街角の三・五次元
ー/ー ー*ー*ー*ー
放りだす コインは空で 羽をやすめ
落ちる理由を 忘れておりぬ
ー*ー*ー*ー
そこは、駅から自宅へ帰る途中の、ごく平凡な十字路だ。
左手に古いクリーニング屋、右手に自販機が並ぶ。何の変哲もない風景だが、クリーニング屋の角から電柱までの、わずか三メートルほどの間だけ、この世界の物理法則が「欠けて」いる。
私はそこを「ササクレ」と呼んでいる。
初めて気づいたのは、数ヶ月前の雨の日だった。傘に当たる雨音が、その一角に入った瞬間、完全に消えたのだ。見上げれば雨粒は止まっている。いや、止まっているのではない。空中で「迷子」のように、一ミリ単位で震えていた。
そのエリアを抜ければ、また騒がしい雨音が戻ってくる。
以来、私は帰宅のたびに「ササクレ」を観察するのが日課になった。
ある日は、投げ上げたコインがスローモーションで空を舞い、三回転半したところで静止した。
またある日は、足を踏み入れた瞬間に自分の影だけが三歩先に走り出し、慌てて戻ってきた。
どうやらここでは、重力や時間の進み方が、まるで出来の悪い刺繍のようにほつれているらしい。
「あの人、またあそこで立ち止まってる」
近所の小学生の声に、私は我に返った。
彼らにはこのズレが見えていない。あるいは、子供特有の柔軟さで、無意識に受け流しているのか。
私は「ササクレ」の真ん中に立ち、ポケットからビー玉を取り出した。
指を離すと、ビー玉は地面に落ちず、私の喉元あたりでふわふわと浮遊を始めた。指先で弾くと、ビー玉は直角に曲がり、誰もいない空間で「カツン」と見えない壁にぶつかるような音を立てた。
このズレが広がっているのか、それともいつか消えてしまうのかはわからない。
けれど、すべてが数式通りに動くこの世界で、この三メートルだけが私に「余白」を許してくれる。
私は浮いているビー玉をそっと掴み、ポケットに仕舞った。
一歩踏み出し、重力が正常に働く日常へと帰る。背中越しに、クリーニング屋の看板が、いつもより少しだけ鮮やかな色に見えた。
ー*ー*ー*ー
夕暮れを 踏み越えたなら 影法師
私を置いて 三歩先ゆく
ー*ー*ー*ー
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