは分からないが、かなり高い温度で煮込まれている様子。
 食べ頃と判断した辺りで、マーガは再び杖をくいっくいと翻す。
 すると、巨大なヤドカリがいた場所だけ空間ごと切り抜かれたかのように、忽然と消失する。かなりの高度な魔術のはずだが、マーガは汗一つ見せない。
「ええと、これでやっつけたヤドカリちゃんは何体くらいでしたっけ?」
「私が七体で、キッキバル先生が今ので四体。あと途中で見かけた変な茨に絡まってたのが二体と、その近くで痺れてたのが一体ね」
「そういえばそんなものもありました。なんとも芳しい蒼い薔薇の香りがとってもお鼻にピンピンきました。海底に咲く薔薇なんてあるもんなんですね」
「いや、あれはどう考えても――」
 思い当たる名前が脳裏を過ぎるダリアだったが、憶測だけであまり追求しても仕方ないと悟り、一先ず今は脱出の方を優先することにする。
「――ともかく、ここには骨喰い寄居虫以外にも危険な生物がいる可能性が否めないし、生徒たちもみんな避難した今、早く脱出するに越したことないわ」
「そうですね! 生徒ちゃんたちも寂しがっているでしょうし!」
 フードをふぁさっと被り、またすっかり頭を隠してしまったマーガは潮の満ちていく洞窟をザッブザッブと早足に移動していく。
「戻ったらみんなと浜辺で蟹鍋パーティをしましょう!」
「だから、ヤドカリは蟹の仲間じゃなくて……」
「そう考えたらお腹すきました。急ぎましょう、ダリア先生!」
 感情の起伏が今ひとつ掴めないマーガに引っ張られるように、ダリアも後を追う。
 相手がよく見知ったダリアじゃなければマーガも顔を晒すこともなかっただろう。
「ちょっと、キッキバル先生。あまり慌てるとまた転びますよ」
 様々な疑問、様々な謎こそあったが、一先ずそれらはこの海底洞窟に置いておいておくことにし、二人は生徒たちの待つ地上へと急ぐのだった。
(このまま何事もないといいんだけどなぁ……)
 もちろん、その胸中に一抹の不安を抱えながらも。