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娘の結婚相手(本文)

ー/ー



「ねぇ、緊張してるの?」

 妻からの問いかけに小さく頷く。
 それはそうだろう。今日は、娘が彼氏を連れて家にやってくるのだから。
 わざわざ両親が揃っているときに挨拶に来るのだから、つまりは……そういうことなのだろう。結婚を前提とした交際なのだと、鈍い僕でも分かる。
 父親として、娘の伴侶にふさわしいか見極めなければならない。かなりのプレッシャーだ。
 穏やかな昼下がりにふさわしくない硬い表情を見かねて、妻が「リラックスして」と僕の肩を叩いた。

 インターホンが鳴って、モニターに二人分の人影が映る。きちんと時間通りにやってきた。妻が玄関のドアに手をかけると、娘の美優がにこやかに笑った。
 隣にいる男性を手で示して「彼ね、私の婚約者」と口を開く。

「こんにちは。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「たっ、田所くん?」

 思わず声がひっくり返る。驚きすぎて声も出ないとはまさにこのこと。そして、何故か妻もひどく驚いたような顔をして僕たちを見比べている。
 田所くんはニコニコと人懐っこい笑みで会釈をしてきた。
 我が家に足を踏み入れたのは、営業部の期待のエース……であり、娘の婚約者と名乗る田所くんだった。そもそも婚約したなんて初耳だ。何も聞いてない。
 娘の方を見ると、とぼけた顔をして肩を竦めている。

「あなた、彼と知り合いなの……?」
「知り合いも何も……!」

 娘が連れてきた婚約者が、僕の部下だなんて。まさかそんなことが起こるとは思っていなかっただけに、四人で食卓に座ってからも、僕は茫然としていた。

 どうして彼が?

 上司として接する中で、彼のプライベートな話を聞いたことはなかった。今の時代だとパワハラだと言われることもある。交際している女性がいるような話はうっすらと噂に聞いたことはあったが、その相手が自分の娘だとは夢にも思わなかった。

「田所さん、お父さんと同じ会社なのね。全然知らなかった。美優って何も言ってくれないんだもの」
「お付き合いを始めたのは二年前からなの。父さんたちには、きちんと話が固まってから報告したくて」

 むっすりとした顔で頷く僕を、美優と田所くんが心配そうに見つめていた。
 二年前か。そうか。
 それなら、先に彼のことを気に入ったのは僕だ。彼が営業部に配属された三年前。ちょうど昇進したばかりだった。部長としての立ち回り方を悩む中で、若くして優秀な田所くんには何度も助けられてきた。いつもにこやかで誰からも好かれる男だから、彼が異動してきてから部内の空気は格段に良くなった。

『今回、この仕事をやりきれたのは部長のおかげです』
『業務と関係ない話をしてすみません。でも、部長のこともっと知りたいんです』

 田所くんと話すと元気が出る。田所のくんの笑った顔を見ると心がときめく。僕の趣味に興味を持ってくれたのも、そう。社交辞令かもしれないと思ったが、一緒に釣りに行きたいと言ってくれて嬉しかった。

「何も知らなかったよ。君が娘と交際していたとは……」
「今まで黙っていてすみません。どういう風に伝えたらいいか迷っているうちに、挨拶に伺う日になってしまって。部長のことはたびたび美優さんから聞いていました」
「いや、いいんだけどね。知らなかったのは僕だけだったのか……」

 これまでの僕に対する好意的な言動を思い返す。
 今回娘と結婚するにあたって、義理の父親の趣味を事前にリサーチしておきたかっただけなのか。そうだとしたら少し寂しい。
 もしかしたら、上司として頼られているのかも、好かれているのかもだなんて、自分にとって都合の良い勘違いをしていたようだ。

「こんなにかっこいい婚約者を連れてくるなんて、あなたも大きくなったのね」

 僕だって、二十年と少し前までは、田所くんに負けず劣らず爽やかな青年だったぞ。髪だって黒々としていたし、細身でスーツの似合う営業部のエースだったさ。いやいや、娘の婚約者相手に何を張り合っているんだか。娘のことも可愛いし、田所くんのことも可愛い。
 父親としても、上司としても、何だか複雑な心境だ。

「美優ったら、将来はお父さんと結婚するって言ってたのにね。頑張ってお父さんに似た人を探すって言ってたけど、ふふ」
「やめてよ。彼の前で」

 妻が引っ張り出してきたアルバムの隙間から、はらりと落ちた一枚の写真。写っているのは若い頃の妻と僕だったが、目の前で語らう二人に確かにそっくりだった。娘が、若い頃の僕に似た男を伴侶に選んだと知って、決して悪い気はしない。
 お茶を淹れ直すから手伝ってほしいと言われ、妻と共に台所に立つ。
 仲睦まじく話す娘たちを眺めながら、こっそりと妻が僕に耳打ちをしていく。

「私、いい年して浮かれちゃって恥ずかしいわ……」

 え?

「美優の彼氏って知らなかったの。スーパーで会うたびに話しかけてくれるから、てっきり……」
「え?」
「田所くんって好青年だし、本当にいい子なのよね。おばさんだってときめいちゃうわよ!」

 こっちはただの勘違いでよかった。
 勘違い……でいいんだよな?

 田所くんは相変わらず、娘の隣でニコニコと微笑んでいる。どこからどこまでが勘違いなのか、分からなくなってきた。


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「ねぇ、緊張してるの?」
 妻からの問いかけに小さく頷く。
 それはそうだろう。今日は、娘が彼氏を連れて家にやってくるのだから。
 わざわざ両親が揃っているときに挨拶に来るのだから、つまりは……そういうことなのだろう。結婚を前提とした交際なのだと、鈍い僕でも分かる。
 父親として、娘の伴侶にふさわしいか見極めなければならない。かなりのプレッシャーだ。
 穏やかな昼下がりにふさわしくない硬い表情を見かねて、妻が「リラックスして」と僕の肩を叩いた。
 インターホンが鳴って、モニターに二人分の人影が映る。きちんと時間通りにやってきた。妻が玄関のドアに手をかけると、娘の美優がにこやかに笑った。
 隣にいる男性を手で示して「彼ね、私の婚約者」と口を開く。
「こんにちは。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「たっ、田所くん?」
 思わず声がひっくり返る。驚きすぎて声も出ないとはまさにこのこと。そして、何故か妻もひどく驚いたような顔をして僕たちを見比べている。
 田所くんはニコニコと人懐っこい笑みで会釈をしてきた。
 我が家に足を踏み入れたのは、営業部の期待のエース……であり、娘の婚約者と名乗る田所くんだった。そもそも婚約したなんて初耳だ。何も聞いてない。
 娘の方を見ると、とぼけた顔をして肩を竦めている。
「あなた、彼と知り合いなの……?」
「知り合いも何も……!」
 娘が連れてきた婚約者が、僕の部下だなんて。まさかそんなことが起こるとは思っていなかっただけに、四人で食卓に座ってからも、僕は茫然としていた。
 どうして彼が?
 上司として接する中で、彼のプライベートな話を聞いたことはなかった。今の時代だとパワハラだと言われることもある。交際している女性がいるような話はうっすらと噂に聞いたことはあったが、その相手が自分の娘だとは夢にも思わなかった。
「田所さん、お父さんと同じ会社なのね。全然知らなかった。美優って何も言ってくれないんだもの」
「お付き合いを始めたのは二年前からなの。父さんたちには、きちんと話が固まってから報告したくて」
 むっすりとした顔で頷く僕を、美優と田所くんが心配そうに見つめていた。
 二年前か。そうか。
 それなら、先に彼のことを気に入ったのは僕だ。彼が営業部に配属された三年前。ちょうど昇進したばかりだった。部長としての立ち回り方を悩む中で、若くして優秀な田所くんには何度も助けられてきた。いつもにこやかで誰からも好かれる男だから、彼が異動してきてから部内の空気は格段に良くなった。
『今回、この仕事をやりきれたのは部長のおかげです』
『業務と関係ない話をしてすみません。でも、部長のこともっと知りたいんです』
 田所くんと話すと元気が出る。田所のくんの笑った顔を見ると心がときめく。僕の趣味に興味を持ってくれたのも、そう。社交辞令かもしれないと思ったが、一緒に釣りに行きたいと言ってくれて嬉しかった。
「何も知らなかったよ。君が娘と交際していたとは……」
「今まで黙っていてすみません。どういう風に伝えたらいいか迷っているうちに、挨拶に伺う日になってしまって。部長のことはたびたび美優さんから聞いていました」
「いや、いいんだけどね。知らなかったのは僕だけだったのか……」
 これまでの僕に対する好意的な言動を思い返す。
 今回娘と結婚するにあたって、義理の父親の趣味を事前にリサーチしておきたかっただけなのか。そうだとしたら少し寂しい。
 もしかしたら、上司として頼られているのかも、好かれているのかもだなんて、自分にとって都合の良い勘違いをしていたようだ。
「こんなにかっこいい婚約者を連れてくるなんて、あなたも大きくなったのね」
 僕だって、二十年と少し前までは、田所くんに負けず劣らず爽やかな青年だったぞ。髪だって黒々としていたし、細身でスーツの似合う営業部のエースだったさ。いやいや、娘の婚約者相手に何を張り合っているんだか。娘のことも可愛いし、田所くんのことも可愛い。
 父親としても、上司としても、何だか複雑な心境だ。
「美優ったら、将来はお父さんと結婚するって言ってたのにね。頑張ってお父さんに似た人を探すって言ってたけど、ふふ」
「やめてよ。彼の前で」
 妻が引っ張り出してきたアルバムの隙間から、はらりと落ちた一枚の写真。写っているのは若い頃の妻と僕だったが、目の前で語らう二人に確かにそっくりだった。娘が、若い頃の僕に似た男を伴侶に選んだと知って、決して悪い気はしない。
 お茶を淹れ直すから手伝ってほしいと言われ、妻と共に台所に立つ。
 仲睦まじく話す娘たちを眺めながら、こっそりと妻が僕に耳打ちをしていく。
「私、いい年して浮かれちゃって恥ずかしいわ……」
 え?
「美優の彼氏って知らなかったの。スーパーで会うたびに話しかけてくれるから、てっきり……」
「え?」
「田所くんって好青年だし、本当にいい子なのよね。おばさんだってときめいちゃうわよ!」
 こっちはただの勘違いでよかった。
 勘違い……でいいんだよな?
 田所くんは相変わらず、娘の隣でニコニコと微笑んでいる。どこからどこまでが勘違いなのか、分からなくなってきた。